日常の回復と波乱の予兆①
ぎゃらくしぃ号、とは。
正統木星帝国の数少ない領土にして国家の『首都』『宮殿』であり臣民の『住居連絡先』『勤務先』として機能する恒星間航行可能なハイドラ級高速巡洋艦一番艦ハイドラの改装型武装商船、である──長ったらしい。
銀河公社の船舶登録台帳にはアラミス~木星間就航武装商船兼木星帝国艦隊旗艦兼宇宙軍治安維持活動提携者所有艦艇という、更に、無駄に、長ったらしい肩書きで記載されている。
ちなみにぎゃらくしぃ号は地球~木星宙域間での営業許可を受けていないため商船として地球近くで営業することは原則認められていない、これはまだユイ皇女が思想犯として半永久的な軟禁生活をしていたころの名残でもあり帰属・船籍はあくまでアラミス北極ポートという事になっている。
ユイの外遊は当初8日間だったが予期せぬ事態のせいで15日間に延長されてしまった。
予期せぬ事態とは月の惑星連邦宇宙軍のトップ、オービル元帥の葬儀への出席である。軌道エレベーターで宇宙港、北極ポートに上がり木星行き定期便に乗り込んでぎゃらくしぃ号と合流するはずだったが訃報を受けて行く先を月に変更、月での仮葬儀を終え地球での本埋葬まで随行して遺族側の手伝いをおこなった。
「改めて──お帰りなさいませユイ様、お疲れ様でした」
魚住京香が腰を折るように頭を下げ挨拶すると居並ぶ面々も口々にユイの労をねぎらった。
会議室にはひさびさに木星帝国の幹部が勢揃いしていた。
「ただいまもどりました、うふふ。このたびは急遽滞在が伸びてしまって──ご心配をおかけしました。特に不在中、私の名代を務めていただきましためぐちゃ──マーガレット伯爵、ご苦労様でした。ありがとう」
ユイの言葉を受けたマーガレットが立ち上がりうやうやしく軽く頭を下げた。
「非才の身なれば殿下の代わりがつとまりましたかどうか。何事もなくユイ様のお迎えが出来ましたのは魚住と六郎の下支えあってこそでございます」
「社長業も大変だったでしょう」
「……わたくしてっきり『木星帝国』の留守をお預かりするかと思っておりましたが、殿下の小売事業についての理解が足りず苦戦を──」
「あー、ゴホン!」
マーガレットの言葉にかぶせるように帝国海軍のガッサ将軍が殊更大きく咳払いする。
「この場はいわば帝国議会、政治的会合であると認識しておりましたが? 我々海軍は経営陣のミーティングに出る必要性を感じないので──退席してもよろしいですかな、殿下?」
「失礼いたしました将軍。店舗経営の話も多少やりますがあくまでこれは木星王家の集まりです。どうぞそのまま」
ユイが軽く頭を下げる。
「さればこそ。皇女殿下におかれましては、皆様に成り代わり治安維持活動を遂行致しました我らが大公殿下の功績をこそ! 第一に賞されるべきかと存じ上げますぞ殿下? 僭越ながら申し上げますが」
短く刈り揃えた頭髪、厚い胸板と肩幅、白い軍服の上からでもわかる上腕筋、典型的な厳つい軍人である。見た目から受ける印象は「無口でストイックそうな壮年男性」だが、これがなかなかに口のほうも達者でよく回る──そして諦めが悪い。
自尊心が強そうなところは土星基地司令のモエラ少将と似ているが、基本小心者かつ機をみるに敏いモエラと違って、ガッサは頑迷にして粘り腰だ。どんな悪い状況でも主義主張を曲げないあたり、忠臣にして良将なのは間違いないが、惜しむらくはこのガッサが忠義を尽くそうとしているのはユイ皇女ではなく皇弟の系譜セレスティン大公であり、武力による地球閥との完全決着を望んでいるという点だ。
これは地球閥との協調路線を望むユイの方針と真っ向から対立する。
少女伯爵の眼が一瞬だけガッサに向けられた。同時に殺気のような物が伯爵の全身から立ちのぼり、間に挟まれた甲賀六郎と太刀風陣馬を震え上がらせる。しかしながら当のガッサ本人はこの雰囲気の悪さに気付いた様子もなく自慢気に報告し始めた──海軍の神風号を旗艦とする艦隊が航路で客船を追い回していた海賊船を発見、戦闘不能にして銀河パトロールに引き渡した件だ。
「めざましいご活躍だったそうで。セレスティン大公殿下のご理解、ご協力に感謝します。惑星連邦政府へのわだかまりも未だおありかも知れませんが──これからもよろしくお願いします。それと将軍、頼りにしていますがくれぐれも安全第一で。無理な追撃はお控えくださいね」
「何を申されます殿下。不逞の輩の手に渡ってしまった木星帝国の軍艦を撃沈して不名誉から救うのは旧帝国の遺児たる我らの使命!」
ガッサ将軍は立ち上り、ゴホンともう一つ咳払いをしてから大きな声で発言を続けた。
「恐れ多くも木星残党の名をかたり、軍艦で民間船を襲うようなクズ共に情けは無用。別に銀河パトロールに協力するために追撃戦を行ったわけではありませんぞ──それにですな木星周辺宙域は本来、我々木星帝国の支配宙域であり、惑星連邦の護衛艦がうろついているほうが異常事態なのです。この際だ、いっそのこと航路に関所を設けてパトロールの連中を締め出してですなぁ──」
ガッサ将軍のこういうやや過激な軍国主義的発言はもはや恒例となっていてマーガレットや雄大が止めるまで延々と続く。
「──将軍? ところでセレスティン大公殿下のお姿が見えませんが相変わらず体調不良で?」
「ん──」マーガレットに水を差され、調子良く回っていたガッサの舌がピタリと止まる。
「そ、そうですな。えー、殿下は少々──気分が優れぬご様子」
「またですか。ユイ様のご帰還に際してお出迎えにも出られないほど?」
「そ、それそれ、セレスティン殿下も心を痛めておられます。決して何かやましいことがあってユイ皇女殿下のもとに顔を出せないという意味では無いのですぞ、誤解なさらぬよう──」
ガッサ将軍は懐中から取り出した端末を弄る。
「その証拠にこの不肖アラムール・ガッサ、大公殿下からのありがたいメッセージを預かっております」
「へえ?」
会議室の中央にホログラムデータが投影された。線が細く背の高い青年が映し出される。初見のハダム大尉が思わずおおっと小さく唸るほどの見目麗しさである。
『皇女殿下、敵地からの無事なご帰還、お祝い申し上げます。このような形でしかご挨拶出来ぬ非礼をお許しください。いつか近い内に御身のもとに参上いたしますゆえ──伯爵閣下、魚住殿そして皇配殿下候補の宮城殿、電文でのご挨拶、失礼いたしました──』
(あれが目下のところの雄大君のライバル? さすが王族はオーラが違う、見た目はこりゃ勝ち目薄そうだね)
背広姿が悲しいほど似合っていない海兵隊員ハダムが髭をいじりながら魚住にたずねる。
(ハダム大尉? ユイ様のお相手は宮城さんで本決まりなんですよ──ごねてるのは海軍だけで)
(宰相代理の魚住さんとしては雄大君推し、ですか)
(ええ、何より側近のマーガレット様ともうまくやっていける男性はそうそういません、木星王家にとって得難い人材です)
不機嫌そうな少女伯爵の姿を一瞥する魚住。ハダムも魚住の視線の先を見て事態を理解する。
(なるほど)
(──大尉、いいですか? 将来的に陸軍の統括をお願いするに当たって最も気を付けていただきたいのが、この押しの強いガッサ将軍と大公殿下です。喧嘩するのでも、へりくだるのでもなく、対等かつほどほど良好な関係の構築をお願いします。出来ればマーガレット様と将軍のあいだに入って仲を取り持つような感じで)
(はあ、調整役ですか……歩兵上がりの私に務まるかどうか)
ガッサは他人を能力で判断せず、年齢や血筋、社会的地位で判断する傾向が強い。誠実で高潔な人柄かつ年代も近いハダムならばガッサ将軍をうまくコントロール出来るのではないか、と魚住は期待しているらしい。
「以上、セレスティン大公殿下よりのお言葉です」
ガッサがホッとしつつ端末をしまうと横に座っていた陣馬がパチパチと大きな拍手をした。つられてユイも拍手するが六郎とマーガレットは渋い顔をして肩をすくめた。
「いいですねホロメッセージ。私も後で大公殿下宛てにメッセージを作りましょうか、ねっ魚住」
「現状、大公殿下とお話する機会がありませんからねぇ……良いお考えだと思います」
「メッセージなど作らずとも皇女殿下御自ら神風号にいらっしゃる、という選択肢はありませんかな?」
ガッサはテーブルに身を乗り出してユイに顔を近付ける。
「図々しいですよ将軍、皇女殿下を力ずくで拉致しようとした大公と貴方がそれを言うなんて。神風号に乗ったが最後、殿下を返す気は無いのでしょう?」
マーガレットが扇子の柄でトン、と軽くテーブルを叩くとガッサはビクリと身体を硬直させた。割とリラックスした雰囲気の中でマーガレット一人だけが敵陣の前の歩哨のようにピリピリとした緊張感を放っており、だんだんと会議室全体にそういう張り詰めた空気が広がっていく。
「わ、わわ──誤解ですぞ伯爵、あのお優しい大公殿下に限ってそのような二心ふたごころはござらぬ。皇女殿下を軟禁して力ずくで皇位継承権を奪おうなどとそんな大それたことを考えていたのはこちらのガッサ殿であって大公殿下ではないのです──どうか信用してくだされ」
慌てふためいた太刀風陣馬が釈明をはじめる。
「そうは言ってもわたくし達、大公殿下と会わせてもらえないのですよ──信用も何も」
マーガレットは扇子で口元を隠しながらガッサを睨み付けた。ガッサは羞恥と怒りから顔面を紅潮させると馬鹿正直に内情を漏らす陣馬を小突いて説教を始めた。これには一同、失笑する他ない。
「ねえメグちゃんも一緒に大公殿下宛てのメッセージ、収録しませんか?」
ユイが笑いかけると、マーガレットは少し驚いて小さく首を振った。
「えっ、わたくしもですか? そ、それは──その、遠慮します」
マーガレットは遠慮がちに目をふせる。
「そうですか」
ユイは魚住と顔を見合わせ、以前と比べてどこかしおらしく自分に対して他人行儀になっているマーガレットを気遣う。
(何かあったんです?)
(さあ、私が最後にマーガレット様にあった時はこんな感じではなかったですけど)
(はぁ、そうですか……魚住も知りませんか)
マーガレットはユイの出迎え時にもよそよそしい態度で接し、食事に誘っても体調不良を理由に欠席している。いつもの調子なら他の連中を押しのけてユイにまとわりついてくるはずなのだが。
皇女がようやくマーガレットの不調の原因を察したころ、会議室の外で中の様子をうかがっていた数名のお手伝いがお茶を持ってきた。
「失礼します」
給仕役をやっているのは雄大とリタ、そして黒髪ロングストレートが印象的な店舗スタッフ、ソーニャである。無口で大人しく騒々しい面々と比べるといくぶんか影が薄い人畜無害そうな娘だが、裏では雄大への嫌がらせを実行している張本人だ。
ソーニャはリタの押す台車にポットとミルク、角砂糖の入った瓶を載せ、右回り、ハダムの席から給仕を始めるよう指示をした。
「コーヒーか紅茶か」
リタが眉間にシワを寄せながらハダムにたずねる。
「おお、偉いねお嬢ちゃん、お手伝いかな?」
大きな手のひらがリタの頭の上に乗る。
ハダムは愛らしい容姿のリタの中身が、あのリオル大将であることを知らないので小さな女の子が給仕役をこなす姿を微笑ましい光景としてとらえていた。
しかしリタの方は計画が頓挫した最初の躓きを信頼していたハダムの寝返りにある、と考えているようでそんなハダムにメイドのようなサービスをしなければならない自分の境遇を苦痛に感じていた。
「おいハダム、コーヒーか紅茶か決めないか」
「えっ」
「遅い、コーヒーにしておけ」
「は、はい」
リタはハダムの毛むくじゃらの手を頭から払う。そしてカップをおいて乱暴にコーヒーを注いだ。
「砂糖とミルクは?」
「あ、私はブラッ─うわ!?」
リタは角砂糖を七、八個とミルクをぶち込むと苦々しい表情で「遅い、もう入れた」と言いつつハダムの手元に砂糖たっぷりミルクコーヒーを置いた。
「グズが」
初対面の少女に捨て台詞を残されるほど恨まれる理由がわからずハダムは困惑して激甘コーヒーを啜る。
事情がわかっているユイと雄大は苦笑いをするしかなかった。
「だいたいだな、ホロ通話すれば良いだろうがそのセレスティンとやらが何の病気か知らんが」
リタはブツブツとひとりごとのように呟きながらガッサ将軍のカップにコーヒーを注いだ。
「なあキミ、私は甘くて構わんぞ」
「なれなれしいな」
リタは舌打ちすると角砂糖の入った瓶をガッサ将軍の前に置いた。
「──おい魚住、もう少しなんとかならんのかこのメイド。無礼、無愛想にも程がある」
「す、すいません将軍、ユイ様が養女として引き取った娘なのですが」
「お前とは身分が違う、以後口をつつしめ」
さすがのガッサも呆気に取られて何も言い返せない
「こらリタ、そういう口の聞き方をしないの──すいません、晩餐会以降とくに機嫌が悪くどうにも手がつけられなくて」
「ふん、茶汲み坊主の真似事など宮城の小倅にお似合いの役目だ」
リタが機嫌を損ねてあっさり職務放棄したので残りは雄大とソーニャが茶を入れて回った。
「あの、わたくしと皇女殿下には紅茶を──」
マーガレットが手を上げると紅茶のポットをもった雄大がマーガレットの傍にやってくる。
「あ──! や、やっぱりわたくしは、コーヒーで」
マーガレットはわかりやすいぐらい赤面し、首筋まで朱に染めながらコーヒーポットを持ったソーニャを呼びつける。
「どうしたマーガレットお前いつも紅茶じゃないか? コーヒーの成分は胃があれるとか何とか──」
「たっ、た、たたたまには? 胃をいじめたい時も、あるのです」
「わ、悪い」
雄大とマーガレットの間に流れるあからさまにギクシャクとした空気。呆れた六郎が頭痛をこらえるように額に手を当てて仰け反った。
「いかん、これは相当の重症だ……」
◇
「皆さんに現状について報告しなければならないことがあります。非常に重要なことです」
細々とした報告の後でユイが改まった面持ちで切り出したのはオービル元帥の葬儀に関しての話題だった。
「──私達がこのぎゃらくしぃ号に乗り今まで何とかやって来られましたのはオービル元帥の影ながらのご支援があればこそ、のことでした。私達の力だけでは最新鋭の軍艦を自由に動かすことは出来なかったでしょう」
珍しくユイが言葉を選ぶのに苦慮して数秒の沈黙が訪れる、その様子に焦れたリタがユイの代わりに口を開いた。
「惑星地表面立ち入り禁止、個人的財産所有の禁止処分をして封じ込めたつもりだったが──こやつは武装商船内に牢屋を持ち込み、自ら手錠をつけることでアラミスを脱出し、企業として蓄財を始めた。しかしながらこのアイデアも宇宙軍の許可がおりねば実現しなかった」
突然、皇女の代わりに説明を始める少女、事情を知らない皆がギョッとしてリタに注目した。
「お前らはオービルのことを地球閥に属する軍人だと思っているだろうがあやつは開拓惑星系の連中や地球閥になびかない宮城大将のような連中にもチャンスを与え中立的な立場を保っておった。それより何より、連邦が木星王家を処刑したことにやたらと罪の意識を感じておってな。生き残りの皇女こやつの頼みなら何でも聞いてしまう好々爺に成り下がってしまった。しかしこのギャラクシー号──ハイドラ級巡洋艦の貸与だけは認めるべきではなかった──ムグッ?」
雄大がリタの口を手で塞ぐ。
「この娘は見てきたように色々語るが──何者なんだ?」
「私の名前も知っていたようだが」
ガッサとハダムは驚いてリタを眺める。
「こ、こいつ事故で頭を打った影響でおかしくなってデータベースで得た知識を自分が体験したことみたいに喋っちゃうんだよ、ほんと困ったやつ。まあその、医者が匙を投げるぐらいの記憶障害で自分が誰かもわからないから本人もちょっとヤケ起こしてて──多少無礼でも見逃してやってください」
雄大は口から出るに任せてリタの正体を誤魔化した。
「それはまた不憫な」
「この子は冷凍睡眠したまま引き取り手がいなかったそうで。私が養女として面倒を見る事にしました。迎えるに当たって木星王家や地球閥のことを色々と教えたのですが──こんな感じになってしまって。賢い子ですが少し度が過ぎたところがありまして」
「ふぅん、一種の天才少女ですか。なるほど」
ガッサは急に不機嫌になってうなり声をだしはじめた。
「皇女殿下? 軽々しく養女などと言われますが、まさかその養女に皇位継承権を与えるつもりでは無いでしょうな? まさか魚住、おぬしが殿下に妙な入れ知恵を……」
「ち、違います!」
「ご安心ください、万が一私に世継ぎが出来ぬまま道半ばで倒れたとしても後事を託すのは大公殿下ですから」
「それを聞いて安心しましたぞ」
「将軍さんよ、今の言い方だと殿下に何かあって大公がトップになるのを期待してるような口振りじゃないか? そういうの良くないぜ、俺達の前では控えておかないとアンタ長生き出来ないかも」
六郎が物凄い形相でガッサを睨み付けるとガッサのほうも負けじと睨み返す。
「以前から思っていたが親衛隊長殿? だいたい貴殿は何者なのだ。どういう素性の者かはっきりしないのだが、産まれの卑しさが滲み出るような喋り方をする」
「俺はアレキサンダー・ワイズ伯爵に拾われてから10年ほどマーガレット閣下にお仕えしているんだ、それで十分だろ。何か身の証が必要なのか? それを言いだしたらアンタ達やセレスティン大公についても疑わなきゃならなくなるぜ、なあ宮城?」
六郎は雄大に話を振る。
「俺はどっちかというと神風号の出どころにすごく興味あります、あれは相当古くて希少な船ですよね。どこで、どういう経緯で入手されたのか──まさか大声で言えないような怪しい出どころでは無いでしょうね?」
「それは秘密だと言っておろう。神風号のスペックが不明瞭であればあるほど敵は混乱し戦闘は我が方に有利に働くからな。そもそも皇配殿下に専門外の国防のことで口を挟まれたくないですな」
「専門外、まさか本気で言ってますか? 俺は帝国艦隊旗艦のこの船、ぎゃらくしぃ号の操縦桿を握ってるんですよ? 専門外どころか艦隊戦が行われるような非常時には俺とあなたで連携して敵対勢力の船と戦わなければいけない。神風号の細かい武装とエンジン出力を正確に把握しておかないと万が一の事態、特に劣勢からの撤退戦において取り返しのつかない失敗をするでしょう」
「いや、それはその──」
「雄大君は理論派ですなぁ、お父上の宮城大将譲りかな?」
ハダムの褒め言葉は雄大にとっては素直に喜べないものだったが雄大が連邦宇宙軍の大将の息子であるという情報はガッサ将軍を黙らせるには十分だったのか口を噤んで忌々しげに雄大や六郎から目を逸らした。
「──えーと何の話をしていたんでしたか……」
「オービル元帥が如何に木星王家を助けてくれていたか、という話です。すいません殿下、話の腰を折ってしまって──」
「議論が活発なのは良いことです。言いたいことを言えないような議会ではなく、自由に発言出来るような帝国議会でありたいと私は思います。私も言わなければならない事がありまして──オービル元帥の話を続けてよろしいでしょうか」
ユイが苦笑いしながら発言すると皆が押し黙る。
「どうぞ殿下」
「オービル元帥は私にとって月にいる祖父のような存在でした。公私ともに便宜をはかっていただいておりましたが──現在、我々はその大きな庇護を失い、矢面に立たされようとしています。我々の理解者は増えましたが、同時に敵も増えました、今までは地球閥だけが明確な敵対勢力でしたがこれからは敵とも味方ともつかない大勢の相手と、渡り合っていかねばなりません。これまでのような宇宙軍上層部の援助はもう期待出来ないのです」
比較的最近ぎゃらくしぃ号にやってきた者はユイの言葉を大袈裟な表現だと感じた。
オービルの後ろ盾がどれほど大きな物だったのかは実際に彼と交渉してきた魚住とユイ、そして今は亡きアレキサンダー・ワイズ伯爵以外には知る由もない。
木星王家は治安維持活動を期待されハイドラ級巡洋艦を新たに三隻借り受ける事になっている──これこそオービルの力添えがもたらした特例中の特例である。
「──卑しい話ですが、オービル元帥の援助が期待出来なくなった今、我々は雄大さんとの関係を一層強固にせねばなりません──月の宮城家と木星帝国の人間が婚姻して縁を結ぶことが、未だ小さな我々木星帝国に降りかかる火の粉を払うことにつながるのではないか、と考えています。オービル元帥がお亡くなりになる直前に月の宇宙軍の関係者との良縁に恵まれたこと、不幸中の幸いでした。我々木星王家と月の宇宙軍上層部との間にかかった橋はかろうじて崩壊を免れたのです」
会議室が俄かにざわめく。申し訳無さそうに目を伏せるユイ、それを見つめる雄大の表情は神妙で複雑なものだった。
「な、なるほど敵対勢力を取り込む政略結婚ですかな? ま、まったくもって卑しい生まれのものが考えそうなことだ。高貴な木星王家の産まれである殿下のお考えとはとても思えぬ」
ガッサは横目で魚住を見る。
「いえ将軍。私の心の中にそういう卑しい打算があったことは否定しません。私もひとりの女である前に国家の代表ですから──婚姻関係で作れる友好勢力があるならこんなに楽なことはありません」
雄大の心中は複雑だった。守るべき可愛い恋人のような存在だったユイが突如として見せた国家の指導者としての側面、裏切られたような気持ちになっていることはその震える唇を見れば容易に推測できる。
「ゆ、ユイさん、そんな事わざわざこんな場で言わなくても──俺もなんとなくは感じていたけど──そういうのは言葉にして欲しくなかった」
「雄大さん──私はあなたとの婚姻を真剣に考えているからこそ、包み隠さず言うのです。オービル元帥という後ろ盾を失った木星王家の危うい立場をわかってください」
雄大は歯噛みしてクソッと呟くと下を向いた。家や肩書きを捨て裸一貫で生きていくつもりになっていたが、いまだに父親の影が視界から消えてくれない。やっと出来た恋人から最も聞きたくない言葉を聞いてしまった。
「──何事かの災難が木星王家に起こった時、お父様に頼ることで木星帝国の臣民を守れるのなら私は遠慮するつもりはありません。でも仮に雄大さんがそれを望まないのであれば仕方ありません、縁故による優遇を拒否しようと思います──ただし、どちらを選んでも世間から要らぬ詮索を受け、私達は心を痛めることになると思います。雄大さん、今のうちから覚悟しておいてください、私と結婚する、というのはこういう事なのです。あなたが逃げてきた月のしがらみがより強固にあなたを縛ることになりかねません──あなたが一番嫌っている生き方にとらわれてしまう可能性があるのです」
「ごめんユイさん──俺、少し外すよ。頭を冷やしてくる──また後で話そう」
雄大は少し青い顔をして会議室から出て行った。
魚住もユイの発言には流石に驚いたのか慌てて雄大を追い掛けるように会議室から飛び出していく、本来なら魚住の立場から雄大に伝えるべき内容だろう。
ユイは苦しげにうつむいてその後ろ姿を見送った。
「で、殿下、どういうおつもりで? あれはちょっとボンボン育ちの宮城にはキツいでしょうよ。あいつはこういう家柄のしがらみがとことん嫌になって軍を辞めて、家も捨ててアラミスまで流れてきたヤツなんだ。あいつが殿下を好きなのはお姫様だからじゃないのに、殿下の方に打算があったなんて言っちまうのは酷ですぜ」
六郎が珍しく血相を変えてユイを非難する。
「遅かれ早かれ、私と雄大さんが婚姻関係になれば世間の人達はこういう憶測をめぐらせて私が雄大さんの家柄を見て結婚した、と好き勝手に言うでしょう。今のうちから覚悟しておかないと」
「う、うーん……俺は殿下のそういう一本気なところ嫌いじゃありませんけどねぇ。でももう少し器用に生きないとこれからもっと苦労しますよ? これから宮城のヤツと夫婦になろうって時に波風立てちまってまぁ……難儀なお人だよ」
六郎は頭を掻いた。
「雄大さんなら、きっとわかってくれると思います。私が好きになった人ですから」
「──皇女殿下──殿下は宮城のことを本気で、その──愛していらっしゃるんですよね?」
六郎は主人であるマーガレットが一番気にしていそうな事を尋ねてみる。皇女は首を軽く振って答えた。
「──この気持ちが愛と呼べる物なのか、強い愛に変わる確信があるのかどうか、私には判断出来ません。何しろ男性に特別な好意を持ったのはこれが初めてですから──正直言うと今の私にとって雄大さんの存在はそこまで大きくはありません。メグちゃんや魚住の方が、下手をするとお付き合いの長い小田島先生のほうが雄大さんより大切かも知れません。私、小さい頃からお月様が大好きで、月の王子様を想像して勝手に憧れていました。そういう憧れのような物を雄大さんに重ねてただけなのかも──ただ、山荘で雄大さんがこそこそ隠しもってた女の人の裸の画像をみつけた時は本当に悔しかったし、今も雄大さんの傷付くようなやり方しか出来ない自分に嫌気がさしています──日をおうごとに少しずつ、気持ちは強くなっている、とだけは言えますが」
マーガレットはそんな正直過ぎる独白をするユイを見守っていた。不意にユイがマーガレットの方へと視線を向けたので意図せず視線が合う。
「ねえメグちゃん聞いて? もしかしたらメグちゃんの方が雄大さんの恋人に相応しいのかも知れないけど──私、雄大さんのお父様の裕太郎さん、そして由梨恵さんとお会いして、本当に楽しかったの。打算抜きでこの人達と家族になりたい、って思えた。だから──私は誰より雄大さんを好きになるように頑張るから。メグちゃんも自分の気持ちに正直になって? 遠慮しなくても大丈夫だから。メグちゃんが私のせいで辛い思いをするのは嫌なの」
マーガレットと六郎は最初ユイが何を言おうとしているのか真意をはかりかねていたがうっすらと理解した。
ユイは、自分と雄大の婚姻関係について複雑な思いを抱いているマーガレットを何より気遣っているのだ。
「皇女殿下……」
「そんな他人行儀な呼び方じゃなくてユイ様、って呼んでくれませんか? 私達、お友達でしょう?」
「は、はい、ユイ様」
良かった、とユイはマーガレットの手を握る。
「メグちゃんは臣下として私と雄大さんの仲を壊さないように気を遣って距離をおこうとしてくれているのですよね? でも、そういう気遣いは無用です」
「は、はい──」
マーガレットは急に自分の行動が恥ずかしくなった。ユイは真っ直ぐ向き合ってくれているのにユイに嫌われるのが怖くて自分からユイと距離をおこうとしていた。
ユイは、マーガレットの内にある強く激しい感情を知った上で側近として、それ以上に親友として受け止めようとしてくれている。
婚約者に横恋慕している者を疎ましく思わず、今まで通り付き合ってくれるという──マーガレットは皇女の心根の強さと優しさを知らないわけではなかったが、まさかこれほどとは思わなかった。
「でもユイ様はそれでいいのですか? 宇宙軍上層部との繋がりの重要性を再認識されたばかりなのに」
「心配しないで。私と雄大さん、昨日は一緒にご飯を食べてた~くさんお話してお互いの気持ちを確認しました。だからメグちゃんも雄大さんに甘えて構いません。最終的に雄大さんがメグちゃんの方を選ぶようなことが起こっても恨みっこ無し──メグちゃんに負けたのなら私も諦めがつきますし、雄大さんの負担も軽くなるのだからそんなに悪い話ではないかな、と」
会議室の空気がざわつく、ガッサがつまりどういうことなんだ、と陣馬に尋ねているが陣馬も首をひねっている。あまり物事に動じないタイプのソーニャまでもが驚いた拍子にコーヒーポットを倒してしまうほどだった。まったく動じなかったのはリタぐらいで、退屈そうにミルクティーを啜っていた。
「で、でで、ではお言葉に甘えて宮城操舵士と、その、仲良くさせていただきます──」
マーガレットはしどろもどろになりながら、やっとの思いで返答する。
「これからは恋敵ライバルですよ、全力でかかってきてくださいね。絶対に負けませんけど」
「は、はい──! 臣下の身でありながら主君の想い人に懸想するなどあってはならぬことですが……お許しが出たからには──精一杯お手向かいさせていただきます、どうかお覚悟を」
「はい、もちろんです」
マーガレットは姿勢をただし、真っ直ぐにユイの瞳を見据えた。ユイも酷く真面目な顔でゆっくりとその宣言を受け止めた。そしてどちらからともなくクスクスと笑いあった。緊張から解放されたマーガレットは笑いながらも瞳にたまる涙を何度も拭っていた。
「たまげたなぁ」
六郎は部屋の隅に行って煙草を取り出すと火を点けて大混乱の会議室を眺めた。完全に蚊帳の外に置かれたガッサ以下の男性陣には目の前で起こっているやり取りがうまく消化出来ず混乱状態になっていたが、少女伯爵は心から重石が消えたようになり、ようやく普段通りの余裕を取り戻したように見えた。
「さすがはユイ殿下、恋敵にもエールを贈るとか天然記念物レベルの脳天気娘アホなのか、それとも聖母様マリアさまなのか──さっぱりわからんがまあ、皇帝としての器は十二分に備えてるってことは間違いねえな」
マーガレットを御するにはあれぐらいの度量が必要なのだろう、六郎は苦笑いしながら仲むつまじいふたりの少女の姿を眺める。
「あの激しいふたりから求められてる男か、羨ましいを通り越してちょっとかわいそうになってきたわ……宮城のヤツ心労でブッ倒れなきゃいいけど」
会議はいつの間にかお開きになってしまった。




