多少の魅せプは当然の嗜みです
後悔と苦悶の中。渦中に立たされている俺だが、実際は立っていられず────膝がガクンと落ちたまま息を荒げることしか出来なかった。
「あの〜、ちょっと良い?」
だが─────電車が減速し始めた時、近くに立っていたスーツの男が割り込むように言った。
「……?すみませんが、ボクはコイツを連れて行かなきゃいけないので────」
「その子、やってないと思うよ」
「……え?」
右腕を掴む手が少し緩む。
「で、でも……」
「いや、今の今まで気付けなかった僕が言うのもなんだけどね……やっぱり冤罪は良くないと思うんだ」
30代くらいに見える男だった。顔も知らない、偶然乗り合わせた赤の他人。
「こ、コイツは女の子に酷い言葉を浴びせるような奴で─────」
「多分、僕の他にも証言出来る人はいるんじゃないかな?」
「アタシ見てたわよ!この男の子がこっち向かってくるから、そんなにアタシの事痴漢したいのかしらーって思ったら、ねぇ?痴漢から女の子を助けようなんてやるじゃないの!若者のくせにねぇ!」
ものすごく近所にいそうなおばさんが発言し、電車内に喧騒が訪れる。
「お嬢ちゃんやらかしちゃったわねぇ!まーアタシらも気付いてあげられなかったけどねぇ、この子ったらわざわざ遠くからこっちに来てアンタの事助けようとしてくれてたのよ?」
「え……」
「まーこんな優しい子なんだからさっさと謝れば許してくれるんじゃないかしらねぇ!」
「あ、えぇ……」
「……その、ふっ、俺も見てました……ふっ」
次に参戦したのは、片耳にイヤホンを付けたままの……丸々とした体型のメガネ男。暑がりなのか呼吸が荒く、顔が脂ぎっている。
「まぁふっ、俺って言うか……この周りにいる人は大体見てたと思うんすけど、ふっ……。あ、あと痴漢冤罪ってふっ、マジでそれだけで人生詰むらしいんで……ふっ、あの、ふっ……ヤバいって事っす……ふっ」
メガネ男が言い終えた後に満足げな表情をした直後──────扉が開く合図のメロディが鳴った。
人が流れ、『珍しい事もあったものだ』とでも言いたげな目線を俺に残して乗客は減っていく。特に何も言わず、誰もが『珍しい出来事』として処理し……俺は日常の断片になった。
「とりあえず降りようか?君達の高校、ここが最寄りでしょ?……立てる?」
「は、はっ……い、すいませ……っ」
「悠人!しっかり……!」
視界がぐにゃぐにゃと歪み、脳がふらふらと揺らぐ中、俺はスーツの男と進に支えられながら─────ホームの椅子を目指して歩き始めた。
「じゃ、僕はこれで失礼するよ」
「本当にありがとうございます!友達を守ってくれて……」
「大人として当然の事をしたまでだよ。トラブルがあったとは言え、あんまり遅刻しすぎないようにね!」
男は俺を座らせるとすぐにその背を向け、早歩きでこの場を立ち去った。
「……さて、と」
進の酷く冷徹な眼差しが、高身長美形女を突き刺す。
「進くん」
「分かってる……何もしない、流石にな」
常に笑顔を保っている三上も、珍しく口角が上がっていなかった。
「うっ……そ、そのぉ……」
「その?なんだよ」
「こ、この度はぁ……ボクをた、助けようとしてくれたのに……犯人扱いしちゃって、してしまい……申し訳ありませんでしたぁっ!」
「謝る相手は俺じゃないだろ!」
「も、申じ訳ありまぜんでじだあああ!!うぅう……」
その女子は─────顔つきが整っている上に、髪も短めですらっとしたスタイルなため、男装の麗人のような雰囲気を感じる美しさがあるのだが……が、涙と鼻水で完全に台無しになってしまっている。
おまけにダイナミックに土下座してやがる。尊厳もクソもない。
「えーと確かぁ……1年2組の榊原殊葉ちゃんだよね?」
「え、あ、はい……」
「女子の間で話題になった事あるよぉ!すっごいカッコ良くてぇ、『殊葉様』って呼んで王子様扱いしてる子もいるくらいで……でもこんな可愛い顔も出来るんだねぇ」
「……うっ、ふうぅ…………」
「ちょっ、三上、それは流石に性格悪いぞ……」
だがしかし、唇を噛み締めて正座するその姿は小学生のような可愛らしさがある……かも。
「で、どうする悠人。コイツの事許してやるのか?」
「え?あぁ……まぁ……別に、俺が許そうが許さまいがこいつには関係無いだろ。痴漢とは違って、俺を犯人と間違った程度じゃあ何の罪にもならないし。俺に嫌われたとしても榊原には何の影響もない──────」
─────いや、待てよ。そうじゃない。
確かに直接的な影響は無いが。俺が許さない事で……同時に進が榊原を拒絶する理由になるかもしれない。
進と榊原の接触は避けられなかった。だが二人の関係を悪化させれば─────ラブコメを破壊出来るかもしれない!
「ごめん、やっぱ許すのナシで!普通に許さないわ」
「ほら、悠人は優しいからこう言ってくれるけどな……え?今許さないって言った?」
「えぇ!?そ、そんなぁ……」
榊原が目を潤ませながら見上げてくるが、これも仕方のない事だ。親友の平穏のためにこいつにはもう少し泣いてもらおう。
「ほ、本当に申し訳ない……その、知らない人に触られるのが意外と怖くて、焦ってしまってたんだ……」
「あー、うん」
「ど……どうすれば償える!?ボクに出来る事なら何でも……!」
「……じゃあジュースでも奢ってよ、卒業するまでに。……別に、俺は榊原が悪いとは思ってないし」
「……へ?」
俺は頭が冴えてきたのを感じ、椅子から立ち上がり─────榊原に背を向け、改札への階段を目指して歩き始めた。
「ちょ、悠人待てって!」
「置いてかないでよーぉ」
「……」
二人が追いつくまで若干足の速度を落とす。
「悠人、もう体調は……」
「大丈夫。心配無い」
「……周りの人が助けてくれたもんねぇ」
「だな。世の中捨てたもんじゃないってか」
「……あぁ」
あの時─────俺は心の底から、人助けなんかしなけりゃ良かったって思った。善意が無駄になり、俺に牙を剥いたと言う無慈悲な現実が苦しかった。周囲の目線が痛かった。『情けは人の為ならず』とか言い出した奴を殴りたくなった。だから俺の気道も、俺を締め上げて……呼吸が厳しくなった。
でも、周囲の乗客が助けてくれた時─────俺の発作は一旦の収束を見せようとしていたんだ。
そして、もう一度起きた。
(─────あのスーツの男)
あの男が俺を庇ってくれた時、とてつもない安心感に包まれた。……その直後に気付く。
痴漢をしていたのはあいつだ、と。
「人間って醜いよな……」
「えぇ……今は助け合いって良いよなって言う流れだっただろ……」
あの男は何を考えて俺を助けたのだろうか。
自分の犯行を他人が背負っている光景に罪悪感を覚えたから?
あえて俺を庇うポジションに位置取る事で真犯人に思われにくくさせたかったから?
(あと─────これは気のせいかもしれないけど)
灰崎廻は俺の事を『日常の波動が全く見えない』と言った。
だが、俺はどんな人間からだろうとほんの少しだけは絶対に『ラブコメの波動』を感じる。だから灰崎先輩には共感出来なかった。
……ついさっき、波動が全く感じられなかったスーツの男に出会うまでは────────
「く、来栖君っ!!……で合ってるっけ……?」
「……あ?」
「伝え忘れていた事があったーーっ!!」
目を擦りながら、鼻水を啜りながら……榊原咲奈は人目を憚る事なく叫んだ。
「助けようとしてくれて、ありがとーーっ!!」
「……はいはい」
少し手を振って、俺はまた前を向く。
榊原は悪くない、と思う。むしろ被害者でしかない。俺を痴漢と間違えてしまったのも、元はと言えば俺が朝見に暴言を吐いたからだ。実際に尻を触られている状況じゃあ、冷静な判断力なんてある訳ないだろうし。
(……俺は今後も他人を助けるなんて事はしないだろうけど─────でも、それは榊原のせいじゃない)
俺の勇気の無さを、俺の自信の無さを、俺の臆病さを……全て榊原のせいにしてしまうのは──────ダサすぎて、それだけは許せなかった。




