木星戦争の再現
臨検受け入れどころか面会を提案してくる帝国海軍の様子にすっかり気勢を削がれた第三艦隊各艦はシールドを解除した。
15分以上が過ぎた──
大きな帆立貝、シールド艦マッドスカラプもその大きな口を半分閉じ、シールドの広域展開を解除する。
各艦の粒子砲に集められていたエネルギーも蓄電変電施設へと一度戻されていく。
一度始めた戦の準備、やめるのもなかなか大変なもので大量に放出した重金属粒子の回収フェーズ(『掃き掃除』と呼ばれる)に入った。
緊張が解れ弛緩した空気が流れ始めたたと皆が感じたその刹那──
すっかり毒気を抜かれたメイルシュトロムのメインブリッジに突如として緊急警報が響き渡る。
突然の質量感知。
「何だ!?」
まるで本当に次元跳躍してきたかのように第三艦隊の隊列後方に複数の動力源が現れる。
「後方に所属不明艦、多数!」
「!?」
新年の厳かな雰囲気を吹き飛ばすような勢いで駆逐艦が大挙して押し寄せ、第三艦隊所属各艦に目掛けて対艦魚雷を連続発射した。
ドナ級駆逐艦が六隻──正確にはドナ級改装型である。
「あ、アステロイドパイレーツだと!? な、なんでこんなところに!」
◆
アステロイドパイレーツは太陽系外縁部を中心に活動する海賊──本拠地を追い出されて以降は組織全容がよくわからなくなった反政府組織で、宇宙海賊と言えば大体は彼等の事を指し示している。
そもそも土星のアステロイドベルトに大規模な本営を置いて大きなコミュニティーを築いていたが連邦政府が取締り強化のため土星基地を要塞化すると、彼等はヴァムダガンやトロニツカなどの個性的なボスの元に集って一家という小さな共同体を形成、周辺宙域に散っていった。
彼等の保有する航宙戦力よ多くは旧木星帝国製のもので、その中でもドナ級駆逐艦を主力にしている。
ドナ級は電子暗幕装置を実装した傑作軍艦である。しかしながら連邦政府によって電子暗幕装置には規制がかけられ次元潜航と同じく禁忌技術管理委員会の封印・監視対象となってしまった。
よってドナ級駆逐艦およびそれに近いコンセプトの艦は新規に造られることは無く、所有するのは木星残党を名乗るアステロイドパイレーツだけとなった。
共食い整備に使用されてきたため、実際に稼働可能なものはおそらくニ十隻ほどだろうと推測されてきた。
海賊退治で名を上げたネイサン少将に八隻が拿捕または撃沈、雄大がヴァムダガンとトロニツカの逮捕の際に五隻を破壊したため海賊の航宙戦力は激減しているはず──
この宙域に突如として現れた高性能対艦魚雷を積んだ六隻の駆逐艦隊はその残存する最後の戦力なのか。それにしては太陽系外縁部からこんな地球にほど近い内環航路までパトロール艦や長距離トラックにも気付かれることなくやってこれたのは奇跡に近い──ガッサの秘蔵の戦力と考えるほうが自然だ。
神風号のモザイクタイルのような妙な迷彩に航路の端ギリギリを航行する不審な動き──文字通り駆逐艦隊の隠れ蓑として機能していたのだろう。
加えて海賊達の使う濃緑色で塗装されたドナ級と違って艦体塗装色が帝国海軍の配色である紺色に近い。神風号を旗艦としたJECX巡洋艦隊とほぼ同じ配色──どう見ても彼等は木星帝国海軍である。
◆
「ら、雷撃──だと?」
駆逐艦隊の放った魚雷群が無防備なメイルシュトロムの艦底部を襲う。
対艦魚雷は目標の粒子シールドを中和して食い破るのが最大の特徴だがそもそも第三艦隊全艦はシールドを展開していない──まったくの無防備だ。
全自動迎撃システムが作動、対空機銃の弾丸と小型ミサイルが魚雷に向かってばら撒かれるが、対艦魚雷は可能な限りこれを『シールドで受け流し』ながらロックした目標の敵艦に肉薄する──魚雷前面に展開された粒子シールドはメイルシュトロムの防御システムを七割ほど無効化、右舷側艦底部を食い破る。
艦外では一瞬の眩い閃光、艦内部では重力制御が乱れるほどの大きな振動。まるで旧世紀の災害、『地震』が起きたような衝撃がメイルシュトロムの内部を駆け巡る。
演習で使う模擬弾頭とは比べ物にならない威力にメイルシュトロムのクルーは一瞬、混乱して我を忘れた。
ヒルの達をあざ笑うかのように高速で脇をすり抜けていく駆逐艦の艦影。ここまで間近に『敵艦』に迫られた事の無い第三艦隊の乗員達。宇宙空間にありながら太平洋上、救命ボートの上で人食いサメの群れに囲まれたかのような無力感が実戦経験の少ない連邦士官達を襲った。
訓練航海のカリキュラムで巡洋艦やパトロール艦に乗っている時にドナ級と遭遇戦をする事はあっても本気で『対艦魚雷』を撃ってくる事はまれだ。そもそもアステロイドパイレーツ如きがここまで性能の良い対艦魚雷を製造、維持管理できるはずもない。
パワーの低い粒子砲の撃ち合いしか経験していない若手の士官達で構成された第三艦隊の面々はドナ級駆逐艦と電子暗幕の本当の恐ろしさ──いや正確には『実戦』の本当の恐ろしさに震えた。
「だ、ダメージコントロール! 被害ブロック隔離……!」
艦長より早く指示を下すヒル。制御AIが即座に反応し一秒後に艦長が命令を復唱した。
「エネルギー伝達経路に異常……! 出力が上がりません」
「電子暗幕による奇襲だと! どうして気付けないのか!?」
慎重に索敵機を飛ばして映像を肉眼で監視していれば容易に異変に気付く事が出来るが──
ホログラム上に第三艦隊所属各艦を表示、現段階で知り得る限りの被害状況を一括表示させる。回避運動及びミサイル防御に失敗した空母レッドクイーンが中破し航行不能状態、マッドスカラプが小破してシールド出力ダウン。重巡オルトロスも右舷に被弾して小破状態ではあるものの回避運動の甲斐がありなんとか機能低下を免れている。
「各艦、人的被害の把握急げ!」艦長が悲鳴にも似たトーンの大声を出す。平時はおとなしめの性格をしているメイルシュトロム艦長だが突然の事に気が動転しているのか。
レッドクイーンのランチベイが派手にやられており艦載機の大半が巻き込まれて破壊されている。乗員待機を命じて居なかったのでパイロットは乗っていなかったと思われるが……
木星戦争では電子暗幕を活用した木星駆逐艦隊による一撃離脱奇襲戦法が猛威を振るい、第一次ガニメデ沖海戦では初日だけで地球連邦の戦艦五隻、重巡三隻、空母六隻を轟沈させている。
戦史でこれを学んだヒルは何度かシミュレーションで当時を再現した事がある。
(まさか半世紀前の戦法をこの身で受ける事になるとは……!)
ぞわぞわ、と背筋に寒気を覚える。キングアーサーによって植え付けられた敗戦の苦い記憶がヒルの脳裏を過ぎる。
「なるほど彼我戦力差──『同等』か、確かに!」
ヒルは戦術脳のアドバイスを思い出した。
戦術脳は色々な可能性を考慮して総合的な判断を下し、人間にアドバイスを行う。助言は概ね正しかったがこんなレーダーに映らない隠し玉の存在まで考慮に入れているとは……
(そりゃあ、相手は『木星帝国海軍』だから肉眼による目視観測、警戒を強化して当然か……って予測できるワケないだろこんな用意周到な奇襲! ちくしょうめ!)
「諸君、魚雷を撃ち終わった駆逐艦に気を取られるな。発射本数からして全弾射出、再装填には時間がかかる、目の前のJECXとの砲撃戦を準備──」
役に立たないミリオタ知識、と小馬鹿にされるヒルの趣味だが、脳内の敵兵器に関する知識を総動員して戦術AI並の判断速度で矢継ぎ早に行動する様子はさすが第三艦隊司令官。
あらぬ方向から粒子砲が飛んでくる。
真っ赤な大輪の花、ワイルドローズが遠方から粒子砲で砲撃をしているがまるで的外れな方向──まさかドナ級駆逐艦に向けて発砲しているのか──
「なんなんだあいつらは」
「くそう、傭兵どもまで馬鹿にして……」
「提督、神風号から交信要請──」
「なんだ!? 今更宣戦布告か? ふざけるなよ」完全にエキサイトした艦長が交信を拒否しようとする。
「いやつなげ。JECX1の挙動が妙だ。攻撃するなら今こそ好機だろうに。シールドは上がっているが粒子砲に出力は回っていないぞ」
ヒルの判断は的確だ。
「た、確かに……」声の勢いが落ちる艦長。
ビューワーに申し訳無さそうな表情のガッサが映し出された。眉尻を下げ口をへの字に曲げている。
『なんとも……こんなところにアステロイドパイレーツとは』
困った困った、と小さくつぶやくガッサ。
「はあ?」
『治安維持活動、お手伝いしましょうか?』
「ぬけぬけと──宇宙軍に真っ向から勝負を挑む海賊が何処にいる……! おまえらの仲間だろうが!」艦長は完全に頭に血がのぼっている。艦長が激昂しているのを見たヒルは普段よりも客観的に状況を判断、冷静になる事ができた。
「ガッサ大将、木星帝国海軍はあの駆逐艦隊と無関係なのか?」とヒル。
『もちろんです、亡き先帝ビルフラム陛下の名誉にかけて』
「しかと聞きましたよ? 信じて良いのですね」
『信じる、とは? ご発言の意図がよくわかりませんなぁ……それより、そちら第三艦隊各艦はこの場で艦体の修復と負傷者の救護に専念してはどうでしょう。あの海賊共は我々が処分しておきましょう。ユイ皇女殿下に成り代わり太陽系の治安維持活動にご協力致しますぞ』
「て、提督。木星海軍にタイフォンを加えた五隻、既に海賊艦隊を追撃するような位置取りをしています。推進部にエネルギー増大、加速準備……進路予測──月!」通信士。
(や、やられた──これは完全にヤツらの思うツボにハマってしまっているぞ)
ヒルは身震いした。
まんまと罠にはまり完全に主導権を握られてしまっている。
緊急時を示す赤ランプが点滅し、警告音が繰り返されるメイルシュトロムのブリッジを眺めてほくそ笑むガッサの顔。ビューワー越しにこの混乱した司令部を見られたヒルは強い屈辱を覚え、そして認識を改めた。
(見誤った──この『木星亡霊』はわたしより一枚上手の指揮官だ)
ぐうう、と小さく唸るヒル。
(手柄を立ててやろうなどと考えていたあさはかな自分と、復讐のため一世一代の勝負を仕掛けてきているこの将軍とではまともな勝負にもならないということか──)
『うーむ。このまま逃しては大変だ。では提督、我々は取り敢えず賊を追います』
肘を高く挙げない敬礼をするガッサ。
ヒルは少し震える手で返礼しつつ通信士に小声でビューワーを切るように伝えた。
「ビューワー・オフしました」
「いけしゃあしゃあと──許せん! 提督、あの傭兵どもも含めてヤツらは完全にグルですよ! 今なら主砲の射軸上、メイルシュトロムでJECX巡洋艦をまとめて撃沈してやりましょう! ここで敵の旗艦を潰せば万事解決……!」
艦長は怒りのあまり帽子をフロアーに叩き付けた。怒り狂うのは敵を格下に見ているからだ、とヒルは感じた。若い艦長は未だに『亡国の将』であるガッサを自分達より格下の存在として侮っているのだ。
「軽率な発言は控えたまえ。たとえ海賊とヤツらがグルで、これが連邦政府に対する軍事行動だとしても……憶測だけで簡単に撃つわけにはいかんのだ。これは単なる海賊退治とは違う」
「間に合わなくなりますよ!」
「落ち着かないか艦長! キミの叔父さんのポスロム中尉とは大違いだな! いま、我々は木星残党との政治的な駆け引きの最前線に放り込まれているのだ……! 判断を誤ると地球と開拓惑星の間の溝が深まるだけでなく勢力図が逆転する切っ掛けにも成り得るのだ──わたしを補佐する立場のキミが冷静さを欠いてどうする?」
勢力図の逆転──ヒルはこれ以上の明言を避けた。
「うう……」若い艦長はヒルの剣幕にたじろぐ。常日頃、勢いで物事を解決することが多く脳味噌筋肉と揶揄されることの多い上官だったはずだが、人が変わったかのように慎重になっている。そう言えばキングアーサーと遭遇した際も早々に撤退している。
普段のやや軽率そうな言動とは裏腹に状況判断に優れた賢将の素養があるらしい。
「まずは落ち着け」
ヒルは長く息を吐くと続けてごくりと唾を飲み込む。つられて艦長も大きく喉を鳴らして一息つく。
「しかし、駆逐艦六隻に巡洋艦五隻……これに傭兵どもの武装艦艇まで加わるとなると。今ここで見逃すと月基地の防衛システムではもちこたえられませんよ」
「キミは戦史の講義はサボっていたクチか?」
「え?」
「落ち着いて聞きたまえよ。半世紀前の大戦勃発の引き金になったのは木星帝国の領海へ無断で侵犯してきた所属不明艦への対処だ」
帝国海軍により撃沈された船は地球の民間船であった、と地球側は発表した──何らかのトラブルを抱えて正常な航行が出来ず救助を求めていたのだ、と。
地球政府は『通信装置が故障していた民間艦艇を撃沈した』と主張して木星に法外な賠償金と謝罪を要求した。
木星帝国側は『事故を装って侵入してきた破壊工作船であり搭乗していたのは民間人ではなかった』という主張を曲げなかった。
事件の真偽は明らかにならなかったが侵攻の大義名分が欲しかった地球側はこれを機に世論を味方につけて万全の体制で開戦に踏み切ったのである。
当時の木星帝国海軍の指揮官は挑発に乗って地球の船を攻撃してしまった。木星帝国滅亡の切っ掛けを作った事件として戦史の講義ではたびたび取り上げられている。
「先に発砲してはならん。我々は五十年前とは逆の立場に立たされているのだ──」
「ではどうすれば──ヤツら賊退治を口実に進軍して月基地を占拠する気ですよ」
「まあ十中八九、そうだろうな──」
戦術脳も艦長の考えに同意する。
「木星の大将の言う通りにするのは癪だが、我々が先ずやるべきは雷撃で受けたダメージの把握、そして回復」
「や、やっています……!」
「これまた癪に触るが、ヤツらの処遇は第一艦隊・宮城提督がなんとかしてくれると期待しよう。我々は全力でサポートするために先ずは態勢を建て直す──通信士、これまでの会話の記録をいい感じに要約して第一艦隊宛てにメッセージとして送れ」
「りょ、了解しました──アッ」
通信士は要約せずにそのまま送ってしまう。完全に浮き足立っている。
「すみません……」
「ああ? おいおい、宮城大将相手に癪に触る~、とか伝わっちゃったじゃない……」
「いや、その提督──すみません、つい」
平謝りの通信士は話題を逸らすように明るいトーンの大声を出した。
「て、提督お喜びください! レッドクイーン、シュライクパイロットの人的被害を報告します! 重傷五名、軽傷二十六名……命に別条無し! 奇跡です!」
「おお~! あの爆発で誰も死ななかったのか!」と艦長。
ブリッジの数名が死者ゼロの報に「わぁっ」と歓声を上げてパチパチと手を叩くがヒルだけは顔をひきつらせていた。
(なんだと、パイロットが三十名近くも怪我……?)
怪我人を艦載機に乗せるわけにも行かないし、重傷者の治療を優先せねばならないし──これでは空母レッドクイーンが完全無力化したのと同義である。
艦隊構成員の命を預かる管理職としては死者ゼロは喜ばしいが司令官としてはそんなに喜べない──仮に死者が何人か出ていたとしても怪我人ゼロの方が艦載機運用には都合が良かったのに、と考えてしまう辺り、指揮官というのは罪深い職業である。
加えて何か事件が起こればいい、などと不謹慎なことを考えていたから神罰が下ったのだ、とヒルは悔いた。
「くそう、わたしはポスロム中尉がくれた好機を無駄にしたのか?」
誰に聞かせるでもなくひとりつぶやいた。




