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クソ長スキップ不可回想ムービーです

「地獄の日々でした」


「……」


「大好きだった父が、とんでもない理由で捕まって。授業を受けようにもゲームしようにも寝ようにも、モヤモヤして、不安で仕方が無くて────常に悲しくて」


 そんな健を見かねて、彼の母は出来るだけ気丈に振舞おうとした。動揺して、何を信じればいいのか分からない状況でも……息子が信じられるのは自分だけだという事は分かっていた。


 ────が、本人の精神状況が本人だけで完結するわけではない。


 いつだって外的要因が心を蝕む主なダメージソースなのだ。



『疲れたけど、動物園楽しかったね!健はなんの動物が好き?いっぱい見たよねぇ』


『……』


『……ほら、もうちょっとで帰れるから!元気出して────』


『……ハシビロコウ』


『!』


『ハシビロコウが好き』


『……そっか!私はね────────』


『────あら、あれ。荒川さんじゃない?』


『あぁ……()()荒川さんね』


『可哀そうね……二人でお出かけかしら。本当はお父さんもいたはずなのに……』


『……年下の女の子に痴漢したらしいわよね。正直思わない?どれだけ欲求不満だったんだって』


『確かに……言っちゃ悪いけど、奥さんがしっかりしていれば痴漢なんて普通しないものね』


『それに息子さん……名前って、健くん?』


『そうね、健くん』


『あの子……ほら、女の子みたいな顔してるじゃない?だからもしかしたら、年下を痴漢しちゃうような人だったのなら、息子に手を出してたとしてもおかしくは────────』



「もちろん、そんな事実はありません。近所のババア共が勝手にそう言っているだけ……本当にそれくらいのクズだったら納得も出来たんですけど、残念ながら優しくて頼りがいのある父でした。だからこそ母のショックは大きかった」


 徐々に彼女の瞳の光は暗くなっていった。夜中、母のすすり泣く声で目を覚ましてしまう事が多くなった。



『……大丈夫よ、健』


『え?』


『お父さんは何もしてない。絶対、無実だから────』



 二日に一回は、健を抱きしめながらその言葉を呟いていた。


「今思えば、自分に言い聞かせていたのでしょうね。信じたい事を信じるために」


 三人で暮らしていた家が途端に広くなったような感覚。そんな生活にも少しだけ慣れてきた……その頃だった。



『……あ、あの』


『きゃっ!?……何?』


『い、いや、そっち机の下に消しゴムが落ちてたから……』


『おい荒川!なに怖がらせてんだよ』


『ち、ちがっ……』


『……はっ、親が親だとこうなるんだな』


『────え?』


『ふふ……ちょっと、言いすぎー』


『ど、どういう意味、それは……!』


『ん?荒川のくせに生意気だな。ういっ!』


『いたっ……!』


『へへ、やっぱお前男なのに女みたいだな────────』


『こらぁああっ!!何やってんのよ、お前ッ!!』


『うわやべっ、香澄ゴリラ来た!』


『男のくせに逃げる気!?待てぇっ!!』



「学校での味方は香澄だけでした。やっぱ辛いですよ、イジメってのは。頼れる唯一の存在は苦手だった女子だけっていうのも、情けなさ過ぎてなかなか絶望的でした」


 小学四年生ながら、荒川健は『虐められている事を母に言えばさらに負担をかけてしまう』という理由で、母の前では笑顔を作っていた。


 ……だが、その努力も無意味に終わる。


「冤罪にかけられた事がありました。女子が突然泣き出しましてね……理由を聞くと、どうやら『後ろから荒川くんに胸を触られた』と」


「……やってないのか?」


「もちろん!今でも謎ですよ……本当に触ったのは誰なのか、そもそもその女子が嘘を吐いたんじゃないか、どうして位置的に離れていたはずの自分を指名したのか……」



『せ……先生』


『え、あゆみちゃんどうしたの!?なんで泣いて……』


『……荒川、に……』


『荒川君に?痛い事されちゃったの?』


『む、胸……触られて……』


『なっ────、荒川君、いる?ちょっと来てください……今!すぐに!』



「さっきも言いましたが、泣かれちゃおしまいなのでね。嘘だとしても、罪を認めて謝っちゃえば丸く収まると思い込んでいた自分は頭を下げました……クラスの皆の前で。あまりの理不尽さに涙目になりながら」


「……」


「ですが……こういうのって、親に連絡が行っちゃうんですよね。小学四年生じゃそこまで頭回りませんって」



『健……どういう事!?』


『あ、あの……』


『先生から電話来たよ、クラスの女の子の胸触ったって、そんなの……!』


『やってないよ……』


『え……』


『やってないけど、でも、謝るしかなくて……ごめんなさい……』


『良いの。謝らなくて良いの……!ごめんね、健がそんな事するはずないもんね……』


『うん────』


『────健は、お父さんじゃないものね』


『……え?お父さんは……お父さんは何もやってないんじゃないの?』


『え────あ、あぁ、ちがっ、私……違うの……!』


『ひっ……』


『忘れて、健ッ!お父さんは何もやってない……悪い人じゃないから……!!』



「そりゃ、いくら父を愛していたとしても不信感は抱きますよ。仕方のない事です。でも……なんでしょうね、あの時は……母親の『弱さ』というのを初めて観測してしまった、理解してしまった瞬間だったので……そういう辛さはありました」


「……」


「それか、あの頃には既に有罪判決が出てしまっていたとか……罰金刑とか懲役は実はもう終わってて、別居してるだけとか……色々考えましたが、いくら考えても希望のある可能性は思いつきませんでした」


「……お母さんとは、今はどうなんだ────」


()()しましたよ。自分が小五の時に」


「────っ、そっ……か」


 飛び込み自殺。死体は電車に激突し四散した。故に健が最後に見た母の顔は死に顔ではなく……玄関から彼を見送る笑顔だった。


「自分の面倒を見てくれる事になったのは父の姉でした。……この家を離れたくないという我がままを聞いてくれて、わざわざ引っ越してきてくれたんです」


「……なんでだ?」


「はい?」


「どうしてそんな事があったのに、引っ越さないんだよ。父親に続いて母親にも……そういう事が起きたら、さらに学校で虐められて────」


「香澄がいたからです」


「……あ?」


「学校での唯一の味方を失って新しい環境でやり直すより、誰か一人を頼りにしながら思い出の詰まった家で生活したい。そういう考えですね」


「頼りにしてたのか、香澄さんの事を」


「自分は弱い存在でしたので」


「────じゃ、今の関係になったのはなんでだよ」


「……中学生の頃です」


 進学した地元の中学校。そこでは小学生時代のように虐められる────────事は、あまりなかった。


「中一の頃には既に体型が整ったのでデブいじりはされましたが、それ以外は全然。少し小学生の時と比べれば全然我慢出来ました。でも、単なるイジメより酷かったのは────」



『……あ、あのっ』


『?』


『そこ、消しゴム……落ちてるよ』


『え!ほんとだ、ありがとう!』


『いや、別に……』


『……荒川君てさ、優しいよね』


『え!?そ、そうかな』


『そうだよ!他の男子とかさ、なんかやっちゃぶっちゃってさ?』


『あはは……』


『……ちょっと、健?やめなよ、またそういう事するの』


『え……?』


『加賀美さん……どしたの?』


『こいつ、女の子と関わるとろくな事起こさないの。こう見えて小学校の時は何回も女の子泣かせてたんだから』


『えっ……』


『ちょっ、香澄!なんでそんな事……!』



「そりゃキツイな。チャンスを奪われてくわけか」


「ですね。自分が女子と話す度に邪魔してきましたから」


「…………で、今の関係に────」


「────というのはフェイクです!騙されましたね来栖君!」


「この工程絶対いらないよな?」


 ────ある日の、帰り道の事だった。


 小学生時代のように二人並んで帰っていた健と香澄。


 その時の────会話がきっかけだった。



『…………そ、その……お、怒ってる?』


『え?』


『今日も、その……いじわるしちゃって』


『あぁ……別に』


『で、でもね!あの子……あの女の子ってね、健のお父さんがどんな人か知ってるの!』


『っ!』


『私達の小学校から来た他の子から健の家の事情を聞いてた所、見たの。なのにあんな風に話しかけてくるとか、おかしいでしょ?だから……そう、絶対何か企んでるんだろうなって……!』


『……でもさ、事実じゃん。俺が女子と関わるとろくな事がないっていうのは。だから香澄が何しようと、どうせ俺なんて────』


『そ、そんな事ない!健は……違うよ!』


『え……』


『健は、健のお父さんみたいに痴漢したりなんかしないでしょ!そ、それに……健の事を好きな子だって、いるんだから……。だから────────』


『────────は?』


『へ?』


『……は?父さんが、痴漢?そんなの……冤罪に決まってるだろ……?』



「────お前は……」


「その瞬間、心臓の辺りが……こう、ムズムズしたんです。分かりません?『暴力を振るいたい』と強く願った時、『こいつは許せない』と強く憎しみを抱いたとき、ほんの一瞬だけ身体が動こうとしちゃう感覚、分かりません?いつもはその感覚があった直後に冷静になるんですけど……」


「……」


「その時は止まれませんでした」



『が、あっ』


『……』


『かはっ、あ……げほっ……な、なんで────』


『父さんはやってない』


『……健』


『やってるわけ、ないんだよ』



「現行犯でした。あの日は……母が友人と遊びに行くから、父と二人で出かけようという話になったんです。水族館に。その帰りの電車で起きました」


「……」


「まだ痩せてて、背も低い自分は……父にだっこされていました。はしゃぎすぎて、疲れちゃいましてね。あったかくて、ベッドより安心感のある腕の中で……自分と父は話してたんです」



『楽しかったな、健』


『それにしても軽い……もっと肉食えよ、肉!』


『今のうちに太っといた方が、将来デカくなるんだぞ?』


『そう。それこそ今日見た、でっかいサメみたいにな!健の顔は母さん似で可愛いから、背高くなればモテるぞ~?』


『……え、サメは嫌?ははは、ごめんごめん。…………何でも良いんだよ。親って言うのは、幸せに育ってくれればそれだけで────』



「お前は────ずっと、お父さんを信じてたんだな」


「痴漢なんて────俺の事を……自分の事を両手で抱きかかえていた父が出来るはずがない。母と俺を愛していた父がするはずがない。…………するはずがないんだ。俺……自分だって見てたんです」


「……そうか」


「自分は被害者でも司法でもありません。証拠も持っていない。それでも……やってないって、言えるんです」


 ────────教室の机の上。そこに佇む荒川健は、普段は中々ない長さの語りに喉を痛めながら……前方に座る来栖悠人の次の言葉を予想する。


 熱くなって語りに力が入りすぎてしまった自分を恥じながら、少し思考して、悠人の不器用な同情を待った────────。

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