木星の旗に集う者たち③
土星・木星連合艦隊の周囲には群がるように多種多様な宇宙船が集まってきていた。
土星基地守備艦隊の旗艦、ミノタウロス級重巡洋艦のネームシップ、ミノタウロスを先導役に、木星帝国艦隊の旗艦ぎゃらくしぃ号は『皇女への献上品』を受け入れながら一路、月と地球の狭間を目指していた。
艦隊の最後尾にて殿軍しんがりを務めているのは肉眼で視認し易いシャイニーロッドである。
シャイニーロッドで指揮をとるリクセン大佐は目の前で渋滞が起きるたびにその都度、乗艦を動かし、警告を出し、牽引アンカーで衝突した船同士を引き剥がしたり、と『交通整理』に大忙しであった。
たびたび起きる渋滞、原因は幾つかあるが大半はこの一大イベントを観戦しに来た野次馬の船や、ニュース屋同士の場所取り合戦が原因になっていた。接触寸前の危険な操舵や狭い航路でもコースを譲らないマナー違反、などなど。
戒厳令が出された事により、銀河公社に提出された航路管理表は完全に無視され、普段では有り得ない量の宇宙船が航路に溢れ返る羽目に陥ってしまった。
出力の低いヨットが航路からはじき出され、船の墓場である暗礁宙域に呑み込まれてしまう。ヨットに乗っていたローカルニュース屋のスタッフ達は自力で脱出していたので大惨事は免れたから良かったものの……リクセン大佐は帽子を深く被り溜め息をついた。
「ニュース屋は昔っから変わらんな……ん?」
リクセン大佐はビューワーの端に映る見慣れない船団に目を留めた。その船団は航路の内と外を縫うようにデブリを弾きつつ器用に進んでいた。
「あれはなんぞ見た事のない形をしとる。公社の船舶登録と艦影データとの照会を──」
「艦長、あれらは未登録船ですね」
「旗がついておるぞ?」
先頭を行く船はしっかりと武装されており、艦尾のホログラム投影装置から出力される映像は何やら旗のようである。
「ありゃー、木星の旗によう似とるが──」
その船団はユイに船を譲渡するでもなく、艦隊に合流するでもなく、ただ遠目に様子をうかがいながら連合艦隊のコースをなぞっていた。どちらかというと併走というよりは、獲物を追跡するハンターのような雰囲気であった。
◇
ぎゃらくしぃ号にはユイとの面会を特別に許可された数名の者が乗り込んできていた。六郎の部下達に連れられて一組ずつ社長室に通される。
六郎に呼ばれて社長室の前までやってきた雄大は、その面会希望者の顔ぶれを横目でちらちらと眺めていた。
(あれ?)
中に見たことのある顔を見付けるが、この男、誰だかわからない。すると向こうから雄大に気付いて声を掛けてきた。
「おーい! 宮城さん、やっぱり宮城さんだ。俺だよー、ホラホラ! サターンベースからアラミスまで乗っけてあげた大和田だよ」
その中年男性はサイン色紙を頭の上に掲げた。
『おおすみまる救出記念 宮城雄大 大和田健次賛江』
「げっ、あれは!」
雄大は慌てて駆け寄るとその恥ずかしいサイン色紙を降ろさせた。
「そ、そのサインを持ってるという事はもしかして」
この男性は大和田、おおすみまる事件の後、リンゴと雄大をサターンベースからアラミス北極ポートまで快く乗せてくれた恩人である。
「いやーユイ社長の演説見てたら最後にちょろっと宮城さん出てたの見つけちゃって……嬉しくなっちゃってねえ、サイン持って来ちゃったよ! おお! それ将校さんの軍服だ、さすがおおすみまる救出の英雄は違うねえ! もうこんなに出世しちゃったの?」
「あ、いえ~これは」
今はめかし込んでいるから誰だかよくわからなかったが、相変わらず息は臭い、間違いなくあの時のトラックドライバーだ、と雄大は確信した。
「協会の理事達と相談してユイ社長にトラックを使ってもらう事にしたんだよ。ほら粒子砲もついてるし、馬力あるし、下手な駆逐艦より装甲もブ厚いし、船体構造的にも単純だから色々と使い易いはずさ」
「協会の理事?」
「あ、俺は一応こういう……」
雄大のPPに大和田から名刺が転送される。そういえばPPのアドレスは交換しておいたが。
『外惑星系長距離貨物便協会・理事長 大和田健次』
「え?」
雄大にはピンと来なかったがどうやら長距離トラックドライバー達の総元締めのような存在だったらしい。
「まあまあ堅苦しい事はいいからいいから! リンゴちゃんは元気かな? まだ一緒にいるの?」
そうこうしていると社長室から鏑木リンゴが姿を現した。フライトスーツを着込み、マントを羽織っている。
「あ~! おじさんだ!」
「やあリンゴちゃん、久しぶり! やっぱり此処にいたね」
「おじさん、オールバックにして背広さ着てっとなんか別人みたいだっぺな! 前はおらとおんなじようなくたびれた服装だったのに。皇女殿下に会うために随分とオシャレしただなぁ」「いやいやリンゴちゃんもびっくりするほど垢抜けたねー、言葉遣い以外は」
「おじさんも相変わらずおくちが臭いだな!」
きゃっきゃっ、とはしゃぐリンゴと大和田理事長。
「じゃあ俺はこの辺で、皇女様に挨拶してサターンベースまで送ってもらう事にするよ」
大和田理事長は社長室に入っていくのを見送る雄大とリンゴ。
「あ、雄大さ! これちょっと見てくんろ!」
ジャジャーン! と自分で効果音を付けて胸を反らしてふんぞり返るリンゴ。胸に双子星のマークが付いたバッジを付けている。
「おら、少し前にマーガレット伯爵閣下から直々に『木星皇女親衛隊ロイヤルガード』のふぐ隊長の位を授けられたんだべ!」
「は? 河豚フグの体調? 地球の田舎料理の話か?」
「副隊長ふぐたいちょだぁよ。2番目に偉いんだ」
リンゴは腰にあるホルスターからヒートガンを抜くとスチャッ、サッ、サッ、とアクション俳優のようなポーズを次々に取り始める。本人は完全に正義のヒーローになりきってるようでご満悦だ。
可愛らしいヒーローの姿にクスクスと面会希望者達から含み笑いが起こる。皆、玩具の銃だと思っているようだが、これは本物の対装甲ヒートガンで大人でも扱うのが難しい。遊んでるようだがリンゴの銃捌きは雄大より上手く達人レベルだ。
「ふっ、これからは雄大さもおらに偉そうな口は聞けなくなるだな、リンゴ隊長と呼んでもらうっぺ。なんぴとたりともおらがここを通さねえ」
(いや、面会希望者は通せよ……しかし少し調子に乗り過ぎてて危なっかしいから軽く釘を刺しとくか)
「……ああわかったよ隊長。じゃあ俺の事は少将閣下とでも呼んでもらおうかなー」
「ぴゃっ?」
リンゴは雄大の付けている臨時の階級章をマジマジと眺めると、よろめき、がっくりと床に手をついてうなだれた。
「しょ、将軍様、だか? さ、さすがだべ……雄大さは常におらの数段上を……くっ! もっと、もっと力が欲しい! 将軍様すらりょうがする力を!」
「いったい何の漫画の読んだらそういうセリフが自然と口をついて出て来るんだ」
リンゴのなりきり具合に呆れかえる雄大。
(まあ、これぐらいへこませときゃいいかな?)
社長室からイライラした感じの六郎が顔を出してリンゴを手招きする。
「おい副隊長! お前真面目にやれよ!」
「あ、はーい」
「あと宮城もこっちへ。殿下がお呼びだ」
「俺も?」
雄大とリンゴは社長室に入る。
大和田理事長とユイ皇女は前々から商売上の取引相手として面識があるらしく親しげに談笑していた。
「いやー本当にユイ社長が木星の皇女様だなんて思いもよりませんで。俺も随分失礼なことをしました。勘弁してください」
「いえ協会の皆様にはただでさえお世話になっておりますのに、今回も大切な貨物船を40隻も提供していただけるなんて……」
「俺達ァ、地球政府の連中やら公社には随分と無法をされてましてね。今回のクーデターはいい気味だと思いましたが──揉め事が長引いたり軍事政権になったりしたらそれこそ商売出来ずにたちまち干からびてしまうんですよ。悔しいけど今、政府や公社の制度が崩壊すると俺達トラックドライバーはクビ吊らなきゃなんねえ。だから揉め事を収めてくれよう、ってユイ社長の言葉は本当にありがたいものでね。社長に船を譲渡するのを渋った運転手は一人も居ませんでしたよ」
「そうですね、いつも政治の犠牲になるのは我々、中小企業の商売人。地球閥でなければなおさら大変な目にあうでしょう」
「そうそう、木星帝国がどうの、ロンドンがどうの、キャメロンのリオルがどうの、なんてのは俺にはわかりません。俺はね、俺達トラック野郎のオアシスである宇宙コンビニぎゃらくしぃ号の社長、ユイさんに俺達労働者の代表として頑張って欲しいんですよ」
ありがとうございます、とユイは優しい笑みをたたえてゆっくりと頭を下げる。
「じゃー、後がつかえてるみたいだから俺はこの辺で。それでは社長、宮城さんも頑張って。またなんか機会があればランチでも」
大和田理事長はユイ、雄大、リンゴと順番に握手してから一礼して出入り口に向かった。
「ホラ、リンゴ副隊長。理事長おじさんをシャトルまでお見送りしてこいよ」
六郎がリンゴの肩を叩く。「隊長、おら持ち場を離れていいだか?」
「アホ、VIPの護衛任務だよ」
「あ! そっか!」
リンゴは大和田理事長の手を引いて社長室を後にした。こうしてみると何か親子のようでもある。
六郎がユイに告げる。
「次の面会希望者はラメラ・キャラバンのイヴォンヌ会長とお孫様のレーベ様です」
ラメラ・キャラバンと言えばアメリカ大陸シカゴに拠点を置くかなり大手の化粧品や美容整形を手掛ける企業でそれこそバリバリの地球系企業であった。
次に入ってきた面会希望者は足を悪くした老婦人とそれを介助する10歳前後の少年だった。
「殿下、おお──私の可愛い殿下」
女性はおぼつかない足取りでユイに向かって歩き出す。
その声を聞いたユイは驚いたように立ち上がると前のめりに倒れそうになる婦人に駆け寄り、その手を取る。ユイの急な動きにロボットが反応したので雄大はまさか逃走と勘違いして発砲しないかヒヤヒヤさせられた。六郎も驚いたらしく安堵の溜め息をついていた。
「その声、その呼び方──お前、リーサ、リーサなのね? そうでしょう?」
「私の事がおわかりになりますか殿下」
「もちろんですとも、もちろん。あなたの声を忘れるはずなんてありません。よくぞ今まで息災でいらっしゃった」
ユイは婦人を優しく抱きしめる。
婦人のとめどなく流れ出る涙をユイは指で拭う。
「本来ならば殿下がお目覚めになられた12年前に駆け付けて、お助けせねばならなかったのに──この不忠者をどうかお許しください
。私は、臆病者でした。名を変え鼻梁と顎を弄り、別人となって 生き長らえておりました」
雄大が後から聞いた話だと、この女性はユイ専属の侍女の一人で魚住京香の先輩にあたる女性であった。
「良いのです、良いのですよ──リーサ、もう泣かないで」
「私は周囲の人間の目を恐れ、木星帝国の人間である事を昨日まで隠して生きてまいりました、恩知らずの裏切り者です。どうぞどうぞ、大恩ある両陛下に成り代わり、ユイ殿下がこの不忠者を罰して首をはねてくださいまし」
婦人の嗚咽は止まらずますます激しくなる一方だった。
「お辛かったでしょう。私の髪を梳き、おめかしを教えてくれたお前の指が、こんなに節が大きく傷だらけに。懸命に、家族のために懸命に働いたのですね。もしやこちらの少年はお前の縁者ですか?」
「はい、そう、そうでございます。孫のレーベです。どうしても殿下にお会いさせておきたくて──息子は、会長職にある私が木星帝国の人間である事が知れるとラメラ・キャラバンのイメージが悪くなると言い、この場には同行してくれませんでした。なので代わりに孫を、私の孫の姿を……両陛下に救われた私の命が無駄ではなかった事の成果を、殿下にどうしてもみていただきたかったのです」
「そうですか、あなたがリーサの孫。聡明そうな顔立ちですね。リーサと同じ、美しい髪と指をしていらっしゃる」
レーベは美しい皇女の前で緊張して、直立不動の姿勢のまま固まっていた。
「私は、あなたのおばあさまがリーサと名乗っていた時に、よくして頂いた者です。このユイの髪、おばあさまから手入れの仕方を教えて頂いたからこそ40年の眠りにも負けず未だに輝きを失っておりません。あなたのおばあさまから賜った、このユイが唯一、人に誇れる自慢の財産です。どうぞおさわりになって。さあリーサも。あの時のように髪を梳いてくださいまし」
少年は緊張の面持ちでユイの豊かな黒髪を撫で、リーサは優しい手付きで手櫛を入れる。
「お綺麗でございますこと、よくお手入れなされて。殿下の御髪は銀河一でございます」
「そうですね、何十年も前に美容メーカーのラメラ・キャラバン前社長夫人から秘伝の方法を教わりましたから。それはもう」
リーサはますます嗚咽の程を激しくして身体の水分を搾り出すぐらいに大粒の涙を零した。
「リーサ、魚住もあの時のまま息災です」
「本当ですか、殿下……京香が」
「お前にこんな可愛いお孫さんがいると知ったら、きっと驚きますよ?」
「魚住は……人一倍忠義に厚い臣下でした、あの京香が、殿下専属の侍女でありながら一人逃げ出して地球の人間と家庭を築いて安穏と暮らしてきたこの私を許してくれましょうか」
「いえ、我々は40年、眠り呆けていただけです。むしろお前を一人にして辛い思いをさせた私と魚住を許してください。さぞ心細かった事でしょう。よくぞ耐えてこられました。そしてよくぞ勇気を出して私に会いに来てくれました。何より私はそれを嬉しく思います。まだ私を殿下と呼んでくれて、本当に胸がいっぱいです」
「もったいのうございます、殿下。本当に、本当に。両陛下にもこんなにお美しく、お優しい女性に成長された殿下のお姿をお見せしたかった」
「私も、レーベを。お前の自慢の孫をお父様、お母様に見せてあげたかった。さぞお喜びになったことでしょう」
ユイも自らの涙を拭う。
「さてリーサ。お前の涙が乾いたらアラミス号の方に移り、魚住と旧交を暖めていくと良いでしょう──六郎?」
「はい殿下」
「リーサを、いえ──イヴォンヌ会長とレーベさんを魚住のところまでお送りしてください」
「かしこまりました。ではイヴォンヌ様、レーベ様、此方へ」
3人が出て行くと、社長室には雄大とユイが残った。黒塗りのガードロボットは物音一つ立てず、この様子を録画し、監視を続けている。こんな 物騒なロボットでも、なんとなくこの場の優しい気持ちを共有する仲間のような気さえしてくるから不思議だ。リーサが出て行った後、ユイは口元を押さえて激しくむせび泣いた。
「しゃ、社長!?」
雄大は予想外のユイの豹変に思わず駆け寄り、胸のハンカチを差し出した。
「み、宮城さん──」
激しく動揺していたリーサの手前、自分まで取り乱してはいけない、と必死で涙をこらえていたのだろう。本当に、泣き出してしまいたかったのはユイ自身だったのだ。
今まで陽光のような優しさを振りまいていたその顔色は急激に青ざめ、首を振って震えながらその場に倒れ込む。
「あんなに綺麗だったリーサが──あんなに、あんなおばあさんになるまで……私は、私はこんなにも長く──ただ眠って、大切な人を置き去りにしてしまった。父も、母も助けられず、自分だけ生き長らえ、魚住やリーサを不幸に巻き込んだ」
ユイは震える手で絨毯を叩き、爪を立てる。
なおも皇女の慟哭は部屋に響き渡る、この声は外で待機している面会希望者にも聞こえているだろうか。
切なく、胸の内をかきむしられるような、自らの無力感に絶望する少女の叫び。
「しっかりしてください社長! だ、大丈夫、大丈夫ですよ。何も社長が罪の意識を感じる必要はないでしょう?」
「でも、でも……宮城さんは、昔のリーサの可憐さを知らないから。私のものより美しかった髪も艶を失って、あんなに白髪が!」
「社長、失礼します」
雄大はしゃがみこむと、怯え、泣き崩れるユイの肩を抱き、身を引き寄せてユイに自分の胸を貸した。
(スピーチの後も倒れたよな……やはり精神的にも肉体的にも負担が大き過ぎるのか)
ユイの肩の震えは止まらない。
「大丈夫ですよ」
雄大はふと、月の歌の話を思い出した。
魚住はユイを慰めるために月の歌を歌ったという。
(魚住さんがいないのなら、俺が……)
雄大は昔、母親の純子が添い寝をして歌ってくれた子守歌を思い出した。そして小さな声で、ユイの耳元で囁くように歌った。母親との思い出を辿りながら歌詞とメロディーをなんとか繋げて拙い歌に変えた。
危うい、と雄大はユイの取り乱す姿を目前にして強く感じていた。
この女性は全てを一人で背負い込もうとして壊れそうになっている。明るいユイも凛々しいユイも優しいユイも。どれもユイの持つ一面の現れだが、それを一つ一つ剥ぎ取って最後に残ったのは今こうして雄大の胸で咽び泣く壊れた精神こころを持つ小さな8歳のユイ・ファルシナだった。両親と故郷を奪われた時の絶望で、大きな亀裂が入った精神こころを持つ少女。
彼女を40年間覆っていた冷たい氷は未だ溶けず、その亀裂は今もなお古傷のように開き、ユイを苦しめていた。
誰よりも大人のように振る舞い、癒やしを与える事が出来る聖母のようなユイ。本当にそういう存在に癒されるべきなのは彼女自身だというのに、彼女には自分を癒やす術がなかった。
(本当は、こんなに小さくて、こんなに寂しく肩を震わせている女の子なのに。魚住さんから、マーガレットから、強くある事を期待され続けてきて、健気に応えてきた……それがあなたの本来の姿なんですね)
雄大が歌い終わる頃には、ユイもようやく落ち着いてきたようだ。
「大丈夫、大丈夫ですよ……あなたには、皆がついています。皆、あなたの事が大好きです。だからそんなに悲しまないで」
雄大には気の利いた言葉を紡ぐ才能はなかった。
だから精一杯、自分の素直な気持ちを言葉に変えて伝えた。
「宮城さん……」
「いいですか社長。気をしっかりもって。大和田理事長も言ってましたけど、ユイ社長は今を生きる人なんです、過去の亡霊なんかじゃない。木星とか皇女とか関係無く、社長を慕ってくれる人だっているじゃないですか。俺だってそうです……俺は今の社長が──明るくて優しくて少しお茶目なところがある社長が──好きなんです。木星のそんなのはどうでもいいんです。今、俺はあなたの悲しむ顔を見たくない。だから、いつもみたいに俺の好きな笑顔を見せてください。社長──ユイ様、今、俺のために笑ってくれませんか?」ユイは雄大にしがみつくとしばらく押し黙って呼吸を落ち着けているようだった。
ガードロボットの後ろの隙間からざわざわと人々の困惑した声が聞こえてくる。皆一様に突然の咽び泣く声に驚き、皇女の身を案じていた。
「大丈夫ですか?」
「はい」
ユイは小さく答える。
「皆が待っています、面会を続けましょう」
「取り乱して申し訳ありませんでした──まさか、行方知れずだったリーサが……素性を隠して生きていたとは」
「親しかったのですか」
「はい、それはもう。私の姉のような。実の兄弟姉妹よりも本当に……」
ユイは落ち着きを取り戻し、その血色も健康的な物に戻る。
「良かったです、いつものユイ様のお顔になりました。もう、大丈夫ですね?」
ユイは普段にも増してとびきりの、弾けるような笑顔で雄大に返事をした。
「はい!」
◇
長い中断があったものの、ユイと支援者達の面会は再開された。
六郎とリンゴも揃い、大和田理事長絡みで呼ばれた雄大も流れでそのまま面会に立ち会い続けた。
面会希望者の最後は民間の武装警備会社の最大手ファイネックスのサタジット・レイ・カンという威風堂々とした戦士だった。民間警備会社と言えば綺麗でお堅い仕事に見えるが、金を貰って暴力を振るうその様は傭兵、賞金稼ぎ、用心棒と呼ぶのが相応しい裏稼業だ。
浅黒い肌をしたこの男は今までの者達と違って、ユイに対して礼を取る事はなかった。
六郎の眉間に皺が寄りスッと音も立てず前に出て来るがユイはそれを手で制した。
「見れば見るほど綺麗だねえ、眠り姫さんのお顔は。ま、ちぃとばかしションベン臭そうだがな。何人か男に抱かれてあと7、8年もすりゃ色気が出て俺好みになるだろうぜ」
「オッサン、威勢が良くて結構だが五体満足で自分の船に戻りたいのなら、殿下への暴言を謝罪するんだな」
「──お前どっかで見た顔だな、えーと」
「俺の話はどうでもいい、謝罪しないか」
六郎の顔が歪む。
「む──?」
六郎の出した射るような殺気を受け止め、少したじろぐサタジット。
「六郎控えなさい……なるほど、ファイネックス社は私達に警告の毒矢を送ってきたのですね」
「おほっ、俺が毒矢? そりゃいいや。さて用件を手短にいうとだな、ファイネックスの船は正体不明の政治犯には譲渡しねえし、あんたがたらしこんだ土星の艦隊にも加わる気はねえ。俺達は独自の判断で治安維持活動を行い、経費を政府に請求するつもりだ──なんだよこええ顔すんなって番犬ども」
六郎とリンゴ、雄大はサタジットの顔を睨み付けていた。
「まあとにかくだな。あんたが可愛い顔で泣き落としをしても、預金通帳で頬を叩いても、あんたになびかない奴はごろごろいるんだって事を、甘々の眠り姫ちゃんに伝えに来たのよ。ウチの社長言ってたぜ、あんたみたいな女の涙を武器にして世渡りしてる小娘を見ると、同じ女として虫酸が走る、ってな」
サタジットは言いたい事だけ言うとさっさと退出してしまった。
誰も引き止めも見送りもしない。
「なんかおら、ここ最近で一番腹立ってきただよ!」
リンゴは手をぶんぶん振り回して苛立ちを発散させようとする。
「確かにあんだけ態度のでかい野郎にあったのは久々だ。面会もあいつで最後だし、塩でもまいておきましょうや」
舌打ちする六郎に対してユイの方は軽く笑みすら浮かべていた。
「ああやって本心を隠すことなく、わかりやすい敵意を向けてくれるとかえって気が楽になると言うものです。腹の探り合いをしなくても良いのですから」
「さすが、殿下はお強くていらっしゃる」
六郎は笑うと面会用に色々と動かしていた物を元の位置に戻しはじめた。片付けが終了し、騒がしかったリンゴと六郎が去ると、社長室はようやくいつもの様子を取り戻す。
ガードロボットがユイに向けた銃口を下ろすと再びユイと雄大を隔てる半透明の檻が現れ、ユイの手は鎖で繋がれた。
身を寄せあうほど近くにユイを感じる事が出来たのに、再び少し遠い存在になる寂しさ。
雄大は今更ながらユイと自分を隔てるこの檻の存在を疎ましく感じた。
「宮城さん」
「はい、なんでしょう?」
「先程は本当にありがとうございました。あなたと出逢えて本当に良かった。あなたがこの船にいらっしゃってから万事がうまく運んでいます」
「そんな──俺が来たからという訳ではないですよ」
「いえ、宮城さんの行動は少しずつ私達を成功に導いてくれている、そんな気がしてなりません。そして──皇女ではなく、社長としての私を見てくれる。そんな方が傍に居てくれるのが──こんなに心強いとは」
目元に少し涙の跡が残っている。ユイの顔を眺めていると先刻、彼女を抱き寄せた感覚がよみがえり、雄大の胸は熱くなった。
「そんな宮城さんが好きだと言ってくださった笑顔。私は少しでも多く笑おうと思います」
ユイは檻の隙間から手を差し伸べ、雄大はそっとその手を取る。
「また、私から笑顔が消えたら、月の子守歌を唄ってくださいね」
ユイは少し照れながらも雄大を真っ直ぐに見つめた。
「あ、あんなのでよければ何時でも」
「何時でも、ですか?」
ユイは急に真剣な顔付きになる。
「それでユイ社長の苦しみが和らぐのなら、お易い御用です」
苦笑いしながらも頼もしげな余裕をたたえる雄大。その顔をユイは首を傾げて覗き込むようにして見上げた。
「良いんですか? では明日から毎晩、宮城さんを呼んじゃいますけど──」
ユイは冗談のような話を真顔でし始めた。
「──か、からかわないで。だいたい毎晩ここに出入りなんてしてたら俺、マーガレットや魚住さんに撲殺されかねないです!」
「やっぱりそうですよね……ちょっと残念です」
毎晩子守歌、の話が本気か冗談半分かよくわからないが、ユイはすっかりいつもの調子を取り戻しているようだ、雄大は優しい眼差しで五歳年下のユイを見つめた。
「そうだ、社長は随分お疲れになっているんじゃないかとおもいます。小田島先生にお薬を出してもらって十分休息をお取りになってください」
「そうですね。面会も終わりましたし……では眠くなるお薬を飲んで、宮城さんの月のお歌を思い出しながら……」
「では社長。俺はこれで」
「はい……」
雄大は小田島医師を呼ぶべく社長室を離れた。多少のトラブルはあったものの面会の人や騒々しいリンゴの声などで活気に溢れて賑やかだった社長室を静寂が支配する。
ひとりぼっちになるのが少し辛そうなユイの表情の変化に後ろ髪を引かれる思いだった。
この作戦を成功させ、地球政府の認識を改めさせなければ、ユイを閉じ込めるこの檻や、ユイを苦しめる過去との訣別は難しいだろう。
(木星帝国の主権回復のためだけではなく社長個人の心の傷を癒やすためにも絶対に負けられないな、これは)
マーガレットに励まされ奮起した雄大の覚悟に、ユイを救いたいという気持ちが加わり、益々固い決意となっていく。自分の人生にすら逃げ腰だった青年の心は少しずつ、そして着実に強く変わろうとしていた。
◇
旧友であるリーサが魚住の元を訪れようとしていた時のこと。
アラミス支店号のブリッジで、魚住は正体不明の船団の主と交信を交わしていた。魚住は心の動揺を隠せないまま交信を終了する。
「俄には信じられないけど、有り得ない話では無いのよね……」
ユイに伝えるべきか、それとも黙っていた方が良いのか、魚住は難しい判断を迫られていた。
「いや、今やるべき事は目前の敵を倒し争いを収める事──ユイ様には先ずそれに専念していただかなければ。相応しい時が来るまではユイ様御本人には内密で──」
先刻リクセンが発見した、木星帝国の旗印と似たものを掲げる謎の船団は確かに『木星帝国』にとってこれ以上はないほど心強い味方には違いない。
だが、その船団とその主の正体は、ユイ・ファルシナ個人にとっては心掻き乱す一大事となる。
「あなた達? 今の交信内容は一連の処理が終わるまで一切他言無用です。特にユイ様のお耳には入れないように! いいわね? わかった?」
魚住はブリッジクルーを一人一人直接脅して回るような勢いで忙しく歩き回り口外を禁じた。
「この作戦が終わった後も忙しくなりそう……」
魚住は艦長席に腰を下ろすと、手元のデータベースから木星帝国の皇室典範や議事録などを引っ張り出して何事か調べ始めるのだった──




