新生、木星帝国第一艦隊①
モエラ少将はリクセン大佐と共に、港に停泊中のぎゃらくしぃ号に向かっていた。モエラの部下が装甲リムジンを運転していたが、途中、整理の終わっていない貨物やニュース屋から押収した機材や偵察ドローンが山積みとなっていてリムジンでは通行不可能なほど道が狭くなってしまっていた。仕方無く整備場備え付けの小型修理ロボット運搬用のカートに乗り換える羽目になってしまった。モエラは『一応』ながら将校として正装し、勲章と階級章がびっしりとついたモスグリーンの軍服を着用していた。もちろんリクセンも運転手も待帽し、正装しており、年配の男性三人がちんまりしたカートに乗ってる様子は大変滑稽な物で、どことなく遊園地で利口なチンパンジーが運転する蒸気機関車を連想させる。
「なんで私がわざわざギャラクシー号に乗り込まなければならないんだ? 前代未聞だぞ。基地指令を自分の船に呼びつけるなんて何処の王侯貴族だ」
カートに乗せられたら気恥ずかしさからすこぶる不機嫌になっていたモエラ少将はネチネチとした口調で独り言のように愚痴りだす。
「おまえさんが今から会うのは一応、王侯貴族なんじゃが?」
「フン、亡国の生き残りにそんな権威があるものですかね。ちょうど私が産まれた年に歴史から消えたような……完全に過去の国家だねぇ、私から言わせてもらえば」
52年前。月でモエラが産まれた年の七月、木星帝国は解体された。
「そうゆうてもな、皇女殿下は船内に軟禁されておるからして。おまえさんの執務室までホログラム・ドローンを飛ばして会話するのも距離的に限界があるじゃろ。しかし、おまえさんは昔からブツブツブツブツ文句ばっかりでうるさいのう。悪い癖じゃから今からでも治した方がええぞ。退役した後、誰も構ってくれなくなる。カペタでもやたらに怒鳴り散らして部下に嫌われとるんじゃないか?」
リクセンが先輩風をふかせてモエラを弄るので運転手が笑いをかみ殺すのに必死になっている。実際、大半の部下から口うるさいと思われている。
「リクセン大佐? さっきから、その~、ですね?」
「ああ、すまんすまん、お前の顔みとるとつい気安くなり過ぎていかんのう。ひよっこ時代から顔を知っとるのも困ったもんじゃ」
リクセンはガハハと笑いながらモエラの背中をバンバン叩く。
「若い士官達の前ではそういう緩い態度は控えてくださいよ、最低限のけじめというものが乱れてしまう」
「わかっとるわかっとる、心配するな」
リクセンに連れられてモエラ少将はドックに停泊しているぎゃらくしぃ号に乗り込んだ。船員達から遠巻きに視線を浴びせかけられる。やはり将帥の軍服は珍しく滅多にお目にかかれる物ではない。
店舗エリアを抜け、バックヤードを抜ける、そこから娯楽室や食堂を経て何度か曲がると社長室前だ。
通路の端に縮こまって小さくなっていた黒塗りのガードロボットがモエラ達の接近に反応して立ち上がり通路いっぱいにその長い手足を伸ばす。ガシャガシャ! と戦闘機能のロック解除音らしき軽快な駆動音が続く。対人用ガトリングガンが正確にモエラの頭を狙っている。
「……おい、ちょっと大佐! ロボットが、戦闘ロボットが……?」
モエラは慌ててリクセンの後ろに隠れた。
「気にせんでもええ。ほれ、威嚇してくるだけで何もしてこんじゃろ」
「威嚇してくるだけでも大問題でしょ! ──何なんだこの船は、まったく!」
リクセンが社長室のインターホンを押すけ押さないかのタイミングでドアが開き中から雄大が顔を出す。
「リクセン艦長、遅い! ユイ社長が首を長くしてお待ちなんですよ? 遊んでないで早くこっちへ」
雄大はあまり替えの私服を持っていないので店舗スタッフ用の服の上に六郎から借りたジャケットを羽織っている。
「あっ」
モエラと目があった雄大は露骨に不愉快な表情になり敵意を剥き出しにする。生来、考えてる事がすぐ顔に出るタイプで、それが原因で教師や上級生と小さなトラブルを起こしてきた。モエラの仕組んだ嫌がらせが無くてもいつか配属先で上官と衝突して軍を追われていたかも知れない。
「──口だけ達者なヘタレ糞ガキ、じゃなかった宮城の小倅──! やっぱりこの船に乗ってたな? だいたい全部お前が悪い!」
「は? もしかしておおすみまるの件でサターンベースの面子がどうこう、って話をまだ引きずってるんですか? あー、いやだいやだ」
おおすみまる事件は暦の上ではごく最近の出来事だが、色々な事が起こり過ぎて雄大には随分昔の出来事に思えてくる。
「こ、このガキ……お前のせいで周囲の大人がどれだけ心を痛め、苦しんでいるか。大体だな、お前は親御さんの気持ちを考えた事があるのか? ああン?」
「親父の気持ち?」
「違う、母親の方だ、純子さんの気持ちだ」
「純子、って……あんたなんかに家庭の事情を詮索される筋合いはありませんね。大体、純子とか母の名前を気安く読んでもらいたくない、馴れ馴れしい、というか気持ち悪い」
早口で喧嘩を続ける雄大とモエラの頭をリクセンがポカリと叩き、低レベルな口喧嘩は一旦終了した。
「こりゃ! そんな事をしとる場合か! 皇女殿下の前でみっともないぞい」
リクセンは「やれやれ、似た者同士じゃのう」と呟き、入り口の前にいる二名を無理矢理社長室に押し込んだ。
モエラは中に入ると襟の形を整え「亡国の姫君だか何だか知らんが、アステロイドパイレーツの親戚みたいな分際で基地指令をわざわざ呼びつけるとは、まったく大層なご身分だな」とわざと大声で居丈高な態度を嫌味を言う。室内で待ち構えているであろうユイに立場の違いを理解させる先制攻撃のつもりだった。
しかし。
「我が身を海賊と侮るか! 無礼にも程があろう下郎!」
天から降ってきたかのような鋭くも重たい叱責の声にモエラを含め、その場にいた大勢の人間は全身総毛立って固まってしまう。
先制攻撃を受けて主導権を握られるどころか開幕直後に撃沈されたのはモエラの方であった。「おふざけも大概になさりませ少将殿。先ずはその賢しい口を閉じ頭を垂れ、このユイの言葉を聞くが良い」
年齢からは想像もつかない程の落ち着いた威厳に満ちた声、モエラはそれを聞いて思わず半歩ほど後ずさり、ユイの姿を見てからもう半歩、後ずさりした。
緩やかに波打つ艶やかな黒髪は、単なる部屋の照明の反射を清流の水面に映る陽光の煌めきに変えるほどに輝いていた。大きく開かれた瞳の中は何処までも奥に、奥にへと深く吸い込まれるような、星々の瞬きを内包した漆黒の銀河のよう。そして真一文字に結ばれたその小さな口から紡がれる強い言葉は幾重にも音が重なった交響曲のように劇的であった。
「10万を超える将兵を従える立場に相応しい振る舞いをもってもう一度、この部屋に入り直すか、さもなくばこの場にて木星帝国を軽んじたその非礼を詫びよ! さても御身はこの会見の地球政府代表である。それに相応しい格という物をこのユイに示してもらおうか」
モエラは反射的に床に膝を付いて帽子を取り、教会で祈りを捧げるがごとく深々と頭を下げた。
何か言葉をひねり出そうとするが顔面の筋肉は先程のユイの叱責以降縮こまって固まってしまっていた。これが惑星丸々一個を統べていた王侯貴族の持つカリスマ性と言う奴か、とモエラはただただ小刻みに肩を震わせて恐れ入る事しか出来なかった。ここまで他人に敬服したのはモエラには初めての経験だった。
「殿下、もうそれぐらいで。少将閣下は十分先程の非礼を後悔されていらっしゃるご様子」
傍に控えていた魚住がユイをたしなめる。ユイは頷くと表情を和らげ、椅子から立ち上がる。
「はい、少将殿の謝意、十分伝わりました。此方も非礼を詫びましょう。これから私は少将殿に色々とお願いを申し上げる身なれば……どうぞ、モエラ殿。お顔を上げてくださいまし。私も少々言い過ぎました、年長者に対する礼を欠いた振る舞い、どうかお許しください」
先刻までの激しさはかき消え、うって変わって今度は優しく、モエラの萎縮をほぐすような甘い響き。
少将が顔を上げると先程まで椅子に掛けていたユイは跪き、自分と同じ目線にまで顔を下げて此方に笑いかけていた。
「お、おお……そんなもったいない」
萎縮している訳ではないようだが今度はユイの顔を見つめる事に夢中で座り込んだまま動かないモエラ、雄大は彼を引っ張り起こして椅子に座らせる。彼は純朴な少年のような澄んだ瞳でユイを見つめていた。雄大にもその気持ちはよくわかる、今のユイは今まで見てきた中で一番魅力的だ、神々しくて眩しいほどに。
社長室は普段の生活感溢れる雰囲気とはうって変わって慎ましくも厳かな空間になっていた。ユイの洗濯物や干してあったタマネギ、冷蔵庫や黒電話などは見えないようになっている。
ユイはアイボリーホワイトにスカイブルーのラインが入ったドレスに着替えていた。若い貴族階級の娘が舞踏会で着るような華美かつ動き易い衣装だ。コルセットで腰を絞り込んで胸を持ち上げ前に押し出している関係上、元々形の良い豊かな胸と官能的な腰のカーブに上品さと色気をプラスして、未だ少女のあどけなさが残るユイに大人の女性としての妖艶な魅力を付与していた。
しかし、その衣装はユイの持ち味や品格に釣り合わない下卑た服だ、と雄大は再確認した。今の慈愛に満ち溢れた瞳と柔らかな所作の前ではその性的な魅力すら霞む。
(やっぱりこの人の本質っていうのは……全ての罪を許し優しさで包み込む圧倒的な包容力、何というか……異性の心を掻き乱す美女というよりも──)
「聖母様だ」
「聖母様だ」
モエラと雄大は同時にまったく同じ言葉を呟いた。
「ぐえっ……」
雄大は毛嫌いしてるモエラと自分の言葉のセンスがまったく同じだった事に軽いショックを受ける。
(こ、こんなオッサンと同じ感覚なのか、俺って……)
モエラの方は、というと感激して目に涙すら浮かべている。
雄大はふと気になって、今まで押し黙って魚住の反対側に控えていたマーガレットの様子を確認した。
彼女はあくまで上品で物静かな貴族を演じているようだった。モエラの変貌ぶりに呆れ返って肩を竦めたユイと、マーガレットの視線が合う。互いの振る舞いに照れたように苦笑いする様子は年相応の少女達のようで何とも微笑ましい。
(こっちはすっかり仲直りしたみたいだよな……やれやれ)
ユイは雄大の視線に気付いたのか照れ隠しに片目を瞑り、恥ずかしそうに微笑むとちろっと愛らしい桜色の舌先をのぞかせた。ユイが身を揺すると豊かな胸がゆさり、と軽く揺れる。雄大の視線が微かに自らの胸元に落ちたのを察したのか、慌てて胸の谷間を見せないように白い手袋で包まれた右手で胸元を隠した。恥ずかしげに視線を逸らしたユイの頬と胸元が次第にほんのり薄桃色に染まっていく。雄大は一瞬、時が止まったかと思う程、その乙女の可憐な仕種に心奪われた。檻さえなければ傍に駆け寄って手を取り、今すぐ抱きしめて自分の物にしたい──そんな衝動を駆り立てる少女としてのユイも、少し無理をして王侯貴族らしく振る舞っていたとは言え先ほどのすべてを許し包み込む聖母のようなユイも、どちらも一人の女性である──
(──どれが本当のユイ・ファルシナなんだろう。そして俺は、社長のどんな一面に一番心惹かれているのだろう?)
雄大の胸の鼓動は高まり、頭の中がユイの姿、ユイの声で溢れかえる。
(──俺の馬鹿、この会見、録画しておけば良かった。さっきの社長の表情、永久保存版レベルだろ……!)
◇
終始、ユイのペースでモエラ少将との会見が進んでいくのをリクセンは一人、無言で眺めていた。
老人はこの場でただ一人、皇女としてのユイの持つ異常なカリスマにうっすらとした恐ろしさのような物を感じていた。20歳になったばかりというが、これはもう既に威厳ある女王の器ではないだろうか? かつての木星帝国皇帝と同等かまたはそれ以上では?
(現在の政治家や地方の総督達の中で、このユイさんの持つ悲劇の物語とカリスマ性に太刀打ち出来る者がいるじゃろか?)
モエラと雄大が女神を見るような目でユイを見つめている、最早彼らは完全にユイの信奉者と言って良い。
殺す事も、生かす事も出来ず、冷凍刑にした当時の連邦の判断は大変賢明だったのではないか、とリクセンは自分の考えを改めた。
もし、万が一この皇女が幼くして処刑されてしまっていたのなら義憤にかられた開拓惑星系移民達は、正に『死兵』と化して地球閥相手に血みどろの報復戦を続行した事だろう。
仮に、生かしておいたにしても太陽系惑星連邦という新しい枠組みが成熟し組織が軌道に乗る前に、この悲劇の皇女を旗頭にした破壊活動が頻発して太陽系全体を巻き込んだ戦乱が起きていたかも知れない。
(強過ぎるカリスマは本人の善悪とその想いに関わらず、争乱の種となる。ユイさんや……わしゃあんたの行く末が心配じゃ……もしかしたら、あんたはずっと氷漬けの『眠れる森の美女』でいてくれた方が良かったのかも知れんの……わしらの為にも、あんた自身のためにも)
ユイの持つこのカリスマが邪悪なる目的で利用される時、それは人類社会に大きな戦乱が起きる事を意味する。
老人がユイを見る優しい目、そこに込められていたのは慈愛と焦燥とが入り混じる複雑な想いであった。




