欲望の城①
ロンドン──鳩に混ざるように鳥型のドローンが飛び回る、太陽系惑星連邦政府の本拠地にして地球という惑星の首都である。
マグバレッジJr.に招かれて地球の首都ロンドンを来訪したユイ・ファルシナ。彼女を護衛するために動員されたテランガードと地元警察のスコットランドヤードの警官隊は交代要員まで含めて総勢二千人弱、車両ニ百台超。戦闘ロボットに加えて救護用のものまで含めた大小用途様々のドローン各種総勢千五百台超──
最新鋭の多脚戦車ヴィシュヌが10台、脚を折り畳みホイールで一般道を走行する。随伴するホバータンクは象戦車ヴィシュヌに一台につきニ台で20台、陣形を組んで全方位からの襲撃に備える。ホバータンクは兵員輸送車フロッガーと共通の平たいフレームと推進ユニットの上にヴィシュヌよりも小さくエネルギー消費の少ない速射型ショックカノンをニ門、MDMUマイクロミサイル防御機構ディフェンスシステムもしくは飛行型ドローン及び軽車両攻撃用の小型弾頭ロングボウ16連装発射装置マルチランチャーを搭載していた。
平たいタンクの上、普段は偵察ドローンの待機場所として使用されているスペースに上がり込んだ兵士達はジャケットアーマーとショックライフル、防弾盾で武装していた。この防弾盾は硬質ゴム、ハルコネン鋼、鉛、セラミックの複合素材で作られており、ショックガンやスタンスティックの副次的効果を防ぐとされているが基本的には気休めである。
兵士達の顔は皆一様に緊張しており、皇女を一目見ようと集まった群集の中に不穏な動きが無いか忙しく眼球を動かしてチェックしていた。
「ふが、ふぁっ──はっ、はくちゅっ!」
くしゃみが止まらない赤毛の大女ブリジットは体毛よりも赤くなった鼻を啜りながら物々しい警備体制の様子を確認する。一目ユイの姿を見ようと沿道に集まった群集よりも軍人達の方が多いのではないだろうか。
「軍人がいっぱいいるなァ、まるで戦争でもおっ始めるみたいな? まあ、この程度ならマーガレット様とあたしならちょちょいのちょい、だけど!」
リムジンに同乗しているリタ・ファルシナはPPを弄る手を止めて目の前の身長2mはあろうかという大女の顔を見上げる。
「フン、この人数を女2人で?」
「へへ~、リタは来たばっかりで親衛隊の強さを知らないからね! エグザス無しでもあの戦車ぐらいならサクッと」
「ハハッ、武門の誉れたるワイズ伯爵家の当主が言うならいざ知らず、辺境の野良犬風情が吠える吠える──侮っておるがあやつら、仮にも正規軍の兵士。集団戦闘のプロだぞ?」
嘲りの憎たらしい笑みを浮かべるリタを見て、赤鬼と呼ばれ恐れられたブリジットの血が騒ぐ。不慣れな重力設定と風邪気味の身体、敵地に護衛任務でやってきたのに拍子抜けの歓迎ムード……暴れられると思ってやってきたのにストレスばかりが溜まる。彼女のくすぶっていた闘争心に火がついた。
「びびって出来ないって思ってるだろ。よーし木星親衛隊ロイヤルガードの御披露目代わりだ、あそこの浮いてる戦車一台ブン捕ってくる」
ブリジットは垂れてくる鼻水をすすりながらロックを解除してドアノブに手を掛ける。
「おいやめろ馬鹿者」
性格は明るく優しく裏表無く、時に豪快で頼もしい。皆から愛され尊敬されていてもおかしくはないこのブリジットが、何故かぎゃらくしぃ号の面々からは『馬鹿』『アレ』扱いされている。リタは少し疑問に思っていたのだが今回の地球滞在でようやく理解出来た。
ドアが開き少し肌寒い外気と轟々と響き渡るような歓声が車内に吹き込んでくる。血の気が失せたようになったリタは慌てて隣に座るユイの二の腕を肘で小突く。
「何を落ち着いてるんだお前は! この馬鹿を止めろ!」
「あ──ブリジットさん、ちょっと」
ユイの方はブリジットの鼻の具合を心配していた。ユイは鼻をかむための紙を持って対面で腕捲りを始める大女の顔の前にそっと差し出す。
「殿下? はっ──くちゅん!」
「ほら、ドアを閉めて。お鼻をかみましょうね」
一度開いたドアを閉めてノブから手を離し、ユイにされるがままになる。
「お風邪、なかなかよくなりませんね、大丈夫ですか?」
「熱も寒気も何も無いんだよね……小田島先生にもわかんないって言われて」
「何か特別なアレルギー性の鼻炎なんでしょうか? とりあえずお鼻のところ、肌荒れしないようにクリームを塗っておきましょうね」
「あーい」ユイはバッグからラメラ・キャラバンの最高級スキンケアクリームを取り出すとブリジットの鼻に塗り極薄の乾燥防止フィルムを貼る。大人しく顔を突き出して目を瞑るブリジット、まるで親に甘える子供そのものである。外見の年齢的にはブリジットは大人の女性なのだが精神年齢は明らかに鏑木林檎と同レベルかそれ以下である。
(この大女、まさか見た目より随分幼いのか?)
ブリジットは護衛の為にユイについて来たのだが、特に事件も起こらないためこんな調子でユイから色々と世話をしてもらっていた。
「この赤毛はおまえの番犬みたいなものか」
「ブリジットさんはメグちゃんのお弟子さんて感じですかねえ」
ユイは苦笑いする。
「フゥム、玄奘三蔵ユイ、斉天大聖マーガレット、天蓬元帥ブリジット、捲簾大将コウガロクロウってところだな」
リタはクスリと笑いながら中国の古典の話をしたがユイとブリジットにはサッパリ通じていなかった。
ブリジットは自分のPPを取り出してテンポウゲンスイとは何の事なのかを調べ始め、ユイもそれを覗き込む。しばらくすると字を読むのに疲れたブリジットは伝統的な京劇『西遊記』の映像を再生し始めた。
銅鑼や太鼓の音で騒々しくなった車内で、リタは再びユイのPPを熱心に弄り始めた。
「リタは何やってんの? ゲーム? 面白い?」
ブリジットがPPの画面を覗き込む。
何かの市街地を上空から見下ろしたような画像をせわしなくつついている。
「此処から300メートル南南西方向にあるビルの屋上に格好のポイントがあるがこれは無視だ──次の十字路にさしかかった辺りで後方からジェットヘリを──トレーラーで道を封鎖して」
「ねえこれ何て名前のゲーム?」
「テロリズムシュミレータ『人類浄化計画3281』の改造プログラムで──『木星帝国皇女暗殺任務プリンセスアサシネーション』」
「な、ななな──!?」
ゲーム画面上の装甲リムジンを中心に敷かれた警備の陣容と移動ルートはかなり似通っていた。
動揺したブリジットは車内である事を忘れて立ち上がろうとしてリムジンの天板に激しく頭をぶつけた。
「がふっ!?」
騒がしいブリジットと対象的に、リタは眉毛一つ動かさずポチポチと小さな指で画面を操作する。
喋りながら頭を打ったため舌を噛んだブリジットは口をパクパクさせていたがユイは落ち着いた様子で京劇の再生を中断するとリタの頭を撫でつつ不謹慎極まりないシミュレータの画面を覗き込む。
「どうですか? 『非実在木星皇女』の暗殺は成功しましたか?」
「まあな、違う方法で11回トライして11回成功」
ユイは驚いてあらまあすごい、と口を開きパチパチと小さく手を叩く。
「私なんか一番最初の準備フェイズが終わらなくて、時間切れになって警察に捕まっちゃうんですよね──リタはゲームの才能あるんですね」
「私は実在する方の木星皇女の拉致には失敗してしまったからな……質の悪いゲームの中だけしか誇れない手腕というのも情けない」
ガレス号にユイの拉致を命じたリオル、自信があったはずの計画があえなく失敗した件を言っているのだろう、ユイは苦笑いするがブリジットはキョトンとしてユイとリタのやり取りを眺める。
リタが取得したゲストIDに賞賛のメールとフレンド申請が送られてくる。文面から察するにどうもこのシミュレータの製作者らしい。
(……接触してくるとはな。想像していたよりも迂闊な奴──子供か)
リタは深く溜め息を吐くとユイにPPを返却する。
「おい見ろ、このテロリズム礼讃ゲームの製作スタッフらしき人物がコンタクトをとってきた。ロンドン在住みたいだな」
「スコットランドヤードに通報した方が良いのでしょうか?」
ユイがそのメールを転送するかどうか考えこんでいるとリタが手を小さく横に振った。
「待て待て、こんな簡単に尻尾を出す奴だぞ、単なる目立ちたがり屋の可能性が高い」
「じゃあどうしましょう?」
「──お前の政府公認アカウントでこのシミュレータに『Good!』評価でも入れてやれ──本人から反応があった事を友達に自慢して回るか、怖くなってプログラムを消すかするだろうさ」
「ああ、それならイタズラの仕返しをするみたいな感覚で楽しいですね!」幼いリタの中に老獪なリオル大将の意識が入っているとは想像もつかないブリジットはこの地球滞在中何度も何度もリタの見識の深さや大人びた対応に驚かされている。
「すげえなぁ、リタ。おまえ何でそんなに頭いいんだ?」
(………ブリジット・ヴォン・パルルーザ、開拓プラント解体業、学歴無し、病歴無し、諸々不明のゴロツキ)
リタはチラリとブリジットを見た。眉根を寄せて心底不愉快そうな表情を浮かべる。
「このような愚かな女が生き延び、レムスが死するとは……無常だ」
「ムジョー?」
「嗚呼、今回の地球滞在、何が一番苦痛かと言うとこの口数の多い馬鹿の相手をせねばならん事だ──少し寝る、着いたら起こせ」
ゆったりとした車内でリタはユイの反対側にある肘掛けに重たい頭を下ろそうとするがユイに頭を掴まれて無理矢理ユイの太腿の上に寝かせられる。しばらく逃れようともがくが、成人女性の力に幼女の力では抗えるはずもなく、結局膝枕のような状態になる。
「構うな」
「ちょっとそのままで我慢を。せっかく人前に出るのです、もっと綺麗にしましょう」
ユイはポーチから櫛を取り出すとリタの髪を梳き始める。
「へえー、こうしてるとまるで殿下の本当の子供みたいですね」
「そう見えますか?」
ユイは嬉しそうに笑うが、ままごとの人形のようにされるがままのリタは顔を真っ赤にして「やめんか」「放せ」と喚き散らしている。
「殿下の子供にしてはちょっと憎たらしいけどねー、ハハハ」
ブリジットは手を伸ばしてリタの鼻を摘まんで軽く揺さぶる。
「ンム~~ッ!?」
身体を畳んで運転席いっぱいに収まった牛島が運転するリムジンはゆっくりと市街地を移動する。
『皇女殿下、大きな通りに出ます、集まってる市民にご挨拶されますか?』
運転席から牛島の声が聞こえてくる。
「はい、手を振るぐらいは」
リムの複合装甲の外側が開いて強化プラスチックのような透明な素材で出来た内壁が晒される。リムジンはちょうどオープンカーのような形状になる。
弛みっ放しだったブリジットは顔を引き締め、目を凝らし、耳を澄まして外の様子に気を配る。
ユイは会釈をしつつ軽く手を振りながら集まっているロンドン市民にその顔を見せた。
透明な内壁に遮られて音は微かにしか聞こえないが、その熱狂ぶりと笑顔からしてきっとユイを歓迎してくれているに違いない。
「私達は歓迎されているのでしょうか……」
ユイが少し不安げに呟くとブリジットはもちろんですよ、と力強く頷いた。
「──兵隊が邪魔、見えない、こっち向いて、ユイ様、姫様、って声が大半ですね。殿下の悪口なんて聞こえませんよ」
「ほう天蓬元帥よ、お前には外の音が聞こえるのか?」
「耳には自信あるよ? いまんとこ鼻は効かないけど」
「フーム」
アラミス産まれアラミス育ちというブリジットの感覚は鋭敏で、一般的な惑星連邦の市民と比べても数倍優れている。禁忌とされた人造の次世代人類ネクスタントのニースや超優性遺伝子的怪物のレムスから見ればかなり劣るがアラミスの過酷な環境が育んだ天然の超人類と言えるだろう。
「しかしまぁ、我らは見世物小屋の哀れなミュータントというところか。歓迎と言っても嘲り半分、憐れみ半分だろうよ」
「そうですね。四十年間氷漬けにされていた王族に、損傷した脳を機械で補った身元不明の女の子。世間からは要らない者、居ない者として扱われてきた私達ですからね……」
「見世物の自覚があって結構な事だ。長らくやっていた『亡霊』から『珍獣』に昇格した気分はどうだ?」
リタはユイを少しでも悲しませてその顔を曇らせてやろうと意地悪く笑う。
「おいリタ、やめろよさっきから。いくら何でもひどいぞ」
「いえ、いいんですよブリジットさん──人々が私を見世物として笑う事で木星戦争という悲しい過去の傷が癒されるのであれば、喜んで見世物の珍獣にでも亡霊にでもなりますよ」
「チッ、口の減らぬ『女狐』だな、少しはへこたれて弱みを見せんか可愛げの無い」
「んもう──またそれですか。狐とか狸とか、そういう呼ばれ方はあんまり好きじゃないって言ってるでしょ? 謝らないならこうですよ」
「あっ、何をするか貴様」
ユイはリタのポーチに入れていた数個の渦巻きキャラメルキャンディーを取り出すと自分のバッグの中にしまい込むような真似をして注意を引く。
「おやつのキャラメルキャンディーは没収します!」
「い、要らんわ、私は子供ではない」
「それじゃあたしが貰うよ!」ブリジットは舌なめずりをしながらユイの手から渦巻きキャラメルキャンディーを取った。
「な───! こ、こ、コイツにやるぐらいならワシが食う!」
リタは顔を真っ赤にしてブリジットの手を強かに叩き、落ちたキャンディーを拾い上げる。
「い、要らないって言ったジャンか~!? ひどいィィ!」
「こ、コイツは油断も隙もない、幼子のおやつを奪おうとするなど……!」
小さなキャンディー程度で本気で喧嘩する2人の様子を見てユイはしばらく笑いが止まらなかったようだった。
結局ユイの顔を曇らせる事が出来ずじまいのリタであった。
幾ら気分を害するような物言いをしてもユイは真っ直ぐにリタの顔を見詰めて真摯に返答してくるが『女狐』や『狸』という蔑称は特別、癪に障るらしく妙に機嫌が悪くなる。
リタはユイとの会話で分が悪い時は『女狐』と呼んで怒らせて会話自体を有耶無耶にしてしまう事にしている。
(──百年以上生き、世の理を知り尽くしたと思っていた私が二十歳そこそこの小娘に言い負かされて悪態をつく事しか出来ぬとは──長生きなどするものではないな、つくづく。膨れ上がった自尊心には堪こたえる)
リタはつまらなそうに肘掛けにもたれ掛かると頬杖をついて目を瞑る。
(少し、今少し我等にこやつを上回る力があったのなら……こうやって連邦市民から喝采をもって迎えられたのはこやつではなく我が王とレムスだったのかも知れぬが──こんな停滞と現状維持に満足し、若い皇女アイドルに熱狂するような愚かな大衆の瞳には、新しい価値観に溢れた私の理想の人類社会はどのように見えた事だろうか──)
「民衆、賢者を求むるも愚劣にして賢者の理想を解さず──民衆とは罪深き存在だな」
「理想は押し付ける物ではありませんよ。率先して指し示す事だと、おとうさまはいつも仰有ってありました」
ユイはリタの方は見ずに沿道に集まっている群集へ笑顔を振りまいた。
「はてさて、気の長い話だな」
リタは誰に返事を求めるでもなく、自らに言い聞かせるように独り言を呟き、ユイも独り言を呟くように言葉を返す。
事情のわからないブリジットだけが、この難解なやりとりの真意が見えず頭を捻り続けていた。
目的地の戦没者慰霊式典の会場がようやく見えてきたところであった。




