だから序盤で仲良くしておいたんですね
(来栖悠人──────入学してすぐに女子生徒に対して罵詈雑言を吐く動画が拡散された男子生徒……か)
朝、席についた榊原殊葉は……彼の腕を掴んでいた自分の右手を握り、開き、握っては開く。
(とても……あんな事を言う男には見えなかった。むしろ、あの場で行動を起こせた唯一の人間だった。だからこそ分からない……彼はどう言った人間なのか。彼にあそこまで言わせてしまったのは何故か……)
「殊葉様ーッ!おはよー!」
「おはよう殊葉くーん」
「あぁ……おはよう、君たち」
朝に痴漢被害と痴漢冤罪の両方の闇を体感したばっかりだったとしても、彼女は普段通りクールに笑顔を振り撒き、同じ性別のクラスメイト達の歓声を浴びる。
「あれ?殊葉様、今日は少し物憂げな微笑み……」
「え、そうかい……?」
「でもそれもステキーー!!」
殊葉の席の周囲を覆う女子達は─────その時に鳴り響いたチャイムに文句を言いながら席へ戻った。
「相変わらず人気だね、こっちゃんは」
「フフ……ここまで来ると困ったものだよ」
担任が連絡事項を淡々と述べるホームルーム中、榊原殊葉はいつも隣の席の女子と話す。彼女は殊葉に対して他の女子のような態度で接しない貴重な友人だった。
加えて同じ小学生に通っていた旧友であり、互いの心の拠り所となっている。
「で、物憂げな表情らしいけど、どうかしたの?」
「……実は──────」
来栖悠人について。その話題を振るのには勇気が必要だった。『彼は噂ほどの悪人ではないかもしれない』などと言ってしまえば……理解を示されず、友情に亀裂が生まれる危険性もあったからだ。
そして殊葉はその友情を信じた。
「来栖悠人……っているだろう?彼についてなんだが─────その、彼の悪評は虚構のモノじゃないかと思ってね」
「……え」
「あぁ、誤解しないでほしい。その……今日の朝、えー……そう、うちの高校の生徒が痴漢にあっていてね。ボクが助けようとしたその矢先─────来栖悠人に先を越されてしまったんだ」
「……」
「し、信じてもらえないかい?」
友人の見た事のないような凍りついた顔に怯えながらも、殊葉は言った。
「彼があのような勇気ある善人なら、どうしてあんな動画が出回ってしまったのかと……ボクは恩を返すために……あ、恩って言うか、その、正義のために!原因を究明したいんだ──────星」
「…………そう、だね」
顔を上げ、無理やり作り上げた歪な表情で──────朝見星は笑った。
「こっちゃんが言うなら、信じるよ」
「……そ、そうか……ありがとう……」
しかし……殊葉は来栖悠人の件と同じレベルで、朝見星の表情の理由が気になっていた。
(来栖悠人の名前を出したから……そう考えるのが自然だけど、星がここまで反応を示すのは何故だ……?)
不明点だらけの事案。事の全貌は一切見えないが─────二つの疑問の理由が繋がっているかもしれない可能性、そして友の曇った表情を晴れさせたい……榊原殊葉が動き出すには十分すぎる理由だった。
ー ー ー ー ー ー ー
────昼休みの合図であるチャイムが鳴り響いた1年7組教室にて。
来栖悠人が弁当箱を持ち、当たり前のように教室を出て行くのは恒例行事と化していた。幼馴染である線堂進と三上春は既に心配するような事はせず、悠人が望んでオカルト研究部へ向かっている事を理解し、彼のいない昼食を味わおうとしていた。
……が、今度は別の者が彼を気にかけ始めたようで。
「……あれ、大丈夫なのかよ」
「何が?」
「来栖だよ。……オカ研の部長ってヤバい奴なんだろ?なのにここ最近毎日通ってて……」
「今更心配とかどういう風の吹き回しだ?高橋」
線堂進を含むクラスの中心的な男子グループの一人、高橋圭悟。
バツの悪そうな表情で、彼は重々しく弁当箱を開けた。
「……来栖の、あの動画って偽物じゃないんだろ?線堂も三上も『あれは合成だ』みたいな擁護はしてなかったし」
「そうだ。あの動画は合成でもヤラセでもない正真正銘の真実……俺以外にも目撃した人はいると思う」
クラスを越え、学校全体の擬似的な『敵』となった来栖悠人。彼をその立場に追いやる事となった事件の核心に触れる予感──────それを線堂進と高橋圭悟の会話から感じた7組のほとんどが、何気ない会話を続けながら聞き耳を立てる。
「だから余計に気になるんだよ。あの事実があった上で線堂と三上が来栖を庇い続ける理由が。……そう考えてたら、もしかしたら本当に悪い奴じゃないのかもって……」
「はぁ?何言ってんの?」
西澤雪音という─────三上春を含むクラスカーストトップの女子グループに所属する女子が口を開いた。
普段、あまり発言せずクールなイメージを持たれる彼女が語気を荒げた事により、クラス内の緊張はより高まる。
「『あそこまで』は無い。どんな事情があっても感情的になってあそこまでやるような奴は……クラスにとって害でしかない」
「おまっ、そんな言い方は……!」
「何?高橋だってこの間までは来栖に否定的だってくせに、今更線堂に媚びでも売りたくなった?」
雪音の危うい言葉にクラス中が一斉に進と春の表情を伺うが─────二人は無言を貫き、ただ弁当の中身を口に運んでいた。
「雪音……お前はいつもそうだ、中学の時からずっとだ!なんで歩み寄ろうとしねぇんだよ、どうして完全に否定すんだよ……!」
「それはあんたが男だからじゃないの?女子は皆怖かったでしょ、クラスにあんなカス野郎がいるって。正直、昼休みだけじゃなくて授業中もどっか行っててほしいくらい」
雪音はその言葉を─────春と目を合わせながら、三上春という人間に聞かせるように言った。餌で獣を誘き寄せる狩人のように。
(こういうタイプの女は絶ッ対腹黒いって決まってる)
雪音が入学してから今までの期間、共に過ごし見つけた闇。確証は持てない……だからこそ今、確かめる。自分しか気付いていない三上春の裏側を白日の下に晒し、その取り繕ったような笑顔を剥がすために─────。
「……ん?ど、どこか変なところにお米付いてるかな?そんなじっと見て……」
「……チッ」
が、春の仮面を外す事は出来なかった。明らかに挑発を仕掛けている雪音にも笑顔を振り撒き、彼女は表情を崩さない。
反対に、クラスのあちこちでは雪音の言葉についてに議論が行われ始めていた。
「確かにアレ、女子からしたら大分怖いかもな……」
「大分とか、かもとか、そういうレベルじゃないから!ほんっとありえない、あの陰キャ……!」
「将来絶対犯罪者になってるよ。そしたら私言っちゃお、同級生として『いつかやるとは思ってましたけど』って言うわ」
「でも女子って来栖の親友の線堂の事は好きじゃん。そこはどうなんだよ」
「それとこれは別だから」
「線堂と三上さんはなんで来栖とずっと仲良くしてるんだ……?」
「悪い奴には見えなかったんだけど、分かんないもんだなぁ」
「来栖に話しかけたら挙動不審すぎてあっちの言葉あんま聞き取れなかった事あるw」
「あーいうモテない奴が卑屈になってって女子に暴言吐くんだよな。俺には分からないわ」
─────そして、教室の端にもその話題は届く。
「ね?言ったでしょ。あの人はヤバい人だったんだって……縁切った方が良いよ」
その女子生徒は7組に所属していない。が、交際相手の男子と昼食の時間を共に過ごすため、弁当箱を持ってこの教室に座っていた。
「私はタケちゃんの事を思って言ってるの。あーいう人と一緒にいたらタケちゃんまで……」
「──────違うッ!!」
「ッ!?」
その時─────教室は静寂に包まれた。
理由はただ一つ。
普段は来栖悠人と同じレベルで大人しい、しかし交際相手がおりクラス内でも地位を認められている男子生徒。
荒川健が唐突に声を荒げ、立ち上がったから。




