リタは何者?
「売上が下がってる、って?」
社長室でお茶を嗜みつつ、マーガレットは資料を眺める。
少女伯爵は萌黄色の髪留めで金髪をまとめマンゴーの果肉のように濃いオレンジ色と小豆色のツートンのワンピースをまとっていた。どこか所帯じみた社長室には不釣り合いな色鮮やかないでたち。
「ユイ様の事業、好調だったんじゃなくって? 説明して」
「いえ、業績は当然良いんですよ。でも、先月辺りから急に成長率が鈍って──」
マーガレットの座るテーブルの上に体長約60センチほどのフィギュアのような魚住京香の姿が見える。これはカメラ越しに映し出されたホロ映像で実際の魚住は数十キロメートル離れた宇宙船アラミス支店号の船長席に腰掛けている。
「先月? ああ、それならユイ様不在の影響でしょ──わたくしのせい、ってハッキリ言えばいいのに」
マーガレットが留守を任されていた
「いえ閣下。むしろ、ユイ様がお帰りになってからの客数の伸びがガクンと落ちてまして……原因不明なんですよ」
「ふぅん──」
マーガレットは少し不満げに資料を捲る。
──銀河最強の戦士と呼ばれたアレキサンダーを祖父に持つ彼女は、武術家でありながら着飾ることに異常なほど執着している。彼女は美しく着飾る事、誰よりも強くなる事で祖父から託されたワイズ伯爵家の名誉を守ろうとしている。
祖父アレキサンダーは幼い頃からマーガレットを『この子こそ、何もかも奪われたユイ殿下のもとに残された唯一の財産だ』と彼女に期待をかけていた。
〈戦場にありては剣となりて閃き殿下を守り、政まつりごとの場にありては玉座となりて輝き民草に殿下の権威を示せ。いついかなる時も傍に侍りて殿下を支えよ〉
武術の鍛練と等しい情熱を持って美容服飾おしゃれに余暇の大半を割くのは、いずれ皇帝として戴冠するユイ皇女の側近に相応しい権威をその身に備えるためである。敬愛する祖父からの刷り込みは、もはや脅迫観念めいた信念となって「もっと強く、もっと美しくあれ」と少女を駆り立てる。ユイ皇女が商売に精を出し大衆と気さくに触れ合おうとするほどに『わたくしが木星王家の威厳と伝統を守らねば』と孤高を好む傾向が強くなっていった──
そんなマーガレットだがつけ爪、ネイルチップは自粛している──理由はもちろん、拳が握れないからだ──
まだ成熟しきっていない少し短めの人差し指と親指で紙の資料をパラパラと捲っていくと、色とりどりのグラフや数字が踊っていて専門用語の略称が乱れ飛んだ。向かうところ敵無しの少女伯爵もこういう店舗経営についてはてんでサッパリで、並みの少女以下の知識しかない──マーガレットは数字やグラフという未知なる強敵から目を逸らした。
(ユイ様の助けになれと言っていたお祖父様も商売には反対していらっしゃったのだから、何もお助けできなくても大丈夫よね?)
「さあ、アップルパイが焼き上がりましたよ!」
マーガレットが資料とにらめっこをしていると、ユイが手作りのパイを持って奥から現れた。テーブルにゆっくりと置かれたパイを調理助手をしていたリタが素早くナイフで八等分に切り分けはじめる。ザクザクとパイ生地が削れる音が心地好い。マーガレットはこの音を聞くだけで焼いたリンゴの優しい甘味と程良い酸味が口の中に広がっていくような錯覚をおぼえた、ユイのふるまうお菓子とお茶を味わうのは久し振りだ。
「ああ、いつにも増して芳しい香りですね」
「ふふ、英国の女王陛下からお土産にいただいたバターをたっぷりと使ったんですよ!」
「へえ、地球の女王にしてはなかなか良い趣味」
ふたりしてバターの香りを楽しんでいると、パイを八等分に切り分け終えたリタは一片を口にくわえ、もう一片を皿に載せるとマーガレットに取り分けるでもなくさっさと壁際のソファまで運んで手掴みで食べ始める。
「あら、取り分けてくれないの? 使えないメイドね」
マーガレットは呆れたようにリタを見るが、リタは無心でアップルパイを咀嚼しており外界のことなど気にもならないらしい。それは甘味を楽しむというより生きるため、成長するために不足した糖分を急いで摂取しているようにも見えた。
「リタは甘いものに目が無いんですよ、食べてる間はもう夢中で──はいどうぞ召し上がれ」
エプロンとミトンを外したユイが陶磁器の皿にパイをのせてマーガレットに差し出す。
「すいませんユイ様」
「いえおもてなしをしているのは私、メグちゃんはお客様ですから当然です!」
「アレもお客様なんですか?」
マーガレットは鬼気迫る表情で空腹を満たしているリタを睨むが、ユイは小さく笑うだけだった。
「でも、こういう落ち着いた時間は久しぶりですね。あの忌々しい檻や無粋な看守がいないユイ様のお部屋、とても良い雰囲気でくつろげます」
こうやって屈託のない笑顔をユイに向けられるのは、恋敵として皇女から拒絶されなかったからである。マーガレットはその度量に感激してますますユイへの尊敬の念を強くしていた。
「そう言えばクロちゃんは元気かしら、いないとちょっと寂しいです」
「クロちゃん?」
まるでペットの犬を気遣うように、黒塗りの巨大な看守ロボットの現状を案ずるユイ。雄大いわく、危うくその看守に殺されかけたらしいのだが当の本人は愛着すら感じているらしい。
敵味方関係無く許すような寛容さがあるかと思えば、時に子供のような底意地の悪さも見せる。貴人というのは得てして常人には度し難い考えを持っているものだが、ユイはまた独特だ。8歳の女児がそのまま大人になったようなところがある。
「わぁ、アップルパイ、うまく焼けてる! 魚住にも食べさせてあげたいところですが──」
ユイはホロ映像の魚住にアップルパイを近付ける。
「いえ殿下、実はちょっとばかり甘いものを控えているので──むしろその場にいなくて良かったかも」
「魚住、ちゃんと栄養のあるものを食べないと身体に毒よ?」
「閣下のように激しいトレーニングをする人はそうでしょうけど」
「甘い物を摂って満たされれば、怒りっぽい性格が治るのではなくて? ねえユイ様」
魚住は『まぁそれなら閣下には四六時中、甘味を食べていただかないといけませんね』と言い返そうとしたが主人があまりジョークを解さない性格なのを思い出して口を噤む。
およそ千年前の西暦2200年頃から、栄養の過剰摂取を防ぐための研究が盛んになり、脳をいじり食欲を抑制する手術や、特殊な体液を分泌して過剰摂取分を綺麗に分解する極小の『共生体』を体内に住まわせる手術など、ダイエットに関する医療技術が大きく発展した。こういう治療に頼ることで命に危険が迫るほどの肥満を解消することが出来る。しかし33世紀の女性達にとってこういう治療に頼るのは最終手段であり、理想とする体型はあくまで自らの努力で勝ち得るのが美徳とされている(─似たような顔の美男美女が増えすぎたことへの反動が原因らしい)
進歩した外科治療技術はこんな調子で敬遠され、一周まわって原始的な「適正な食事量を心掛ける」という方法がもっともポピュラーなダイエット法となっている。
「そんな私の体重の話より、もっと大事なお話があるのですよ社長?」
「はい、先月締めの収支報告ですね」
「そうですよ魚住、社長に売上の話を説明しなさい? わたくしはその──聞いてますから」
「はいそれでは」
魚住とユイが話す内容はマーガレットにもおぼろげながら理解出来るが専門用語や略称、商品名が出てくるとお手上げになる。
「顧客層の変化か原因なのかしら、販売実績を売上額じゃなくて点数で見ると──ほら男性向けの商品と低価格帯の生活必需品が低調ね」
「あ、そうですね、お買い上げ点数が減ってます──高級路線への切り替えが影響してるんでしょうか」
「ん~……」
ユイは資料片手に端末を弄り始める。
「こういう時は貨物便協会の大和田理事長に相談しましょう、長距離貨物のドライバーの皆さんなら何かわかるかも──メッセージを送ってみます」
大和田健治は銀河の端から端まで走り回るトラック野郎共の元締めのような存在だ。巷にあふれる噂を広く集めるなら大和田が適任だろう。
「ねえ魚住、単純にパトロール艦隊の連邦宇宙軍の利用が減っているのではなくて? 連邦は軍艦や乗務員が不足しているのでしょう?」
「いえ、そちらはむしろ上がってます、最近海賊が多発してパトロール艦隊も出ずっぱりでなかなか軍港に帰投する暇が無いとか……軍の補給艦に積んである嗜好品では士気が上がらないという事で」
魚住が苦笑いする。
「あのクーデター騒ぎの『同士討ち』で宇宙軍の軍艦は随分減ったのに大変ね──ガッサ将軍が『今が絶好の機会』ってわめく理由もわかるわ」
「精確にはリオル大将の武装蜂起前と比較して宇宙軍の戦力は58%にまで低下しているがあの将軍とやらにむざむざ敗れはしないと思うぞ」
「あら──?」
突如としてリタが会話に参加してくる。
「それに新造艦がぞくぞく建造されておってな。既に八隻が月に納入され慣熟訓練中。まあ問題は人員の質だな──機械は新しいほうが性能が良くなるが、船員は新たに補充すると性能がガタ落ちする」
ペロペロと指についたパイ生地を舐めつつ語るリタ、どうやらアップルパイを食べ終えたらしい。
「もっともらしいこと言ってるけどあんた、それってどこからの情報?」
「バッキンガム宮殿の晩餐会だ、製鉄大手ボーデン社のドラ息子が軍関係者と色々話しておった」
へえ、と一同は感心して少女を見る。
「事情通のリタさんに見解をお伺いしますけど、この売上減について何かコメントは?」
「──ふむ、そうだな──愚かで身勝手な民衆のことだ、おおかたこの行列に列ぶのに飽きたのだろう。わしは行列は好かんな」
なるほど、と魚住が相槌を打つ。確かに利用客の数に対して店舗面積が狭すぎる。利用客を効率的にさばけたらもっと回転率が上がり、顧客の満足度も上がるはずだ。現在は行列すること自体が楽しいイベントのようになっているからよいが、混雑や不便を嫌う上流層は二度と利用してくれない可能性もある。
「売上減の一因は、リタさんのいうように並ぶのを敬遠するお客様なのかも。現状で打てる手は全部試しているので改善するのは難しいかも知れません」
「リピーターになっていただきたいのですが……2号店、3号店と開店するまでお客様には不便をかけてしまって……」
ユイの表情が思っていたより深刻そうに曇るのを見たマーガレットは少し驚く。マーガレットが考えるより機会損失は大きく、店舗の拡大は急務なのだろう。
「わたくし、行列が出来ているからそれで順風満帆だと思っておりました、庶民相手の商売とはなかなか奥が深いのですね」
マーガレットは他人事のように感心のため息をもらすことしか出来ない。
「待たされるのはストレスの原因になりますからね……行列が行列を呼ぶという相乗効果もありますが──やはりお客様を長時間お待たせするなどというのは本来あってはならない事です。2号店正式稼働までなんとか顧客離れを防ぎたいですね」
魚住の説明にマーガレットはふむふむと頷く。
「2号店といえば……魚住、船員募集は順調に進んでいますか?」
「はい殿下。喜ばしいことに経験者で即戦力になりそうな人達からたくさん応募がきていますよ、いま書類選考中です」
「任せっきりですみません、迷惑をかけますね──」
いえいえ、お任せあれ、と魚住は自慢げに胸を叩く。
「船員の方は私が面接まで済ませますけど、幹部候補の社員はユイ殿下、マーガレット閣下にもしっかり吟味していただきたいと思います」
「はい楽しみにしておきますね、雄大さんみたいな航宙ライセンスをお持ちの船乗りの方もいらっしゃると良いのですが」
「と、ところで──」
マーガレットは少し顔色を変えてドアの方へチラチラと顔を向ける。
「──みや──こ、皇配殿下は遅いですわね。まだブリッジに?」
「そうですね、ブリッジのラフタさんに伝言したのですけど──雄大さん、まだ拗ねているのかしら」
ユイはふう、と一息つく。
「えっ、まだ宮城さんとまだ仲直りしてないんですか──」
「いえ、私と雄大さんが喧嘩しているわけではなくて──ちゃんと仲直りしてないのは雄大さんとお父様です。このままだとお正月に月へ一緒に行けなくなってしまう」
ユイ皇女が覗かせた政治家としての一面は、自らの力だけでユイの信頼と愛を勝ち得たと思っていた雄大には少なからずショックだったらしい。婚約者のユイが、父親の裕太郎と仲良くしているのが非常に面白くないようだ。
「あのぅ恐れながら殿下……御忠告申し上げますが宮城家の親子間の諍いに外野が色々首を突っ込まない方が良いのでは? 宮城さん、割と本気で嫌がってますよ」
「いいえ外野ではありませんよ、私、仮にも婚約者なのですから。宮城裕太郎大将は私にとってもお父様です、それに──」
ユイは一呼吸おいてから続けた。
「──それに、私達だけの力では木星帝国の復興なんてそれこそ夢物語で終わってしまいます。でも、雄大さんを窓口にして月や宇宙軍との友好関係が強固になるのであれば、その夢は現実に近付きます──あの人は周囲の運命を変える何かを持っている特異点のような人なのです」
特異点かどうかは定かではないが雄大との出逢いをきっかけに木星帝国の運命が大きく変わったのは疑う余地がない。
「現に雄大さんの判断がきっかけでキングアーサーによるロンドン砲撃は阻止されました──そうですよね」
ユイはリタの方を一瞥する。
リタはアップルパイのおかわりを食べる手を止め、渋面を作りつつ言葉を吐き出す。
「ふん、敵の功を認めてやるのは癪に障るが──確かにヤツは最大級の不確定要素だった。小僧の予期せぬ働きが蟻の一穴となってわしの計画は頓挫したようなものだ。まぁ、父親とはまた別の何かを持っている、とは思う。部下に欲しいとも思わんが敵にも回したくないヤツ」
画面の向こう側の魚住は、リタの芝居がかったような物言いに面食らい、マーガレットは呆れて鼻白む。記憶喪失の子供だと聞いていたのにこれでは誇大妄想癖のある変人だ。
「小僧が実家と和解せず、お前たち旧木星王家と宇宙軍とのパイプが切れたとしても……結局本人が望むと望まぬにかかわらず周囲からは色々と詮索されるのだ。月の宮城家、そして小僧の母方の生家である星野家はそろって月の有力者だ。木星帝国関係者との婚姻は否が応にも『月と木星帝国の関係強化』を連想させる。どのみち世間からは政治的な意味合いの強い婚姻と思われるだろうさ。それならいっそのこと図々しく振る舞ったほうが得策だ。そういうことをこの皇女は考えている──」
「その通りですリタ」
「ふん」
「それに私、今回のオービル元帥のご不幸について──少し疑念を持っているのです」
「疑念ですか?」
「はい、私が地球に降り立ったことと元帥がお亡くなりになったことには何か関連性があるのではないか、と」
ユイは神妙な顔で室内の全員に語りかけた。
「……もしかすると私が地球に降りたせいで元帥は殺されたのかも知れません」
「殺された?」
マーガレットは思わず椅子から立ち上がる。
「──そうですね、まるで木星王家の存在を快く思わない者から送られた、警告の矢文のようで」
「……なるほど事故ではなく消された、と」
「この見えない敵は卑劣にも暗殺という手段で私達の力を削ごうとしています──これが脅しの始まりであるのなら、なおさら私達は畏縮することなく立ち向かわなければなりません、そして立ち向かうには雄大さんの協力が──宇宙軍との強固な連携が必要だと思うのです」
ユイはどこか深刻そうだった。
「お前の言うこともわからぬではないが、お前の最大の敵はこの私だったはずであろう。その見えない敵に心当たりはあるのか」
頷いているのはリタだけでマーガレットと魚住はどう反応してよいかわからずに生唾を呑み込んで固まっていた。
「私は──式典でマグバレッジ議長から持ちかけられた縁談を断り、木星総督就任の話を蹴りました。面子を潰された議長の指示という線も考えられます」
「ジュニアもあれでなかなか侮れん政治家だがな……だからといって短絡的な暴力に訴えるような、そんな凶暴さは持ち合わせておらんよ。育ちの良い紳士、それがヤツの限界だ。それ以上にはなれぬ」
リタはかつての主人、地球閥の盟主マグバレッジJr.のことを思い出していた。地球閥の非合法活動を統轄していたリオルは倒れ、その手足となって働いていた組織「キャメロット」の構成員も命を落とすか土星圏やアラミス周辺に点在する刑務所衛星プリズンコロニーなどに投獄されていて実質的に壊滅状態だ。
(はてさて、我ら以外に元帥暗殺のような荒事をこなせる連中などが地球閥に残っているものだろうか?)
リタは次に連邦内に蔓延る非合法組織について考えた。悦楽洞主ドラッグクイーン達の手下である金星ギャング、過激さを増す土星圏のアステロイドパイレーツ……ただ彼等の特質は粗暴にして享楽的だ。誰にも感づかれずにセキュリティーレベルの高い月の軍病院に侵入することは彼等には無理だろう。
(待てよ、条件に合うヤツらが地球圏にも居ることは居るな……オービルを消す理由と暗殺する実行力を有する集団が)
リタはマルタ騎士団の存在を思い出した。禁忌の守護者にして狂信者の集団。
(オービルは枢機卿会議の許諾無しに木星王家に技術を提供してきた、その事への処罰ということなら或いは)
しかしながら、バッキンガム宮殿で会った時の教皇は、ユイ達木星王家について特に悪感情を抱いてはいなかった。それどころか禁忌技術の使用について事後承諾をしてくれたぐらいだ。
「リタはどう思いますか?」
「ローマの動きが気になるな」
「私は、禁忌技術管理委員会を──教皇聖下を怒らせてしまったのですか?」
「まだハッキリとしたことはわからぬ──ヤツらは禁忌破りのけじめとしてオービルを処断しただけかも知れん。それだけで教会が木星帝国の敵に回ったと考えるのは早計だぞ。晩餐会の折に教皇に免状を送るように頼んでおいた、その免状が届けば万事解決だ」
禁忌技術管理委員会を敵に回すと大変厄介な事になるが、トップである教皇の権威は絶対的だ。教皇直筆の免状があれば、教会はもはや身内も同然となる。
「届かなければ?」
「──禁忌技術の全てを手放して赦しを請うしかあるまい──もちろんワープドライブコアを積んだこのギャラクシー号も例外ではないぞ」
重苦しい雰囲気が立ち込める。
「それは──」
ちょっと待って、と魚住が大きな声を出してユイとリタの会話を遮った。
「す、すみません殿下、ちょっと私状況が飲み込めないのですけど──リタさんって何者なんです?」
「わしは──」
リタが口を開こうとするとユイが人差し指を唇に当て首を左右に振った。
リオルが唯一忠誠を誓う新時代の王、機械との融合が可能な金髪の少年は現在、ユイの保護下にある。リオルがこうして屈辱に耐えているのも『王』を人質にとられているからだ。
「わしは──昔の事を何も覚えてはおらん。『何者』と言われても正確には答えられん」
「殿下、何かこの魚住にもお隠しになっている事が……?」
「──ごめんなさいね魚住、長々と無駄話に付き合わせてしまって。これでお開きにしましょう」
ユイは残りのパイを持って立ち上がる。
「え、でも──」
「私は今からブリッジにこのパイを届けに行きます、メグちゃんもご一緒にどうですか」
「は、はい──!」
「では魚住、採用の件頼みましたよ?」
「か、かしこまりました……」
主人ふたりしてそそくさと席を立つので魚住は渋々頭を下げて通信を終えた。魚住と同じく事情を知らされていないマーガレットもまた首を傾げながら幼女を眺めるが、リタの方は澄まし顔でお茶をすすりはじめた。
「じゃあリタ、私とメグちゃんはブリッジに行きますので。自分の使った食器ぐらいは片付けておいてくださいね」
「ああ、わかったわかった、口うるさいヤツめ。憶えていろよ、ワシへの仕打ちをいつか後悔させてやるからな」
リタはどこかつまらなそうに嘆息するとお茶をがぶがぶと飲み干した。
「ユイ様。あの娘って一体……?」
「ちょっと事情がありまして……『伯爵』にはいずれ時期が来たらお話します」
アップルパイを運んできた時の屈託のない笑顔から一転、主君としての厳しい表情を保ち続けるユイ。家臣の身としてはこういう顔をされるとこれ以上追及出来なくなってしまうマーガレットだった。




