欲望の城②
連邦政府議長マグバレッジJr.が主催する戦没者慰霊式典は北極ポート沖海戦、第二次ガニメデ沖海戦、月面の幕僚会議本部ビル攻防で命を落とした軍人や運悪く巻き込まれた民間人の犠牲者を悼み故人を偲ぶ催しである。
単なるテロとは違い、木星戦争以来の大掛かりな艦隊戦が行われた大きな戦乱であり、連邦宇宙軍は同士討ちのような形で主力艦の半数とその乗組員を失った。この生々しくも忌まわしい事件を乗り越えて士気を高めるためにはこういう式典をやって「過去」にしてしまうのが手っ取り早い。
もちろん、これは表向きは軍人による軍人の為の追悼式典ではあるが、主催者の目論見はリオル大将のクーデターを未然に阻止出来なかった宇宙軍と連邦政府の威信回復──
そして何より、因縁深いユイ・ファルシナと地球閥との関係改善であった。
地球閥は忠実な番犬と思っていたリオル大将の反逆によりロンドンごと焼き尽くされるところを木星の皇女ユイに助けられたのだが、今度はその争乱を治め才気を示した皇女に連邦政府を牛耳られはしないかとやきもきしていた。
地球閥議員やその支持者達は、ユイと対立して、かつて自分達が滅ぼしたファルシナの報復に怯えるぐらいなら、いっそ彼女の前に這いつくばってその美しい足の甲ににキスをする事を選んだ。
先日のクーデターで、ユイの意志に賛同した人々が大挙して北極ポートに押し寄せ宇宙船での抗議デモを行い、リオル大将の戦意を大いに削いだが、この件でユイの言葉の力を見せつけられた地球閥議員達は「開拓惑星系移民がユイを旗頭に結集して地球を政治の中枢から引きずりおろすのではないか」という強い不安に襲われていた。
議長であるマグバレッジJr.は敗北が確定したこの苦しい撤退戦において何とか被害を最小限に食い止め、地球閥の延命を図らねばならない。ユイに勝てないのならばせめてユイ人気に便乗して地球閥と木星帝国の連立体制で他の植民惑星の支配を継続していきたい──これが地球閥議員達の総意であり議長であるマグバレッジにかせられた任務であった。
トラファルガー広場に設けられた特設会場、獅子の像が見守る噴水、ネルソン提督像の横に巨大な黒い石材で出来た荒削りな黒曜石の多面体を思わせるモニュメントが宙空に浮かんでいた。噴水の上に透明な床板が渡され、そのモニュメントの前にスピーチをするための教卓とサイドテーブルのようなものがしつらえてある。
公園内に設置された長椅子に座る参列者から見ると壇上に登る者はまるで宙に浮かび、ネルソン提督像と並んでスピーチをするかのように見えるだろう。
上空には大型の広報用ドローンが8台と警備用の円盤型ドローンが6台待機しており、その上で鳩たちが翼を休めていた。
ユイの座る来賓エリアの両端にブリジットと牛島は陣取ると次々とやってくる軍や政府以外の来賓達に遠慮なく疑いの眼差しを浴びせていた。
ユイの隣に座ろうとする者がいるとブリジットが近付いてきて、まるでブルドックのような低い声でウ~と唸り声を上げるのでユイの周囲の席には誰も座れなかった。
「うーん、なんか肉壁が欲しいな」
物騒な事を呟いたブリジットは来賓の中から現ローマ教皇とお付きの温和そうな老紳士を選び出すと「あんた達は信用出来そうな顔してるから、特別にうちの姫様の傍に座ってもいいよ」とひょいひょいと抱え上げてからユイとリタの両隣の席に人形を配置するかのように座らせた。
無礼を受けた当の教皇がブリジットの怪力を褒めつつにこやかに笑うので大事にはいたらなかったが、この事が原因でブリジットと教皇の護衛についた屈強な男達との間に険悪な空気が流れ、あわや乱闘かという事態になるもユイと牛島が教皇と護衛のエージェント達に丁寧な謝罪をする事で何とかまるく収まった。
ブリジットのせいで来賓エリアはドタバタと慌ただしい雰囲気になってしまったがその中でリタだけがジッと、ユイと談笑するローマ教皇を観察し続けていた。
この式典の司会進行を務めるのは貴公子と言っても差し支えないたたずまいの美青年将校、ネイサン少将であった。レイジングブルがスクラップにされた時に被った傷はすっかり癒えていた。近くに座っていた宮城裕太郎大将やカンダハル大将の方は如何にも病み上がりという雰囲気を漂わせている。
レイジングブルの艦長だったムナカタ少佐も左足の膝から下が丸々義足となり、再生臓器の移植待ちという状態であった。他にもサポート医療器具を装着した痛々しい姿のままで式典に列席した士官は数多く、宇宙軍が受けた人的被害の大きさを物語っていた。
何よりも重鎮の参謀長兼憲兵総監であるリオル大将とこれからの宇宙軍を担うはずだったマダック中将の損失は幕僚会議の面々に暗い影を落としていた。本部ビル爆破で負傷した傷が癒えず未だ入院中のオービル元帥に、独善的で融通が利かず連邦政府から煙たがられている宮城大将、経験豊富で人望もあるが今回の事件で心折れ一日でも早く退役したがっているカンダハル大将、父親のコネを活用してモエラより早く幕僚会議入りした脳筋提督のヒル少将など……お世辞にも万全の布陣とは言い難い宇宙軍首脳部であった。
そんな中で一際元気なのは……我が世の春が来たかのような晴れ晴れとした顔で式典を取り仕切っている天才肌のネイサン少将だ。彼には宇宙軍を背負って立つ能力が備わっており本人もそれを自覚している。諸先輩方や師匠格の宮城裕太郎を差し置いて元帥として辣腕を奮う日もそう遠くはないだろう、と当の本人が確信しているようだった。
カンダハル大将が幕僚会議を代表して兵士の労をねぎらい、参列した遺族に幕僚会議から反乱の首謀者を出した事と逮捕に失敗した事を詫び終えると、ネイサン少将は濃紺のシックなドレスを身にまとったユイを壇上に呼んだ。美女を見慣れているネイサンはユイの煌めくような美しさに物怖じする事もなく近付き手を取る。
(ユイ殿下ですね、私はネイサンと申します──ああ驚いた、よく見ると面白い衣装ですね。金星ヴィーナスデザイナーブランドですか?)
ユイのドレスは単純な一枚布では無かった。
(いえ、これは私の友人がこの式典に合わせて作ってくれた木星物ジュピターですよ)
壇上へ向かう途中、ユイは厳かな表情を崩さず小声でネイサンと話をする。
(貴女は命の恩人です、第一艦隊の将兵──いや宇宙軍を代表として御礼申し上げます)
(いえ私は何もしておりませんよ、市民と宇宙軍の皆様の奮闘がもたらした勝利です)
(ご謙遜を──これから我々は長い付き合いになるでしょうね。お手柔らかに頼みますよ)
(お手柔らかに、とは一体?)
(因縁深いガニメデ沖で木星帝国と連邦は共に手を取り合って共通の敵と戦いました。願わくば今後もそのように──私はこんなお美しい女性とは戦いたくありませんので)
ネイサンは含みのある、多少悪意のこもった笑みを浮かべていた。ユイもその言葉をネイサンなりの宣戦布告である、と理解した。
(勿論です、私はお月様が大好きですから)
(私はね、モエラ少将やオービル元帥、宮城大将とは違いますよ。月はあくまで地球の守り。土星のように貴女に容易くなびきはしない)
ネイサンの口角が上がる。ネイサンの横顔は穏やかだったが瞳の奥はギラギラと光りユイへの警戒を解いてはいなかった。
(お互い守りたい物は同じだと思います、争うなどと──)
(貴女自身の意思とは関係なく、貴女の存在が引き金となってこのロンドンを火の海にするかも知れませんからね。私は貴女をリオル大将よりも手強い相手だと思って警戒しています。覚えておいてください)
ユイの表情が少し強張り肩が震えたのをネイサンは見逃さなかった。
(──貴方には私が争乱の種に見えるのですか)
登壇する手前でユイは立ち止まってネイサンを見据えた。
(ハハッ、そのような意味ありげな衣装を選んで慰霊式典に参加しているのですから。当然でしょう?)
(それは──その)
(貴女は表舞台に出てくるべきではなかった)
ネイサンのすべてを見透かしたような言葉はユイが胸の内に抱えている不安を的確に突いていた。
(さあ皇女殿下、お得意のスピーチでご遺族の慰めになるような御言葉をどうぞ)
登壇を促すネイサン。ユイは彼に反論する機会を与えられないままスピーチを始める事になった。瞑想するように瞳を閉じ動揺して強張った身体を落ち着かせる。
再び瞳を大きく見開いたユイは穏やかな顔をしていた。眼下に集う参列者達を包み込むような柔和な笑顔。
ユイは小さく口を開いてユイ・ファルシナとだけ名乗った。皇女でも社長でもなく一人の木星の子どもとして名乗った。
「先ずはこの場に私のような若輩者をお呼びいただいた事、感謝致します──私は木星の子でありますが宇宙暮らしの方が長かったもので──この地球の大気の濃さ、何万種もの動植物の息吹、そして母の手に抱かれるような重力の心地好い身体の重みを直に肌で感じる事が出来て喜びにうちふるえております。地球と月とは、幼き日より私の憧れの星でした。月の歌を慰めに一人寝の夜を過ごし、地球の動植物の事を空想に思い描いて生きる糧としてまいりました」ユイのスピーチの調子は以前の威厳と勇壮さに満ちた『女王の演説』とはうって変わって穏やかな喜びに満ちた柔らかな調子で始まった。
「この素晴らしい街、全人類の魂の故郷であるこの地球が戦火にさらされず事なきを得たのはひとえにこの度の戦乱において奮戦された宇宙軍の皆様方のご活躍あっての事だと思い感謝しております。私、この式典へ参加するのに際して、私の家ともいうべき船室で数日をかけてこの慰霊碑に刻まれた皆様の御名前と生前のお写真に目を通させていただきました。不幸にも命を落とされた方々、それぞれに私と同じように普段の生活があった事、ご家族、ご友人の悲しみを思い浮かべるだにこの胸が痛み息が苦しくなりました──しかしながら、この地球に降りてからというもの、その苦しみは嘘のように掻き消え、身の内が生命の息吹で癒されていくのを感じて不思議に思っておりました」
「この場に立って今、私は理解できました。死によって愛する人と分かたれた悲しみを癒やすこの生命の息吹こそ、地球という星の持つ不思議な力なのだと思い至りましてございます。地球の大地より発した数多の生命、万物の息吹、星の鼓動が我々、太陽系惑星連邦の市民を包んであまねく癒やしてくれているのだと。そしてその息吹の中にはこの慰霊碑に刻まれた名前を寄る辺に集まって来られた皆様方のご家族、ご友人の尊き魂もきっと含まれている事でしょう。皆様も感じてください、生命の息吹と力強い星の鼓動を。地球と離れて暮らし、40年の冷凍刑で冷えきった私の心さえも熱くするこの暖かき母なる星の温もりを──皆様方が愛した方々の不滅なる魂とともに……」
ユイのゆったりとした調子と澄んだ声質はあたかも滋味溢れる花の蜜のようであった。式典参列者のひび割れた心の隙間に入り込み、じんわりと染み入っていく。
感極まったかのような身震いをした後、ユイは瞳を閉じ、胸を押さえた。その閉じた瞳、睫毛の端にきらめく雫が見え隠れする。その顔は微かに上気し寒空を感じさせない日だまりのような穏やかな笑顔であった。
大半の人間が壇上のユイに倣い瞳を閉じ、手を胸の前で握りあわせて冷たいロンドンの冬の空を仰いだ。ユイの言葉を反芻するように地面から伝わる力強いマグマの脈動と大気から伝わる生命の息吹を感じとろうとしていた。
天に召された魂がこの慰霊碑を目印に集ってきたかのような不思議な感覚を多くの参列者が味わっていた。
「皆で祈りましょう──平和への祈りを」
ユイは地球で処刑された父母と年の離れた兄、そしてアラミスで蘇生失敗した本物の妹リタ・ファルシナの冥福を祈った。ユイの頬に熱い涙が伝う。
北極ポート沖海戦で船乗りの夫を喪った未亡人もまた、生前の良人の思い出で胸がいっぱいになり思わず涙した。死別の悲しみからやってくる涙ではなく、慰霊碑に祀られた犠牲者達と再び心を通わせたかのような懐かしさと暖かさから自然と溢れ出てきた暖かい涙。
その尊い静寂の時を終わらせたのは一人の人物がおこした拍手の大きく乾いた破裂音──
そのやや耳障りなほど見事な拍手に釣られるかのように式典主催者側と参列者からの大きな拍手が巻き起こる。
夢から醒めたような気分の参列者達は、改めてユイの飾らない暖かい言葉に惜しみない賛辞を贈った。
ユイは先程までの暖かな微笑みをたたえた表情ではなく、スピーチを始める前のやや悲しげで厳かな表情に戻っていた。うやうやしく四方に深々と頭を下げ、最後に慰霊碑に向かって殊更長く腰を折り、頭を下げた。
20歳になったばかりの若い女性とはとても思えない落ち着いた立ち居振る舞いは王族としての品格を感じさせる。
マーガレットがデザインをおこし自ら縫製したユイの濃紺のドレスは遠目には落ち着いたフォーマルな雰囲気を保ちながらも近くで見ると鋭利な槍の穂先のような角度で斜めにカットされた布地と金属メッシュを組み合わせた多層構造であり、ユイの柔らかく温和なイメージと対照的な、冷たく刺々しい印象のドレスであった。
デザイナーのマーガレットがドレスに込めた暗喩は『黒いギロチン』であり、木星の皇帝や皇太子を処刑した連邦政府の暴虐への怒りと皮肉がたっぷりと込められていた。ユイはこの「ややアナーキーなドレス」をしっかりと礼服として着こなしていた。この服はユイから溢れる母性と親しみやすさを抑え、普段は隠れがちな美しさと知性をより強調してくれた。
スピーチの暖かい言葉とこの冷たいファッションは少しちぐはぐだったが、このギャップのおかげで地球の人々の心により一層深くユイという存在が特異なものとして刻まれる事になった。マーガレットの意図するところの『地球の罪は消えていない』というメッセージはうまく伝わらず『テロ行為全般への抗議』なのだろう、と地球の人々には都合よく解釈されてしまった。
◇
ユイは珍しく表情を曇らせてやや躁のような状態にあった。不機嫌な様子で来賓用の椅子に座る。
「愛に溢れたよいお言葉でした」
ローマ教皇はそう言って穏やかな笑みを浮かべてユイを迎えてくれたが、ユイは会釈をする事しか出来なかった。宮城裕太郎の部下であり雄大とも面識があるネイサン少将を味方だと思い込んでいたユイは先程の件で心を乱され少しナーバスになっていた。地球で処刑されたという兄や父母の事を思い出したのも良くなかったのかも知れない。
隣に座るリタが怪訝そうな顔でユイを見上げた。
「おい、用意していた原稿とまるっきり違う。北極ポートに集結した民間宇宙船の勇気ある行動に触れ、礼を述べなくても良かったのか?」
「え?」
「しっかりしてくれ。お前の手に持っている紙は何なんだ? 夜中、演説の予行練習に付き合わされた身にもなってくれ。聖クレメンス翁の遺産の一部を戦没者の遺族に寄付する件について、いつ発表するつもりなのだ」
「あ──わ、忘れてました。大事なことを喋る前に帰ってきちゃいましたね」
ユイは段取りを間違えるどころか完全に頭からすっぽり抜けていた事を指摘されて恥ずかしくなったのか赤くなり、耳まで充血してきた。
「フーム、お前でも動揺して段取りが抜けてしまう事もあるのだな。段取りをキッチリ守った上でアドリブでプラスアルファを考えるマグバレッジ親子とは大違いだ。ハハッ、偉そうにしていても政治家としての力量はまだまだマグバレッジJr.の足元にも及ばぬな」
「リタにも色々手伝ってもらったのにすみません。魚住にも怒られちゃうかもですね……」
「まあいいさ、即興にしてはよくやった。あれ以上喋ると蛇足になりかねんからな。言い残した辺りのあれはニュース屋、例のミルドナット社にインタビューという形で流してやれ。木星の専属広報チャンネルなのだろう?」
「あ、ありがとうございます……そのようにしますね」
ユイは保護者面をしてリタを弄んできた手前、しゅんと肩を落として小さくなってしまった。
ようやく弱々しい姿を見せたユイを見てほくそ笑むリタ。
(──待てよ、さっきのスピーチは全部即興か?)
リタは改めてユイの指導者としての器の大きさに驚いていた。マグバレッジ親子や他の多くの大物議員の執事役を通して地球閥と連邦政府全体を管理してきたリオルだが、ここまで手助け無用の政治家は初めてだった。
(度胸と、市民の心を掴むセンスは抜群だな。誰の助けが無くとも勝手に良い統治者になるだろうよ)
フン、とリタは鼻を鳴らした。
「お前は本当に面白くない女だな、つまらん」
「な、何もそこまで言わなくても……」
ユイは拗ねたように口を尖らせ、腹いせにリタの鼻を摘つまんだ。
「ンム~!?」
遠目には堅苦しい式典に退屈して拗ねるリタをあやしているようにも見えていたが実際に拗ねていたのは段取り通りのスピーチが出来なかったユイの方だった。
◇
「いやー! まさか地球を褒め殺しにするような話が出るとは! 昨今の開拓惑星系の若者は地球を『過疎のド田舎村』扱いする輩が多いですからなァ。」
マグバレッジJr.は取り巻きの議員とその秘書達と一緒にユイ・ファルシナの演説に惜しみない拍手を贈っていた。
先程大きな拍手をしてユイの言葉の余韻をぶった切りにしたのは彼──会場に蔓延しつつあった暖かな一体感に嫉妬したこの伊達男、マグバレッジJr.その人である。彼のトレードマークとも言える白と黒のストライプのスーツ姿は慰霊式典においては実際派手過ぎて不作法だがこのアクの強い二枚目には不思議とこういう格好が許されてしまう。
これが他の若い議員や誠実さだけが売りの凡庸な議員なら「弔意が感じられない」として批判の的になるだろうが──政治の世界に華を添える事を期待されているこのハンサムにとってみればアンチの批判意見もまた讃辞と同様に票田の肥やしとなるのである。
(しかし、あのタヌキめ。そのままスピーチを終えてしまうとは意外だった。もっと喋らせて失言をさせた方が良かったのか? いや、あの女がマヌケな失言をするとは考えにくい。私と同程度のカリスマを持つ強敵だからな)
「フフフあの女、地球に相当憧れておる様子。地球の居住権でもくれてやれば……そうですなアメリカ大陸全三十五州を統べる知事にでも任命してやれば大喜びで尻尾を振ってくるかも? どう思いますか議長」
「馬鹿な、そんな程度で満足する可愛い女であるものか。今回の戦乱の件で我々はあの女に相当な借りを作ってしまったのだぞ? 表向きは友好的だが裏で何を要求してくるかわかったものではない……あの『タヌキ』めはそれこそ地球まるごと要求してくるかも知れんのだ」
「ち、地球まるごと……欲望のスケールが違いますな……」
取り巻きの議員はゴクリと生唾を呑み込んだ。
「古代中国では九本の尻尾を持ったメスのタヌキが妖艶な美女に化けて皇帝をたぶらかし、その強大なる帝国を腐敗させたと言うぞ。アレはその類の魔性だ──それこそ地球を滅ぼす大タヌキよ」
「あの~、議長。ちょっといいですかね?」
「なんだね」
「あのですね。アジアで猛威をふるった怪異、妲己や玉藻御前として知られているのは『キツネ』では?」
「キミ、揚げ足をとって楽しいかね? ん?」
余計な訂正をした議員にマグバレッジは歯を剥いて抗議する。
「いえいえ! す、すみません!」
「まったく、タヌキでもキツネでも大して変わらぬだろ……」
議長は自分の取り巻きの質の低下に辟易していた。リオル大将という優秀な秘書がいなくなるのと同時に地球閥の敵であるユイ・ファルシナが現れたのはまさに弱り目に祟り目であった。
(リオルほどとは言わぬが──少なくともこの馬鹿共より頭の切れる参謀が、同志が足りぬ!)
◇
式は順調に進行し、いよいよマグバレッジJr.による総括に入った。
体調の思わしくないオービル元帥に代わり、カンダハル大将が無難な訓辞を述べた後、連邦政府議長が満を辞して登壇した。
マグバレッジJr.はいつものニヤケた二枚目顔をしまい込み、感情を殺したような沈痛な表情を浮かべていた。
議長の演説はユイが言及し損ねた『北極ポートに集った勇気ある市民達』をメインに据えた物だった。彼はユイを持ち上げつつも『地球愛』を強調し、過去の木星戦争について極力触れないよう慎重に言葉を選んでスピーチを進めていく。
「さあ、殿下。ユイ皇女殿下こちらへどうぞ!」
突然、マグバレッジJr.が出番を終えてのんびりとしているユイを指名する。勿論、式次第には無いパフォーマンスだ。
「は、はい?」
ユイは反射的に腰を浮かせるとチラッと隣に座るリタに視線をおくる。助けを求めるような視線。
「……あの自信に溢れたJr.の表情。あれは何かたくらんでおる顔だな──馬鹿のフリをしてすっとぼけて明確な回答を避けろ、いいな」
リタは立ち上がるとユイに耳打ちする。
「そうですか──気をつけます」
ユイはしっかりと真一文字に唇を結び姿勢をただす。リタの頭を軽く撫でてから来賓エリアを離れた。
(ふーむ、私のかつての主人にして不肖の弟子、マグバレッジJr.のお手並み拝見、といったところかな。私抜きでどこまでやれるか興味はある)
ユイはやや緊張しつつマグバレッジJr.の待つ壇上へと上がっていくのだった。




