スキップ不可ですが、そこまで長くはないです
『廻?もう朝よ!』
『んー……』
重々しい身体を起こし、彼女は目を開く。自分を呼ぶ母親の声に従い、家族のいる居間に進み─────
『いつもいつも夜中に遊び歩いてると体調崩すわよ?』
『……』
『聞いてる?全くもう……お父さんもなんか言ってやってよ』
『ん?まァいいんじゃねェか?死なねェならよ』
『あ、え……』
『お姉ちゃん?どーしたの?』
彼女の両親が微笑む。彼女の妹が近付く。
見慣れた家族の顔。
それが──────ぐにゃりと歪んで見えた。
『っ、来ないで……!』
『えっ……』
『なに、なにこれ……目が、おかし……』
─────『閃輝暗点』というものがある。
『偏頭痛の症状の一つなんですがね』
医者はこう語った。
視界が光るような、歪曲するように見える症状。キラキラとした光の波が、どれだけ目線を動かしても追ってくる。
『私自身は偏頭痛持ちではないのですが、前に閃輝暗点の再現映像を見たことがありまして。個人差があるものとは言え、アレは酷いものでした……』
─────普段当たり前に見えている視界が、文字が、人間の顔が『見えない』。正しく認識出来ない。一部分が欠けて見える。
『それがどうしようもなく気持ち悪いんですよね。少なくとも目に異常は見られませんので、偏頭痛の場合は──────』
彼女は頭痛になった経験などほぼ無かった。
だがその時初めて、痛みというアプローチ以外で偏頭痛患者の気持ちを理解出来た。
当たり前のモノが、当たり前でなくなる。家族の顔に『波』のような何かがかかって見える。友達も、建物も、花や星も─────ありふれたモノが全て歪む。
『……治らない』
いくら寝ても、薬を飲んでも治らない。
ぐちゃぐちゃになった人間の顔を見続けるしかない。
『オラッ!死ね雑魚がッ!この詩郎園豪火に勝てる奴は……ハハハ、いねえか。やっぱり線堂しか──────』
一人だけ、『マシ』と感じる人物がいた。『波』は少しチラつくだけで、不快感は少し。
……だが。
『ふーん、日常に靄がかかって見える……と』
『別に信じなくて良いよ。ただ言っとかなきゃって思っただけで─────』
『……もしかして、最近のオレの変な体質も……お前と同じやつなのか?』
『……え』
その者もまた、自分と同じ『病気』を持つ者だった。
そして──────あろう事か、その病気のせいで彼女と共にいる事自体が苦痛だと言う。
彼女は疑問に思う。
どうして自分がこの力に選ばれたのか。
いったい自分は誰と共にいればいいのか。
悩み続ける時間は終わり、諦めにも近い感情で日々を貪る。他人が青春と評価する時間をなにも考えず手ぶらで歩く。
─────────そこで、彼女は出会ったのだ。
ー ー ー ー ー ー ー
「……んあ」
「あ、起きた」
2年4組教室。机に突っ伏して寝ていた灰崎廻は、クラスメイトの女子に数回頬を突かれた事で目を覚ました。
「おはよー灰崎さん」
「ん……あれ、ワタシ……」
「もう放課後だよ。気持ちよさそうに寝てたけど部活もあるだろうし、起こしちゃった」
「あぁ、ありがと……猪口サン」
「あれ、覚えててくれたんだ!うれし〜」
廻は目を擦った後に身体を伸ばし、時計で現在の時刻を確認した。
四時。ホームルームが終わって少し経ったくらいだ。
「灰崎さんってさ」
「ん?」
「顔、めっちゃ可愛いのになんで前髪伸ばしてるの?」
「うぇ」
「うぇって何よ。起こそうと思って覗き込んだらびっくりしたよ」
「……まァ、事情ってヤツだねェ。どうしようもない事情があるんです」
「ふ〜ん。じゃあ突っ込まないけど」
繰り返し廻の頬を突く少女は、少し意地悪そうに顔を近づけた。
「ねぇ、あの後輩の子とはどうなの?」
「うぇっ」
「最近ずっとお熱じゃ〜ん?灰崎さんにそういうイメージ無かったんだけど、まさか年下好きとはね」
「……来栖クンについて、何も言わないの?」
「あの動画の事?無関係な私は何も分かんないし、気にする必要も無いし、灰崎さんへの興味の方が強いかな!他人の恋路大好き〜」
「……そ。良いシュミだねェ」
「──────早くしないと取られちゃうよ?後輩君」
廻にはその微笑みが、悪意でも何でもなくただの好奇心と心配によるモノに見えた。
「1年のイケメンちゃんと一緒にいるところ見たよ。灰崎さんなら並の男なんてちょちょいのちょいで落とせるでしょ!取られる前に早く付き合っちゃいなよ〜」
「……別に」
ため息の後、廻は立ち上がった。長い前髪を真っ直ぐ下ろし、波動に従って歩き始める。
「来栖クンは─────ワタシの事が好きな訳じゃないだろうし」
「え、そうなの?って、ちょっと!もう行っちゃうの?じゃあね〜!」
「……」
教室の中の猪口に軽く手を振り、廻は来栖悠人の顔を思い浮かべる。
(───────あの時)
数日前の放課後。部活の時間に、廻は気付いてしまった。
(ワタシとゲームしてる時の来栖クンの表情は……異常だった)
思わず手が止まってしまいそうになるほどの─────緊迫感。
(目ェかっ開いて、無言で……凄く、怖い顔だった)
『ゲームになると人格変わるんだよね』と冗談半分で言う者はいる。だが来栖悠人のそれは……人格が変わると言うよりは、『酷く怯えている』ように見えた。
『あ、意気込んどいて俺任せっすか……』
『マジで終わってますね。友達のいる陰キャの方が多分灰崎先輩よりマシですよ』
『まぁ……でも灰崎先輩も女子なのに強いですね』
(来栖クンはワタシが好きな訳じゃなくて、きっと───────)
その先の思考は恐怖でしかなかった。頭の中で結論を出すことすら嫌だった。
(それに……来栖クンがワタシと豪火と同じ『能力者』だったら……)
来栖悠人と出会った瞬間から考えていた可能性。だが、悠人がその事を打ち明ける事は無く……廻の中では一つの可能性で留まっている。
(来栖クンの目には、ワタシはどう映ってるんだろう)
詩郎園豪火は『嫌悪』した。彼が持つ『嗅ぐ』力によると、廻の匂いは『異常』だったらしい。
灰崎廻は『歓喜』した。来栖悠人は日常の波動が一切無く、廻が不快感を抱く原因が全く見えない唯一の存在。
「考えても無駄、だなァ」
そもそも悠人が能力者かどうかも分からないのに、わざわざ悩んでも杞憂に過ぎない。恐らく悠人自身も自覚していない『廻といる理由』についても……確証は無い。
「ふー……」
部室の扉の前で軽く深呼吸。ヘアピンを付け、波動の見えない部室の扉を開き─────
「ごめんごめん、遅くなっちゃった──────」
「師匠ッ!もう即死コンボはやめてッ……あぁ、あああああああああ!!!」
「何回同じ戦法に負けてるんですか?そんなんじゃいつまで経っても進には勝てませんよ……!」
「ほ、本当にこれで喧嘩が強くなるんだよな!?オレを騙してるってわけじゃあ……」
「疑うんですか?────俺を?」
「……クッソォ!もう一回だッ!!」
──────廻は、男二人が一つの画面に張り付いて大人気パーティゲームを遊んでいる光景を目撃した。
「えぇ……何やってんのォ……?」
「あ、灰崎先輩。ほら、来ましたけど」
見覚えがある、とは思っていた。大柄な金髪の男は、画面から廻へと視線を移し……ニッコリと笑った。
「よう!久しぶりだな、廻!」
「──────豪火」
「最初はお前に用があったんだけどよ、今は師匠に稽古つけてもらう事にしたわ!ちょっと部室使わせてもらうぜ──────」
「出てけ」
声のトーンの低さで、悠人も豪火も理解出来た。
「今すぐ出てけ」
─────怒っている。ただし、理由は分からない。
(え、なんで怒ってるんですか?)
(いや、分かんねえ。最近廻とは話してねえし師匠の方が詳しいんじゃ……)
(そんな事言われても……)
小声で話す二人は、廻の顔を見ているうちに……『怒り』と言うよりかは『焦り』の感情があるように感じ始めた。
「そ、そもそも出てけって……どっちに言ってるんですか?俺か豪火君か……どっちもですか?」
「豪火に決まってるでしょ」
「まぁオレか。だがよ、天下の豪火様も傷付くんだぜ?急に理由も無しに言われても」
「黙れ」
「わーったよ。ったく、ダチだってのに。元カレってだけでそんな避けなくてもいいじゃねえか───────」
─────場を、静寂が包む。
「……ん?」
詩郎園豪火は自分が発した言葉を改めて考え……背筋を凍らせながら苦笑いを浮かべた。廻と悠人を交互に見て……彼の普段は働かない頭脳が結論を導き出す。
「まさか……廻と師匠って付き合っt」
「黙れ筋肉ダルマァッ!!」
「グボッ!?」
午後4時過ぎ。オカルト研究部部室から聞こえたという騒音は、凄まじく恐ろしい女の声と……何かを殴るような鈍い音だったという。




