プランが決まりません
灰崎廻が来栖悠人に抱いた第一印象は、『異常』だった。かつてないほどの非日常の塊として目の前に現れた彼とはどうしても接触したかった。
─────関係が進むうちに、その非日常性は失われるはずだった。
(どんな非日常でも、ワタシが時間を過ごすにつれてどんどん『日常化』していく……今まで例外はなかったんだけどねェ)
来栖悠人だけは、違った。
少なくともこの数か月では、彼の非日常性は失われなかった。
それどころか──────────
(前にじいちゃんの遺体を見た時、かなりはっきり見えたのは『生きていることが日常』だったのが『死体という非日常』に変わったから。でも来栖クンの死体を見た時は─────波動が薄まるどころか、強くなった)
つまり、『灰崎廻にとって来栖悠人は生きている状態の方が非日常である』と言える。
(いつか、ワタシの中で来栖クンが日常になっていくのが恐ろしかった……でもそんなのは杞憂で、あの子はもっと、何か……日常非日常では測れない何かがある)
その漠然とした恐怖は、悠人の態度に後押しされる。
三度死んでもあっけらかんと笑っている彼の表情が、廻の危機感を増長させた。
「情けねェな」
一人、さざ波を眺めながら拳を握り締める。
結局のところ、来栖悠人と比べれば灰崎廻という人間は常人の範疇に留まっている。
彼の価値観を、精神を、真っ向から受け入れる事が出来なかったのだ。
──────────が、悠人が自身の死に対して感情を揺さぶられなかった理由……それは『この世界は物語であり、自分たちは物語の登場人物』という事実から来る『達観』なのだが、悠人自身もそれを自覚出来ていない。
「……前に進む、か」
漫画の主人公かのようなマインドが、痛いほどに眩しかった。そう感じてしまっている事の後ろめたさが、死に対して心を動かさない悠人という『堂々とおかしいと言えるモノ』を見て爆発してしまった。
「謝らなきゃなァ」
頭では分かっている事を、言い聞かせるように呟いた。
『前に進む』……そう言っていた彼も、自己暗示をしていたのかもしれないと願いながら。
ー ー ー ー ー ー ー
「浮かない顔だな」
前回は会長と話して時間を過ごしたビーチパラソルの下。彼女の代わりにそこに現れたのは俺の無二の友だった。
「進か」
俺がここに来るのが前回より少し遅れた影響だろうか。多分、会長は俺に姿を見られないよう場所を移すことができたのだろう。
蝶の羽ばたきほどの、ほんの小さな行動が発端でやがて大きな事象へと繋がるバタフライエフェクト。効力を実感するのは初めてだ。
「灰崎廻と喧嘩したんだって?遠くから見えたぞ」
「……まぁね」
進は、『俺が悩んでいる理由』を灰崎先輩とのいざこざだと思い込んでいるみたいだけど……それは好都合だ。
『あんな事』……言えるはずがない。
「悠人が悪いのか?」
「え?違うけど」
「あれっ、そうだったか。てっきり今の悠人の顔が─────罪悪感を感じてる時の表情に見えたんだけど」
……大当たりだ。
親友への罪悪感は、やっぱり隠し切れないらしい。
「悠人は女との仲直りの仕方知らないだろうしな。俺が助言してやってもいいが」
「ぜひご教示お願いしたいね」
「自分が悪くなくても謝れ。それだけだ」
「豪火君と真逆の事を言うんだ……」
「どうせヒステリック起こして理不尽にキレてきたんだろ?あっちが道理を無視して怒るなら、こっちも道理を無視して謝るのが手っ取り早い。形さえあれば十分なんだよ」
進と豪火君、どちらの言い分も分かる。
関係の修復を最速で狙うか、一度壊してでもより強固な関係を作ろうとするか。対話放棄と心からの対話。
「……おっと、春がトイレから出てきた。じゃ、俺はもう行く」
「うい」
トイレの方向……前回、俺が溺れ死にに行った方へと手を振り、進が立ち上がる。
「悠人」
「ん?」
「何かあったら、俺を頼れ」
「分かってるよ」
今度は俺に手を振りながら─────進は去っていった。
「……分かってるって」
自然と、そう……自然と顔を覆ってしまうほどに、心臓に重くのしかかる何か。
『罪悪感』だ。
「でも、言えるわけないだろ」
─────『人工呼吸』で、気付いたことがあった。
ラブコメに限らず、人工呼吸で『きゃー!』って周囲が騒ぐ展開はよくある。この海に来て一回目の死亡時は、俺を救命してる途中だろうから別のベクトルの『きゃー!』が聞こえてきただろうけど……。
だが、人工呼吸を『キス』と捉えてしまっていいのなら、俺のファーストキスは灰崎先輩になる。なんとラブコメチックな展開だろうか。
─────今、ラブコメチックな展開だって思ったでしょ。そういう事なんだよ。
(もしこの海の意図が……『海へ行くというイベント』の『目的』が……『人工呼吸』だったとしたら?)
まぁ、主にラブコメにおいて。海水浴っていうのは女性キャラクターの水着姿で読者視聴者の妄想と性欲を解放させ、作品へののめりこみを助長させると同時に、特定の女性キャラクターと主人公の関係の発展も狙えるだろう。
つまりは……じれったい関係の主人公とヒロインを、人工呼吸という大義名分の下、無理矢理キスさせることができる。もちろん、立派な人命救助の工程を馬鹿にしたいわけじゃない。でも……『人工呼吸をしてから、妙にアイツの事が気になる……』とか、『アイツの唇、柔らかかったな……』とか、よくある。
作者に都合よく使われてる、もはや儀式と呼んでもいいほど鉄板の展開。
(『海だから』って理由だけで、その考えに行き着いたんじゃない)
もっと─────別の根拠もある。
影山から送られてきた、写真の事だ。
「……クソが」
わざわざLIN●のトーク画面を開いてから確認するその写真は、見るたびに気分が悪くなって……だから、今まであまり直視しようとしなかった。
─────俺と三上がキスしている写真。そんなのって、あり得るはずがないじゃないか。
(でもこの写真が『過去』の写真じゃなくて、『もしもの世界』での写真だったら?)
影山がよく言う、『原作』の世界。つまり影山が俺に接触しなかった世界での、『正しい歴史』の断片だったとしたら。俺と三上が『そういう』仲だったかもしれないとは言える。
(これがキスじゃなくて……『人工呼吸』だったとしたら?)
上半分が三上の横顔で、下半分は俺の横顔という構図の横長の写真。直視しようだなんて思わなかったから気づかなかったけど、よく見てみると……俺の顔が少し汗ばんでいるような気がする。
……その水滴は本当に汗だろうか。
─────溺れたところを引き上げられたんじゃないか?
『名シーン……じゃなくて、もう少ししたら結構役に立つであろうヒントをあげるよ。あたしが今から送る画像から読み取ってみな』
影山がこの写真を送った時の捨て台詞。
あれは……今のこの状況の事を言っていたんじゃないのか?
つまり、このループを抜け出すには、溺れた俺を三上が人工呼吸で助ける必要が─────
「ッ!!」
思いっきりテーブルを叩いて、手に響く痛みで罪の意識を抑える。
「そんなわけない……そんな事があり得るはずないだろ……!!」
否定したかった。
こんな方法が本当に唯一の希望だとしたら、俺は……三上になんて言えばいいんだ?『今から溺れて死ぬから人工呼吸してくれ』ってか?馬鹿げてるだろ。
「進に……どんな顔すりゃいいんだよ」
あいつを頼れるわけがなかった。きっと進は、俺を信じてしまう。ループしてる事を含めて、全てを……こんな俺の仮説を……まだ真実とは限らないクソみたいな考察を、信じて……三上に実行させるだろう。
惚れた女の唇を、他人に──────────。
「まだ……何かあるはずだ」
こんな手段は……こんな方法は、希望じゃない。
別の脱出方法があると信じる俺の脳は、新たな活路を見つけられずに無限廻廊を彷徨っている。
なら残された道は二択。死に続けるか、親友の恋路を踏みにじるか。
……俺は─────。
 




