一挙手一投足が死に繋がります
「……まァ、来ないか」
パーカーのフードを深く被り、灰崎廻は孤独な部室の中で何度目か分からないため息を吐いた。
「朝見サンのとこ行くっぽいもんねェ。だとしても一言挨拶くれても良いのになァ」
虚無感。喪失感。
彼女を襲うのは目に見えない脅威。一年生の間、ずっと一人でこの教室にいたはずなのに─────今ではそれ自体が『足りない』状態に感じる。
「……ワタシ、なんかしちゃったかなァ────いや何もしてないだろ!」
昨日の来栖悠人の態度はどこかぎこちなく、淡白で冷たい印象が見られた。廻にとっては自分の行動が原因となったようには考えられかったため、ただ気分を沈ませる以外の事は出来なかった。
「ふぁあ〜……寝ちゃおうかなァ。うん、そうしよ」
廻は椅子を並べて簡易的なベッドを作る──────のではなく、卓上に置いてある物を全て蹴飛ばし、長机の上に寝そべった。
「……ン?」
瞼を瞑る寸前、廻は天井に違和感を覚えた。
─────『波動』にぽっかりと穴が空いていたのだ。
「あァ……?なんだこれ。天井に何かある系かァ?」
長机を脚立代わりに立ち上がり、廻は天井を触ってみるが……特に妙な点は無かった。
「違うな……上の階か。この2階まで貫通するほどやべェ『非日常』が、『日常の波動』を弱めている……ってところかな」
空洞の出来た波を眺めながら廻は一人頷き─────
「あれっ」
────『移動』し始めた穴を目で追った。
「動いた?って事はァ……人間かな?」
彼女の経験上、『非日常』が動く場合は特定の人間に非日常が降りかかる、またはその人間自体が非日常であるケースが多かった。
「おォ、どこまで行くんだ?ってか、こっちの方向……」
廻は長机から飛び降り、穴が移動していく方へ─────『窓』がある方へ歩いていく。
「ちょっ、外行っちゃうじゃん!?……あぁ、止まった止まった。良かったァ、自殺でもするのかと思っ──────」
何気なく口にした言葉が、欠けていたパズルのピースのように廻の思考に合致し……一つの憶測が生まれてしまった。
「……まさか」
慌てて窓から身を乗り出し、上方向を覗く。予想が外れる事を祈りながら、首を精一杯突き出し─────
人影が見えた。
「……」
廻はその場から……一歩も動く事は無かった。
「死にたいなら好きにすれば良いよね。ワタシがその決意を無駄にするなんて……流石に無理かなァ」
窓の外へ、再びため息を吐き、春の風を浴びた。
(この風も……屋上で、一歩踏み出せば死ぬ状況で浴びるとまた違う感覚なんだろうけど……正直言って─────)
「自殺って期待外れなんだよねェ」
様々な非日常を追い求め、日常に波動の無い場所を探す廻にとって……比較的頻繁に起こるが、廻自身が『日常』として受け止められない『自殺』というイベントは、無駄に期待させるだけの見慣れたショーに過ぎなかった。
「強いて言うならァ……誰がどうやって止めようとするのか。そこは観察させてもらおうかな」
屋上から聞こえるのは─────昼休みの時にも聞いた、焦燥に満ちた声だった。
ー ー ー ー ー ー ー
「はぁ、はぁ……!」
辿り着いたオレンジ色の空の下、屋上にて榊原殊葉は整わない息のまま叫んだ。
─────フェンスの奥に立つ少女に向かって。
「星っ!」
「……」
「はぁ、ダメ、じゃないか……ふぅ、そんなっ、危ないところにいたら……」
「……違うよ」
「え……?」
「生きてる方が、ずっと危ない」
殊葉は歩み寄ろうとするが……無闇に近付いてしまうのは軽率すぎると思い、踏みとどまった。
立ち止まり、星の声に耳を傾ける。
「それは……どうしてなんだい?」
「私が生きている事で傷付いてしまう人がいる」
「来栖君の事かい」
「そう」
「……昨日の事件の事を言っているのかい」
「そう」
「直接君がやった訳じゃないんだぞ!?悪いのは来栖君の側面のうちの一つだけを見て、そのまま過激な行動に及んでしまう者達だ……君に責任がある訳じゃない!」
「……でも」
「でもじゃない!……もう少し考えてみてくれないか。一人で考えるんじゃなくて、ボクと一緒に……」
一歩を踏み出してみる。星は特に気にする仕草は見せなかった。
「本当の事を言うとね」
「あぁ」
「結局私も自分の事しか考えてないの」
「……どういう意味だい?」
「私が生きていて苦しむ人は……私自身でもある」
風に髪が揺れ─────星はかつてないほどに身近に死が存在する状況を実感する。
「私、まだ来栖の事諦めきれてないんだよね。昨日、線堂に言われてようやく気付いた……心の中でどこか、また振り向いてくれるのを期待してる」
「……そう、なの?」
「だって……そうじゃなきゃ、この高校入ってないし」
「それは……でもっ、星は言ってくれたじゃないか!せっかくなら高校はボクと一緒が良いって─────」
「嘘じゃないよ。けど─────来栖がここを志望してる事、知ってたんだ。私が本当に来栖の事を考えてるなら、こっちゃんと一緒の高校だとしても我慢出来たはずなの」
「……」
「ごめんね」
「でも……なら、まだ間に合うじゃないか!今からでも転校とか────選択肢があるだろう?星が来栖君と離れる事でしか納得出来ないなら……」
「ダメ」
「……え?」
殊葉には……星の瞳が、底知れないほどの暗さを孕んでいるように見えてしまった。
「私は来栖と離れたくない」
「……い、いや、そうは言っても……!」
「分かってるよ!自分でも滅茶苦茶な事言ってるって……でも、でも!『納得』が出来ないの……付き合ってから、時間が経つにつれて来栖の事しか考えられなくなって……『あんな事』が起きた後でも、それはどんどん強まっていって─────」
「……」
「つい、こんな事しちゃったぁ」
涙を流しながらフェンスを掴む彼女は、文字通りいつ死んでもおかしくない危うさを漂わせている。
「ねぇ、私がいる位置……」
「位置?」
「なんでこの位置から飛び降りようとしてるか、知ってる?」
涙が頬に垂れながらも、星は微笑みながら下方を見下ろす。吹き抜ける風と、ぼやける校庭の景色が現実味を失わせる。
そして、満足げにもう一度笑った。
「……いや……そんな、位置に意味なんて─────」
「この場所から飛び降りると、『ある教室』を丁度通過するんだよ」
「……ある教室?」
「うん。そうしたらきっと私は……来栖から離れなくて済む。来栖は私から離れられなくなる」
「……まさ、か──────っ」
その時、榊原殊葉は理解してしまった。死を目の前にして微笑む彼女の意図を。
「ここから死ねば……死ぬ寸前の私がオカルト研究部の部室の窓に現れるの」
朝見星はもう、救いようのない段階まで来ているかも知れない─────と、無力感を抱きながら。




