既に作戦は思いついています
(……まず、勝ち目は無い)
冥蛾霊子と対峙した夜房小窓は、刀を構えつつも目の前に立つ少女を絶望的な力を持った存在と認識している。
(……霊が蔓延るこの空間内、この世界がもはや冥蛾霊子のテリトリー。……そして私には聞き取れない言語での命令を使用する──────戦って勝つのはあまりにも現実的じゃない)
つまり小窓がすべきなのは戦闘ではなく──────追跡と逃亡を同時に行う事。
「アハッ!かかってきなよ吐息厨!勝てるはずもない戦いに命を投げ出したいのなら、だけどね─────」
「……さようなら」
「えっ」
机に置いてあるスマホを素早く手に取り、小窓は悠人と健を追って部室から飛び出す。
「……影山、来栖悠人と荒川健の位置を教えて」
『えっ、で、でも……モブとは言え、結構良いキャラしてるし…………』
「……早くして、時間が無いの─────」
が、彼女を追う者はただ『叫ぶ』だけで良い。
「謌ヲ髣倪?謾サ謦────!」
「……ッ」
跪いていた周囲の霊達がいっせいに顔を上げ、小窓へと眼光を走らせる。
「「「「「謾サ謦」」」」」
逃げた悠人の方向だけは分かっている小窓は、部室を出て左に走り出した。
その廊下に道を作っていた霊達が……霊子の声を聞き、一斉に小窓に襲い掛かる。
「……雑魚は無視する、これは攻略の鉄則」
加速────さらに加速。
多少ぶつかるのは覚悟で、小窓は全速力で駆ける。目の前に存在する霊だけを斬り、自身の集団戦闘の適性の無さを補う。
「変なの~。一発で倒せるくせに全員倒してから進んだりはしないんだ」
霊子は、彼女自身は小窓を追うという選択を取らなかった。
そして走り出す代わりに、もう一度叫ぶ。
「謌ヲ髣倪?繧ケ繧ュ繝ォ竊貞刈騾────!!」
「……新しい攻撃命令……!」
廊下に轟く声。それが霊達の耳に響き、彼らは一瞬の硬直の後────────
「「「「「「 蜉?騾!!」」」」」」
「……なっ……!?」
────加速した。
移動速度、攻撃速度、共に飛躍的な上昇を見せた。攻撃手段を持たない悠人が霊で溢れる教室に入り、少しの間生き残る事が出来たくらいには鈍足だった軍団が、普通の人間ほどのスピードへと変貌した。
それでもまだ小窓に比べれば『速い』とは言い難い。が────霊達は大軍。対する彼女は一対一に特化した戦闘能力。
「さーてと。足止めは任せて、霊子はお兄さん達を探さなくちゃ……」
教室から出て、悠人と小窓が向かった方向と反対の、右側の廊下に残っていたおよそ十数体の霊を呼び寄せる。
「菴懈姶竊貞ョ晉ョア謐懃エ「────!」
「「「「「「螳晉ョョア謐懃エ「……」」」」」」
叫びを受けた霊達はそれぞれバラバラに動き出し、校内を徘徊し始める。
「さてと……これだけ人出があれば足りるかなー?」
霊子が下したのは捜索命令。小窓一人に対しては無限とも言える量故、別の事に人員を裂いても痛手ではない。
「しっかし、逃げるだけじゃ追いつかれるのは分かってるだろうし、どこかに隠れててほしいけど────────」
ー - - - - - -
「……男子トイレに隠れたりしてると思ったけど、そこまで単純な相手でもないか────ッ!……雑魚のくせに、鬱陶しい……!!」
外から聞こえる夥しい足音と、苛立ちの籠った声。
「────行ったか」
俺は初めて入った女子トイレの中で、荒川を下ろして腕を休ませる。
……さっきから鳴りっぱなしの心臓も休めたいところだったけど、入ってはいけない場所に入ってるせいで鼓動は速まるばかりだ。
「これ以上体力が持たなかったから仕方ないとは言え、賭けだったな……」
こんなことになるなら日ごろから鍛えておけばよかった。……考えるだけ無駄だな、そんなのは。
「クソ、ちっとも冷静になれない……!」
疲労、動揺、焦燥。
腕も脚も震えている。一瞬にして共闘関係が崩れ去ったのをまだ受け入れられない。何も手を打たなければ脱出できないのは分かってる……不安で仕方がない。
「……」
このまま、ここに隠れているという選択肢は悪くない。
ただ────それは、俺が『何もせずじっとしていたい』と願っているから、なおさらそう感じるという補正もあるだろう。
動かなければ何も変わらない。荒川を守れない。ここから出られない。
「……とりあえず、動くか」
ここに入った時に思い出したけど、影山の『観測』の力があれば俺の場所なんて見え見えだ。入った以上は夜房さんが影山の力を借りないのを祈るしかなかったけど────次もそうとは限らない。
「よい、しょ……っと」
座らせていた荒川を再び背負い、立ち上がる。
今の荒川は本当に軽い。夏休み前じゃあこんな逃げ方は出来なかっただろうな……台車か何かが無いとあの脂肪は運べない。
「……っ」
立ち上がった。そこまでは良い。
なのに────足が、前に進まない。
……前に進まない、だって?俺が?ずっとずっと、前に進もうとしてきたはずなのに、こんな……『命の損失』を前にして、こんな────────
「……っ……さん」
「……え?」
「とう……さん……?」
耳元で呟かれた声に振り返る。
でも────荒川の瞼は閉じていた。
「小さい頃、お父さんにだっこしてもらってたんだっけか」
思い出しているのかな────とか、考えてしまった。
あれだけの過去があったというのに、荒川はその事をついさっきまで黙っていた。しかもあの話だって、俺が話せって頼んだから嫌々話しただけで。
「お前は……過去を使おうとしなかったな」
俺より辛い人生を歩んできたっていうのに、こいつは────きっと過去を乗り越えてきたんだろうな。
今回の件だって、俺への心配という理由で起こしただけだし……荒川は失われた命はもうどうにもならないと理解して、その上で今の人生を生きようとしている。
前に進んでいるんだ。
「そうだよな……失われた命はもう、戻らない。そうであるべきだ。だからこそ────今、生きている俺達が戻らないものに執着してたらダメだ。過去に、囚われちゃ……」
前に進む。
「お父さんじゃなくて悪いけど……もうちょっと待っててくれ」
止まった足を────前へと、進めた。
「俺が絶対に、ここから出してやるから…………」




