普通にここも乱数なので、割り切って進みましょう
来栖悠人の歩んだ道を『奇跡的に立ち上がる事が出来た人生』と表現するのならば、荒川健の過去は『奇跡的に潰れなかった人生』と言う事になる。
「一言で言うのなら、『何もかも上手く行かない来栖悠人』みたいな人生でしたね」
「だから俺が嫌いなの?」
「理由の一つではあります」
しかし、誕生して間もない頃────彼は間違いなく幸福だったと言えるだろう。荒川健はこの世で産声を上げた瞬間から両親の愛を際限なく注がれて育った。
「実際に覚えているわけではありませんが、幼い頃の写真を見るとどれも楽しそうで。一緒に映る父と母の笑顔もまた、嬉しそうでした」
荒川健の挫折、不運、耐久が始まったのは……保育園の年小の頃だった。
「加賀美香澄と初めて会ったのはその時でした。そして幼い頃の、まだ太ってもいないしメイド服を着たりしていない自分は────」
「────その、香澄さん……に虐められた、と?」
「!」
「または虐めに近い行為を受けた……違う?」
「……どうして分かったんです?」
「話の流れ的にね」
子供故の純粋さ。そして凶悪さだった。
『ねぇ、そのおもちゃちょうだい』
『いいじゃん』
『なんでくれないの!?ねーせんせ、たけるくんが────────』
乱暴な性格だった。子供だから仕方がない。
『なんでこっちみてるの』
『みてたじゃん』
『みてた!!』
『みないでよ、きもちわるいからー!』
言葉の意味を考えず発していた。子供だから仕方がない。
「別に、これくらいは良いですよ。当時の自分からしたら地獄でしかなかった……ですが、子供ですし。それに、あいつすぐ引っ越したんですよ。年中の頃の最初らへんに」
園の中で開かれたお別れ会。しんみりとした空気と『でも前向きに生きようね!』という思考にさせたい保育士達の明るさが入り混じったその空間の中で、喜んでいたのは健だけだった。
「自分だけに当たりの強い子でしたから。必死に悲しむフリをしてました、年中でもそういう演技って出来るものですね」
お別れ会も佳境。引っ越しの準備のため香澄の両親は早めに迎えに来ていた。しかし香澄は駄々をこね、『おわかれしたくない』と泣き叫ぶ。
────────健の服を引っ張りながら。
『ううぇええ、えぇぇ、うぅ……!』
『ね、香澄ちゃん。ちゃんと健くんにお別れ言おうね。出来たら偉いよ~?』
『うぅ、うん。い、いぃ……いあ、いままでありがと、お……』
そうして涙ぐむ彼女は健の裾から手を放し、両親の手を握り────その保育所を離れたのだった。
「マジで訳が分かりませんでした」
「あぁ、良かった。何か聞き逃したかと思ったわ」
「どういう事なんですかね。先生達も香澄と自分が仲良しーみたいなイメージを持っていましたし。目が腐っているとしか言えません。その時の自分は『やっと解放される』って喜びでいっぱいでしたがね」
しかし────月日が経ち、健が卒園式を終え、ランドセルを選び、期待と不安を胸に小学生になろうとしていた時。
何の因果か。香澄の一家────加賀美家が荒川家の隣に引っ越してきたのだ。
『あれっ、香澄ちゃんって確か、うちの子と保育園一緒だった……ですよね!すみません私気付かなくて……』
『はは、良かったなぁ健!一緒に小学校に行くお友達出来たぞ!』
健は両親に香澄の事を話していなかった。これくらい乱暴な子もいる、小学校に行けば距離も取れるだろうし少しの我慢をしよう……そう考えていたのだ。
「幼馴染ってやつです」
「小中が一緒とは聞いてたけど、そういう事だったのか……でも、なんでわざわざ戻ってきたわけ?」
「後から聞いた話なんですが、そもそも年中の時の引っ越し自体が一時的なモノだったらしく。どっかの島で新生活~、見聞を広める~みたいな。そういうやつだったみたいです」
────そうして始まった小学校での生活。
それは、当時の健が予想した通りのモノだった。
『……ねぇ、女子のことじろじろ見るのやめたら?』
『れなちゃんのことゆってるの。きもちわるいよ?』
『いや、見てるでしょ。昔からそうじゃん』
『は?なに言いわけしてんの』
『はぁ。ねーみんなー?たけるがれなちゃんのこと好きっぽいんだけどー!』
『え?ちょっとツンってしただけじゃん』
『男の子なんだからめそめそしてたらいじめられるよ?おとうさん言ってたもん』
『いたいって……だからさ!べつにわたしそんなに強くたたいてないじゃん!!』
『ぼうりょく……じゃないもん……』
『そんなことしたくないもん……』
『うぅ……ふぐっ、ぅぇ……』
「泣くだけで権利が保障される方の性別、羨ましい限りですね。あっちが目から水漏らした瞬間こっちは負け確ですから。どんな先生も『でも女の子を泣かせちゃ駄目だよね』ですよ?ぶっ壊れ性能にもほどがあります」
「男は男で性犯罪率高いし、女性はそれに常に怯え続けなきゃいけないんだぞ?女性の権利が尊重され始めたのだって最近の話だし。女性蔑視やめてもらえますか??」
「ツイフェミロールプレイとか頼んでないのでやめてもらえますか」
登校時、香澄は隣の家────荒川家のドアの前で待っている。健と一緒に登校するために待っているのだ。日によっては両親が彼女を家に入れ、中で待っている事すらあった。
もちろん下校時も一緒だった。学年が上がり別のクラスになっても、香澄は待ち合わせる事を望んだ。
「正直思ってました。『この子僕の事好きなんじゃ?』って。それなら引っ越す前にあれだけ泣いてたのも納得ですし」
「へぇ。鈍感系イキリはしませんと」
「舐めないでくださいよ、他でもない来栖君の前でそんな隙を見せる訳がないじゃないですか」
「で、なんだ?次の展開はこういう感じだろ。その香澄さんの態度がどんどんエスカレートしてって、ついに耐えきれなくなった荒川健がドーン!これが復讐だ!メスガキ分からせ!ってか?」
「────父が逮捕されました」
「……え?」
小学四年生、その夏に起きた出来事だった。
「父が、痴漢で逮捕されたんです────────奇跡的に助かったあなたとは違って、ね」




