初恋③
敵対勢力の壊滅、クーデター首謀者の身柄の拘束。
木星宇宙港の光速端末を経由して、第七海兵隊のラドクリフ中尉からの報告書が北極ポート近辺に待機している第三艦隊の元に届いた。
事態が終息したにも関わらずいつまで経っても戒厳令が出されたままなのを訝しく思った第三艦隊は直接、月基地に入り宮城大将の代理として戒厳令の解除を宣言した。
規制は解除されミルドナット社の独占放送も同時に終了する。
各星系の株式市場が一斉に取引の再開を告知すると今度は経済活動において前代未聞の争乱が勃発した。ニュース屋の関心もお得意様の企業体が欲している株価関連の情報収集や予測へと移行、一般市民そっちのけで特番が組まれていく。
今回の事件について、とりわけ木星戦争の戦後処理の正当性について市民や人権団体の関心が高まる中、連邦議会のマグバレッジ議長並びに地球閥議員達への公開質問を目的とした臨時の議会開催が要求された。
しかしながら連邦政府と連邦宇宙軍幕僚会議は未だ混乱の渦中にあるためマグバレッジJr.と官僚達はまったく身動きが取れず、苛立ちを募らせる反地球閥系の議員達への対応に頭を悩ませていた。
月基地での憲兵隊と海兵隊の激突から始まり、戒厳令、ユイ皇女のスピーチ、半世紀ぶりの艦隊戦、軍事クーデターに抗議する民間船の集結──連鎖爆発的に次々と拡大していった争乱は表面上は解決したが、この一連の事件が連邦政府と開拓惑星の関係性に与えた影響はとてつもなく大きく、人類史の大きな転換点となることはまず間違い無かった。
第三艦隊のヒル少将は憲兵のナカムラ軍曹から事情を聞いて愕然とした。オービル元帥を始めとした主だった高級将校達が皆重傷を負って病院に搬送された事を知らされ、目の前が真っ暗になった。
「なんという大惨事」
クーデターは半分成功している、少なくとも宇宙軍という組織はほぼ壊滅状態だ。
「し、しまった──戒厳令の解除を早まったか」
止まっていた人類の経済活動は再び動き出している。まさか今更非常事態宣言を出す事などできはしない。
未だ無秩序に航路にたむろする民間船舶の速やかな撤収、基地機能の回復、一時的にクーデター側についていた第二艦隊への対応、暫定的な命令伝達体系の構築、ニ時間以内での連邦政府への報告書作成、月のローカル放送局への会見準備──といった厄介な後始末を押し付けられてしまった。
「こ、こんな役目を一人でやらされるとは……」
雑な対応をするとヒルの首が飛ぶだけでは済まないだろう。
ヒルは事務仕事もそこそこにこなす宮城大将や、こういう裏方仕事を完璧にこなす若き天才ネイサン少将の帰還を待ち望んだが丸一日待ってもそれは叶わなかった。
◇
ぎゃらくしぃ号と木星帝国海軍の巡洋艦は速度を同期させてドッキングを完了した。
マーガレットを先頭に、雄大、魚住、六郎が店舗エリアで帝国海軍を出迎える。
「おお! 皆様でのお出迎え恐れ入りまする!」
シャッターが開くと軍服のサイズが合わず服の方に着られているかのような妙な少年が威勢よく飛び出してきた。中性的な顔をした背の低い小柄な少年。無造作に伸びた髪は肩に掛かるほど。左目は黒い眼帯で隠れている。
スタスタと歩いてくると小柄な士官は両膝を付いて頭を下げ、腰に帯びた片刃の長剣を脇に置いた。
「拙者、セレスティン大公殿下のお側にお仕えする太刀風陣馬たちかぜじんばと申しまする。大公殿下の御命によりユイ皇女殿下をお迎えに上がりました。大公殿下がこちらの『神風号』でお待ちです。して、皇女殿下はいずこにおわす?」
時代がかった言い回し。大昔の武士言葉のような口調とは正反対の声質、なんとも可愛らしい印象を受けるが刀の柄を握る手のひらは大きく、指も太い。
(ねえ、この子は男、それとも女の子?)
魚住が雄大と六郎にたずねる。
(さあ? やっぱり男かな──大人びた格好してるけど背も低いし、声変わりしてないのかも。名前も男っぽいし)
(タチカゼジンバってのは数百年も前の剣豪の名前だが、ジンバは女だったらしい。こいつの親がジンバにあやかって名付けたのなら武家の娘、という線もあるぞ)
(じゃあ女の子なのかしら?)
陣馬の性別について雄大達が議論をしていると、後からゆっくりとアラムール・ガッサ将軍が数名の部下に伴われてぎゃらくしぃ号に足を踏み入れた。
『いらっしゃいませ! ぎゃらくしぃ号へようこそ!』
床のセンサーが反応したらしい。陣馬が入ってきた時は大股でセンサーを飛び越えていたから反応しなかったようだ。録音されていたユイの柔らかく明るい声が辺りに響いた。
「な、何奴!?」陣馬とガッサ将軍はぎょっとして周囲を見回す。
天井にあるスピーカーから流れてきた音だと理解できず右往左往していたがもう一度同じ音声が流れたので陣馬は胸を撫で下ろす。
「ガッサ殿、これはどうやら機械の声でござるな。敵意というより歓迎されております」
「お、おどかさないでくれ──しかし『いらっしゃいませ』などと。ギャラクシー号とは本当に移動店舗なのだな」
ガッサ将軍は腰に付けた何らかの装置から手を離し、背筋を伸ばす。そのまま無造作に歩いてくるガッサに向けてマーガレットは大きな声を出した。
「何者か名乗りなさい」
「ん?」
紫色のドレスで正装したマーガレットが一歩前に出る。
「部下のほうが礼儀作法をわきまえているようですが? その年齢にもなって初対面の相手への礼を欠くとは感心しませんね」
「高貴なる御身分の方とお見受けしました。失礼ついでにお聞かせ願いたいのですが貴女はいったい?」
「お初にお目にかかります、わたくしはマーガレット・ワイズ伯爵。木星にその人ありとうたわれたアレキサンダー・ワイズから家督を引き継いだ者、その孫娘です。あなたも軍属ならば君臣のほどをわきまえそちらの陣馬殿のように跪いて名を名乗るがよろしい」
ガッサは慌てて片膝を付くと頭を垂れた。
「し、失礼しました閣下。私はアラムール・ガッサ。かつて帝国海軍に籍を置いていたロデウス・ガッサ大佐の息子です。このアラムール、父からよくアレキサンダー閣下の逸話を聞かされて育ちました故、ワイズ家の現当主がこのようなお美しい貴婦人とは驚きました、挨拶が遅れた事をどうぞ御寛恕いただきたく──」
「ガッサの家柄の功績と忠義、このマーガレットの耳に入っております」
「勿体ないお言葉、我が父ロデウスも喜びましょう──私は現在、父の代わりとしてこの木星帝国海軍をまとめる将になっております。これなる軍艦と将兵はオーウェン大公の曾孫セレスティン大公殿下のものでございます。このたびは主人、大公殿下の名代としてご挨拶に伺った次第」
「よろしい。将軍も陣馬殿もお立ちなさい」
陣馬は飛び上がるように立ち上がるとせわしなく動き回りキョロキョロと周囲を見渡す。
「──ややっ、これは。どこにもユイ皇女殿下の姿がございませんぞ? 大公殿下が首を長くして「お后様」をお待ちでございます。先ずはこちらの『神風号』へお越しいただきたく──」
その大きな瞳を魚住に向ける陣馬。ガッサも六郎と雄大を値踏みするように睨み付ける。
「魚住よ、ユイ皇女殿下の姿が見えんのだが──これは何の真似だ?」
ガッサの後ろで衛兵がショックガンの安全装置を解除した、パワーレベルを麻痺に設定。
「何の真似、というならそっちの方こそ」
黙っていた雄大が口を開いた。
「こっちもそのセレスティン殿下って人の顔を見ようと思って出て来たんだけどな。姿が見えないじゃないか」
「貴殿は──どなた様でいらっしゃいますかな」
いらついたような視線、雄大は一歩も退かずガッサを睨み返した。
「閣下、この者は──ユイ皇女殿下の婚約者、月の武家である宮城家のご長男、宮城雄大様でございます」
「すわっ、こっ、婚約ですとッ!?」
「何ィ、婚約!?」
驚いた陣馬は雄大とガッサを交互に見上げる。将軍の方は怒りで顔色まで変わっていた。
「婚約者などとそんな話は聞いておらん。セレスティン大公殿下こそがユイ皇女殿下の許婚である、無法な」
「これは現在皇位継承権第一位であらせられるユイ皇女殿下のご意志によるもの。加えてそちらのワイズ伯爵家当主、マーガレット閣下もこのご婚約の後ろ盾となっておりますれば──大公殿下におかれましてもこの婚姻の件をご了承いただきたいと思っております」
ガッサはマーガレットを見る。彼女は羽根扇子で口元を隠しつつ魚住の言葉に無言で頷いた。
「んぎぎ、これは謀反でござるか?」
「──魚住、まさかお前、約定を無視するつもりか。あれはビルフラム陛下の直筆にて大公家に伝えられた物ぞ、その正当性と効力、半日前までは御主も認めていたではないか!」
「そ、それはそうですが──私はここしばらくは別の船に乗船して殿下のお側になかったもので。宮城様とユイ皇女殿下の交際については少し前にマーガレット閣下からお聞きした次第で」
魚住は口から出るに任せて言い訳を始めた。
「ホラス皇太子殿下亡き後、宰相となるは大公殿下でござる! あの約定の事を失念されていたのは魚住殿の失着、ユイ皇女殿下とセレスティン大公殿下の御子息が次の皇太子殿下となるはこれビルフラム陛下のご遺志でございます! このタイミングで殿下の婚約者発覚など、苦し紛れのウソとしか思えません」甲高い声で騒ぎ立てる陣馬、刀を取り鯉口を切ると鍔と鞘の間からギラリてした刃の光が漏れる。その様子を見たマーガレットは六郎に目配せした。
「侍女の分際で──欲を出したな魚住? そんなに宰相の地位が惜しいか」
「誤解です閣下、落ち着いてください。この魚住、個人的な野心など持ち合わせておりません。私はあくまでユイ殿下が即位され正式に宰相が決まるまでの代理でございます。時が来ればまた殿下の侍女に戻り、大公殿下に宰相の役職をお返ししたいと思っております」
後方に控えていた衛兵達がライフルを構えて前に出ると六郎がショックガンを抜いてそれを牽制した。
「ワイズ伯爵閣下、もしやこの一件の黒幕は閣下ではありますまいな?」
「あら、わたくし? そうですね、大公殿下ご本人のお言葉ならばいざ知らず、ガッサ殿からそのような疑いをかけられましても。セレスティン大公殿下は何故この場におられぬのでしょうか、わたくし、大公殿下とそのお話をしようと思って急いで支度致しましたのよ」
「そ、それはそちらも同じ事でしょう、ユイ皇女殿下は何処におわすか」
マーガレットは雄大を見る。雄大は頷いてガッサを指差しながら大きな声を上げた。
「ガッサ将軍、あなた偉そうな物言いしてますけど、正式に任官された軍人なのはあなたの父上ロデウス大佐であってあなたは単なる一般市民ですよね? 正式な統帥権も持たず正式な任官すら受けていない一介の『軍人モドキ』でしかないあなたが将軍を自称して王族の婚姻に口を挟むなんて不敬だとは思いませんか?」
「なっ、何だと!?」
「宰相の地位が欲しいのは──将軍、あなたの方じゃないんですか?」
「大口を叩いたな小僧め? 後悔しても知らんぞ!」
雄大の言葉に図星を突かれたのか、ガッサは歯を剥いて怒り、銃を抜き腰に手を当てて装置を弄り始める。
ブゥーン、と低い音がしてガッサの周囲をエネルギーフィールドが包んだ。雄大達が見たことが無いテクノロジーレベルの装備を使うガッサ。
「構わん陣馬。逆臣、魚住とこの無礼な男を斬り捨てよ!」
「──!」
太刀風陣馬は目にも止まらぬ速さで抜刀し、鞘を六郎に目掛けて投げつけ牽制した。六郎も不意を突かれて狙いが狂う。
「コイツ!?」
「侍女殿に恨みは無いが──!」
魚住を袈裟懸けに切り捨てんと飛び上がる陣馬。
マーガレットはドレスのまま側転すると六郎の弾いた鞘を取り大股に踏み込み、飛び上がった陣馬の脇腹を鞘の先端部分で激しく突いた。
「んぎゃ!?」
ドサッとやや軽い物が落ちる音。まるで子犬が泣いているようなきゅうきゅうという高い声を出して陣馬は床にうずくまる。
「な、何と──陣馬ほどの者が後れをとる?」
ドレスを着てゆったりと構えていたはずのマーガレット、その電光石火の身のこなしにガッサは驚嘆して呆然と立ち尽くした。太刀風陣馬の剣技を頼りにしていた将軍はまさかの事態に完全に思考が固まってしまった。
マーガレットは陣馬の方にその鞘を放り投げると平然とした顔で捲れ上がったドレスの裾を直し始めた。
「あうう──ふ、不覚。まさか拙者の投げた鞘を利用されようとは──」苦悶の表情を浮かべる陣馬、起き上がったは良いものの激しい痛みが残る。
「馬脚を表しましたね、ガッサ殿」
マーガレットが手を上げると同時にショックガンの閃きがガッサ達を襲う。不意を突かれた衛兵達のライフルに六郎の放った光弾が命中する。六人の衛兵達は床の上で帯電しバチバチと火花が散るショックライフルを信じられない物を見る目つきで眺めていた。
「はい、いっちょ上がり。まともな相手はそのチビちゃんぐらいだな。あとはその辺の警備員レベルだな──格好だけは一人前だが慌ててその辺のゴロツキでもかき集めたんじゃないか」
六郎は事も無げに言う。
(こ、こうも簡単に見抜かれるとは)
六郎一人が相手でも苦戦しそうな状態でアレキサンダー・ワイズの孫娘と事を構えるのは愚かだ。それがわからぬガッサではない。
「んぐぐ」
ガッサは声にならない唸りを上げ二歩、三歩と後退する。
「わ、わかった──は、話を。話をしようじゃないか魚住。お前がこの約定を反故にして大公殿下を蔑ろにするというのならそれなりの根拠を提示してもらうぞ。そ、そもそも我らは敵ではない、味方なのだ。その大前提も忘れてもらっては困る!」
エネルギーフィールドを切り、持っていたヒートガンを六郎の方に投げて両手を上げた。
「話をする気が無かったのはどっちだ? 最初からあのチビの用心棒に邪魔な魚住さんを襲わせるつもりだったんじゃないのか?」
雄大は前に出てガッサと真っ向から対峙する。
「お、お前は何なんだいったい! 突然現れおって。どこの野良犬か知らんが──貴様のようなうだつのあがらなそうな男にユイ皇女殿下がなびこうはずもない」
「そうでござるよ! 大公殿下こそ皇女殿下の美貌と釣り合う最も相応しいお相手! お主のような平凡な駄馬顔と花も恥じらう美少年な殿下を比べる事自体が失礼だ。女の子はみんな美少年が大好き、これぞ唯一無二の銀河の真理であるぞ」
「こいつらむちゃくちゃ言いやがって」
雄大とガッサ達の舌戦が続く。衛兵達は両手でショックガンを操る六郎に睨まれて動けなくなり、太刀風陣馬の前にはマーガレットが仁王立ちしてその動きを牽制する。
雄大はガッサを睨み付けた。
「今までの言葉、そっくり将軍にお返しする。殿下が、ユイが冷凍刑を終えて後の12年間、お前達は──いや、そのセレスティン殿下はユイにいったい何をしてくれた? 肝心な時に行方知れずで何の助けにもならぬ男にユイが守れるのか? 臣民が守れるのか? そんな男が宰相などと片腹痛い。魚住さん、魚住宰相代理のこれまでの功績に比肩する物などありはしない!」
「平民が大公殿下を愚弄するか。此方の苦労や無念も知らず偉そうに」
「平民だろうが大公だろうが関係ない。大切な人や仲間を守る事が出来るかどうか、それが男の価値だ! おい、そこの眼帯チビもちゃんと聞け! 顔や気品だけが男の価値だと思ったら大間違いだぞ!」
マーガレットはにっこりと笑ってパチパチと手を叩いた。
「おっしゃる通り、どこにいるのかわからない駿馬よりも懐いてる駄馬の方が頼りになりますわ」
陣馬は上手い返しの言葉が思いつかずに歯噛みして唸る。
「ユイが皇女として兵を募った時、一番に駆け付けて盾となるのが軍人の務めじゃないのか、そんなんでもおまえらは軍人って胸を張って言えるのか!」
「ちょ、調子に乗るなよ小僧」
「無礼もほどほどにするのはそっちだ。俺とユイはゆくゆくは結婚し、ユイが皇帝として即位すれば俺は『ユウダイ・ファルシナ皇配殿下』となる身だぞ。それに身分を問うならばセレスティン大公殿下の素性の方をこそ、疑うべきだろう。身の証を立てる術が無いからこちらに身を晒せないんじゃないのか? そもそもセレスティン殿下なんてヤツは実在するのか?」
「ぐ、ぐぬぬぬ」
んが、と鼻を鳴らす。
「何か申し開きがあるならユイの代わりに俺が聞いてやるぞ?」
唸るばかりで二の句を告げられないガッサ。
「が、ガッサどの~! 拙者達、この駄馬にめっちゃ言い負かされてるでござるよぉ!?」
「弱気な声を出すでない陣馬! そ、そうだ、魚住やお前が何を言おうが、ワイズ伯爵がどうお思いだろうがそんな事はどうでもいい。婚約の話がデタラメで無いという証拠を見せてもらおうか。魚住が宰相の地位欲しさにユイ皇女殿下を蔑ろにして帝国の専横を謀っているのではないと言うのであれば、ユイ皇女殿下から直接、御言葉を賜りたい!」
ガッサがそう言うと雄大は後ろを向いて魚住とアイコンタクトを取った。魚住はPPを操作すると何者かを呼ぶ。
「リンジー? もう相手は武器を持ってないわ、殿下をお連れしてちょうだい」
バックヤードからぬうっとブリジットが現れる。
その腕にはユイ・ファルシナ皇女殿下の姿があった。
「おっ、おお! で、殿下」
ガッサは平伏し、陣馬はユイを確保しようと駆け出す。しかしマーガレットにことごとく行く先を阻まれた陣馬は地団駄を踏んで悔しがった。ブリジットは雄大の傍にやってくるとユイを隣に降ろした。
「ユイ・ファルシナ第一皇女でございます、将軍。このように足を負傷しております──このユイの下に馳せ参じた皆様のお出迎えに遅れて申し訳ありませんでしたね」
ユイの優しい声は喧騒の場を一気に華やいだ物に変えてしまった。ユイがそっとブリジットの腕に触れる、ブリジットは敬礼するとユイから離れて陣馬の方へと向かった。マーガレットに加えて大女のブリジットまでが太刀風陣馬の前にやってきた。
素早さにおいてマーガレットを上回るかも知れない程の陣馬であったが次第に追い詰められ、あれよあれよという間にブリジットに捕まり摘まみ上げられてしまう。
「ガッサ殿、魚住や雄大さんのお言葉は真実ですよ」
「なんと──」
ユイは雄大に寄り添い、雄大はユイの肩に手を回した。
「この通り、私の大切な人です」
「し、しかし、ビルフラム陛下の御遺言でございますよ? それを無碍にして良いとおっしゃられるのか? 何かこの者達に弱みを握られて──」
「脅されているとでも申されますか?」
ユイは雄大の頬に手を添え、自らの方へと向き直らせた。
軽く背伸びをしたユイは雄大と見つめ合う。
「えっ、何を?」
雄大とユイはごく自然に唇を重ねた。
この空間だけ時が止まってしまったような。
雄大とユイを中心にして、何かむず痒くなるような、暖かい空気がその場に広がった。
ガッサは目を丸くしてその様子を見守り、陣馬は総毛立つほど身震いして赤面すると目を覆った。
ゆっくりとユイは雄大から顔を離す、うっとりとまどろむように首を傾げながらユイは愛しい人の顔を見つめた。雄大は照れたように目を瞑るともう一度ユイを抱き締めた。
「あがが──な、なんたること」
ガッサは絶句した。誰も物音を立てられない、什器を取り払い殺風景になった店舗エリアがどこか神聖な場所にでも変わってしまったかのようだった。
「ごめんなさい、と──」
「は?」
「大公殿下に『ごめんなさい』とお伝えください」
ユイは上気した頬を抑えつつガッサに告げた。
「ユイは皇帝として即位し、この雄大さんを伴侶に迎えます。それに、ユイはもう子供ではございません、婿も、宰相も自分で見つけました──あの約定ですが、幼き私が政治の道具に使われぬよう父ビルフラムが気遣って書いた物でございます。成人し、即位を控えた私には最早必要ございません」
「そんな──」
「なんと申しましてもその文書、半世紀以上前の古き約定。ときにガッサ殿は今年で何歳でなられましたか?」
「私ですか。不肖アラムール・ガッサ。今年で48歳になります殿下」
「48歳ですか? それはお若くて羨ましいこと。私は今年で『60』歳になってしまいました」
「『60』歳ですと?」
「ええそうです。木星戦争の時、生まれ出もしていなかった未だ嘴の黄色いあなたにはわからぬ事もあります、ねえ魚住?」
「はい殿下」
厳めしい軍人、アラムール・ガッサでさえユイの前では若僧扱いを受けてしまった。
「──約定を反故にされる、と?」
「陛下の実の娘である私がそう申しておるのです。約定如き紙切れ一枚と私の言葉、どちらに重きを置くべきかは明白。傍流たる王弟の子孫が口を出して良い問題でもありますまい」
「くっ……」
「この事、大公殿下にもよろしくお伝えくださいませ」
仲睦まじいユイと雄大の様子にあてられたガッサは遂に諦めたのか、げんなりとした様子で肩を落としたまま衛兵達に撤収を告げた。
「そ、それでは我等、これにて失礼をば──大公殿下に報告してまいります」
言葉少なにユイに頭を下げるとガッサ自身も背を向けトボトボと自らの船へと戻っていく。
それを見た魚住と六郎は意地の悪い笑顔を浮かべながらハイタッチした。
ユイは気落ちしたガッサの背中に声をかける。
「これから我々は地球へと向かいます、将軍はいかがなさいますか?」
「は、地球──?」
ユイを伴って地球に降りるのはまさしくガッサ将軍が考えていた事である。事情が飲み込めないガッサに雄大が口を開く。
「いま、月の連邦宇宙軍は壊滅に近い状態にあるだろ? 不逞の輩がこの間隙を突いて連邦政府や月基地を掌握、漁夫の利を得るおそれがある。だから俺達のぎゃらくしぃ号とアラミス号はそういう連中に睨みを利かせに行くんだよ」
「そ、そうですな。まさしく名案で、ございます──皇配殿下」
「よければお供していただけませんでしょうか。無傷の軍艦が四隻もあれば心強い」
「いえ、そ、それはご勘弁いただきたい……た、大公殿下は地球からの正式な謝罪が無い限り、地球となれ合う事はない、と。未だその非道なる仕打ち、忘れた訳ではない、と……」
ガッサは幾分か調子を取り戻してきた。
「ユイ殿下、あなた様の皇帝への即位の件でありますが、これについてはセレスティン大公殿下もファルシナの名前をいただく御方、正統な継承権を持つ事をくれぐれもお忘れなきよう。今後は何事を為すにも先ずセレスティン殿下の了解を得るか、最悪、このガッサに事前報告していただきたい。連絡先と手段は此方から追って連絡いたします」
捨て台詞のようにガッサは声のトーンを上げた。
「陣馬! 何を遊んでおるかまったく! 殿下のもとに帰るぞ!」
ブリジットが手を離すと陣馬は器用に着地した
「おのれ、この妖怪変化ども! この屈辱いつか晴らしてくれようぞ!」
赤面して腕をぶんぶん振り回しながらマーガレットとブリジットを指差す。
「よ、妖怪?」
「今度はじっくり遊ぼうな、チビちゃん?」
ブリジットはにっこり笑って手を振った。
「──おぬしがデカ過ぎなのじゃ! 拙者そこまでチビではない!」
歯を剥いて悔しがり地団駄を踏むと、陣馬もガッサの後に続いた。
『ありがとうございました! またのご来店をお待ちしています!』
ガッサ達がドッキングシャフトに差し掛かった辺りで店舗用の録音音声が流れる。
ガッサは突然の大音量に驚いて膝くだけになり床に手をつかされた。
「さ、最初から最後まで馬鹿にしおってからに!」
散々恥をかかされたガッサと陣馬は逃げるように帝国海軍旗艦『神風号』へと戻っていった。
◇
木星帝国海軍の船団は木星方面へと舵を切る。
それを遠目に監視するように土星守備艦隊もサターンベースへの帰途についた。
魚住はホッと一息つくと雄大とユイに駆け寄った。
「殿下!」
「ご苦労様でした魚住。将軍はなんとか大人しく帰ってくれましたね」
「一時はどうなることかと」
「魚住さんが権力欲しさになんちゃら~とかあのオッサンが言い出した時はほんと驚きましたよ」
「そうですね、権力も何も……私達は何も持っていないのに。おかしな話です」
ユイはクスクスと笑う。
「日陰者であった今まではそうでしたけどこれからは違うのですよ殿下。良くも悪くも我々は注目を浴びてしまいました。賛同者も多く集まりますが、ガッサ将軍のように殿下を利用して何事かを成そうとする不逞の輩はそれ以上の数が現れましょう」
魚住は眉を寄せ厳しい表情を作る。つられてユイと雄大の表情も引き締まっていく。
「ご遺志に背く結果となりましたが、約定に従って無意味な報復行為に利用されるぐらいならばあのような約定、破っても構いません。私一人がお父様に叱られれば済む話なのですからね」
「陛下ならきっとお許しくださると思いますよ」
「ありがとう魚住。お前がいなかったらガッサ将軍に押し切られてなし崩し的に皇女の名前を利用されていたかも知れません」
「いえいえ、私は何も──それなら雄大さんもなかなか弁が達者で。ガッサ将軍もタジタジでした」
「まあね、イヤミったらしいウチの親父に比べればあの程度のオッサン如きは屁でもないですよ」
魚住は苦笑いする。
「雄大さんのお父様、私も早くお会いしたいです」
ユイは頬を朱に染めて雄大に腕を絡ませる。
「ユイ──それって」
雄大はドキリとして皇女の顔を見た。
「さっきのは──ガッサ将軍達を黙らせるためのお芝居──じゃないんですよね?」
雄大はゴクリと生唾を飲み込んだ。
「そ、それは勿論、お、お芝居だなんてとんでもない──俺、本気です。本気でプロポーズしたんです」
「良かったです、私ちょっぴり心配で。だってあんまり急なお話だったから──」
二人が見つめ合い始めたので魚住は肩をすくめると、無言でそっとその場から離れた。
「俺の方こそ、なんか呆気ないぐらい即答でOKしてもらって──夢みたいです」
左腕を抱きかかえられた雄大は照れ隠しに右手で頭を掻く。
「殿方にプロポーズしてもらえる日が来るなんて。檻の中にいた少し前の私とは大違い」
二人の顔がゆっくりと近付く。
ユイは背伸びして目を閉じる。
「ユイ──」
「雄大さん──」
バシッ! と雄大の後頭部が何か堅いもので打ち据えられる。
「なっ──?」
扇子を持ったマーガレットが頬を膨らませて立っている。
「メグちゃん?」
「ユイ様でしょ! 呼び捨てにして! 何様のつもりなの?」
マーガレットは雄大の耳を思いっきり抓る。
「いててててて!?」
「あんたまだ正式に婚約者になった訳でもないのにユイ様をもう『自分の女』扱いしちゃうなんて! 図々しい!」
「わ、わかった! 俺が悪かったから、た、頼むマーガレット、耳が、耳が千切れる!?」びっくりして雄大から腕を離すユイ。
「ユイ様ッ!」
「は、はいッ!?」
「ユイ様はコイツと婚約してゆくゆくは御夫婦になられるのでしょうけど。あくまで『主人』であるのは皇帝になられるユイ様なのです。皇配は皇太子に次ぐ序列第三位でありますが実質的には男性の皇帝の配偶者である皇后陛下よりも身分は低く皇位継承権もありません。言うなれば単なる子種の提供者に過ぎません。コイツが増長して第二のガッサ将軍のような野心を持たぬよう、今のうちからしっかりと『しつけ』をなさってくださいませ。皇帝への即位を控えた殿下を他の家臣の面前で呼び捨てにするなど──殿下がお許しになられてもこのマーガレットが許しません」
ユイのみならず魚住や六郎、ブリジットまでも身を糺し直立不動の姿勢でマーガレットの有り難い説教を聞いた。
「おわかりになられましたか?」
「は、はい」
「皇帝陛下として皆を導くお覚悟と慈愛の心は十分お持ちのユイ様も、こと身内に関しては甘やかしが過ぎるきらいがあります。この皇配に御名の呼び捨てを許すのはお二人だけの時になさってくださいまし」
「そ、そうですね。以後気をつけます……」
ユイは叱られた幼年学校の生徒のようにしゅんと小さくなってしまった。ようやく耳を離してもらった雄大はしゃがみこんで真っ赤になっている患部をさすった。
「──ユイ様」
「は、はい! なんでしょうか?」
「ご婚約、おめでとうございます──」
マーガレットはドレスの裾をつかみ上げ、脚を曲げると背中が見えるぐらいに深々と頭を垂れた。
「──メグちゃん、ありがとう。私、皇帝としてお父様とお母様には遠く及ばずともメグちゃんをガッカリさせるようなダメな陛下にならないよう一所懸命に頑張りますから──だから、私と雄大さんにいたらないところがあったら、今みたいにどんどん叱ってくださいね? いつまでも、頼りにしてますよ……小さな勇者さん」
ユイはマーガレットの手を取り、起きあがらせると少し乱れた髪の毛を直した。
「ユイ様──」
気丈に振る舞っていたのは高ぶる感情を無理矢理押さえつけるためだったのだろうか、マーガレットはみるみるうちに顔を歪めるとしくしくと泣き始めた。
「ユイ様ごめんなさい。わ、わたくし、本当はあんまり──心からおめでとう、って言いたくない!」
「おいマーガレット、お前何を」
慌てる雄大を後目にユイの胸に顔を埋めるようにマーガレットは思いっきりしがみついた。
「わたくしも宮城の事が好き! 多分ユイ様よりずっと、ずっと宮城の事が好きなの!」
ユイは少し困ったような表情で微笑むとマーガレットの背中に手を回して優しく抱いた。
「正直な人ですね──でもありがとう、包み隠さず話してくれて嬉しく思います。なんとなく、そうじゃないかな、って。そうは思ってましたけど」
「でもユイ様も好き! アイツも好きなの──わたくしだけ除け者なんて耐えられない」
ユイはチラッと雄大の方を見る。
雄大は数刻前のマーガレットとの甘く激しい情事を思い出していた。罪悪感からユイの視線に堪えられず、思わず目を逸らしてしまう。ユイは少し唇を噛んでから笑顔を作る。
「だ、大丈夫です、誰が除け者なんかにするもんですか。メグちゃん、これからも今まで通り、いえ、今まで以上に私と仲良く、一番のお友達でいてくださいね。メグちゃんが本当に嫌なら私、雄大さんのプロポーズ、お断りして破談にしても良いのですよ? 私が雄大さんを諦めればいいだけ、ですから」
「ええっ!?」
雄大とマーガレットがびっくりして大声を上げ、遠巻きにその様子を窺っていた魚住が血の気を失って倒れ込む。ブリジットは悲鳴を上げ六郎は小田島医師に連絡を入れた。
「ユイ様──そ、それはいくらなんでも! わ、わたくしそんなつもりじゃなくて、ただ急に寂しくなっちゃって──!」
「冗談ですよ、びっくりしました?」
「は? じょ、冗談、て──」
雄大とマーガレットはヘナヘナと腰砕けになって床にへたり込んだ。
「でもホラ、これで涙が止まったでしょ? 大丈夫、私も雄大さんもメグちゃんが大好きですよ。だから笑って──ね?」
にっこりと笑うとユイも床に座ってマーガレットに寄り添った。本人にまったく悪気が感じられないのが恐ろしいが、案外ユイにしてみれば冗談ではなかったのかも知れない。
今のユイならば雄大とマーガレットどちらかしか選べないのなら間違いなくマーガレットを選ぶだろう。
ユイならそういう判断をしてもおかしくない、周囲の和を乱すぐらいなら自分の気持ちを笑って押し殺してしまう。雄大だけでなくマーガレットも魚住も、ユイのそういう一面に気付いているからこそ先程の言葉に驚いたのだ。
(俺、割とユイに好かれてる、って自信あったんだけど、まだまだマーガレットにも大きく負けてるって事だよな)
雄大は改めてユイの捉えどころの無さ、自分とユイの距離の遠さを痛感した。近いようで、どこか遠くにいるユイ──
(もっと努力して、たとえ冗談でもあんな事言わせないぐらい、この人と相思相愛の仲にならなきゃ──そうでなきゃマーガレットにも悪いし──プロポーズが成功したからゴールじゃなくて──俺達はこっからがスタートみたいなもんか)
地球閥は倒れ、ユイ皇女の言葉は連邦の市民達に受け入れられた。ユイの最大の試練は去ったのかも知れないが、ユイが本当に幸せになれるかはまだわからない。
雄大はバシバシと両手で自分の頬を叩いて気合いを入れ直すのだった。
(こんな素敵な婚約者が出来たんだ、文字通り、銀河一の嫁さんだ! 頑張れよ、俺!)




