邪竜集う③
ポスロム中尉の乗るパトロール艦ナーサラン号は一般艦船侵入不可宙域へのドナ級駆逐艦到達の報を受け、月基地へと帰投せずに航路を転進、そのまま警戒体勢に入った。六隻のドナ級との相対距離を維持しながら睨み合っていた。そのナーサランの後方から高速で接近する2隻。月駐留第一艦隊の先鋒、マンハッタンとイカロスである。
ポスロムは甥っ子が艦長を務める戦艦メイルシュトロムが卑怯な不意討ちで小破した、との報せを受けて驚いていた。
ぎゃらくしぃ号とタイフォンの識別子が表示されたホログラム。
嫌な予感が当たった、とポスロムは心中穏やかでは無かった。
ナーサラン号に第一艦隊司令部から連絡が入る。
『──現在、この宙域では実弾を使用した大規模軍事演習が行われている。貴艦は直ちに指定宙域から離脱し、指示あるまで航路の端からの監視任務にあたれ。指定宙域に近付く一般艦船の立ち入りを規制せよ。繰り返す。現在、この宙域では実弾を使用した大規模軍事演習が……』
「なるほど木星帝国と合同での軍事演習か──人騒がせな」
「ヒル提督あたりの発案か」
「古い艦船の処分も兼ねているのかな」
「ああ、大規模再編か──景気の良い話なら歓迎だが荒っぽいにも程がある」
「この辺は火星圏じゃないか。こんな近くで火星船籍の船と事故でも起こしたら火星東部企業連合体との関係が益々悪くなりそう」
「今の東部事務総長はウチの連邦議長と犬猿の仲だからなあ」
「火星の船とか抜きに正月早々同士討ち紛いの危険な演習なんて……もうウンザリだよ」
「第一艦隊に兄貴が居るんだけどそんな話聞いてないぞ」
「そりゃ心配だ。昔は演習で結構な数の死者が出てたらしいからな」
「おいこら縁起でもないこと言うな」
「それより食事休憩にしようぜ──」
「カウントダウンライブ流してもいいかな?」
「こらこら不謹慎だろ」
指定宙域からの離脱命令を受けてホッと胸を撫で下ろし思い思いにおしゃべりを始めるナーサランのクルー達。
先のクーデター事件以来の非常事態か、緊張感で胃を痛くしていたところだった。
ポスロム達はタイフォン引渡し時の違和感を思い出して今更ながらに肝を冷やした。
「演習なんてそんな話は聞いていないぞ……」
「艦長これは本格的に木星帝国が……」
「表沙汰にしてはならぬ、ということか」ポスロム達は乗船していたタイフォンに愛着を感じていたが、現在のタイフォンは何者かに乗っ取られ月基地へとその舳先を向けている。
(わたしがタイフォンの引渡しを拒否していればなんとかなったのだろうか……木星帝国の内輪揉めでは終わらぬ大変な事になってしまった)
──突如として後方注意の警報が鳴り響き、およそ航路内では考えられないような速度と質量の何かが接近してくる。
長距離ミサイルか魚雷にしては質量が大き過ぎる、とても回避運動は間に合いそうに無い。
反応できずに為すがままに任せたナーサランのすぐ脇を通り過ぎていった何か──とは友軍第一艦隊の航巡イカロスである。
今更ながらに急制動して大きく回避するナーサラン。艦内は揺れはしなかったが姿勢制御が間に合わずナーサランは弾かれたおはじきの球のように航路の端、未整備宙域へ向けて押し出される。
「な、なんだなんだ……!?」
◆
「宮城代理〜!?」マイナが甲高い素っ頓狂な声を上げる。幼い頃からエリートコースで優等生な彼女、未だかつて出した事が無いような情けない声を出す。
「船体オーケー! 心配してたけど思ってたよりずいぶん頑丈じゃないか! 安定してる!」
神経をつかう細かい微調整。レバーとトラックボール、そしてペタルをミリ単位で操作する雄大。安定とは程遠い暴れかたを披露するイカロスを見事に制御していた。
『船体がもう保たない』という警告サイン、いや『デンジャーサイン』が先程からうるさいほど鳴り響いている。壁やパネルの接合部がきしみガッタガタに揺れ動く。誰の物かはわからないが持ち込んでいた私物が高速で壁に激突してクラッシュする──
イカロスのブリッジは最早何が何だかわからない混沌の渦中にあった。
少年期にお宝映像というご褒美に釣られて航宙フライトシミュレーターの最高難度、『渦』からの脱出と超新星爆発回避をクリアーしたことにに始まり、大型客船で海賊船を振り回したり、機動要塞と木星宇宙港の衝突を回避したり、G1マシンで大気圏内の超高速レースをやってみたり──宮城雄大の脳はこの種の速度を出す、という行為において危険を危険と感じないほどに『ひどく鈍感』になっている──要するに最悪の結果になった場合のことをまったく考えていない。まして自分が大失敗をする可能性などまったく考慮にいれてない。自分が『行ける』と判断したら成功するし、成功しなくても何らかのリカバリーをする自信があるようだ。
隣の席の操舵士は思わず雄大の顔をのぞき込んだ。何故か妙に溌剌としている。興奮状態にあるのだろうか。ゾッとする操舵士。
(ちょっとこの人、普通じゃない……!)
◆
「ん?」
ガッサは高速で移動する物体を見て訝しんだ。
ミサイルにしてはやや遅い、そもそも質量が大き過ぎる。あれは敵艦である。
「艦隊各艦、粒子砲──」
喋りながらガッサは口を閉じるのを忘れた。
あまりに常軌を逸した速度で突っ込んでくるイカロス。帝国海軍の砲撃の隙間を縫うように前進する。近付くにつれて更に加速しているためか照準が合わせにくいのか。確実に当てたいなら真正面で迎え撃つべきだが──
(いかんあやつまさか『体当たり特攻』!?)
鬼気迫る勢いで弾丸のように突進してくるイカロス。蜘蛛の子を散らすように逃げ惑うドナ級駆逐艦六隻。前衛はあっさりと突破された。
遥か後方に位置する神風号に向けて突っ込んでくる。
「神風号、回避運動開始──! シールド上げ!」
(ならん! この神風号だけは、セレスだけは何としても守らねば!)
「貴様何を呆けとるかっ! 緊急回避──!!」
ガッサは混乱して固まる操舵士を突き飛ばして自ら舵を切った。
後方に遠ざかる敵艦を見送るとガッサは軽く身震いした。
死ぬ覚悟は出来ていたつもりだったが目の前の空間を矢の如く突き抜けていった暴走艦を見て自分の覚悟というものが如何に生半可な物だったのかを思い知る。
「……ロボット艦をこちらの旗艦にぶつける気なのか? 連邦め、つくづく卑劣な真似をする」
「将軍、あれはロボット艦では無さそうですが──」
操舵士が落ちた帽子を被り直しながらガッサから舵を引き継ぐ。
「なに? 何か意図があって突貫してきたのか?」
まずいな、とガッサはつぶやいた。
(楔を打ち込まれてしまった形か)
「中央突破されてしまったが所詮は一隻。タイフォンとぎゃらくしぃ号を反転させろ、後詰めのファイネックス艦隊と挟み撃ちにして速やかに処理する」
襟前のボタンを外し、軍服を直しながらガッサが指示を出すとその通りに通信士が艦隊各位に状況説明の連絡を行う。
「連邦士官には頭がおかしなヤツがいるらしいな。理解に苦しむ。あれが狂犬というやつか」
最早比喩表現の中にしか生存しない動物『狂犬』が実在したならあんな感じなのだろうか。ガッサは忌々しげにイカロスの識別子を確認する。
「ん……?」
ふと嫌な予感が頭をよぎる。
(あんな暴挙を躊躇なく実行する人物──まさか皇配・宮城雄大か)
「将軍、前衛の駆逐艦隊はどうしますか。魚雷再装填完了したようです」
通信士の言葉にガッサは海図を確認する。
第一艦隊はゴルゴン、パアンを中心に防衛網を築きつつある。
「……想定よりずいぶんと早い」小さく唸る。
イカロス退治に時間を割いては目前の第一艦隊との決戦で優位が取れない。ずるずると持久戦に持ち込まれると奇襲の利が掻き消え、第三艦隊のメイルシュトロムが到達して完全に詰みになる。
「タイフォン、ぎゃらくしぃの反転は中止。あの暴走艦はファイネックス艦隊に処分を任せる。ランファ女史のワイルドローズと回線繋げ」
「はい──」
ガッサ達が見守る中、ワイルドローズ率いるファイネックス艦隊の識別子とイカロスの識別子が交差する。
「あっ」
イカロスはファイネックス艦隊すら突き抜けていった。
『ちょっとアレは何なの!? 避けなかったら衝突してたわよ! 新手の衝角突撃艦?』
特に宇宙服を着るでもなく、豪奢な金刺繍がはいった白のチャイナドレスをまとったままのランファ。遠ざかるイカロスを指差している。
「後背を取られてしまったが、敵はたかだか一隻、社長の艦隊で手早く御処分願いたい」
『面倒をこちらにだけ押し付ける気? タイフォンかぎゃらくしぃにやらせなさいよっ。気狂いの相手は御免こうむるわ』
予測不可の雄大の動きに振り回されている時間はない。ガッサは直感的に雄大の狙いに気が付いていた。それ故に後衛のランファに対処を押し付けたかったのだが──
(信念も誇りもなく、ただ旨い汁だけだけ吸おうとする薄汚い寄生虫風情がほざきおって……)
ランファの言葉を無視して通信を一方的に切ろうとしたガッサを止めたのは玉座に座したまま、押し黙っていたセレスティンだった。
立ち上がるとAIが自動でビューワーに若き貴公子を表示させる。
「ランファさん。今から我々は連邦艦隊と交戦します。ガッサが心置きなく戦えるよう、後ろをお任せしてよろしいでしょうか?」
『あら殿下…………』
セレスティンがニッコリと微笑むと周囲に華が咲いたように場が和む。
「どうかこの通りです」
頭を下げるセレスティン。
『そんな勿体無い! 顔をお上げくださいまし! ま、まあ殿下のご命令とあらば……ウフフ、お任せあれ。将軍、先の発言はお忘れくださいね。あの暴走特急如きに皆様の覇業達成の邪魔はさせませんわ』
ランファは憎まれ口を叩いた直後の歪んだ口許を扇子で隠した後で丁寧にお辞儀をしてから交信を切った。
「切りおったわ勝手なやつだ。人によって態度をころころと変える輩、やはり信用ならん……」舌打ちするガッサ。
「どうもランファ社長はわたしに特別な好意をお持ちのようですね」
セレスティンは苦笑いをする。
「殿下ありがとうございました。しかしあのような者に頭を下げるなど……」
「どうも心根の貧しい方のようですが、今のわたし達には必要な御味方です。今だけ、今この時だけは信頼することにしましょう」
「かしこまりました」
──火星に程近い広く整備されたダイモス宙域、本来であれば物流の長距離トラックや大型客船が列を為すメインの通商航路として利用されている区画である。
そのダイモス沖合において、戦力が半減した第一艦隊八隻とガッサ達帝国艦十二隻が向かい合い、ファイネックス艦隊九隻がイカロスを仕留めるべく反転し、臨戦態勢に入った。
その時、タイフォンの制御AIが妹分の気配を感じ取る。第三の邪竜ミドガルズオルムらしき船影を航路の端に確認した。
光短信を飛ばすタイフォンにミドガルズオルムからの返答は無い……
奇しくもハイドラ級三隻がここに集う──彼女達は連邦に災いをもたらす邪竜となるかそれとも──




