陣馬の受難①
火星西部連合企業体、通天閣グループの貨物船がぎゃらくしぃ号から離れていく。
客船や宇宙軍のパトロール艦も買い物を終えて本来の目的地へ向かうために航路に戻っていった。そんな武装商船ぎゃらくしぃ号の周囲に残ったのは店内施設を休憩所代わりに使っている個人の長距離トラックが数台、といったところだった。
店内の客はまばらになり忙しさのピークは過ぎた。
ヘルプでレジに入った雄大は結局、2時間近く買い物客をさばいていた。ようやくと接客から解放された雄大は、右も左もわからない太刀風陣馬を連れて自らの船室に戻ってきた。
「今日は変な客がこなくて良かったなぁ」
雄大はソファに座ると大きく背伸びをした。
「パリ、ポリ、ムグムグ」
「まあ、厄介な『お客様』がまだ残ってはいるんだけど」
雄大はベッドの上に乗っている小柄な人物を一瞥して溜め息を吐いた。
「おいチビ眼帯、じゃなくて太刀風さんや」
「なにかな? 皇配殿下──バキャ」
「おまえね、煎餅の欠片がこぼれてるんだよ。わざとか? もしかしてわざとやってるのか?」
太刀風陣馬はベッドの上にあぐらをかいて雄大に買ってもらった大判手焼き煎餅醤油味を豪快に噛み砕いていた。陣馬が煎餅をかじるたびに雄大の憩いの場であるベッドの上に細かく砕かれた煎餅の欠片がばらまかれる。
「百歩譲ってだな、床に食べかすが落ちるのはロボットにやってもらえば良いだけの話だが、ベッドの上にこぼしたら掃除が面倒くさい、というのを理解していただけませんかね?」
「この部屋に卓袱台が無いのが悪いのだ。だいたい客人をもてなすのに茶も出ないのは如何なものか、育ちが悪いのかのう。顔だけでなく気配りや礼儀作法においても市井の駄馬という事か。はぁ嘆かわしや」
「会議の前に巻き寿司買ってきてやった時はちゃんと緑茶入れてやっただろう。そもそもこの部屋は客をもてなす部屋じゃなくて俺のベッドルームなの。あと卓袱台はないけどテーブルはあるだろ?」
雄大は冷蔵庫から炭酸水のボトルを取り出すと陣馬に手渡した。
「拙者、煎餅には熱い焙じ茶が合うと思うのだが」
陣馬は口をとがらせて不満げに雄大を見る。
「自分の図々しさは棚上げにして文句ばっかり……陣馬、お前そんなに俺が気に入らないなら早くガッサ将軍に迎えに来てもらえばいいだろ、ブリッジにいるラフタに言って神風号に連絡入れてもらおうか?」
「そういうわけにはいかぬ。拙者にはおぬしや伯爵を監視する任務が──」
陣馬は炭酸水で喉を潤した拍子に危うく口を滑らせるところだった。
「なんだよブツブツと」
「い、いやいや気にするな……そうだな、先ずはワイズ伯爵閣下にお目通りを願わねば。閣下は今どこにいらっしゃるのか」に
「え? マーガレットに? 用事があるなら俺が聞いておいてやろうか?」
「いやいや、ごく個人的な用事でな。直接会わねば」
ふーん、と雄大は目の前の少年剣士に疑いの眼差しを向ける。
「拙者、実は伯爵閣下と一度ゆっくり──」
首を傾げていた雄大はポン、と手を打った。
「ああ、もしかしてあの時のリベンジマッチか、そうだろ? ならやめとけ、マーガレットは強いぞ。およそ1.5から2ブリジットぐらいだ」
「いってんご、ブリジット? 何だ?」
雄大はブリジットやマーガレットやらニースやらの桁外れの強さを誇る連中の戦闘力を測る単位に『ブリジット』を用いる事にしている。ガレス号との戦闘でハダム率いるレンジャー28部隊を蹴散らした実績、アラミス時代の武勇伝などから推測するに素手のブリジットの戦闘力はショックライフルとグレネードで武装した陸軍一個小隊12人に相当するものと思われる。
──という事で、組み手において毎回ブリジットを半泣き状態にするほどの技量とスピードを備えたマーガレットの格闘戦能力はブリジットの1.5倍から2倍にほど近いのではないか、と雄大は分析している。
「つまりだな、恐ろしい事にマーガレットは完全武装した連邦陸軍の歩兵20人と互角に渡り合う事が出来るのだ」
「最初からそう言わんか、ブリジットなどと変な言葉を使われると余計わかりにくい」
「ああスマン──六郎さんやラフタには『わかりやすい』って大ウケしてたもんでついつい──確かにブリジットさんを見慣れてないとよくわからん比喩だよな」
「ふーん……それに倣うなら拙者の強さを数値化すると──1ジンバは3マーガレットぐらいかのう。銃で武装した相手50人ぐらいなら何とかなるぞ。拙者こう見えても大公殿下に仕官するまではこの業物『奥州三羽宗近おうしゅうさんばむねちか』一本で銀河を渡り歩いてきたのだ。極悪海賊や血に飢えた宇宙害獣どもを稲妻斬りでばったばったとたたき伏せ──」陣馬は傍らに置いた刀を持ち、鞘のままくるくるっと片手で器用に回してみせた。かと思えば居合い抜きの要領で空中に投げた煎餅を一瞬の内に両断する。おおー、と雄大は陣馬の見事な太刀捌きに素直に拍手を贈った。
「すげえ、あざやかなもんだな!」
「フフフ、驚いたか。もっと拙者を尊敬するがよいぞ」
「まあお前もさ、俺如きでは到底及びもつかないぐらいの剣の達人なんだろうけど──一応断っておくがこの数値はマーガレットやブリジット達の『素手の状態』の対人戦闘力を数値化したものだ。お前は素手ならどれぐらいいけるの?」
得意気にベッドの上で次々に剣術の型を披露していた陣馬だったが『素手』と聞いてピタリと動きを止める。
「素手とな。ほ、ほほう、な、なるほどな……武器もなしで軍人を20人か。せ、拙者もカラテとヤワラならば少々心得がある」
陣馬は動揺を隠すようにわざとらしく余裕綽々の表情を作りながら真っ二つになった煎餅の片割れをかじる。
六郎目掛けて投げつけられた鞘を空中でキャッチしたマーガレットが、その鞘で正確に空中の陣馬の脇腹を突いた事を雄大は思い出していた。正直なところ陣馬がいくら強くてもあれを見る限りでは素手の格闘術において陣馬がマーガレットに勝てる見込みはないだろう、そのように雄大は分析している。雄大が考えるに陣馬はこの刀を持った状態で2.5から3ブリジットぐらい、素手なら0.5ブリジットぐらいの戦闘力だと想定される。
マーガレットは小剣の名手リオル大将との決闘においても熟練した老戦士をテクニックで圧倒している。これが一番得意とする鞭または鎖状の武器を操る場合ならば戦闘力は4から5ブリジットぐらいに跳ね上がるかも知れない。
「どうした剣豪、なんか顔色が妙だぞ」
「え、えーと……やはり1ジンバは1マーガレット、ぐらいに訂正しておこうかなー、って拙者思い直したところでこざる……」
「なんだ急に弱気になったな」
「え、ええい! も、もうこんな根拠の薄い強さ談義はやめじゃ、やめ! そんな些末なことより拙者は同じ武人としてマーガレット殿と親交を深めたいと思っておるのだ。これからの木星の発展のためにも我等海軍との連携は必須であろ?」
周囲に超人的な人間が集まっているせいかあまり目立ちはしないが、雄大は仮にも軍人として訓練を受けており海賊ヴァムダガンを退治したほどの男である。そうでなくとも父親がなまじ宇宙軍の司令官などやっていたせいで他人の悪意や好奇の視線に晒されてきた雄大である、陣馬の態度から何か妙な雰囲気を感じ取るぐらいはわけもない。
(まあ、よほど鈍い奴でもなければこのチビちゃんがよからぬ事を企んでそうなのはわかるけどな)
「なあ陣馬、お前と将軍って何か企んでるんじゃないだろうな? さっき任務がどうの、って言ってたし」
ビクッと陣馬の肩が跳ね上がった。
「ま、まさか。なんぞ企むなどと……疑う前に先ず、拙者のこの瞳を見ろ!」
わかりやすく小刻みにふるふると震えている陣馬の眼球と痙攣している顔筋を見れば、どんな鈍いお人好しでも何か隠し事をされている事に気付くだろう。嘘をつけない素直な人物という意味ではこの太刀風陣馬、なかなか憎めない奴ではあるのだが。
「どうだ、わかったか」
「おう、お前が何か隠し事をしているのが良くわかったぞ」
段々と涙目になってくる陣馬。
「か、隠し事など無いぞ、いい加減な事を申すでない」
綻びを繕おうともがけばもがくほどにボロが出る陣馬。雄大は扱いに困って頭を掻きつつこの小さなスパイの処遇を考えていた。陣馬は何故急にマーガレットに会いたいなどと言い始めたのだろうか。
(ガッサのオッサン、ユイさん本人や魚住さんを揺さぶっても効果が薄そうだからって、周辺から切り崩しに掛かってるのかな? 差し詰めマーガレットに取り入って味方になってもらって海軍の発言力を大きくしよう、ってことか)
「おい陣馬、お前マーガレットと仲良くなって邪魔な魚住さんをどうにか黙らせようって考えてんだろ? ガッサ将軍の命令でさ。見え見えなんだよな」
「んぎゃ!?」
完全に図星を突かれて胃が痙攣でも起こしたのか、陣馬は胸を押さえて前のめりになる。脂汗がじんわりと眼帯の紐に滲む様子が見て取れる。
「大当たりか」
陣馬は無言で首を横に振って否定するが陣馬本人もこれで誤魔化せるとは思っていないようだがここで本当の事を言う訳にもいかない。陣馬のコメディアンばりの大きなリアクションが愉快でもっと見たくなったのか、それとも散々大きな態度をとられた仕返しなのか、雄大はついつい意地の悪い態度を取り続けた。
「大公一派が木星帝国を乗っ取るためにユイさんの側近をたぶらかそうとしてる、って俺の口からユイさんに言っちゃおっかな、フフフ」
雄大はわざとらしく腕組みをしてニヤニヤと邪悪そうな笑みを浮かべた。
「こ、皇配殿こうばいどの~!?」
遂に陣馬は瞳にたっぷりと涙をためて雄大にすがりついてくる。
「あー、わかったわかった。まあいいさ、どんな形であれマーガレットの友達が増えるのなら俺も嬉しいよ」
「おお? それではっ!? 拙者の疑いは晴れたのだな?」
「調子に乗るなってーの。疑いが晴れるどころか確信に変わったよ、でもまあ、別段止めはしない」
雄大ですら今みたいに陣馬を口八丁で手玉に取れるのだから、あの手強い少女伯爵が、この出来損ないの新米スパイ如きに騙されて不覚をとる筈もない。
「ん? おぬしは拙者達が何かするのを見逃してくれるのでござるか」
「ああ、お前をこれ以上イジメても仕方無いだろ。そもそも俺達は同じ木星帝国の仲間じゃないか」
「──お? 仲間! 拙者をお仲間と認めてくれるでござるか?」
陣馬は目を丸くして何度もぱちぱちと瞬きをしながら雄大を見詰める。
「おぬし見かけに寄らず度量の大きな男だな。食い物もくれるし話もわかる、いや~駄馬とか言ってホント悪かったのう」
「いや、何というかお前たちの目論見が万が一にも絶対成功しないと強く確信したから放置するだけだよ」
「ホウチ?」
陣馬はきょとんとして首を傾げていた。
(ユイさん以外に友達が居なさそうなマーガレットがひとりの女性として他人との付き合い方を覚える良い機会かな)
マーガレットといえば『自分磨き』だ。自室でトレーニングしたり、スキンケアをしたり、特に誰に披露するでもない衣装をせっせと自作したり──
(あいつ、ブリッジや社長室にいる時以外は基本的に自分の船室に引きこもってるっぽいよなぁ。店舗はもちろん食堂や娯楽室にも顔を見せないし)
魚住、六郎、ブリジットはあくまで『臣下』として見ているようだし、牛島はロボットとして見下していたし、ラフタや小田島先生との関係は良さそうだが若干よそよそしい感じが拭えなかったし──もしかすると伯爵という立場を取り払った場合、マーガレットという個人には親しい友人が居なかったのでは無かろうか?
(メグちゃんメグちゃん言って友達として付き合おうとアプローチしていたユイさんに対しても、マーガレットの方から主従関係を押し付けてたっけな)
そんなマーガレットが何故自分をこんなに好きでいてくれるのか、というのは雄大にも少々理解に苦しむところがあったが、やはり彼女にとって唯一の『打ち据えようが罵倒しようがへこたれない相手』であり『ケンカ友達』だったから、というのが大きいのだろう、と雄大は分析していた。
(一見すると人付き合いが苦手そうなラフタの方が実はマーガレットの数倍社交的だったというのはちょっと皮肉かもな)
マーガレットにとってみれば雄大は唯一、主従関係の外側にいる友人にして、弱い自分を素直にさらけ出せる貴重な存在だったのだ。異性として強く惹かれているだけでなく、辛い時に寄りかかっていける精神的支柱として雄大を強く欲しているのかも知れない。
「うーん……」
「どうした皇配殿下?」
「いや、いい機会だな、って。あいつはもっとユイさんみたいに表舞台に出て行くべきなんだよ」
「は?」
「いやいや、こっちの話」
思想犯として船に軟禁されていた今までとうって変わって、ユイはどんどん外へ外へとその足を伸ばし、陽光の当たる場所で人々から祝福を受けて溌剌としている。マーガレットだって表舞台に出ればその溢れる才能と研鑽はユイ以上に注目を集め評価されるかも知れない。
マーガレットが時折見せるようになったさっぱりと爽やかで晴れ晴れとした笑顔──瑞々しい柑橘類の果実から果汁が迸るような──そんな笑顔を思い出す雄大。
(皆もマーガレットがあんな良い表情をする、って事を知るべきだよな)
「じゃあ俺がマーガレットとの橋渡しをしてやるから。待ってろ」
雄大はPPを取り出すとマーガレットのPPに通話を申し込んだ。
(そう言えばこうやってアイツのPPに連絡するのは初めてだなぁ)
雄大は以前見掛けた宝玉や鋲のような物でデコレーションしてあるマーガレットのPPを思い出す。
(ついこの間、あれが入ったバッグでボコボコに打ち据えられたんだよな、懐かしい。あの頃の俺、アイツの事めっちゃくちゃ嫌いだったっけ……)マーガレットと自分の関係が劇的に変化した事に雄大は今更ながら驚いていた。
「マーガレットか? ちょっといいか? うん、とりあえず話があるんだけど時間いいか? うん、うん」
陣馬は通話する雄大の様子を真剣そのものの表情で見守った。陣馬からしてみればこれは仕えている主君セレスティン大公殿下が木星帝国において実権を握れるかどうかが掛かっている重要な任務なのである。
「あ、今は都合悪いのか。部屋が汚い? いや気にすんなよ──え? そうか? じゃあ30分後ぐらいでいいか? え、一時間? わかった、じゃ一時間後にお前の部屋な。うん、じゃあな」
雄大は通話を終えると床に正座して頭を垂れている陣馬の肩を叩いた。
「終わったよ。おいおい、そんな畏まるなって──」
「かたじけない皇配殿、ご丁寧に段取りを付けていただき拙者感謝のしようもない」
「ま、アイツすっ────ごいく気難しいところあるけど、お前結構礼儀正しいし、同じ武人同士だから話題には困らんだろ。せいぜい仲良くなってくれ」
雄大は年少と思われる剣士に笑いかける、陣馬も先程の狼狽ぶりはどこへやら、すっかり喜色を満面に浮かべて足を投げ出して煎餅をかじりはじめた。




