木星の旗に集う者たち②
この52年間というもの銀河公社による船舶の一括管理と、航路の拡張と整備は惑星間航行の安全性を飛躍的に向上させた。
軍の取締り強化により海賊やそれに類するいかがわしい犯罪の件数は目に見えて激減して連邦市民達は惑星間観光を気楽に楽しむ事が出来るようになっていた。
恩恵を受けたのは市民だけではない。
企業連合体にとって「太陽系全体を統べる一つの国家」が誕生した事は、統一規格による劇的なコストダウンと手続きの簡略化をもたらし、停滞気味だった人類の経済活動はここに歴史的な発展を遂げた。
しかしながら。
この恩恵を享受していたのは公営企業『銀河公社』とその関連企業、いわゆる地球閥の企業がほとんどであり、旧木星帝国の所属だった大企業や、一大勢力である火星西部企業連合体ウエストマーチャントのような開拓惑星系企業は、連邦政府がふっかけてくる無理難題、突然の『統一規格』『販売規制』『仕様変更』に苦しめられていた。
各惑星には連邦政府総督府が設置され、各開拓惑星がそれまで行っていた独自の議会とは別にもう一つの政府が生まれていた。
金星、水星、土星の旧開拓事業団は地球閥の傘下に入る事で生活水準が大きく向上するため喜んでこれを受け入れ、総督府の設置を受け入れない木星帝国を「人類統一国家の実現を邪魔する悪の帝国」と非難していたが、地球閥による木星王家に対する仕打ちが明るみになるにつれて歓迎ムード、戦勝ムードはすっかりなりを潜めてしまった。
各惑星の総督府は、政情が安定するまでの仮の機関だったが当初予定されていた期日を過ぎてもなお存続し続けている。移民達は経済的発展と引き換えに、自らの先祖達の名前を冠する多くの中小企業とその誇るべき開拓の歴史を失ってしまったのだった。
──時を経た今。
華やかなりし頃の開拓惑星の栄華と自由を懐かしんで嘆くのは老人達だけとなり、若者達は何の疑いもなく地球閥によって塗り替えられた世界を安全で快適な物として受け入れるようになっていた。
人類国家全体としての幸福度は格段に上昇して人々を豊かにしたが、それは一部の市民から不当に奪い取られた権利や富から作り上げた、まやかしの幸福とも言えるだろう。
そんな時代に太陽系惑星連邦市民にとってセンセーションな事件が起きた。
地球政府転覆をはかる軍部のクーデターと、それを阻止せんとする木星帝国の残党の登場である。
一般的にはその存在が認知されていなかった当時8歳の木星帝国第一皇女が52年ぶりにその姿を現した事で、進んでいたはずの時計の針は無理矢理半世紀ほど巻き戻されてしまった。
マグバレッジ議長とその息子であるマグバレッジJr.は大衆を上手くコントロールしていたが、連邦市民達にとって安定した政治は刺激に欠ける退屈なショーに過ぎなかった。
マグバレッジ家特有のアクの強いハンサム顔に飽き飽きしていた一部の市民、取り分け刺激を求める若者達はこの一連のクーデター騒ぎと、若く見目麗しい皇女の登場に熱狂した。
太陽系に鮮烈な風が吹く。
ユイ・ファルシナの起こした風は──
──稲穂なぎ倒し荒れ狂う嵐となるか、花の種子運ぶ一陣の春風となるか──
◇
ユイがスピーチを終えてからきっかり五時間後。
正統木星帝国第一艦隊旗艦・巡洋艦『ぎゃらくしぃ本店』号(恒星間航行民間武装商船からの名称変更申請中)は土星のサターンベース駐留守備艦隊を伴って出港した。
『さあ、木星帝国第一艦隊旗艦、ぎゃらくしぃ出港します! 目的地、地球! 皆様、頑張って参りましょう!』
ホロ映像のユイ皇女は溌剌とした笑顔で、ビッと前方を指差す。少し間が抜けて見えるかも知れないがこれもまた彼女の持ち味なのだろう、この笑顔と澄んだ声は不安な気持ちを拭い去ってくれる。
「了解、ぎゃらくしぃ出港します」
雄大はサターンベースから宇宙軍の軍服をもらい受けていた。緑色に金の縁取り、グレーの肩章。赤いラインが入ったズボンは膝の下までゆったりとした作りで膨らんでおり、長めの黒いブーツの手前で絞り込んである。これはサターンベースで着用される将校用の服で、雄大が着ていた月の連邦士官が着る物とは色指定と細部が異なる。
(まさかこういう形で将官位の階級章を着ける羽目になるとはなぁ……制服もシャイニーロッドのクルーから尉官用のやつを借りても良かったんだけど)
雄大はこの軍事行動の間だけ、臨時で「少将」並の権限を与えられた事になる。これは連合艦隊を組むモエラ基地指令と雄大が同等である事を意味していた。万が一、モエラ基地指令やユイ皇女に何かあった際を想定してリクセンが提案した事である。
(将官位の制服に、階級章か。親父は……俺のこういう姿に期待して、熱心に士官学校を勧めてたんだろうな)
ユイは身体にフィットする鎖帷子チェインメイルに強化セラミックと銀細工で出来た楕円形の装甲を貼り付けた煌びやかな金星コロニー製のフライトスーツを着込んでいた。身体のラインを隠す為に上から大仰な古めかしいマントを羽織っているのだが、このマントという奴は黒髪のユイ皇女が着ても一気に大昔の欧州の王侯貴族感が増すから面白い。
ユイまでもがフライトスーツを着込み、旗艦の操舵士如きに少将並の権限が与えられた事が何を意味するのか。
おそらくはユイ皇女の旗艦を、艦隊が敗れ崩壊しようとも最後まで守り抜く役目を期待されているのだ。
自分の責任は非常に重大だ、雄大は身が引き締まる思いだったが、身近には若干名、もう一つ身が引き締まってない人達がいた。
『目的地、太陽系第三惑星、地球!』
ホログラム映像のユイは、メインビューワーに向かってビッ、と人差し指を向けて殊更に芝居がかった口調で言い放つ。マントを勇ましくひるがえし、腰に手を当てて決めポーズをとっている。
映画か何かのワンシーンのような大仰さ。
ユイはかれこれ三回ほど同じような『出撃ごっこ』に興じており、ブリッジ内の雄大とマーガレットは呆れて顔を見合わせていた。
ぱちぱちぱち……とまばらな拍手。
『なんと凛々しいお姿でしょう! 魚住は殿下のそういうお姿を見られて感激しております!』
ビューワーの向こう側に映る魚住は、まるで子供のお遊戯を見守る母親のような優しい眼差しをしていた。
『じゃあ魚住の為にもう一度やってみますね?』
ユイも子供のようにはしゃいだ声を出す。
『今度の決めセリフは「打倒、銀河公社」でお願いします!』
魚住京香はユイが3歳の頃から仕えてきた専属の侍女だという。母親に連れられて白の宮殿リオネルパレスに入った月出身の13歳の少女はユイと共に17年、そして共に40年の眠りについてきた。
(ユイ皇女と魚住さんの時間は、戦争が起こる前の幸せな時間で止まっていたのかも知れない。この人達の心は、もしかしたらまだ8歳の幼子と18歳の少女のまま──)
幼子をあやすための月の歌、ウサギの踊り。
一人、得心がいった雄大はやれやれと呆れながらも微笑ましいユイと魚住のやり取りを目を細めて見守った。
「──ユイ様! もうそれはいいですから。魚住、あんたもユイ様で遊ばないで!」
マーガレットが悪乗りしているユイと魚住をたしなめる。
『ご、ごめんなさい……前から一度、こういうのやってみたかったので』
『ま、まあユイ様をお責めにならずともよろしいではないですか。地球や月には近寄ってはいけない事になってましたからね、はしゃぐお気持ちはこの魚住にもよ~く分かります』
「一番はしゃいでるのはあんたじゃないの。通信、切りますからね」
『ひえっ!?』
マーガレットはコンソールを操作してアラミス支店号との交信を打ち切った。
『マーガレット様ちょっと待っ──!』
ぎゃらくしぃ号ブリッジのメインビューワーにはおよそ30隻ほどの多種多様な民間船が映し出されていた。
操舵士席の雄大はレーダーに映る船の数に驚く。
「まだまだ合流を希望する船舶が行く先々で待機してるみたいですよ。212兆ギルダの埋蔵金で買い取りするっていうのが効いたんでしょうかね」
ビューワーの端にはぎゃらくしぃ号に寄せられた激励のメールや譲渡を希望するメールが何通も映し出されていた。
「お金の力ももちろんあるでしょう。でも、これはユイ様の高潔なるおこころざしに感銘を受けた者達から託された『平和への願い』だとわたくしは信じております」
マーガレットはユイに笑いかける。『そうですね、これは皆様から託された大切な気持ち。私はこれを力に変えて有効に活用せねばなりません』
「でしたら、先程のような悪ふざけはほどほどに」
『は、はい。ごめんなさいね、メグちゃん』
少ししょんぼりしたようなユイ皇女の姿に雄大は幼き日の皇女の姿を思い浮かべる。
(こういう子どもだったんだろうな……ちょっと抜けてるところもあるけど、活発で明るくて素直な子)
「でも、ユイ様、この大量の船……乗組員を下ろして、どうなさるおつもりなのですか?」
『その辺りは、ウシジマさんとラフタさん、そしてサターンベースから連れてきたロボットさん達にお任せしてます』
ユイは指を立てて得意げにフフンと笑う。ホログラムドローンが航海補助ロボットの近くに移動する。
『いま、民間船にこの子のコピー達を搭載する作業の真っ最中です。そしてこの「ウチの子」が、コピーを通じて全部の民間船の動きを一括管理するんです』
(え? このポンコツロボットが? 処理能力大丈夫なの?)
マーガレットは少し驚いて、誰にも聞こえないほどの小さな声でぼそりと呟いた。物言わぬ大きなコンピューターの箱をペンペン、と軽く叩く。
『マーガレット閣下、あなた今──こんなポンコツ、本当に役に立つの?──って、思いましたね?』
メインビューワーが勝手に切り替わり、ブリッジにダンディーな声が響きわたる。
「ヒャんッ!?」
ビューワーに映し出されていたのは巨大な蟹か甲虫のような形状をした多脚型ロボット、ウシジマだった。自分が心の内で思っていた事をそっくりそのまま言葉にされてマーガレットは動揺してあたふたしている。
『前々から思っていたんですけど、閣下はこのロボットの事、単なるプログラム通りに動く原始的な自動操縦システムだと思って──舐めてますよね? 機能を十分に使いこなせてないのは自分のせいなのにポンコツ扱いするのはどうなのでしょう?』
「え? そ、そんな。そ、そ、そ、そんな事思ってませんわよ?」
『──ホ~ントでェすかァ~?』
いつも大人しく温和な性格なのに今日はやけにマーガレットに絡んでくる。さすがにこれにはマーガレットもタジタジだ。
「ひええ? な、何なのよもう~、ば、馬鹿にしてませんってば!」
『ま、そういう事にしておいてあげましょう』
ウシジマは説明を始めた。
『ぎゃらくしぃ号のブリッジに設置したそのロボットは、本来は私のように独立した人間型のボディを与えても構わないぐらいの高性能なロボットです。自らのコピーが組み込まれた船と短信でコミュニケーションを取り、自分の行動をトレースさせたり命令を出したり出来るのです。A個体からB個体、B個体からC個体、と言うようにコミュニケーションの糸で繋がれたシステム同士は一つの大きな群体としてまとまり、意識を共有します。艦隊として統率された動きをするには多少工夫が必要でしたが、そこはプロモ基地に残されていた円卓の騎士計画のデータを盗用パクって──いえまあ詳しい話を始めますとライセンスBB止まりのマーガレット閣下の理解力を超えてしまうのでわかりやすく言いますと、幼年学校の生徒が夏休み工作でプログラミングするドローンの編隊飛行ダンスの規模を大きくして、少し改良しただけの単純なものですよ』
(『自分と同じ人間型』とかパクリとか、相変わらず色々とツッコミどころの多いロボットだよな)
(ライセンスBB止まりって──わたくし、もしかして物凄く馬鹿にされてるのかしら。気のせいかウシジマの言葉から強烈な敵意を感じるんだけど)
(気のせいじゃなくお前、どう考えてもウシジマさんから喧嘩売られてるぞ。まさかこの航海補助ロボットの事、ポンコツポンコツって普段から馬鹿にしてたんじゃないのか? それが今回のコピー作業でたまたまバレちゃった可能性あるぞ?)
(え、え~?)
(ここは素直に謝っておけ、あ、ウシジマさんじゃなくて航海補助ロボットの方に謝っておいた方がいいと思う)
(あ、うん……)
マーガレットは航海補助ロボットに向かって頭を下げる。
「ご、ごめんね。もうポンコツとか言って蹴ったり八つ当たりしないから……」
やっぱり普段からロボットに八つ当たりしてたのか、と雄大は呆れる。『さすがワイズ伯爵家は銀河に名だたる武門の家柄であらせられます。自らの過ちを素直にお認めになる潔い姿勢は下々の模範となりましょう』
ウシジマはようやく機嫌が直ったようで態度をガラリと変えた。二言三言、マーガレットを持ち上げて褒め殺しにすると、ユイに作業の進捗状況を報告して通信を終了する。
嵐は去った。
ブリッジ内の2人とホログラムのユイはようやく人心地ついたようにホッと息をつく。
『……メグちゃんも災難でしたね』
「もう、ユイ様も何か助け船を出してくだされば良かったのに、公開処刑されてるみたいでわたくし生きた心地がしませんでしたわ。み、宮城もわたくしばっかり悪者にしてないで、ウシジマに何か言い返してくれても良かったんじゃない?」
雄大を見据えるマーガレット。
「こ、今回はお前が、ウシジマさんの仲間ロボットの悪口言ったり、蹴り飛ばしたりしてたのがバレたせいなんだから仕方なかったんじゃないか?」
「む~っ!」
拗ねた顔で上目遣いに見上げてくるマーガレット。
(あれ、なんかコイツの困り顔──可愛い?)
長々と直視できなくて慌てて視線を逸らす雄大、鼓動が高鳴る。
「わ、わたくしが悪くても、あんたはわたくしの味方でいなさいよ」
「え、え~? そんなむちゃくちゃな」
『……』
ユイはドローンのカメラを通してマーガレットと雄大の様子を交互に見ていたが二人の距離感や声のトーンなど、ちょっとした異変に目ざとく気付いた。
『あの……なんか……おふたり、ちょっといつもと雰囲気違いません? なんとなく会話がぎこちない感じですけど。何かありましたか』
「え!?」
ユイの指摘で、マーガレットと雄大は出港前の告白寸前の良い雰囲気を思い出してそれぞれ顔面を紅潮させる。
「そ、そうですか?」
「大きな作戦の前ですから緊張してるんですよ~」
『私の見てないところで喧嘩とかしてませんよね?』
してません、してません、と二人揃って首を振り振り否定する。
『絶対、二人してなんか隠し事して私だけを除け者に……わかっちゃうんですからね』
頬を膨らせてそっぽを向いて拗ねるユイ。
(ドローンのカメラ越しなのにやけに鋭い!?)
「あ、あー、実はちょっとさっき宮城と喧嘩してちゃって……す、すいません。公務には支障が出ないよう心掛けますのでお許しを」
マーガレットはわざとらしい笑顔を作って、嘘でなんとか取り繕おうとするがユイには何か確信めいたものがあるらしく簡単には信じてくれそうになかった。
『ホントですかァ~?』
ユイはそっぽを向いたまま、先程のウシジマの声真似をした。これはおそらく、魚住と悪ふざけをしていたのをマーガレットに怒られた事に対する仕返しでは無いだろうか。
「ゆ、ユイ様~!?」
『ふーん、だ』
子供の頃のユイ皇女は、たぶんちょっとだけ意地悪な子だったに違いない。




