フランチャイズ契約②
アステロイドパイレーツの雄、トロニツカの海賊艦隊を撃退したぎゃらくしぃ号とパトロール艦隊はそれぞれ海賊船や沙織達の船を曳航しながら連邦最大の警察機構を有する宇宙軍の要塞、土星小惑星帯にあるサターンベースへと向かっていた。
ユイはカーチス少佐に沙織達の疑惑を不問とする旨を伝え、彼女達の身柄を一時預かった。
「広い宇宙、こうやってお会い出来るなんて本当に素敵な偶然だと思います!」
ユイは社長室で通天閣沙織をお茶に招待してもてなしていた。沙織はまったく悪びれもせず椅子にふんぞり返り、出された紅茶をしげしげと眺めた。
「ウチな、紅茶にはこだわりあって火星産のベスト・シーズンに摘んだゴールデンフラワリー・オレンジペコー以上の茶葉で淹れたミルクティーしか飲まんよってな──でもまぁせっかくやからこのビンボくさいのも飲んでやらんとな、勿体ないしな。ウチ、根っからの商人やから勿体ないことでけへんのや」
「そうなんですか、今度は火星産の高級茶葉ちゃんと用意しておきますね」
「ええ心掛けやんか、人間謙虚がいちばん──て、なんや!?」
ふんぞり返って紅茶をすする沙織の頭を政春が叩く。
「お茶ゆうたら普段梅昆布茶やら焙じ茶しばいとるクセに、よーゆわんわ──そのエラそな態度その辺にしときやお嬢。なんのかんのゆうても、こちらの皆さん方は俺らの命の恩人やろ?」
「おっちゃんどっちの味方やねん、コイツは商売敵ライバルやで?」
「皇女はん、伯爵はん、宮城はん──ほんま、ウチのお嬢が失礼ばっかりゆうてエラいすんまへん。お嬢がこの通りわがまま放題に育ってしもたんはお目付役の俺の責任です、どうぞこの白髪頭で勘弁したってください」
政春は心底申し訳無さそうにペコペコと頭を下げながら姪っ子の非礼を詫びた。あんまり何度も頭を下げるのでユイは立ち上がって政春の身体をゆっくりと起こして顔を上げさせた。
「いや──宇宙でうまいこと商売やってはる皇女はんを経済番組でお見かけしましてなぁ、こりゃ宇宙進出乗り遅れたらアカン思うてついつい調子乗ってもうて」
「そうやで、新参者がウチをさしおいて全国ネットで大口たたいてナマイキなんや。せやからアンタんとこの客奪ってもうて早めに潰したろ、て思たねん」
完全に開き直った少女の失礼な言動は止まるところを知らない……マーガレットは彼女を永眠させたくてうずうずしていた。放っておくと今にも沙織の首をへし折りかねない、と雄大はマーガレットの手を取って動きを制した。別に沙織を締め上げるために海賊から救助したわけではないのだ。
(落ち着けって)
(だってこの女、さっきからユイ様に対して……ちょっと、は、放しなさいよ)
(放したらおまえ、殴りかかるだろ)
(殴る? 平手打ちごときじゃ済まさないわよ)
雄大は片手では押さえきれなくなって両手でマーガレットの右手を掴む。雄大と肩が触れ合い、顔が接近する。少女伯爵は意中の男性に荒々しく手を掴まれている事をいまさらながら意識する。
(──ん? どうしたマーガレット?)
マーガレットの怒りの感情は急速に萎んだが、その代わりに湧き上がってきた感情で顔面の紅潮は余計に酷くなった、高熱にうなされているようにも見える。
(は、は──放してよ、そんなに乱暴に握らないで──)
消え入るような声で呟くマーガレット。
(おまえめちゃくちゃ顔赤いけど大丈夫か?)
雄大がそっと手を放す、マーガレットを力強く握っていたたくましい手が離れていく。自分に向けられていた温もりが逃げていく喪失感に襲われた。
(だめ──なんで放しちゃうの?)
マーガレットは思わず逃げていく雄大の手を握り返す、音を立てて椅子を引きずり、ちょうど雄大の胸に飛び込むような格好になる。その濡れたような艶っぽい瞳と弱々しく動く唇を間近にみて雄大は一瞬でマーガレットの心中を察した。
(ちょ、ちょっと、な、何考えてんだよ。こんな人前で──)
雄大はマーガレットの首から鎖骨にかけて手入れの行き届いた瑞々しい素肌を目の当たりにして湯気に当てられたように赤面する。
沙織と政春だけでなく、奥の戸棚からアップルパイの残りを取り出していたリタも、豆鉄砲に打たれた鳩のように固まってマーガレットと雄大が互いに手と手取り合い乳繰り合う様子を驚きの目で眺めていた。
ユイは一人、平静を装っていたがどこか拗ねたような表情を微かにのぞかせていた。ポンポンと手を叩いてリタにアップルパイを持ってくるよう促す。
その手拍子で我に返ったふたりはどちらからともなく身体を反らして密着状態を脱する。
「ばっ、バカ! バカ宮城! 変態! 死ね! バカバカバカ!」
マーガレットは羞恥のあまり涙目になりながら平手で雄大の頭や肩をものすごい速さでバシバシ叩き始める。
防御姿勢になり片手で殴っているのに手が数本あるかのように錯覚するほどの速さ──起き上がる隙を与えない。
「ぎゃっ──! や、やめろっ!? 俺にあたるなよ!」
「あんたが人前で手を握るからっ!」
「メグちゃん!?」
「うわっ!?」
沙織達も思わず席を飛び退いて避難する。
「あいてて──あれ? 痛くないぞ」
椅子から転げ落ちて防御姿勢で丸まっていた雄大がケロッとして顔を上げる。
「──い、痛くしたら宮城死んじゃうでしょ。それぐらい加減できます──その、あんたのこと本気で叩けるわけ、無いじゃない──」
急にしおらしくなり照れながら聞き取れないほどの小声でボソボソと答えるマーガレット。
「あ、はい……ありがとうございます──?」
ふたりの間にふわっとした甘酸っぱい空気が流れる。
耐えかねたユイが雄大の袖をツイツイと引っ張って自分の方に引き寄せた。
「雄大さんちょっとこちら側に──椅子もお持ちになって」
ユイは雄大を椅子ごと移動させた、これでユイがふたりの間に座る格好になる。
「こほん──今はその、私が沙織さん達を招いてお話をうかがっているのです──雄大さんもメグちゃんもお客様の前ですのでもう少しお静かに。こほん」
わざとらしく咳払いをするユイに雄大とマーガレットは恐縮して押し黙った。
(うわぁ、なんやこのビミョーな空気)
(なんや少し胸焼けしてきたわ)
部外者の沙織達はこの三人が色々フクザツな関係らしいという事を理解した。
「で、なんや? 銀河パトロールのあんちゃん達に引き渡さず、わざわざウチらをこの船に引き留めてお茶ごちそうするんはなんか用件あるんやろ。勿体ぶらんとはよゆうてんか」
沙織は椅子の上にあぐらをかいて両腕で足首を持つ。ややふてくされたような態度だが先程のように背もたれに肘をかけてふんぞり返っているような舐めた態度ではない。まともに話を聞こうという姿勢に近づいた。
「ええ私、先ずはお友達になりたいと」
「は? トモダチ」
沙織は自分とユイを交互に指差した、ユイはそうですよ、とにっこり肯いた。
「舎弟になれってことかいな? ならお断りや、ウチとこの家は火星ウェストの看板背負っとるさかい、とっくに滅亡してどこにも存在せんような家の傘下に入るとかありえん話やで」
火星圏の人間は自分達を人類文化の中心と位置付けており、属国のように扱ってくる地球の連邦政府の事も内心では毛嫌いしている。火星の総督府には一応ながら連邦から派遣された総督と執政官達がいてロンドンの議事堂で決まった法律を押し付けてくるが火星西部の市民達はあまり遵守する気はない。
彼等はゆるゆるとした相互扶助精神「ナニワブシ」と儲け主義「儲かりまっか」の精神に基づいて行動しており、すねに傷を持つ日陰者達にも優しい独自の文化圏を構築していて、その文化を大変誇りに感じているのだ。貴族趣味が強く君主としての皇帝が存在する木星は、地球以上に相容れない存在と言ってよい。
「いえ、ですから上下関係のないお友達、という事でどうでしょう」
「で? あんたと友達になったらなんかウチに得があるんかいな──具体的にはいくらか儲かるんか?」
「ええもちろん損はさせません! 私、連邦経済ナウのハリマさん達から同じお店屋さんをやってる女の子がいるって聞いてすごくお話したいな、って思っていました」
「おハナシしたかて1ギルダにもならんがな」
「そんなことないですよ、通天閣さんの『ギャラクシー号火星支店』を見て感じ入りました。さすが火星西部の方は商売の才に長けていらっしゃるな、と──とてもよい勉強になりました!」
「ほ、ほう?」
「ミレイさんが通天閣さんのこと『小売りの姫』だとおっしゃってましたがお姫様どころか小売り店の神様ですね、私どもの堅い頭では考えつかないアプローチで長距離貨物便のお客様方の心を掴んでいらっしゃる」
「か、神さんかいな……なんやこそばゆいな──あ、ウチはおだてには乗らへんで?」
ユイはリタからアップルパイの残りを受け取ると沙織にすすめた。
「私どもの店舗ではどうしても人件費が嵩んでいましてまともな利益が出だしたのは本当に最近の話なのです──六郎の報告ですと通天閣さんの火星支店は薄利多売のように見えて初期投資やランニングコストの削減が神懸かり的だそうで──私の店舗に足りなかったのはまさしくこういう視点なのだ、と深く感じ入りました。宇宙進出されて間もないのにこんなに完成度が高いビジネスモデルを確立されていらっしゃるなんて感動的ですらあります」
思わず沙織は口元をほころばせる。
「い、いやぁ~ハハハ、そ、そーか? あ、このアップルパイ手作りかいな? ほんま旨いで? いや、ビンボ臭い紅茶にチョー合うわ。あんたが焼いたん?」
「はい! 私これぐらいしか取り柄がありませんので。田舎臭いお菓子にはこれぐらいの紅茶が合うのだと──背伸びしても仕方がないと思いまして、国をなくした私にはしっくりとくる、身の丈にあう贅沢です」
「ふーん、まあまあのセンス──庶民にはちょうどええやんか。これとドリンク、セットで売ったらどないやろ」
沙織はだんだん上機嫌になってきていた。経営者としての自分を尊敬し、面子を立ててくるユイが『可愛い後輩』に思えてきたようだ。
「まあ、常にお店の事を考えていらっしゃるんですね。さすが火星のお姫様です! 良かったら後で売り場についてのアドバイスをいただきたいのですが──先輩!」
沙織は背の低い自分に少々コンプレックスを抱いているのだが、自分より背が高くスタイルの良いユイからどんどん持ち上げられて何処までも気分が良くなっていく。
隣の政春もこんなに機嫌のよい姪っ子を見るのは久し振りだ。ユイの語り口は火星人気質の強いこの少女に対する煽おだて方として完璧といってよいほど絶妙にハマっていた。
「せ、先輩かいな──にゃはは、なんだねキミ。皇女だなんだとお高くとまっとるかと思たらなんやハナシのわかる気のええおネエちゃんやんか。ええで、これ食べ終わったら『大先輩』のウチが特別にちょこ~っとコツを教えたろか」
傍らで見ていた雄大はユイの笑顔の威力と天然のトークスキルに感心していた。
「すごいなユイさん、なんかあの口の減らない変な娘と打ち解け始めたぞ」
「それはそうですけど──そこまで礼を尽くす相手とは思えないわ、わたくし達の名前を騙ってた詐欺師みたいな娘じゃないの。ユイ様はもう少し厳しいところをお見せにならないと──優しいばかりでは示しがつかないわ。今後こういう悪質な便乗商法をやられた時のことも考えてもらわないと」
マーガレットは火星の商人風情にへりくだるユイの姿に納得してはいないようでやや不機嫌そうではあった。
「火星人のメンタルは単純に見えて独特だからな、外から頭ごなしに崩そうとしてもなかなか言う事を聞かん──その点ユイ・ファルシナは上手く相手の懐に飛び込んでおる。時に要らぬプライドを捨ててへりくだる事も外交には必要なのだな」
「へえ珍しく手放しでユイさんを褒めてるな……おまえさんがそう言うんならそうなんだろうな?」
「そうだな──あれではどちらが抜け目のない火星商人かわからん──つくづく不思議な女だよユイ・ファルシナとは」
アップルパイの残りをとられたリタが爪を噛みながらユイ達の会話を眺める。その仕草を雄大は興味深く感じた、リタの外見はこんな幼女だが、その中身は理想のためなら虐殺も厭わぬ老獪な軍人で地球閥を裏から動かしていた男である、思想はどうあれ見る目は確かだ。
「なあ、おまえって爪を噛むクセがあったのか? それじゃ本当に客に戸棚のおやつ取られていじけてる子供みたいだぞ」
「ん?」
リタは──リオルは雄大から指摘されてからはじめて、自分が親指の爪をがじがじと激しく噛んでいる事に気がついた。この悪癖はもしかしたら意識の戻らないメアリー・ジーンのクセだったのかも知れない。
「あまり上品な仕草とはいえぬな、以後気をつけよう」
リタはポケットからハンカチを取り出すと親指を拭った。
その後二十分ほど談笑が続き、ユイと沙織は完全に打ち解けて親密になっており「ユイ」「沙織さん」と呼び合うようになっていた。PPの個人アドレスを交換しただけでなく、今のところは口約束に過ぎないがユイは沙織のギャラクシー号火星支店を正式なグループ企業と認めて、航行時の保安についても責任を持つ約束までも交わした。
雄大から見ると女の子同士の他愛もない友人関係が結ばれただけの出来事に過ぎないが、リタにはこの若い店舗経営者ふたりのおしゃべりが、百数十年単位で疎遠だった木星帝国と火星西部連合企業体との関係が一気に進展した歴史的にみて重要度の高い会談に感じられた。
──自分の野望を打ち砕いたユイは何処までもスケールの大きな傑物であって欲しい──
そういう贔屓目で自分はユイの事を過大評価し過ぎているのではないかとリタの中の老人リオルは自問する。
この時の彼の予感が当たるかどうか、未来のことなど誰にもわかりはしないがリタの頭に埋まっているポジトロニックノードの計算力が導いた未来予測というならいくらか信憑性はありそうだった──




