この間に回復しておきましょう
4時間目終了後の昼休み、灰崎廻は部室で弁当箱の蓋を開けた。
いつも通りの習慣と化した行動。その中にある大きな違和感─────それは、この教室に自分以外の人間がいないという点。
いつも斜め前の席に座っている彼女の後輩は一向に姿を見せなかった。
─────コンコン、とドアをノックする音。
「……どうぞ」
だが廻はほんの少しの期待も抱いていなかった。
『彼』はノックなどせずに遠慮なくドアを開けてくるはずだから。
「失礼します」
「おやァ、キミは……線堂クン、だったね」
「はい。初めまして」
二人はその時初めて目を合わせたが─────互いに良い印象は持てなかった。
(……見た目もチャラそうだし、実は可愛いとかの噂は聞いた事があるが前髪は長いし、胸が特段大きい訳でもない。悠人の好みのタイプは『自分と同じくらいの陰キャで自分と同じゲームやってて好きなアニメの話が出来てセックスとか毎日させてくれる女』だったはずだから当てはまってない。悠人はなんでこんな女に……)
(来栖クンみたいに完全に波動が無いわけじゃなくて、豪火みたいに少しだけ波動があるわけでもなくて、普通の人の半分くらいの波動の量────大抵、こういう人って能力も無いのに『非日常』に浸かってるヤバい人なパターンが多いんだよねェ。来栖クンはこんな奴と親友なのかァ……)
無言の時が数秒流れた後、廻はため息混じりに言った。
「何の用だィ、入部希望ならお断りだぜ」
「こっちから願い下げですがね。……用件は悠人の事です」
「ふゥん?」
「悠人に頼まれた訳じゃないが、俺が伝えた方が良いと思った事があったので」
ドアを開けた進と、椅子に座る廻という構図で睨み合ったまま会話は続く。廻は進を座らせる気はなく、進もまた座るほど長居するつもりが無かった。
「悠人は午前中病院で、午後から登校してくる。だからこの時間、いつもみたいにここに来なかったという事です」
「はァ。それをワタシに言うためにわざわざ来たって?」
「そうです。それだけなのでここで失礼しま……あ、そうだ。もう一つだけ……」
「ンだよ、早く飯食いたいんだけど」
「今日から少しの間、悠人の動向に注意しておいて下さい」
「……あ?」
「立ち直らせてあげて下さい。それが出来るのはきっとあなただ。……そう、あんな女よりかは─────まだあなたの方がマシだ」
「……」
ドアは閉じられた。部室に再び静寂が訪れ、廻は白米を箸で運び─────
コンコン、と再び鳴り響いた音を聞きながら咀嚼した。
「どーぞー」
「し、失礼します……榊原です……」
酷く焦燥したような表情の榊原殊葉は、それでもなお美しい顔立ちを維持していた。
「焦った……まさか線堂がここに来てたなんて!もう少し気づくのが遅れてたら鉢合わせる所だった……」
「ご苦労様ァ。でも悪いけど来栖クンはいないんだ、出直せィ」
「あぁ……もしかしたらいるかもと思ったのですが、やっぱりそうでしたか。昨日のあんな事があれば仕方無いですよね……困った、星との仲直りの事を早くどうにかしなきゃならないのに……」
「そう言えばそんな話あったね。まだ方法思いついてなかったりィ?」
「いえ、『正面から正直に話す』という作戦に決定しましたよ!」
「それ作戦って呼んで良いの?」
手で促した廻に従い、殊葉は一番近くにあった椅子に腰掛けた。
「ただ、その……」
「なんかアクシデントかィ?来栖クンなら午後から来るらしいけど」
「そ、それは助かる!実は星の様子が昨日からおかしくて……出来ればすぐに行動を起こした方が良いと思ったんです」
「様子がおかしい、ねェ──────」
思考は駆け巡る。
昨日。朝見星の精神に影響を及ぼす出来事が昨日起こったと考えられる。彼女個人の問題なのかもしれないが、昨日に限っては学校中で話題となった事件が起きていた。
(恐らく、というかほぼ確で来栖クンの件が原因)
そこから導き出される答えは、あまりにも単純だった。
「もしかしてさァ、自分を責めてるのかィ?」
「……きっとそうです。でも、これ以上は星が悩んでもどうにもならないんです……」
「結果的に、榊原サンが仲直りさせようとしたのは正しかったって事だねェ。朝見サンは折り合いを付けなければならない─────悩みすぎて『最悪の結果』になったとしたら、来栖クンも堪えるだろうし誰も得しないよ」
自分で言って、違和感を感じた。
廻はたった今唇を通り抜けて紡がれた言葉を振り返り、その違和感の正体を……突き止めた。
『誰も得しない』─────本当にそうだろうか?
もし、得をする『誰か』がいるとしたら、その人物は……何をする?
「っ!」
─────コンコン、と今日三度目になるノックの音。
「……誰?」
廻は警戒の視線を扉に向けながら、席を立とうとして─────
「オレオレ!豪火豪火!師匠と約束してt」
「うん、帰れ」
……扉に歩み寄る事なく、廻は再び弁当に視線を落とした。
 




