海賊と火星の姫③
「あはははは、やっぱりあたしが、最強ですよねえ~」
ブリジットのエグザスに、べっとりとした赤黒い液体や、何か火薬弾の直撃を受けた後のような煤が付着している。元々鮮やかな真紅で塗装されていた装甲は海賊の返り血や胃液で飾り立てられおどろおどろしい赤銅色になっていた。
ブリジットは元レンジャー27部隊のエルロイとユーリを率いて海賊船に強襲揚陸戦闘ボーディングアサルトを仕掛けた。小型艦の艦内戦闘では珍しくグレネードランチャーや小型ミサイルが使用され、赤鬼のエグザスは塗装の大部分が剥がれ落ちて地金や複合装甲の二層目、三層目が樹木の切り株に浮かぶ年輪のように露出している。
このブリジットの強化服のダメージだけでも激戦の様子が伺えるが本人はむしろ疲れなど感じさせず上機嫌だった。
鼻歌混じりにエグザスのダメージチェックや洗浄を始めるブリジット。塗装の剥げや汚れをまるで勲章のように喜んでいるらしい。
「また勝利してしまった……強い、強過ぎる! こんなに強くていいのかしら、ねえ?」
ブリジットはユーリの背中をエグザスでポンと叩く。エグザスで叩く、という行為は力の加減が難しい。まるで建設重機のアームに押されたように大きくよろめくユーリ。
「ねえ、じゃないんだよまったく、ヘラヘラ笑うな!」
ユーリはお返しにショックライフルのストック部分でブリジットの背中をガシガシ小突く。
「あのさあ、手順とか段取りってものがあるでしょうが──私も色々任務をこなしてきたけどさ、味方に殺されるかと思ったのは今回が初めてだ。ハンドサインの確認とかドナ級の構造図見ながらの打ち合わせとか丸々無駄だったじゃないの」
「なんだよユーリ、あたしが海賊を全部引き受けてやってるおかげでそっちも楽が出来たんじゃん?」
「こっちは突出するあんたのフォローで大変だったの! 生きた心地がしなかったの! わかれ!」
「えっ、わからない」
ブリジットが避けたり弾いたりした流れ弾に怯えながら、死角からブリジットを攻撃しようと狙っている海賊を倒す。思ったより大変な任務だったようだ。
「ホントどうしようもない突撃馬鹿娘だね、信じらんない」
「む~、ユーリやっぱアンタって可愛くない! いちいち文句言い過ぎ」
「あんたに可愛いって言われても嬉しかないね」
ムッとして睨み合うふたり、元々仲はあまりよろしくない。
「ねえそこのレンジャーの人、あたし馬鹿じゃないよね? ついでにこの口の悪い女より、リンジーちゃんの方が可愛いよね?」
ブリジットはエルロイに話し掛ける、あまり接点が無いので名前は覚えていない──それでもなれなれしく話し掛ける。
「エルロイ、あんたからも言ってやんなよこの馬鹿娘にさ──名前ぐらい覚えろ、って」
ちょうどエルロイはエグザスの洗浄を終え、ハンガーに収納し終えたところだった。突然話を振られた青年はギョッとして二人の女性のほうを見ると小さく「怖いンですケド」と呟く。特にユーリの方は目が血走っている、これはマズい兆候だ。
「えっと、自分、気分悪くて──小田島先生のとこへ行くんで──それじゃ!」
既に装備を収納し終えていた彼はそれを良いことに脱兎の如くランチベイから走り去る。
「あっ逃げた!?」
「エルロイてめー!」
◇
ユイは椅子の上で丸く縮こまっている。
「ええ、本当に。申し訳無く思っています──」
(これだからなぁ)
雄大とビューワーに映る魚住は猛省しているらしいユイを見下ろす。
『はぁ、まあなんていうかユイ様は未だにこういう子供っぽいいたずらしますけど今回は特に酷い──宮城さん申し訳ございませんでした。ほら、ユイ様、殿下? ご迷惑をかけた宮城さんに最大級の謝意をお示しください』
「悪戯だなんて人聞きの悪い、元はといえば魚住が──」
『イタズラじゃなければ悪質な妨害行為とでも言いましょうか? 魚雷を無効化して船をピンチに追い込むとか敵の工作員ですか? 少しの悪ふざけが死に直結するのが宇宙です。ユイ様も船乗りの端くれなのですからそれぐらいは理解するように』
容赦なく正論で責め立てる魚住、青ざめるユイ。横で見守る雄大は何だかユイが可哀想になってきた。
(魚住さん強え……)
さすが王家の子女のお世話係り、教育係というだけはある。
『最大級に反省してくださいね──宮城さんも殿下のことをおゆるしになってください、ほらユイ様、殿下?』
「はい、最大反省のポーズ……」
頭を下げる魚住に合わせてユイも雄大に謝る。長く豊かな黒髪が垂れ床につきそうになり何ともハラハラさせられる。
「いや、俺に謝られても──ただね、この船で治安維持活動の代行をやるからには兵装を勝手に弄られると困るんですよ。自分達だけでなく救助対象も危険に晒す事になるんで。魚雷の中身こっそり変えるなら変えるで、最悪俺にだけは教えてもらわないと」
「は、はぁ……それはごもっともですが」
「まあ今回は初犯だし──ウチのクルーも民間船のクルーも無事だったし、ね、魚住さん、お小言もこの辺でいいじゃないですか?」
雄大は指で耳の後ろを掻きながらユイのやらかした行為にお目こぼしをした。赦されたユイは頭を上げてパァッと明るいいつもの表情に戻った。
「ありがとうございます! 雄大さん、やっぱり優しい! 大好き!」
(──俺も大好き!)
雄大の顔が思わず弛む、凛々
『仮に何もなかったとして、今回の魚雷の中に色々隠してるのが入港時の積み荷申請でバレたら懲罰金なんですからね? 港の管理やってるのは商売敵の銀河公社なんです、こういう隙を見せたら密輸入の悪徳業者みたいな噂を流されてしまいますよ』
「で、でも非売品ですし、お客様サービスの一環で密輸入でもないし──」
『ユイ様!?』
「はい、すみません。二度といたしません、肝に銘じます」
『まったくもう──軟禁から解放されたからって好き放題──気が緩んでいるのでは?』
「いえ! そんな緩んでなどは、断じて──私は王家の生き残りとして、今まで外に出られなかった分の遅れを取り戻すために出来うる限りの力を尽くそうと」
頼りにしていたオービル元帥の不自然なタイミングでの死去、ユイなりに焦りのような物を感じているのだろう──
『そのお心構え、たいへんご立派であらせられます殿下。さりとて、手段は選んでいただかないと──お命に関わる事だったんですよ? 何を考えていらっしゃるのか、この魚住にはサッパリ理解出来ません! あんまりこういう事が続くようならお部屋で謹慎してもらいますからね』
「えっ──」
ユイは珍しく青くなって縮こまる。
「ま、まあ謹慎とか可哀想ですよ、せっかく軟禁から解かれて自由になったわけですし──」
雄大がユイを庇うようにビューワーの魚住との間に割って入る。魚住が渋い顔をしているとぎゃらくしぃ号宛てにメッセージが入る。海賊達を引き渡すために連絡しておいた銀河パトロール艦隊がようやく当該宙域にやってきたのだ。
魚住のお説教はようやく終了となった。
◇
「太陽系外縁部警備艦隊第二、司令官を勤めさせていただいておりますカーチスです。貴船からのメッセージを受け海賊船三隻と乗員達の引き受け、並びに航路掃海作業に参りました」
ビューワーに映るカーチスという男は人懐っこい顔をした若い士官で開拓惑星出身である。サターンベース勤務だったが人手不足から繰り上げで少佐に昇進、航路パトロール艦隊を任せられるまでになった。
カーチスが乗ってきた船は重巡洋艦ミノタウロス。
三つの衝角を持つ土星駐留艦隊の旗艦だ。モエラ少将が艦隊司令部を置いた艦であり改装特務艦隊と戦った、短い間ではあるが宮城家と縁が深い少将もこれに乗ってアステロイドパイレーツと戦った事がある。
雄大はミノタウロスとドッキングするとユイに付き添ってカーチスを出迎えた。
「おお! これは皇女殿下御自らのお出迎え恐縮であります」
カーチスは握手のために手袋を取ろうとするユイを制して恭しく貴人に対する礼を取り、それから海軍式の敬礼を行った。ユイの方はさっきまで魚住に叱られて縮こまっていた女性とは別人のように大人びてたおやかに振る舞っていた。穏やかな微笑みと波のようにうねり星のように輝く黒髪を前にしたパトロール艦隊の若い士官達は思わず声に出して溜め息をもらした。雄大は男臭い士官達が遠慮なくユイの胸の膨らみや腰にオスとしての視線を注ぐのを見て、胸の奥がざわざわと蠢くのを感じた。
(こ、こらお前ら──なんという目でユイさんを見とるんだ──! ていうか見物客多過ぎだろ)
そんな中でカーチスだけはあまりユイの方に気を取られた様子はなく書類上の事務手続きを淡々とこなしていた。
「──ところで、この船の艦長はどなたでしょうか」
カーチスが不意にユイに訊ねた。
「艦長ですか。一応、名義上は私なのですが──賊の船を撃破したのはこちらの宮城雄大さんで、実質上、船の事はお任せしております」
「──おお! 宮城雄大さん、やはりそうでしたか」
雄大とほぼ同年代のカーチスはユイを素通りし、目を輝かせて雄大の方へと歩んでくる。
「え?」
こういう場合、大抵はユイと少しでも長く話そうとするものだがこの若い少佐はユイより雄大の方に興味があるらしい。雄大の手を取ると両手でがっちりと掴んだ、ユイと話していた時とは違い若干鼻息が荒い。
「小官はネイサン閣下とは懇意にさせていただいておりまして、あなたのお噂はかねがね伺っております」
「ああ、ネイサン少将の」
天才として宇宙軍の最年少出世記録を更新し続けているネイサンは宮城裕太郎大将の直弟子で、雄大の妹・由梨恵の婚約者である。
(そう言えばあの人は土星勤務だったな)
「──今回の戦闘のログを見せていただきましたが誠に素晴らしいご活躍です。このログをそのまま士官学校の教本にしても良いぐらいで」
カーチスは興奮気味に語る。
「え? そんな──」
雄大は褒められてまんざらでもない気分になってきた。
「小官はネイサン閣下が土星勤務をしておられた折に閣下の指揮の元でアステロイドパイレーツを取り締まってきました。それだからこそ分かるのですが、たった一隻で四隻の海賊船に立ち向かい撃破するなどと、なかなか出来ることではありませんよ。トロニツカ・ファミリーと言えばアステロイドパイレーツの中でも大物ですよ」
「い、いえハイドラ級巡洋艦のパワーがあればこそ、ですから」
「いやいやご謙遜を。機会がありましたら是非とも色々とご教授願いたいものです。流石は宮城裕太郎大将閣下のご子息、今回のお働き、お父上もさぞお喜びになられるでしょう」
「は? 父、上?」
「え、宮城様、何か?」
「裕太郎ねえ……ハァ」
裕太郎の名前が出た途端に雄大の機嫌が悪くなる。カーチスにもその不機嫌が伝わったらしく慌てて雄大の手を離す。
「し、失礼しました宮城様、お疲れのところを」
「はい、疲れてますので。世間話ならこの辺で──」
急に目を合わせてくれなくなった雄大に困惑するカーチス。雰囲気が急に悪くなったのを察したユイがカーチスに助け船を出す。
「あの少佐殿、当艦はコンビニエンスストアでもありますから、スケジュールの方に余裕がおありでしたら休憩を兼ねてクルーの皆様で当艦の設備をご利用されていかれませんか?」
ユイの言葉に、後ろで控えていた若い下士官達が小さな歓声を上げた。
「あ、はい──ですが」
カーチスは腕時計型の端末で銀河標準時を確認する。
(そうだ、油を売ってる暇はないぞカーチス。早く職務に戻れ)
気分を害した雄大はおしゃべりなカーチスに早々に立ち去って欲しかった。宇宙軍の連中と話すと必ず最後には父親の話題になる。雄大はただでさえ里帰りの件でイライラさせられていた、これ以上父親の仏頂面を思い出させるような連中には消えてもらいたいのだ。
「ドナ級駆逐艦を曳航して土星基地まで戻られるのは大変でしょう。我々もしばらく同行致しましょう──ね、雄大さん?」
ユイは雄大に同意を求めてくる、特に断る理由が見つからない。
「良いんじゃないですかね、別の海賊が仲間の救出にやって来ないとも限りませんし」
「いやあそれは助かります、それでは宮城様、一時間後に改めて打ち合わせを」
「わかりました」
雄大は不本意ながら流れに従う事にした。
「少佐殿、では店舗の方へどうぞ。ご案内いたします」
ユイと雄大はミノタウロスのクルー達を引き連れて店舗の方へと歩き出した。カーチス達が店舗の内装に気をとられている隙に雄大はユイを呼び止めて耳打ちする。
「ユイさん、なんで土星まで同行するなんて言っちゃったの。パトロール艦隊とは言うもののこれは重巡洋艦が率いた立派な艦隊だよ、任せておいて十分だと思うけど」
「雄大さん? 大事な事をお忘れになってはいませんか?」
「大事な事って?」
ユイはふふん、と得意気に鼻を上げると指を折り何か数えはじめた。
「パトロール艦隊の乗員の皆様、さっき、ささっと勘定したら総勢千人ぐらいになりそうです。一番足の遅い船に合わせるとして土星までの2日間、たぁ~っぷり、お買い物していただけると思いますよ、ふふっ」
なるほど、と雄大は苦笑いした。ユイにとってはパトロール艦隊の若者達は「軍人」ではなくて「お得意様」なのだ──




