僅差ではありませんね、頑張りましょう
「やっぱ戻りたくなくなってきた……クッソ……」
榊原から聞かされた、昼休みの我がクラスの様子はあまりにも馬鹿げていた。
『──────なんというか、ものすごい口喧嘩をしていたぞ。詳しい内容は聞き取れなかったけど、君の事で言い争っているようだった』
灰崎先輩は爆笑していたが、俺は逆に心配になってきた。
この件には関係無いと思っていたが、まさか俺が教室にいないのに話題に上げてくれるくらい人気者だったとは思いもしなかった。どうせ俺の扱いに対して進がまた何かを言った事から始まったんだろうけど……
「ん?待てよ……」
俺が理由なら対立は『進と三上』の二人と『その他全員』のグループで起こるはず。
「じゃあ進がキレたのか?いや、そうなると三上が止めるから─────」
行き着く答えは一つ。
「なるほどね、三上がキレたのか!」
怒った時のあいつは死ぬほど面倒だ。進が止めるなんて事はしないだろうし、口先の上手い三上なら一人でクラス全員を相手出来てもおかしくはない。
ヤバい時は進との痴話喧嘩でさえ秘密裏に録音をして議論中に少しでも間違いがあると録っていた音声と共に糾弾していた。普段は天然バカっぽいのに変なところで熱くなるのは……まぁ、進も同じか。
「そう考えると楽しみかも」
久しぶりに怒った三上を見れる。単純に珍しくて面白いから期待出来る。
「……よし!」
三階へ上がる階段の途中で立ち止まっていた俺は意気揚々と走り出し、7組の教室へ向かい─────
「だからさぁ!!」
「ひっ」
女子のモノと思われる、その絶叫に心臓が飛び上がった。
──────その声質からして、三上が怒ったという俺の予想が外れたことだけは分かった。
「タケちゃんは……タケちゃんは私と来栖悠人、どっちが大事なの!!」
「いや、そう言う事じゃなくて……」
「……もう良い。知らない……!」
「ま、待って……っ」
涙を拭いながら走る少女は、丁度教室の外にいた俺を一瞥し、すれ違いざまに……確かに呟いた。
「あなたさえいなければ」
……と。
追うように荒川が向かってくるが、既にその彼女はトイレかどこかに駆け込んでしまったようだ。
「待って、香澄っ!……って、来栖君……!?」
「荒川、お前……」
「ち、違うよ……ごめん、これは自分のせいですから。来栖君は全然悪くないんです、本当に気にしないで─────」
「俺の事が好きだったのか……!?」
「あぁそれはもっと違う!!」
慌てふためく荒川と、凍りついた空気のクラスと、生暖かい笑顔で見つめてくる進と三上。
今日も今日とて騒がしく面白い高校生活の中、俺の頭には……一定のリズムで同じ言葉が響き、繰り返されていた。
(「あなたさえいなければ」……か)
「ちょ、ちょっと来栖君……」
「え?」
彼女の姿が見えなくなってしまったのを確認した後に、荒川は俺を咎めるようなため息をこぼした。
「─────そんな笑わないでくださいよ!こっちは大変なんですから……」
「あ、あぁ……ごめんごめん」
自然と上がっていた口角を直し……それでも溢れそうな笑いを、唇を噛んで閉じ込める。
(荒川の彼女、普通に嫌いだ。奴はクソだ。急に親に仇を見るような目をしやがって、俺が何をしたって言うんだ。心の底から腹が立つ。ムカつく。イライラする。それなのに─────)
──────『憎しみによる悪意』だった事が嬉しかった。くだらない理由しかない『無邪気な悪意』じゃなくて良かった。
イキった言い方をすると、俺にとって『憎しみ』は慣れ親しんだ感情だ。荒川の彼女の言葉には……詳しい事は分からないが、ちゃんとした理由があるような気がした。だが─────俺に拳を振い、唾を吐き、這いつくばらせた奴らの悪意は理由は違う。
『キモい』『ダサい』『バカ』『気持ち悪い』『声小さい』『陰キャ』『金魚のフン』『腰巾着』『勘違い野郎』『イキりすぎ』『カス』『クズ』『ブサイク』『イラつく』『キ●ガイ』……だったか。
ほら、これに比べれば──────俺が憎いだけの奴なんて、鼻で笑い飛ばせるだろ?
「……とまぁ、悠人が帰ってくる直前にタケちゃんと彼女が喧嘩しちゃって、って感じ」
「じゃあ、荒川は俺を庇ったせいで……」
「だ、だから違いますって!香澄が怒っちゃったのは……自分が悪いんです。自信が無くて、香澄に釣り合う男になれていないって腐り続けて。その不満がさっき爆発しちゃったんだと思うんです」
ホームルーム終了後に俺たちの席にやってきた進と三上におどおどしながらも、荒川はそれ以上に彼女との問題を深刻に思っているようだった。
「でも、ありがとうな荒川。俺のためにさ」
「……自分はクラスの皆をずっと見てるだけ、来栖君への悪口を聞いてるだけしか出来なくて。そんな自分が嫌で、香澄が好きって言ってくれた自分が、こんな何も出来ない男なのが……悔しくて。だからただの自己満足ですよ」
俺と同類だと思っていた陰キャが、酷く輝いて見える。この荒川という人間はきっと人付き合いが苦手で、仲の良い人だけとつるんでいたいし外で遊ぶよりゲームの方が好きなのだろう。
それでも信念を持っている。絶対に曲がらない生き方の指標を。
羨ましいモノだ。都合よく妥協し続けて生きてきた俺には眩しすぎる。
「でさぁ悠人くん、撮った動画見る?」
そう言った三上がスマホの画面を見せてきた瞬間─────教室の温度が少し下がったような気がした。
不自然に思われない程度に皆が口を噤み、息を呑んでいた。
「いや、いらない」
「ほらな!悠人はこんなの見ないって」
「そっかぁ……じゃあお蔵入りかー」
こんな状況で流せばもっとクラスの雰囲気が悪くなる。
それに──────別に俺は悪口を言われても気持ち良くはなれない。
「あと、荒川」
「何です?」
「恩を返せなくて悪いけど、お前の彼女の件は何の助けにもなれない」
「あ、いえ、そんな気にしないで……」
「俺からは─────『そんな女別れちまえ』としか言えないからな」
「えっ……」
「……じゃあ、三人ともまたな」
重く、冷たい空気の中を歩く。鋭かった視線も、今では腫れ物でも見るような眼差しに変わった。
高橋圭吾の気まずそうな表情。西澤雪音の見定めるような目。俺にそんなに気を使うな、そんなに期待するな。
悪いとは思ってるよ、せっかく楽しい高校生活をめちゃくちゃにしてしまったのは。でも……俺なんかの事をそこまで気にしないでくれ。
俺の事が嫌いなら無視すれば良い。俺の事を悪いと思うならそれで良い。俺の事を庇う奴も放っておけば良い。
なのに、どうしてそんなに構うんだ。俺は皆が思うほどの悪人でも、庇われる価値のある善人でもない──────
(ただの、皆と同じ高校生なのに)
……そう、思っていた。
だが違った。俺は普通の人間とは明確に異なる点がある。そして灰崎廻やその他の『能力者』もまた、何かが違う。
その秘密に──────この時の俺が気付けるはずもなかった。
 




