あるいは、混乱状態かもしれません
「あれ?」
夕日に照らされる教室の中で、俺の前に立つ荒川がよろける。
「っとと……なんか、変な……おかしいですね、話していた途中なのに、何故か────寝起きみたいな感覚です」
「なんだそりゃ」
「分かりませんが……良い夢を、見ていたような────────って、そうじゃなくて。結局どうなんですか?」
「何が?」
「来栖君は灰崎先輩の事、どう思ってるんですか……って話でしたよね?確か」
「あぁ……」
────なるほど、そこまで『巻き戻された』のか。
「好きかも」
「妙にあっさりと認めますね……」
「うん────じゃ、帰るよ」
「えっ」
立ち上がり、俺は荒川に背中を向けて戸に手をかける。
「ありがとな、荒川。色々とさ」
「随分と急ですね……まぁ、あなたが自覚できたのならそれで良い、か」
────同じ流れ。
教室から出て、入れ替わるように加賀美香澄が荒川の方へと向かう。
……そして、俺は────また同じように部室へと向かう。
廊下を歩き、階段を下る。
そしてまた廊下を歩き────辿り着く。
「……」
波動は強まっていない。感じるのはいつもの、灰崎先輩の波動。
躊躇わず────────戸をスライドさせる。
「やァ、遅ェよマジで」
「すみません」
「結局何の用だったん?」
「ポスターの事で、少し。用はもう済んだので、帰りましょうか」
「ン、おっけ~」
カバンを持ち、灰崎先輩は入口に立つ俺を押しのけて扉を閉めた。
「そういやさァ、『ご褒美』の事なんだけど」
「『ご褒美』?……あぁ、ご褒美ですか」
「そそ。……とりあえず、コレで渡しとくね」
「えっ」
一瞬にして、灰崎先輩は俺の制服のポケットに何かを突っ込んだ。
「何すか?これ────」
「あァ出さないで!家に帰ってから堪能してもらって」
「なるほど?分かりました……」
「ふはは、楽しみにしとけよォ?」
オレンジ色の光に照らされて、灰崎先輩の笑顔が輝いた。
「……はい、楽しみにしときます」
────そういえば、眠かったんだな……って、思い出した。
『あの世界』にいる間は切羽詰まりすぎて眠気なんて感じる暇が無かったけど、灰崎先輩の顔を見て……また眠くなってきた。
……『安心』しているのだろう。家のトイレの中やベッドの上でくつろいだり、家族や幼馴染の顔を見た時みたいに。
俺はこの場所を守りたい。この人と一緒にいたい。
『あ……あ"……やだ────────』
「…………」
例え、どう非難されようと。どんな怨嗟が耳にこびり付こうと。
俺は負けたくない。この世界に勝ちたい。レールを無理矢理捻じ曲げてやりたい。
そのために────────やらなければいけない事がある。
【悠人】
あいつが伝えてくれた、新たな情報。
【君達を元の世界に戻し、私はこの世界から消える】
あいつの最後の言葉。
【私の立場は、本来では悠人に干渉できないものだ。そのルールを無視した代償として、これからは遠い場所で君の物語を見届けさせてもらう】
俺がこれからすべき事。
【だから最後に……伝えられるだけ、君の知らない情報を教えてしまっても良いだろう】
俺が────勝つべき相手。
【まず最初に────────最後の能力者について、だ】
俺達の……敵。
【影山賽理、夜房小窓、彼女達以外の転生者を全員殺害した、『来栖悠人の最大の敵』こそ────────】
ー - - - - - -
「あ~、文化祭かぁ!懐かしいな、僕もここに通って、元気に青春を過ごしてたんだよな……」
一人の男が、通りがかった学園の門の装飾を見て微笑んでいた。
「そんな僕も、今となってはアラサー独身会社員か……世知辛いなぁ」
視線を逸らす。
眩しすぎる青春の象徴は、男にとって苦痛でしかなかった。
「はぁ、全く────おっと!」
「きゃっ!」
不注意だったのは、よそ見をしながら歩いていた男と……スマホを見ながら歩いていた女子高生の両方だった。
「大丈夫?ごめんね、変な方向見てて……」
「いたたた────────あぁ、いえ、全然……」
「怪我は無いかな?絆創膏なら持ってるけど」
「いや、大丈夫です!すみません、本当に……」
「いやいやこちらこそ!大人なのに申し訳なかったね。……じゃ、痛かったらすぐ病院行くんだよ?」
男は控えめに手を振り、再び歩き出す。
「ふぅ。やっぱりこんな世の中じゃあ────────」
────そして、彼……行田焦吉はたった今撮った女子高生のスカートの中の写真を満足げに眺めながら、歩くペースを速めた。
「これくらい許されるよね!」
スマートフォンのギャラリーにズラッと表示される、夥しい数の盗撮写真。
戦利品を見るような視線で画面を嘗め回し、その視界はやがて────不意に、彼の青春時代を象徴する学園を再び映した。
そして先ほどの女子高生が着ていた制服が、一つの過去を思い出させる。
「……そういえば、彼は元気かな。例の哀れな冤罪少年────来栖悠人君は」




