艦隊戦などする気はない②
木星宇宙港周辺宙域。
木星の衛星ガニメデを遠くに臨む沖合い、整備が行き届いた広い宙域で、かつて大きな戦いが起こった古戦場である。
52年前の木星戦争当時、衛星攻略作戦と称して戦艦8隻、重巡洋艦5隻、ユニコーン級巡洋艦16隻、駆逐艦21隻、空母8隻、随伴する補給艦及び工作艦32隻からなる地球の大艦隊がこのガニメデ沖に到達した。
迎え撃ったのは戦艦2隻、カープ級巡洋艦5隻、ドナ級駆逐艦24隻を擁する木星帝国第一、第二艦隊である。
電子暗幕でレーダーを攪乱するドナ級駆逐艦の活躍めざましく、足の遅い地球の大型艦を次々と撃沈した木星艦隊が序盤圧倒的優位に立った。しかし電子暗幕による隠れ蓑は肉眼で視認でき、識別方法が知れ渡ると木星艦隊側のアドバンテージはほぼ無くなった。結局、物量で勝る地球側が無理矢理押し切る形で勝利して第一次ガニメデ沖海戦は幕を閉じた。
そして現在。
半世紀の時を経て第二次ガニメデ沖海戦が幕を開けようとしていた。
人類が開発の場所を地球の外に求めた時から長らく続いてきた木星王族と地球閥の戦い、長い長い木星戦争を終わらせる為、40年眠ってきた皇女と80年地球閥を支えてきた怪老がぶつかり合う。
◇
「これが例の212兆ギルダで買い揃えた艦隊?」
キングアーサーのブリッジ、レムスが苦笑いしながら土星・木星連合艦隊の陣容を眺める。図体ばかり大きく小回りが利かない客船、トラック、海賊対策の低出力粒子砲しか積んでない武装商船……
「魚雷の一発も撃てない船が何の役に立つ? やはりあの木星の小娘は口ばかり達者な詐欺師の類であったな」
レムスは十二番目のニースの肩を抱きながら小さくハハハと笑う。
「はい、レムス。戦闘能力はほぼありません」
十二番目トゥエルブは微笑みを浮かべてレムスに同意する。
そんな中、リオルは難しい顔をしてレーダーに映し出される統制の取れた動きを観察していた。
「──御典医、クジナ技術大尉? あれはアーサーのロボット艦コントロールシステムと良く似ているが。短期間でこういう仕事の出来る技師に心当たりは?」
クジナは玉座近くで王と呼ばれる少年の脳波測定をやっていたが一旦作業を中断して、手元のPPで相手の無人民間船の動きをチェックする。
「いえ技師というよりは……閣下から提供されたノード……アーサーに使用しているようなハイゲン型陽電子頭脳ポジトロニック・ノードがあれば複雑なコントロールは可能です。しかしあれは今や禁忌技術ロストテクノロジーですからね。普通のロボットなら単純な反射行動をしたり陣形を保つだけで手一杯でしょう」
「そうか、ではあれは動きをトレースする程度の虚仮威し、つまり何の変哲もない巨大なドローンだと思って良いのだな?」
「は、はい。この改装特務艦隊レベルの運用はノード無しには不可能です」
「ふむ」
リオルは『早めに全力でかかり相手に何もさせないか』『何らかの罠を警戒してじっくり攻めるか』の判断を迫られていた。あと20分もすれば長距離ミサイルの有効射程、つまり交戦距離に突入する。何か仕掛けるのならすぐにでも準備を始めておきたい。
(ポジトロニックノードの技術は牛島実篤、ハイゲン・フリードマン両博士の追放と共に失われた。地球閥が所有している32個のノード以外に別の個体が存在するはずもない)
「無人艦のコントロールをしているのは木星旗艦ギャラクシー、頭を潰せば無人の艦隊は無力化出来そうだな。まあハイドラ級の快速で逃げ回られるのも厄介だ、ギャラクシーから真っ先にエクスカリバーで斬り、それで終わりにしよう」
キングアーサーの連続超短距離跳躍ショートワープにかかればどんなに守りを固めようと防ぐ術はない。
リオルは速攻を選択した。悩む事はなかったな、と老人は一人苦笑いをする。
(慎重になり過ぎてつまらない判断をするところだった、この弱気が敗北を招く)
「──リオルよ、貴殿の提案通り人心を惑わす妖狐ユイ・ファルシナを捕らえ、市民の見ている前で罪人として公開処刑しようと思うが、出来ればその執行役、私が貰い受けたい」
レムスは邪悪な笑いを浮かべる。彼の受けた屈辱は消える事のない妬みと怒りの炎となり燃え盛っている。彼はその加虐的な欲求を満たし、自尊心を満足させるための生贄を激しく欲していた。
チラリと玉座の傍らにいるクジナに一瞥をくれるレムス、その瞳にこもった殺気にクジナは気付かなかった。◇
十三番目のニースとクジナは示し合わせた通りに六枚甲板の中ほどのエリアにある艦載機格納庫で落ち合った。
「クジナ、こっちだよ」
不安そうに周囲を警戒しながら頭を低くしてニースの声がする方へと歩を進めるクジナ。
「ニース──」
「クジナ!」
ニースはクジナの首に腕を巻き付けて抱擁する。
「わっ」
「もうすぐ戦闘が始まるよ。その騒ぎに紛れてこれで逃げ出そう」
「ニース、君はこの戦闘機を操縦出来るかい? 僕はちょっとこういうのは自信が──」
「ニースは色んな事が出来るよ。後はクジナが道案内をしてくれればいいの」
「良かった、それじゃあ近くに木星宇宙港がある、先ずは港に潜り込んでほとぼりがさめるのを待とう。そこからどうにかして火星に行く、あそこはよそ者にも優しいし、お金次第で色々調達できるし、住むところも探せるよ」
火星か~、とニースは夢見るような瞳で宙を仰ぐ。きっと彼女には今、火星西半球の活気溢れる街の様子が見えている事だろう。
「火星には猫が沢山いるんだよね?」
「猫のお祭りもあるんだよ」
「ホントに?」
ニースは顔を輝かせる。
「うん。僕は何度も行ってる、きっとニースも気に入るよ」
「やったー! ニースはクジナのこと大好きよ!」
ニースはコクピットに乗り込み、戦闘機の計器類をチェックする。
「ニース、覚悟は出来てるね?」
「覚悟?」
「君は今からリオル閣下や君のお姉さん達を裏切って逃げ出すんだ。もう帰れないよ──」
ニースは寂しそうに笑いながら首を振った。体色は冷たい青。
「もういいの、もう──リオルはニースよりレムスの方が、陛下の方が大事。ニースはクジナと一緒にアヴァロンを探したい」
飼い猫のケージを載せ終わると、クジナはニースを抱き寄せた。
「ありがとう、僕を選んでくれて。ニース、君は優しい子だ。もう人殺しはしちゃいけない。この船を降りる方が君のためになる」
どちらからともなく、2人は顔を寄せ、唇を重ねる。
暖かい感情がクジナから流れ込んでくるのをニースは感じていた。
(クジナはニースを必要としてくれている。ニースもクジナと居るのが一番楽しい)
急にクジナがニースに体重を預けてのしかかってくる。
「もう! フフ」
ニースはクジナがふざけているのだと思って頬をつねってやろうと身体を押しのける。
クジナは力無く、後部座席に滑り落ちるように倒れ込んだ。
「クジナ?」
ニースの胸から太腿が真っ赤になっていた。
最初、ニースは何が起こっているか理解出来ず、小刻みに震えるクジナを揺すり、此方を向かせようとするがクジナは何も応えてくれない。クジナの飼い猫達がケージを引っ掻き回して興奮状態になっている。
「──い、いやよ……クジナ、クジナってば……何で? 何で血が出てるの?」
クジナの腹にニードルガンで撃たれた痕が見える。
殺傷力よりも苦痛を与える事を優先した残酷な武器だ。
ニースはクジナの白衣を口で引き裂くと無数の太い針を抜き取り傷口から血が流れ出るのを留めるための応急処置を施そうとした。
手が震え、瞳から涙が溢れ出て手元が狂う。
「アヴァロン、一緒に探してよ! 猫のお祭りに連れてってよ! クジナ! ねえクジナァ!」
音もなく、ニースの背中に火箸を突き入れられたような激痛が走る。悲鳴すら上げられない程の苦悶。
それは一瞬では終わらない、断続的にニースに苦痛を与え続ける。
「馬鹿な女だな、サーティーン。美しい優性遺伝子を持ち、最も知性が発達しリオルの片腕のように振る舞っていたお前が、そんなつまらない人間に騙されて裏切るなんて」
声のする先を見上げると、上方、格納庫の整備クレーンの影からレムスが姿を表した。手にニードルガンを持ち、笑みをたたえながらこちらを見下ろしている。
「レ、レムス──!」
「三番目サードと装飾品と認識標を交換して怪しまれないようにしたつもりだろうが、そんなくだらない事をしてもすぐわかるんだよ。お前が私を見るあの侮ったような瞳、他のニースと見間違える方がどうかしてる」レムスは舌なめずりをしながら颯爽とクレーンから飛び降り、格納庫の床面に着地する。5mの高さを感じさせないほど軽やかな身のこなし。
「お前が私に忠誠を誓うのなら、今すぐその男を治療してやるぞ?」
(レムスが──こいつがそんな事するもんか。リオルを突き飛ばしたりする凶暴レムス!)
「ニースよ、欠陥品のサーティーンよ! 『寛大なるレムス様、この愚かなサーティーンを助けてください』と言え、そうすれば今までのお前の無礼は忘れてやる。そして念入りに愛してやろう! さあ急げ、そのひ弱な人間、我等と違って痛みに耐えきれずショック死するかも知れんぞ?」
ニースは断続的に襲ってくる痛みに耐えながら戦闘機のエンジンに火を入れた。脂汗が額を伝う。
(痛覚をコントロール──脳内麻薬分泌)
まるで機械でも操作するように自分の身体と意識を分離させる。朦朧としながらも痛みに耐えるニースと生存本能に従い黙々と冷静に戦闘機発進の手順を踏むニース、自分が2人に別れてしまったかのような錯覚に陥りながらも彼女は戦闘機を発進させた。
格納庫で大きな爆発が起こる。
ミサイルでシャッターが破壊され、その隙間からニースとクジナを載せた戦闘機SA-06Bワスプが宇宙空間へ吸い込まれていく。
格納庫のエアーが洩れ、機材が幾つか宇宙空間に放り出されていった。
「おのれェ! サーティーン! 何故お前だけは私の思い通りにならん、何故だ!?」
レムスは手近に見える別のワスプに飛び乗るとロックを解除、自ら外に出ようとするが、ロボットアームがばらまいたジェルがその穴を塞ぐ。壁そのものからも粘着性のあるゼラチンの塊が噴き出して穴の補修を始めた。
「ハッチを開け! 裏切り者を私自ら処断する!」
『捨て置け──大事の前の小事だ。優先順位を間違えるなよ、レムス? そろそろ敵と交戦に入る、ブリッジに戻るのだ』
格納庫に備え付けのスピーカーからリオルの声がする。
「しかし……!」
『忘れろ、遅かれ早かれサーティーンは処分するか、記憶を消去するしかなかったのだ』
「ぬぅ……クソッ!」
レムスはワスプの操縦桿を思いっきり何度も蹴りつけ破壊するとニードルガンを投げ捨てた。
ブリッジでもニースが乗ったワスプがアーサーから離れていく姿が確認された。ビューワーを眺めながらトゥエルブが無表情にリオルに尋ねてくる。
「撃墜しますか?」
「いや、いい──そのままでいい」
どんどん噛み合わなくなっていく歯車。
今まで感じた事のない無力感がリオルを襲う。自分に近い才覚があると感じ、頼りにしていた十三番目サーティーンはその役割を放棄した。
地球閥を勝利させ統一国家を作り、経済を発展させるために銀河公社に権力を集中させ、マグバレッジ親子に政界を牛耳らせて内外の不安要素を悉く潰してひたすらに人類国家の繁栄に寄与してきた。裏から手を回していた時は全てが上手く行っていた。
(いざ、自分が──理想を実現させるために、自分自身が動いてみたら何故こうなるのか。人選を誤った? いつからおかしくなった? マクトフが、ガレス号が失敗したのが不味かったのか?)
ニースの乗ったワスプがレーダーで追えなくなるまで、ただずっと物思いにふけりながらその光の点が木星第一艦隊の方へ真っ直ぐ向かって行くのを老人は見守った。
「いや……52年前、王族の生き残りを殺したくても殺せなかった……あの時の判断ミスが今に繋がっているのだ」
「閣下?」
「独り言だ、気にするな」
「はい」
(十二番目トゥエルブの精神は発育途上だ、まだ独り言の概念もわかるまい。自分と全く同じ姉妹、十三番目サーティーンに対して何の情もわかないぐらいだからな)
「ミスを修正しなければ、52年前の判断ミスを」
 




