害悪ハイド過ぎませんか?
来栖悠人の身体が沈んでいくのは早かった。
彼が海へと足を踏み入れていった瞬間────────踏みしめている砂利が落とし穴のように崩れ、彼は足場を失う。抗う事はせず、ただ降下していき……意識は消える。
これは悠人による『生存率を上げる』ための戦略だ。
言ってしまえば、少し溺れたくらいでは普通に陸へ上がる事は容易だろう。重要なのは『絶対に溺死する』という条件があるため、抗えば抗うほど周囲の環境は悠人に殺意を見せる。
つまり流れに身を任せることで……出来るだけ自然な溺死を作り出そうとしたのだ。
「今だ……ッ!」
スマホとポーチを投げ捨て、廻はすぐさま海面へと飛び込み、降下していく悠人の手を握り────彼の意識が無いことを確認する。意識がある状態で引き上げてしまえば、また別の死が強引に訪れるかもしれないからだ。
「ぷはっ……」
火事場の底力というよりは、廻の素の力が大きいが……人一人を軽々と砂浜へ引き上げ、息を整えつつ…….。
「んっ……」
逡巡する間は無い。すぐさま口を口で覆う。
息を、生命の奔流を流し込み─────流し込み、唇を離す。
(もっと多く息を渡せば良かったのかもしれない。もっと強く心臓マッサージをすれば良かったのかもしれない。とにかく、ワタシはワタシの出来ることを─────)
顔を上げ、両手を重ねた瞬間だった。
ほんの一瞬……廻の思考が停止する。
意識を失った悠人と、それを救おうとする廻と、さらにもう一人─────現れた者がいたのだ。
「キ、キミは─────」
廻は動揺しかけたが、すぐに今の状況を思い出した。第三者に構っている暇などなく、大事なのは現れた者に事情を説明することではなく、来栖悠人を救う事だからだ。
そう─────廻は救命活動を続けようとした。
続けようとして、再びその手を止めてしまった。
「……なんで」
その目に映る光景があまりにも奇妙だったから。あまりにも理解出来ない、超常現象ではないが理屈が通っていない、不可解な事象が目の前にあった。
「なんで笑ってるんだよ─────線堂クン」
「……ククク」
不敵な笑みを浮かべ、彼は向かってくる。
少し筋肉質な身体と、見る者を魅了する顔立ち。紛れもなく線堂進であり、疑いようもなく……笑っていたのだ。
「『成功』だ。何もかも上手く行った。後は俺が─────」
そう、彼は歩みを止めない。倒れている悠人へと近づいてくる進の姿を見た廻は、迫力のようなものまで感じていた。
「─────俺が、『破壊』するだけだ」
廻にとっては信じられない光景でしかなかった。
あろう事か、溺れてしまった親友を前にした線堂進は─────その拳を振り上げたのだ。
(は?は?何が……なんで、線堂クンが……!?)
混乱の渦に脳が飲み込まれている廻が、咄嗟に思い付いた可能性が……ひとつだけあった。
(まさか……線堂クンに来栖クンを殺させようっていうわけじゃあ─────)
この世界は何があろうと来栖悠人を抹殺しようとする。そのために運命が交錯する。進による殺害では溺死という条件と異なっているが、廻にはその条件が絶対とは言い切れない。
世界が条件を変更し、溺死ではなく線堂進による殺害に条件を変更したのなら、進の凶行の理由も分かる。何者かに操られでもしない限り、進が悠人を殺そうとする事は絶対にあり得ないのだから。
「そんなのは……そんなのは、許すわけにいかねェだろうが……ッ!」
もはや人工呼吸をしている暇などない、というのもあるが……廻は悠人を救う事を諦め、迫りくる進の拳から悠人を守るように覆いかぶさる。
悠人はここで死んだとしてもまたやり直す事が出来る。つまり今優先すべきなのは─────なんとしても、親友が親友を殺すなどという惨劇を起こさない事だと判断したのだ。
─────が、甘かった。
「はっ……女がァ!!」
「ッ!?」
「俺に敵うわけがッ!無いだろうがッ!!」
進は振り下ろしていた手を開き、廻のスクール水着の肩の部分を掴み─────思いっきり投擲した。
「あ……」
ふわっ……という心地の悪い浮遊感の中、廻は思い出した。
(そういえばこの子……あの豪火よりも強いんだった)
直後、廻は砂浜に重力で打ち付けられる。いくら砂がクッションになってくれるとは言え、思いっきり投げ飛ばされ身体を打った後に動くのは困難だ。
彼女はまた─────悠人が死ぬのを眺めている事しか出来なくなってしまったのだ。
「や、め……っ」
伸ばした手の先は、絶望。
再び進の拳が上がり、そして──────────
「やめろ……やめてっ……!!」
─────振り下ろされた。
──────────来栖悠人の顔面に触れるギリギリの地点に。
「え……」
「『成功』……後は簡単だ」
廻は最初、『操られていて暴走する味方キャラがなんとか自我を取り戻して仲間への攻撃を止めようとする』展開のような事が起きているのかと思ったが、進の表情はどこか満足げで、洗脳に抗っているようにはとても見えない。
彼は足を折り曲げて悠人の顔を覗き込む。迅速かつ優しく丁寧に悠人の顔に手を当て、そして──────────廻と同じように、口を口で覆ったのだ。
「……は?」
廻の脳内は─────さらに混乱を極める。迷路の真ん中に取り残されたような恐怖を、線堂進に対して感じ始めていた。
彼の行動には一切の整合性がないように見えた。どんな論理で、どんな意思で動いているのか全く理解できなかったのだ。
「一応心臓マッサージも……ほっ、やっとく、はっ、かなっ!」
その後も、人工呼吸と心臓マッサージを複数回繰り返した後─────やはり満足げに彼は頷き、手に付いた砂を払いながら立ち上がった。
「……さて、灰崎廻?」
「……」
「ククク……そう睨まないでくださいよ、先輩」
不敵な笑みを浮かべながら、彼はまるで名スピーチでもしているかのように歩き─────地に落ちていたあるモノを拾った。
それを手にしたまま、地面に這いつくばる廻を見下ろすように問いかける。
「今、何時何分だと思う?」
「─────」
それは悠人が海へ入っていく直前に廻に手渡した、彼のスマートフォン。
電源ボタンを押し、その数字が表示された画面を……進は突き出した。
「現在時刻、12時31分─────」
「なっ……!?」
「ククク、はっははははははは!!俺の、俺と悠人の勝ちだッ!腐りきった世界だろうと、俺達の絆には敵わないんだ!」
廻の脳内に、二つの情報が入る。
一つは……12時30分を超えた、つまり─────来栖悠人は助かった、という事。
「……けほっ!ごほっ……!」
「……来栖、クン─────」
生命の息吹。死の時間を超えた後でもなお、彼は呼吸を続けていた。
……そして、もう一つの情報。
─────線堂進は『彼が知るはずのない事』を知っていた。
「状況が理解しきれないって顔ですね。分かりますよ、俺も最初、突然この海に飛ばされてきた時はそんな間抜け面してたと思います」
「……」
「あれは驚いた……気が付いたら海にいて、俺も水着なんか着ちゃってて、すぐ隣に水着姿の春がいて……驚きすぎて何も出来なかったけど、あそこで大げさな反応をしていなくて良かった。おかげで今の今まで────あなた達を騙せた」
『どしたの?進くん』
『え!あぁいや、その……ははは─────』
【海岸へと向かっていく進と三上。進は不自然に周りをキョロキョロと見渡しながら、三上と話していた。あの線堂進ともあろう男が好きな女の水着姿を前にすればこの通りだ。性欲とは恐ろしい】
「……そうか。キミも─────ここに飛ばされてきたんだね」
その事実が何を意味するのか。つまり、線堂進は何者なのか。
「─────えぇ」
終わりを迎えた輪廻の世界。姿を現した隠匿者は、満を持して肯定した。




