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銀河コンビニぎゃらくしぃ  作者: てらだ
31/186

新生、木星帝国第一艦隊③

「では、よろしく頼みます。どうぞこのユイに少将殿のお力をおかしくださいませ」


「はい、それはもう。太陽系惑星連邦と木星帝国の和解、ひいては地球市民と開拓惑星の市民の相互理解を望む殿下の真心……必ずや大勢の人々の心を打つ事でしょう」


「では撮影に支障が出ますから、この檻を外しますね?」


 ユイが壁に埋め込んである端末を操作すると、社長室の通常出入り口の真横の壁が、音を立ててスライドしていく。壁は出入り口を塞ぎ、ちょうどガードロボットが待機している定位置に新たな出入り口が開く。壁だと思っていた部分は二重構造のスライド式ドアの内郭に当たる部分になるようだ。


(ターマイト鋼材のスライド式二重ドアに特注品ぽいガードロボット……社長室のセキュリティーは万全だな)


『ガードシステム起動。ランクD思想犯ユイ・ファルシナ、カラノ緊急避難要請ヲ受諾シマス』


 ユイが手錠に付いたボタンを押すとロボットは警告音を出しながらガトリングガンの安全装置を解除した。武装という武装がユイの頭に、心臓に、脚に照準を定める。


 それと同時に半透明の檻が段々細くなり、最後には何か霧のようになって空気清浄機の吸気口に吸い込まれていく。


『エナジーフィールド解除、シマシタ。警告、監視エリア外への移動ハ逃亡トミナサレマス。連邦政府議長マグバレッジJr.ナイシハ連邦宇宙軍元帥オービルノ認証ナシニ監視対象者ガ監視エリア外ヘ移動スル事ヲ禁止シマス。対テロ特法7条オヨビ23条ヲ適用シテ監視対象者オヨビソノ逃走ヲ幇助スル者、マタハ当システムノ排除ヲ試ミントスルアラユル障害ヲ破壊スル事ガ許可サレテイマス』


 半透明の檻が消え去り、ユイと社長室に集まっていた面々を隔てる物は無くなった。


「毎回こんな面倒臭い事を?」


 雄大は驚いてユイとガードロボットを交互に見る。


「はい、それこそ何百回……何千回と。最近この子にも愛着が湧いてきましてね。良い名前がないか考えてるんですよ」


 ユイはガードロボットを指差して楽しそうに笑う。


「ではどうぞ此方へ」


 ユイが手招きすると、おっかなびっくりの様子でサターンベースの人間らしい軍服を着た者と民間人の男女が数名、社長室に入室する。


 彼等はユイがモエラ少将に頼んで手配して貰った民間の高速ネット放送局、いわゆるニュース屋、そしてサターンベース軍広報の技術者である。


「はじめまして。私が正統木星帝国第一皇女ユイ・ファルシナです。この度は急な依頼にもかかわらず撮影の件、快諾いただき誠にありがとうございます」


「おお~……すっげえ……画像で見てたのとは、別人、みたい、な」


「綺麗な髪……」


 ニュース屋連中は、生で、しかも間近で見るユイの放つオーラのようなものに圧倒されて固まっていた。


「君達、皇女殿下がご挨拶してくださってるのに棒立ち、ってさ。その不遜な態度は無いんじゃないの? 君達の局に最初の配信をさせてあげよう、っていう私に感謝、そして皇女殿下に跪いてご挨拶なさい、ホラ、頭が高いよ頭が」


 モエラ少将が若いディレクターとカメラマンの頭を軽くポンポンと叩いて頭を下げさせる。


「こ、これは私の出る幕がありませんね」


 苦笑いする魚住。


 本来なら秘書的な役目をする魚住が完全に蚊帳の外に追い出されていた。この場は完全にモエラ少将が仕切っていて、恐ろしく手際良くセッティングや打ち合わせが進んでいく。威厳ある少将閣下というよりは芸能界の大物プロデューサーや政治家の第一秘書あたりが適任の人材なのかも、と雄大は苦笑いした。


「今から何をするんです?」


 雄大は手持ち無沙汰になってる魚住にこれから何が起こるのかを尋ねた。


「今から、ユイ様は木星帝国の再興を宣言し、ユイ様のために戦う兵士を召集するのです」


「えっ?」


「随分と予定が早まりましたが……戒厳令下の現在、ニュースに餓えている太陽系の全市民へ向けて、ユイ様がその存在を明らかにするのですから効果は絶大ですよ。今回の好機を逃すともう二度と我々は歴史の表舞台には出られないかも知れませんし。私が判断してユイ様にお願いしました」


「そんな事をして大丈夫なんですか?」


「通常時なら、無事では済まないでしょうが、今は月も地球もクーデターで大騒ぎですから、地球閥の動きも封じられています。どさくさ紛れにこっそり公的な発言として主張しておくのですよ」


「地球閥は、それそれとして、現在の木星の統治は連邦の派遣した総督が行っている状態なんですから、後々大変な事になりませんかねえ?」


「まあ今から起こる事を間近でご覧になってください。宮城さん、貴方は今から、木星帝国再興の第一歩という歴史的な瞬間に立ち会うのです」




◇地球政府、イギリス、パディントン駅前広場、その上空には大型のホログラム・ドローンが待機し、空一面に政府広報局からの『戒厳令下の行動についての手引き』『最大望遠で撮影された第一艦隊の映像』『交通規制情報』を映し出していた。


 如何に粒子砲の威力が大気圏内では弱まり命中精度が落ちるとは言え、戦艦の主砲の出力で放たれれば地表の建造物は無事では済まない。ましてやレイジング・ブルの装備であるレールガンや熱核弾頭による攻撃に対してロンドンの防空装備は役立たずであった。


 人々は我先に、とレイジング・ブルの標的ではないかと推測されているロンドン、そしてイギリスから逃げ出すためにヒースロー空港へと向かっていた。地球の旧陸軍、テランガードの軍人達は民間人の避難が滞りなく進むように部隊を展開させ、群集がパニックに陥らないように懸命に対処していたが、待機列で気が狂ったように泣き出したり緊張から体調不良を起こして倒れ込む者達をうまく捌けずにいた。遂に、ストレスの捌け口代わりに女性や老人などの弱者を殴りつける若者の一団や富裕層の手荷物を強奪するような他者への犯罪行為に走る者が現れた。こうなると群集は群集同士で喧嘩を始めテランガード達の口頭による注意は段々無視されるようになっていく。細かいストレスが積み重なっていった結果、パディントン駅前に集っていたリニア待ちの群集は暴徒化一歩手前の状態になっていた。テランガードの中年の軍曹は、老人を蹴りつけていた若者2人組をライフルのストックで殴り倒し押さえつけた。彼等は口々に「待機列に無理矢理割り込んできたジジイを逮捕しろ」「先に杖でむちゃくちゃに暴れてたのはクソジジイだ」と言ってわめき散らす。


 軍曹が老人の倒れ込んでいた方を見ると既にその姿はなく、杖だけが現場に残されていた。


 不意に。


 『戒厳令下の行動の手引き』の画面がシャットダウンされた。人々はぼやくのを止め、軽快に踊る『ニュース速報!』と書かれた文字列をまるで天啓にすがる巡礼者達のように一心に見つめた。


 軍曹に向かって罵詈雑言を吐いていた若者達は、切り替わった画面に映し出された貴婦人の姿を見て言葉を失い、老牧師は「天使様がいらっしゃった」と、その場に跪くと十字を切り頭を垂れた。それを見た周囲の数人も十字を切りしゃがみ込んで青い空に映し出されるユイ・ファルシナの笑顔を見上げた。


 雑然としていた広場の喧騒は止み、驚くべき静けさがその場を支配した。駅長や駅員達も何事かと思いリニアの進行を一時止めて事態の成り行きを見守った。


『全太陽系惑星連邦の市民の皆様、お初にお目にかかります。私は60年前に起きた地球・木星間戦争の大罪人、ビルフラム・ファルシナが娘、木星帝国第一皇女ユイ・ファルシナです。40年の冷凍刑を終え、夢うつつの世界から現実に戻ってまいりました』


 木星帝国の響きに過敏反応した老婦人の一団から悲鳴のような声が上がる。


「ファルシナ? 木星帝国の人間は皆死刑になったんじゃないの?」


「報復よ! 木星帝国の生き残りが……氷漬けにされた木星人が、親の仇討ちに地球の人間を殺しに来たのよ!」


「殺しておけば良かったのよ!」


「木星亡霊ジュピターゴーストめ! 自分の星に帰れ!」


 老婆の「殺しに来た」という叫びに反応して恐慌状態に陥る者も多数いたが、それも程なくして収まっていく。皆が、何かにすがるように突然現れた見目麗しい高貴な少女の語る言葉を一言一句聞き漏らすまい、と固唾をのんで大空に投影されたユイを見つめた。




『この度、私が恥知らずにも皆様の前に顔を出したのは皆様の友としてこの混乱を収めるためでございます』


 ユイは深々と頭を垂れ、顔を上げるとそれまでの笑顔から一転、神妙な面持ちで語り始めた。


『現在、月の第一艦隊がクーデターを起こし、連邦政府ビルに、いえ、皆様の暮らす街を焼き払わんとしてロンドンに照準を定めている、というまことしやかな「嘘」が流布されております。しかしながら皆様の真の敵は「キャメロット」なる政治結社であり、第一艦隊の宮城裕太郎司令官はその脅威から皆様の街を守るため、勇敢にも単身立ち上がったロンドンを守る騎士でございます』




 ユイの横に別スタジオで撮影されている年配アナウンサーの姿が映し出される。アナウンサーは早口でベラベラとまくし立てる。


『皆様、さぞや驚かれた事と思いますが、どうぞ落ち着いて画面に映る美しい女性の言葉に耳を傾けて最後までお聞きください。これは我々、民間放送局ミルドナット社が宇宙軍サターンベース基地指令モエラ少将の協力を得て放送している軍事用緊急回線を利用したライブ配信であります。これこそが情報統制下における真実の報道です。なお、この配信の著作権放映権はフリーです。各放送局の皆様は自由にこの配信を複製し、可能な限り大勢の連邦市民に繰り返し、繰り返し拡散してください。はい、皆さんのミルドナット社「真実はいつもここにある」でおなじみのミルドナット社が社運をかけて放送しております。ユイ・ファルシナ皇女殿下の略歴やお人柄、52年前の冷凍刑、今回のクーデター事件の詳しい経緯などを網羅したパーフェクトデータファイルも同時公開しておりますがこちらは有料コンテンツになっております、あしからず。それでは引き続きユイ・ファルシナ皇女殿下から太陽系惑星連邦市民の皆様へ向けてのメッセージの様子をご覧ください』アナウンサーの解説を挟んでからユイのスピーチが再開される。


『私は今から三つ、皆様に謝らねばなりません。皆様の中には木星帝国と聞いて危険なテロリストを思い浮かべる事でしょう。木星帝国の軍艦、兵器は不法に廃棄を免れ当時の木星帝国の資産管理者達の手によってアステロイド・パイレーツなどの武装組織に安値で引き渡されてしまいました。現在、地球の皆様の安全な航海を脅かす武装組織に過大な力を与えてしまったのはかつて幼子であったこのユイの身に、この声にそれを止める力が無かった故でございます。先ずはその事を詫びねばなりません。次に開拓惑星系市民の皆様が現在、各地において肩身の狭い思いをなさっていらっしゃる事を聞き及び、大変心を痛めております。40年間の冷凍刑を終えてもなお木星の引き起こした騒乱が原因で開拓惑星系市民の皆様が不遇を囲っていると知った時、我が身の不甲斐なさを痛感しました、これは私が40年間安穏と眠り惚けていたせいでございます、誠に申し訳ございません。そして最後、三つ目。木星帝国との縁が深かった企業、またわたしの父と母を愛してくれた方に苦痛を与えたこと、そして60年前の不幸なすれ違いで命を散らしたすべての戦死者とその遺族の皆様に、私は詫びねばなりません──太陽系全体にこのような騒乱と人々の確執、苦悩を振り撒いた元凶の身でありながら、恥ずかしげもなく生き長らえている我が身をどうか、どうかお許しください』


 ユイはこの謝罪の言葉を紡ぎ出す間に三度、床に手を付き、額を床につけた。父と母、という言葉を口にした瞬間、瞳にたまっていた涙の雫が二つ、三つ零れ落ちた。


  


 パディントンに、トラファルガー広場に、ヒースローに、ニューヨークに、北京に、リオデジャネイロに……木星宇宙港ロビーに、ルナシティ幕僚本部ビル前広場に……


 ユイの謝罪の言葉は朗々と響き渡り、その何処までも深い漆黒の、吸い込まれてしまいそうな銀河の瞬きを閉じ込めた潤んだ瞳と、絹織物の如くきめ細やかな波打つ黒髪のインパクトと相俟って市民一人一人の心に、その存在を強く印象付けた。




(この娘! 私に匹敵するレベルの! 演技派の政治家じゃないの!)


 マグバレッジJr.は執務室でこのユイのメッセージを聞いて慌てて立ち上がる。立ち上がる際に椅子の脚に躓いてバランスを崩し、サイドテーブルの上にもたれかかった。置いてあった記者会見用の原稿とインク瓶は床に落ち、自慢の純白のスーツにインクの飛沫がかかってしまう。胸から下に黒の斑点がついてダルメシアン犬かホルスタイン牛のような見た目になってしまったが、今はスーツの染み抜きを気にしている場合などではない。慌てふためき震える手で連邦宇宙軍の地球基地指令をPPで呼び出した。


「私だ、マグバレッジJr.だ。キミ、宇宙軍はあのような危険なテロリストの声明を最後まで黙って聞くつもりなのか? 連邦政府議長として軍の早急な介入を要請するよ。早くあの放送を中止させなさい。電源をオフにするなり他の映像を割り込ませるなり出来るでしょう? 対処しなさいって言ってるんですよ、言い訳は聞きません」


『しかしですね、戒厳令下では軍事用緊急チャンネルによる放送が最優先になりまして……これを妨害するのは無理ですよ……ドローンへの電力供給をカットしても予備電源が入りますし』


「ど、土星の要塞の権限が優先されるなんておかしいんじゃないか? ルナべースの回線に切り替えればいいでしょう、最優先はルナべースなのですから」


『いえ、戒厳令下では幕僚本部機能がサターンベースにも与えられますので……この場合、先に放送している側に優先権があります』


「じゃあミサイルでも戦闘ヘリでも使ってせめて公共施設や都市部のホログラム・ドローンを撃ち落とせば」


『無茶を言わんでくださいJr. ヘリも警備の管轄もテランガードがやっておるのですから。バーミンガムにあるテランガードの本部にでも直接連絡を入れてください。それにホログラム・ドローンの映写だけでなく個人のPPでもニュース屋連中のライブ配信を見られるんです、今更何をやっても止められませんよ。それとも個人のPPまで全部壊して回れ、とでも命令されるのですか?』


 ぐお、とマグバレッジJr.は一声唸る。


「ジャミングだ! 広報のヘリと偵察ドローンを使って強烈な妨害電波を飛ばしまくれば! そうですよ、PPの電波中継局を破壊しなさい!」


 ブツッ、と通話が切れる。どうやら呆れた基地指令が回線を遮断したらしい。


「たかが軍属が何様のつもりか、えい、くそッ!」


 いよいよ癇癪を起こしたマグバレッジは自らのPPを床に叩きつけた。


「だいたいリオルの特務艦隊は何をやっとるんだ! 誰でも構わん、誰かあの小娘を黙らせる者はおらんのか」


 ユイのメッセージはまだ続いていた。現在キングアーサーに乗り込むために月基地を離れようとしているリオルと直接連絡する手段は無いためマグバレッジJr.は歯噛みし、地団駄を踏みながらユイの放送を聞く事しか出来なかった。


『現在、キャメロットなる政治結社の人間が多数、連邦政府中枢及び軍上層部に入り込んでおります。結社の一員、リオル・カフテンスキ大将によるロンドンへの砲撃を未然に防止するため、正義の騎士・宮城裕太郎司令官は艦隊を待機させておられるのです。しかし現在、戦況は思わしくなく、お味方は結社の前に敗退、第一艦隊は動くに動けませぬ』


 ユイのもたらした情報は真実に餓えていた市民の渇望を満たしていったが不安が解消された訳ではない。引き金を引くのがリオルだろうが裕太郎だろうが、どのみちロンドンに危険が迫っているのには変わりがない。むしろ、自分達を守ろうとしている第一艦隊の苦境を告げられたせいで、余計に不安を煽られた者も多かった。『この状況を打破するため、ここに私、木星帝国皇女ユイ・ファルシナは、太陽系惑星連邦の同士である地球の皆様のために正統木星帝国第一艦隊を新たに創設し、この難局に立ち向かう所存です』




「リオルがロンドンを砲撃? 何を言っとるんだこのボケは……? 本当に撃つ馬鹿はいないよ」


 マグバレッジJr.や地球閥議員達にとってリオル大将は地球閥の忠実なる番犬である。軍内の反地球閥勢力を粛清するため、撒き餌代わりにでっち上げたクーデター計画をちらつかせて潜在的な危険分子を炙り出していたはずである。


 まさかその番犬が架空のクーデター計画を本当に実行し、現政府のメンバーを連邦政府ビルごと、ロンドンごと焼き尽くすつもりでいようとは。マグバレッジにとって戦争やテロとは地球の外で起きる物であり、まさか自分や身近な都市がその対象になっているとは想像だにしていなかった。


 葉巻をふかし、一服する。


 深く息を吐いて目を瞑り、雑念を振り払う。議長は冷静さを取り戻しつつあった。


(止められんのならそれはそれでもう仕方がない。いずれ演説は終わるのだから、今度は私の番だ。あの死に損ないの冷凍マグロ、ユイ・ファルシナのお涙頂戴土下座芸に勝る名演説をこの私がやってみせればいいだけの事だ)


 マグバレッジが再びビューワーの画面を見やると、ちょうどユイがPPを操作して銀行の予算残高のような物を指し示している最中だった。


 何やらゼロが何個も並んでいる。マグバレッジはユイが何を言うつもりなのかまったく検討がつかなかった。


『今を遡る事、約900年前。木星帝国建国の祖、聖クレメンス翁は地球は欧州の小国、カーダラント王国の王兄でございました──実は、今私の手元には聖クレメンス名義の211兆9,670億ギルダの預金通帳と実印、判子がございます。この約212兆もの預金、元々は聖クレメンス翁が未だ地球におわす頃、欧州のとある銀行に預けられた僅かばかりの元金でありました。それが、実に806年のロボットによる資産運用と利子で増え続け、帝国崩壊後も没収される事なく52年分の利子まで加わり、積もりに積もって山の如き額面となりました。まさしく現在までの木星帝国の歴史そのものが現代に具現化した、と断言できる『富』でございます』


 マグバレッジJr.は金額を聞いてひっくり返った。昨年度の連邦宇宙軍全体の予算が360兆ギルダと言えば個人が所有する212兆ギルダが如何に異常な額面であるかが想像出来るだろう。


「な? 212兆ギルダ、800年間の利子だと? そんな馬鹿な話があるか? 212兆? 212億ではなく兆? なんでそんな莫大な資産が現在まで手付かずで……木星残党の資産はすべて没収されたはずだぞ?」


『皆様、この富は元をたどれば木星の聖クレメンス翁が蒔いた種ですが、その小さな萌芽が今日このようなまとまった額面の立派な樹木にまで育つ事が出来たのは地球の皆様のおかげ、そうです、地球の皆様の経済活動の賜物でございます。いわばこの212兆ギルダは木星帝国を父に、地球の皆様を母に持つ両者の愛情の結晶です、ならばこそ──』


 ユイは形の良い眉根を寄せて勇ましくも厳かな表情を作った。


『──ならばこそ! 正統木星帝国の私に託されたこの富は、地球の皆様へのご恩返しに使われるべきでございます。私は、ユイは! この先祖が遺してくれた富をもって剣と盾を買い揃え皆様の敵を討ち滅ぼす力に変えます。民間の警備会社の武装クルーザー、運送業者の皆様が業務で使用される貨物トラックから個人所有のヨットまで、ありとあらゆる宇宙船はこのユイの掲げる旗のもとに集え! そなた達の持つ船をこのユイが魔を払う剣として用いてくれよう、ユイはその代価として聖クレメンス翁の富を与える!』


 俄かにユイは、荒々しくも勇ましい威厳ある物にその口調を変調させた。この変化に聴衆は身震いし、そして一筋の光明を見いだした。たとえそれが虚勢でも良い、パディントン駅の群集はこのように強く逞しい言葉を待っていたのかも知れない。


『私はその買い取った船を新生・木星帝国第一艦隊として運用し、キャメロットなる秘密結社討伐作戦の主力とします。この戦力を持って宮城裕太郎司令官と連邦第一艦隊の将兵、何より地球の皆様をこの未曾有の危機よりお救い申し上げ、呪われた我が身の贖罪とする所存です。開拓惑星系市民の皆様、地球系企業の皆様、どうかこのユイが無為にしてきた空白の時間、40年間の埋め合わせをさせてください。そして父と母の名誉を回復する機会と……木星と地球が真に手を取りあい国交を正常化する機会とを、我が身に授けてはいただけないでしょうか』


 ユイは片手で瞳に貯めた涙の雫を拭い、強めの口調で嘆願する。


 深々とした礼をもってユイはそのスピーチのしめくくりとした。


カメラが部屋の右手にパンすると、そこには貫禄たっぷりの微笑をたたえたモエラ少将を先頭に、リクセン大佐、雄大、マーガレット、魚住が立っていた。雄大は画面に映る気はなかったのだが、感極まって大粒の涙を零している魚住女史を気遣ってハンカチを貸したりして逃げ遅れてしまった。


『サターンベース駐留艦隊は今から五時間後、ユイ・ファルシナ皇女殿下を護衛して木星帝国第一艦隊旗艦、ギャラクシー号と共に地球へ向けて出港します。民間企業の皆様、個人で船舶をお持ちの皆様はデータベースに記載した航路を通過する予定の我々、土星・木星連合艦隊に合流し、船舶を提供してください。乗組員は不要で操舵士の皆様は譲渡後は木星宇宙港まで我々が責任をもって送迎致します、どうぞ御安心を。開拓惑星市民の皆様、太陽系惑星の長兄たる地球の危機に皆様の力をお役立てください。そして地球の皆様、今しばらくの辛抱です。聡明な皇女殿下ならば必ずやこの難局を打開してくださる事でしょう!』


 少将が敬礼したところで放送は終了した。




 マグバレッジJr.は呆気に取られて憮然とした表情でビューワーを見つめていた。執務室の電話やPPが先ほどからけたたましく鳴り続けていたが議長はそれを無視した。出なくてもわかる、これらの電話はキャメロットが悪の政治結社として言及された事に肝を冷やしてパニックを起こしている地球閥の議員達だ。


 椅子に深く座り直し、呆けた顔に気合いを入れ直すと情報の整理を始める。


(国交の正常化だと? さらりと言いやがったが……あの女、どさくさに紛れて木星帝国の主権回復を公的な場でアピールしてやがったのか? もし天然ボケの誇大妄想女でなく、計算した上で、植民地惑星でしかない「木星」を「地球」と対等の国家として印象づけしてるんだったら……コイツはとんだ腹黒タヌキだぞ)


「それに──木星第一艦隊だぁ? 何を言っとるんだタヌキめ!」


 民間船を寄せ集めて木星帝国第一艦隊とする、というユイの馬鹿げた言葉。常識的に考えて船を提供する民間企業など出てくるはずもなければそんな船を集めてもろくな戦力になりはしない。


(何か勝算でもあるのか? それとも単なるハッタリか?)


 マグバレッジは今更ながらスーツに飛び散ったインクを見て自分の格好の無様さに憤慨した。


「くそっ、なんでこんな事になっているんだ。それもこれも木星帝国が全部悪いのだ!」






 パディントン駅では八割方の群集が自らのPPを開きユイ・ファルシナについて調べ、その半数はミルドナット社の有料データにアクセスしていた。


 恐慌やパニックはかき消え、皆一様に首を傾けて自分の持つPPを操作してユイの事を調べ、隣り合う人達と共にユイの発言の真偽について議論を交わした。


 テランガードの軍曹は自分が押さえつけていた若者達と一緒にPPを覗き込む。ぎゃらくしぃ号の広告に使われたユイの水着姿の画像詰め合わせである。


「なにこれすっげ! ユイちゃんて身体の方もすっげえな? こんなお姫様がいたんだ、やっぱ整形かな?」


「まあ、ちっとは整形やってんじゃね? ていうかなんかさっきの演説の時のキャラと、この画像のユイちゃん、キャラが全然違うけど──なんかこっちのが可愛いじゃないの! こんな可愛い子が俺らの王様やってくれりゃ俺も気持ち良く税金貢げるんだがなぁ。この水着で握手会とかやってくんねーかな」


「やっべなんか俺燃えてきたわ」


「立候補してくれたら絶対この子に投票するわ、俺」


「俺も俺も」


 若者達が現政権や政治の場を蔑ろにするのに堪えかねた軍曹は大きな声で若者達を叱りつけた。


「おい! この女は政府認定のテロリストだぞ? だいたい議員は外見で選ぶもんじゃないだろ!」


 軍曹は若者達をたしなめたつもりだったが、彼等は間をおかずに反論してくる。


「テロリストじゃねーよ、さっきも貯金はたいて助けに来てくれるって言ってただろ? オッサンらジジイ世代こそ政治家を外見とか肩書きで選んでんじゃないのか?」


「うっ?」


「連邦議会の政治家はユイちゃんみたいに私財投げ打ってでもこの事態を収めるべきだったんじゃないの?」


「うっ、ぐう……」


 軍曹は何も言い返せなかった。







(原稿も何もない状態であんなに長時間、淀みなく喋りきったのか……)


 雄大は横から眺めていたが、ユイはカンペや原稿の類などは用いていない。たとえ用意された原稿があったとしても雄大には今のようなスピーチをやり遂げる自信は無い。


 放送が終了すると同時にユイは力無く床にへたり込む。マーガレットが素早くユイの元に駆け寄り、倒れ込んでしまわないようにその身を支えた。


「ごめんなさいメグちゃん、ちょっと脚に力が入らなくて」


「ユイ様、大丈夫ですか?」マーガレットは手招きをして小田島を呼んだ。


「眩暈や痛みなどは無いですし、大した事はないと思います、しかしあれしきの事でこんなに身体の力が抜けてしまうなんて──私はまだまだ未熟ですね」


「いえ、ご立派でございましたよ? ただ、慣れない事をすると想像以上に体力を消耗するものです、少し横になられた方が」


 小田島医師は念のために、と栄養剤を注射した。


「少し楽になりました……魚住? 魚住はどこにいますか?」ユイは少し身体を起こすと、自らと共に40年の冷凍刑を希望した忠実なる侍女、魚住京香を呼んだ。


「殿下、魚住はここにおります……ここに」


 皆が高揚感と達成感に包まれている中、魚住は一人、顔面をぐしゃぐしゃに潰して泣いていた。雄大の肩を借りながらようやくユイの側までやってくる。


「どうでしたか? 私のスピーチは、あなたの期待に応えられましたか? 新生する木星帝国の皇女、その最初の公務の評価を御願いします──」


「はい……はい、殿下。それはもう100点です、100点満点です。もう魚住からユイ様に教える事は何もございません。立派に、立派になられましたね、ユイ様……!」


「あら、お前はいつからそんな泣き虫さんになったのですか……? いつも月のお歌を歌って泣き濡れる私をあやしてくれた、強くて優しい京香お姉さんとは思えませんね。これではあべこべです」


 マーガレットに支えられながら立ち上がるとユイは優しく魚住を抱擁した。10歳も年長の女性をまるで赤子をあやすかのように包み込むユイ。


「殿下が木星帝国の名を唱え、天下に兵を募るこの時を、この魚住、待ちわびておりました。忍び難きを忍び、耐え難きを耐え、苦節12年、立派に、本当にご立派になられて!」


「魚住、立派立派ってあんたそればっかしね。ほら、宰相代理のあんたがユイ様に慰められてちゃ駄目じゃないの、もっとしっかり──」


 普段こういう弱い面を見せない魚住の泣き顔につられたのか、元々弛みやすいマーガレットの涙腺が弛み、大粒の涙が零れた。そして遂に一番大きな声で泣き始めてしまった。


 マーガレットが子供のように泣き始める。


(あちゃー、あいつあんな風になると面倒くさいんだよなぁ)


 雄大は苦笑いし、ユイも優しい笑顔でマーガレットの背中を優しく撫でた。


 小田島は皇女の体調が心配だったがこの感動的なシーンを邪魔して良いものかわからず焦り顔で右往左往していた。


 三人が共に支え合って悲願成就の涙を流す姿を見ていると、部外者の雄大にもおぼろげながら魚住、マーガレット、そしてユイの三人が過ごしてきた12年の苦労が伝わってくる。


(亡霊みたいな存在だったユイ皇女殿下の、初の御披露目か……)


 雄大がしんみりと女性陣を眺めていると、力強い手で肩を掴まれる。


「雄大、ワシらはそろそろ出港の準備と──戦争で勝つ算段を立てんとな」


 リクセン大佐の顔は真剣そのもので、雄大もそれにつられて身が引き締まる。


「ええ……これからが、大変です」


「普通に考えればワシらの救援はどう考えてもキングアーサーと第一艦隊の初接触には間に合わん。第一艦隊が、裕太郎が何とか持ちこたえてくれるのを祈ろう。ヒルもまだ健在じゃ。二人して上手く立ち回ってくれるじゃろ」


 ユイの言葉は民衆に届けられた。しかしその想いが実現するかどうか、これは誰にもわからない。


「親父……」


 雄大は父親の裕太郎を殺しても死なない妖怪のような存在として認識していたが──あの時、リオル大将が怪しい、と知らせた時の狼狽ぶりを思い出すと胸が苦しくなる。


(母さんのためにも、無事でいてくれよ?)

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