悪魔は笑う②
サターンベース・カペタA18は一時の慌ただしさからようやく解放されつつあった。俄かに降ってわいた戒厳令騒ぎに加えて幕僚本部機能移転の準備でサターンベースの最高責任者、基地指令モエラ少将はくたくたに疲れ果てていた。
現在、月と地球は天地がひっくり返ったような大騒ぎ、宮城大将のレイジングブルが、ロンドンを人質に取るかのような位置取りで待機しているという。
情報を聞いてあまりの荒唐無稽さに大掛かりなサプライズパーティーでも準備されてるのだろうか、と疑りもした。
(生憎、俺の誕生日は2ヶ月も先だ)
モエラ少将は暗澹たる面持ちでオフィス内をうろうろと理由も無しに忙しげに歩き回っていた。
「宮城の奴め! 何処までもこの私に祟ってくる……!」
万が一、軍事クーデターが成功して宮城裕太郎をトップとした軍事政権が築かれた場合、裕太郎と確執のある自分は確実に立場が悪くなる、下手をすれば軍法会議で粛清対象者にカウントされかねない、とモエラは考えているようだ。
ブーッ、ブーッと唐突にインターホンのブザーが鳴る。
「うわわっ!?」
モエラは不意を突かれて悲鳴を上げる。
『閣下──』
「う、うるさいわ! 私は今忙しい、後にせんか!」
『しかし──』
「しかしもカカシも無いわダボハゼがッ! 会わんと言ったら会わんのだ、奴らにそう伝えておけ!」
モエラは一方的に通話を切る。
(不覚! こんな事になるのなら毎年、年始の挨拶に行くなり菓子なり高級牛肉なりヴィンテージワインなりを贈って宮城の機嫌を取っておくべきだった!)
元々宮城大将の秘蔵っ子だったアカデミーの俊英ネイサン少将を人事部に裏から手を回してサターンベースに配属させ月から遠ざけて長々と手放さず飼い殺し状態にする、というような陰湿な嫌がらせを大なり小なり裕太郎に仕掛けていたのが、このモエラという男である。
そして極めつけが裕太郎の長男、宮城雄大士官候補生への陰湿な「ハラスメント」の示唆である。たまたまアカデミーの教官職に就いていた妻方の縁者達を雄大の担当につけて、不当に評価を下げさせたりペナルティーを与えて散々いびり倒すように仕向けてきたのは紛れもなく彼であった。
結果、雄大は教官と口論の末、乱闘騒ぎ……処分を待たずアカデミーを自ら辞した、しかも裕太郎と仲違いして実家を出てしまったのである。
嫌がらせの効果は絶大、絶大過ぎてモエラにとっても予想外の事態を引き起こしたのだった。
順風満帆のはずの宮城家に大きな亀裂を作ってしまった。
ここまでくると、もう嫌がらせの域を超えた犯罪行為と言って良いだろう。息子の人生を狂わせ、宮城家を裕太郎とその妻、純子を不幸のどん底に陥れる──そんなつもりなんてモエラには毛頭無かった、ただ単に裕太郎やその息子が不愉快な顔をするのを想像して一人でこっそりほくそ笑んで酒の肴にするだけで良かったのである。
およそ30年ほど前、モエラと裕太郎は士官学校時代の同期の間柄で、なにかと言えば比較されてきた。
体力作りの一環でやっていたアメリカン・フットボールでのレギュラー争い、月の名家のご令嬢、星沢純子という美しい女性を巡る恋の争い、士官学校42期生の首席争い、少将への昇進レース、幕僚会議入りの候補者争いなど、ことごとくモエラは裕太郎の後塵を拝してきた。
モエラの望んだ物を先に手に入れるのはいつも同期の裕太郎だったのである。
(でもなぁ! 確かに恨んでるけど……だ、誰もそこまで奴と奴の家族を不幸にしてやろう、だなんて思うわけないだろ?)
「あの宮城の糞息子め、ヘタレの癖に理屈屋で頑固で気位が高いところだけは親父に似やがって! お前がしっかりしてないから親父の裕太郎がノイローゼになってクーデターとかとんでもない事件を起こしちまうんだろーがっ! 純子さんの血を引いてるとはとても思えないあのヘタレ糞ガキ!」
モエラは誰もいないオフィスで一人、大声で叫び回る。仮にも閣下と呼ばれる重職にある52歳成人男性の諸行とは思えない。
彼は雄大の事が原因で裕太郎がおかしくなってしまった、と思い込み、今更ながら罪の意識に苛まれて苦しんでいるようだった。
「純子さん……許してください! 俺はあなたを苦しめるつもりなんてなかったんだ!」
モエラの脳内に青春時代の甘い思い出が甦る。
初恋の女性、星沢純子。
男に混じってアメリカン・フットボール部を仕切っていた長身の男勝りの女傑。「嗚呼麗しの君よ。たとえるならば──初夏に若草の香を運ぶ鮮烈な一陣の旋風のごとき君よ。どんなブロンドよりも輝く黒髪、そのしっとりとした黒はその強い心のようにしなやかにどこまでも真っ直ぐに伸び、風に揺れる柳のように細く長く伸びた手と脚の細さと白さを際立たせる。全てを見透かすような知的な切れ長の瞳、曲がった事を許さない真一文字に結ばれた凛々しい薄桃色の唇……そして」
(少女向けの漫画作品や絵本の中に出てくる白馬の王子然とした薄い胸板にドン、ドンと乗っかった大ぶりの桃、いや、フットボールのように大きく立派な……立派に育ったおっぱい! 美少年と見紛うばかりの爽やかなたたずまいと相反して女の魅力を激しく主張する長い黒髪と見事なバストよ! 揉みたかった! 死ぬ前に一度でいいからあの生乳にタッチダウンを決めて心ゆくまで揉み倒したかった! ……嗚呼、俺逹栄光のアカデミー42期生全員の憧れ、永遠の我が心のマドンナにして歴代最強のクォーターバック……鮮烈なる月の女神アルテミス純子さん、地球での合宿の時は皆で風呂を覗いたり、練習後の使用済みのタオルやアイスクリームの使い捨てスプーンをめぐってよく争奪戦になったもんだ──ああ、万が一俺のやった事が引き金になって今回みたいな大騒動になったとあの人に知られたら……だ、駄目だ! 絶対に、絶対にそれだけはイカン!)
仮に、裕太郎がヘマをしてクーデターが失敗するとする。
当然の事ながら軍規に照らせば死罪かそれに限り無く近い罪に問われるだろう。そうなると武門の誉れである宮城家の権威は地に落ち、宮城家に嫁いだ純子ともども一家は月一等市街地を追われ路頭に迷う羽目になる。
(クーデターが失敗したら宮城家が没落して純子さんが苦しむし、成功したら俺に恨みを持つ裕太郎からとんでもない仕返しが来る……いや待てよクーデターの成否に関係なく、息子のドロップアウトの原因を作ったのが俺だと突き止められたら純子さんに徹底的に軽蔑されるんじゃぁないか……そういやあの人、こういう陰湿なイジメとか大っ嫌いだったよな?)
「つ、詰んでる……! ある意味、俺の人生はもうとっくに終わってたのか!? 純子さぁん!」
錯乱したかのように一人芝居を続けるモエラ。
そんな悲劇的なポエムの世界から彼を現実に引き戻したのはオフィスに備え付けてあるインターホンだった。これで三度目。
「しつこい! 天下国家の一大事に頭を悩ませるこの私の邪魔をするのは誰だ! 考えがまとまらんじゃあないか!」
『お疲れのところ失礼します! 指令、ルナベースから至急の連絡なのです。光速通信マッチングの準備を……』
「な、なにぃ? 馬鹿者! 早く繋げ! お前は何年内勤やってんだ、このノロマ!」
『だ、か、ら! とっくにそちらのオフィスに繋いでますって!』
「あ──」
モエラは流石にばつが悪くなって小声でスマンと呟くと、インターホンを切り小走りでオフィスの奥にある防音室に向かった。
備え付けてある光速通信端末を操作するとマッチングはとっくの昔に完了していてスムーズに相手方の姿が映し出される。白髪混じりのグレーの頭髪、深く刻まれた皺とギョロリと見開かれた双眸の奥に白く濁ったような鳶色の瞳を宿した老紳士、幕僚会議最年長の古株リオル・カフテンスキ大将が現れる。
その厳めしい老人の顔を見てモエラはギョッとして目を白黒させた。てっきり幕僚会議最高責任者オービル元帥からの連絡だと思いこんでいたからだ。
『そちらもなかなか大変なようだなモエラ少将。民間人や紛れ込んだ放送局連中の排除で手一杯だったと聞く。雑事で迷惑をかけて申し訳ない』
「いえいえ! 滅相もない。万が一のための幕僚本部移設の準備も滞りなく終わりまして……お待たせいたしましたのは部下の手続きミスによるものですハイ」
『それは良かった。ところで少将、念を押しておきたい事が一つ二つあってな……』
「な、なんでしょうか? サターンベース守備艦隊はいつでも出撃可能ですが」
『いやそうではない。実はな──そろそろそちらの宙域に例の民間武装商船ギャラクシー号が現れる頃だと思う。君と土星基地守備艦隊はこれを拿捕、武装解除させて乗組員を数名、国家反逆罪、騒乱準備罪で逮捕、拘束しておいてもらいたい。逃亡を図った時は撃沈も許可する』
えっ、とモエラは大きな声を出す。
『どうかしたかね』
「あ、はい──いえ何でもございません」
『今回のクーデター、テロリストの大物である木星残党の姫君が一枚噛んでいてな。改装特務巡洋艦ガレス号がギャラクシー号に撃沈された可能性が高い。宮城大将は木星のシンパ、黒幕は木星第一皇女ユイ・ファルシナ──これが幕僚会議で出た結論だ』
モエラの顔からスーッと血の気が引いていく。
「ユイ、ファルシナと、ガ、ガレス、号、ですか」
『顔色が優れぬようだが。通信が終わったら部下に任せて君は少し横になって休んでおくといい。今、君に倒れられては困る』
「は、はい──」『出来れば、なんだがね。その船の中に宮城裕太郎大将の長男、宮城雄大元候補生がいるかも知れぬ。彼の方は重要参考人として軍警に引き渡しておきたい。事態が長期化した折には宮城裕太郎大将との交渉役としても使えるはずだ』
「あ、あ、あ、あのですね大将。月在住の宮城大将のご家族、親類縁者についてなのですが」
『……おお、そういえば君と宮城大将は士官学校の同期生か。やはり親しかったのか』
「はい、ルナシティで、ハイスクールから同期生で……」
『友人だったのだな。心中お察しするよ、まさかあの宮城大将がこんな……人の心というのは難しい物だな』
「宮城大将にはルナシティに妻子がいるはずで。私も彼の妻にあたる女性とは旧知の間柄ですから、どうなされているのか気をもんでおります」
『……あの男は用意周到でな、調べによると現在は観光という名目で火星のイーストクロージャーに滞在しているようだ、避難させていたのであろうな。まあ此方としても手荒な真似をしたくはなかったから好都合だよ』
純子マドンナはどうやら無事らしい。モエラは安堵の溜め息をつき、額の脂汗をハンカチで拭う。
「宮城大将にも出来れば寛大な処置を……願いたい物ですが──いや、それはそうと幕僚会議にはこの武装蜂起を鎮圧する算段がおありなので? 第一艦隊にはあのレイジング・ブルが……規格外の超級戦艦ですからなアレは」
『ああ、アレの事か』
ビューワーの向こう側のリオル大将の口角が上がり、何やら邪笑めいた顔付きになる。モエラはリオルのこういう笑い顔を見るのは初めてだ。
(何とも恐ろしげに笑う老人だな……はて、こんな顔をするジジイだったか? 瞳がギラギラしてやがる)
『この円卓の騎士計画を進めてきた私、自らが指揮を執り航空戦艦キングアーサーと改装特務艦隊をもってこの鎮圧に当たろうと思っている。すでに聞き及んでいると思うがヒル少将の艦隊はこの特務艦隊の先制攻撃により半壊、月の裏側に追い払われたところだ』
「ハァ……プロモで建造していたアレ、に参謀長が、乗られるのですか?」
『ハハハ、私は半世紀以上前の木星の衛星攻略作戦に参加した将校唯一の現役だぞ。老骨と言えど実戦経験に置いて私に勝る大将もおるまい。ましてや此方は最新鋭の航空戦艦だ、改修と増設を繰り返してきた人造怪物フランケンシュタインのようなレイジング・ブル如き敵ではないよ』
モエラはリオルの声が多少上擦っているのを感じた、何か隠しきれない高揚感、歓喜に満ち溢れたような声。
(艦隊戦を、やりたがっている?)
モエラにもビューワー越しに老兵の隠しきれない感情が伝わってくる。
(地球の衛星軌道上に艦隊を展開させる宮城は頭が完全にイカレちまったようだが、こっちのジジイも相当……そりゃ軍にはこういう物騒な人種が多数いるだろうが、正直俺には度し難い、まるで別の銀河系の話だよ)
『それでは少将、ギャラクシー号とテロリストの件をくれぐれもよろしく頼むぞ。これは連邦議会の、つまり国家の、太陽系惑星連邦に属するすべての市民の総意であると思ってくれ。忌まわしき過去に終止符を打つという意味でもな』
スッと手を上げ敬礼するリオルに合わせ、モエラもおっかなびっくりという体で礼を返す。
「ご、ご武運を」
通信を切った後でモエラは崩れるようにその場にへたり込んだ。
「え、えらいこっちゃ──これはもう何がどうなってどっちの言い分が正しいのか──ひょっとして俺が、どっちが正しいのか決断せにゃならんのか、これ?」
ちょうど一時間前、リクセン大佐に伴われたテロリスト、ユイ・ファルシナがここサターンベースに現れ、しつこくモエラに面会を求めていた。
モエラは嫌な予感がして頑なに面会を拒否していた。
リクセンは捕虜を引き渡しに来た、という。
なんと、その捕虜達が木星皇女ユイが憲兵総監兼参謀長リオル大将の手の者達に襲撃された経緯について説明し、宮城裕太郎大将の身の潔白について証言する、という事だ。
(い、胃が……なんか胃がキリキリする。なんか無理にでも腹に入れんと)
実家に帰りてえ、とつぶやくとモエラは胸の痛みをこらえて執務室に戻った。
長時間テーブルに置かれたままで水分が抜けパサパサになったサンドイッチを丸呑みするとすっかり冷え切ったコーヒーで無理矢理流し込む。
モエラはインターホンに向かってやけ気味に怒鳴りつけた
「おい、誰かおらんか? 会うぞ? そんなにこのモエラ少将閣下に会いたいのなら会ってやろうじゃないの! 木星の小娘如き恐るるに足らず、だ!」
 




