嵐の前の……
ネイサン達が送ったメッセージが第三艦隊に到着するには多少とは言い難い結構な時間差がある。
宇宙船で物を運ぶ時は遠いようで近く感じ、電話やメッセージでやり取りするときは近いようでやたらと遠く感じる。
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現在の第三艦隊が居るのは月基地から約七千万kmの火星行き航路の途中である。光分にして4分ほどの距離。
現在の超光速推進エンジンでは比較的安全運転の巡航速度でも光速を出す事が可能で『理論上は』木星までの八億kmを1時間弱で踏破する事も可能だ。
禁忌技術であるワープドライブコアを使用したエンジンはエネルギーを安定して供給出来るためここから二速・三速と速度を上げていく事が可能で、最新の高速巡洋艦ならば数日で太陽系をぐるりと周遊できる。
但し、そこが整備された航路で残骸や『渦』、重力震、太陽風、極大エーテル流などの妨害が無く、コースを選ばず直進できたならば、という条件付きなのは言うまでもない。
一般的な航宙船で採用されている亜光速フォトンエンジンはどうだろう。巡航速度ならば地球から火星までは1日、木星までは10日、土星まではおよそ20日が目安である。最大速度までアクセルを踏み込むならば、適切な航路を選択すれば半分にまで短縮する事が可能だ。
木星から植民惑星アラミス、いわゆる『プロキシマケンタウリ・ベータ』へは本来、4光年と離れていてそれこそ旧世紀の感覚ならば数年を要する大冒険の末に到達する秘境だった。
現在は木星航路上に存在する『ホワイトピラー』(スイングバイのような加速を得るために意図的に作られた複数の『渦』の集合体。遠目には白くてキラキラした氷柱のように見える。綺麗だが近付き過ぎると危険)の傍を通過する事によってそんなに速度の出ない客船であっても鉄軌道のレールに乗ったトロッコのようにでケンタウリ近くへ送り届けてくれる──まあ安全とは言うもののレールから外れて整備されてないエリアに出た途端に船は粉々に砕けて乗員の命は無いのだが。
前述のような超光速で移動できるエンジンがあるこの時代の連絡手段は、さぞかし便利なのだろう〜、と思われるが実際には『太陽系通信網』は太陽系の端から端を瞬時に繋ぐことは出来ない。
面白いもので、人類は電話が発明される前の不便さ・もどかしさを再び感じるようになった。宇宙に進出した人類はインターネットが地球全体を網羅した時代の全能感を失ってしまった。
惑星間で双方向リアルタイム通話できない事もないが光速通信は手順が多く手間がかかる。
手紙のやり取りのようにもどかしいが、この不便は情緒やロマンを復活させた。「想像する余地」や「物思いにふける時間」が提供され、人々の暮らしに彩りを添えたのである。
ニッチな情報を求めて宇宙船であちこち飛び回って自らの「足」でネタ集めをする「ニュース屋」稼業の人気も高まった。
過去には一卵性双生児による精神連結や複製動物を介した擬似遠隔通話のようなオカルトめいた手法が研究されてきたが倫理問題やら何やらにぶつかって頓挫している。旧世紀にも成功して試験運用まで行ったという噂もあるが、現在普及していないのはコストに見合わないシステムだったか、はたまた禁忌技術として聖棺に押し込まれたか──
少しわからない事や不便さがある方が「面白い」という事に気付いた人々が自ら禁忌と認定してしまったのかも知れない。
◆
第三艦隊司令官ヒル提督の元に宮城裕太郎大将からのメッセージが届いた。
『……新年あけましておめでとうございます。休暇返上で昨今の浮ついた空気を引き締めておられるヒル提督の心構え、まさに常在戦場の実践。小官も感服しています。つきましては第一艦隊も綱紀粛正を兼ねて急遽、新年軍事演習を実施する運びとなりました。つきましては貴殿からも幕僚会議本部に合同軍事演習の申請を提出していただけないでしょうか──』
「なんじゃこりゃ?」
これを見たヒル少将は気持ちの悪さを感じずにはいられなかった。
少し角張った自己主張の強そうなアゴを血管の浮き出たゴツい指で撫でる。見た目通りの『筋トレ中毒の脳筋陽キャ』のヒル少将。
対照的に、見た目通り『理屈っぽくて厳格そうなインテリ陰キャ』の宮城大将。
ヒルから見て軍人として尊敬に値するので、裕太郎と親睦を深めたい、とは常々思っているが裕太郎からはあまり好かれてない。
政府寄りの地球閥に属するヒルと開拓惑星寄りの中立派のトップである宮城裕太郎、という対立軸以上に見た目からも『陽と陰』という感じで接点が少ない。
「宮城大将は年始休暇はきっちり取得する人だと認識していたのだが? しかも新年早々に突発的な演習とは……」
軍事演習は無計画に行うものではなくやるからには綿密なスケジュール調整が必要だ、とチクチク嫌味を言われることも多い。そんな裕太郎が急な思いつきで正月に演習などと天地がひっくり返ってもあり得ない。
「うむ、なんにせよ字面通りに解釈するバカはいない。宮城大将のやることだからほかに意図があるのは明白だ」
ヒルは通信士に了承する旨を指示した。
「もしかして宮城大将もタイフォンに不穏な動きがあると察知して我々のように演習にかこつけて艦隊を動かす気なのでしょうか?」
副官が首を傾げる。
「わからん。先のクーデターの時も驚いたが……宮城大将の情報網は凄いな」
「提督、具体的な文面はいかがしましょうか」女性通信士が困り顔で尋ねてくる。
「先ずは目の前のタイフォンに集中する──まあ了承した、とだけ伝えておきなさい。演習行程の訂正はまあ後でやっておくとしよう」
メッセージには続きがあった。
『演習の内容ですが、ハイドラ級三番艦ミドガルズオルムが賊に奪取された想定で航路内の何処かを航行中です。その捜索と賊からの無傷奪還を目指します』
「は?」
「ミドガルズ?」
いま正に二番艦を捕捉しようとする途中で三番艦の名前が出て来て軽く混乱するブリッジ内。
「ふむ、これはタイフォンの間違いだろうな」
海図に表示されるミドガルズオルムの現在位置は土星基地周辺の最も堅固な防衛網が敷設された宙域。土星の固定砲台群に囲まれている状態である。
ヘンケルス達キャメロット残党により識別子が偽装されている事にヒルは気付かなかった。
「でも合同軍事演習の話が本当ならば三番艦はそこには居ないでしょうね」
「ふーむ。戦略AIの意見は?」
『ミドガルズオルムは別働隊、放置推奨。陽動作戦を警戒』
「──別働隊て、本隊がいるのか? 規模は?」
『木星帝国海軍・巡洋艦級未登録艦──JECX1〜4』
「なるほど? やはり第一艦隊はタイフォンとミドガルズを混同しているっぽいな」
「どちらも新造艦で識別コードが割り当てられたばかりですからねえ」
「まあ相手は同盟関係にあたる木星帝国関係者とはいえ、JECX−1神風号は未登録艦だからな。『臨検』の申し入れをするのは航宙法上の違法には当たらない──タイフォンと同時に神風号のアタマを抑えるぞ。揚陸艇準備、第四海兵隊と第五海兵隊に待機命令」
脳内シミュレーションを終えたヒルは副官に指示を出す。
「了解しました」
「ふふん。木星帝国の内紛、このわたしが未然に防いでくれようぞ。ユイ皇女と地球連邦はこれから長い付き合いになる、今の内に恩を売っておかねばな」
思わず肩をぐるぐると回すヒル。キングアーサーの前になす術無く不様に敗走した若き少将は降って湧いた名誉挽回の機会に燃えていた。
◆
月駐留宇宙軍内部はちょっと慌ただしかった。
現在、勤務している軍属の職員や軍人達は地球閥寄りの人間や中立派を決め込んだ者達が多い。月出身者達は先程までの裕太郎達と同様に新年の恒例行事を親類縁者や親しい友人達と楽しんでいたのである。
「提督! 新年おめでとうございます!」
紋付き袴に下駄履きのムナカタ少佐が足どり軽く現れる。どうやらアルコールは摂取していないようだが、とても軍艦に乗るような格好ではない。
「ムナカタ君よく来てくれた。一番頼りになるなキミは」
「あれ随分とお飲みになられたようで──おやこれはこれはご子息の雄大さんまで! 皆様総出で──」
「緊急事態だ。とりあえず急いで出港せねばならん」
「えっ出港!」
裕太郎に急かされてムナカタは小走りで軍港に向かう。
ムナカタの顔が深刻な様相を呈してくる。
「もしかして、本日中に帰れる感じでは無い──ということですか」
「状況にもよるが下手すれば2日間の長丁場になるかもな」
「そ、そんな──これはどうすれば」
「ん?」
ムナカタは大きな風呂敷包みを抱えている。
「あの、誰かを使いにやって提督のご自宅にぜひこれを届けたいのですが」
「わたしの家に?」
「はい、ウチの家内が作った鴨肉ローストとわたしが打った蕎麦なんですが……」
「ソバ、って食べるソバ……?」
「──奥方の純子さんの好物と聞いております。自信作が出来たのでぜひ御賞味いただこうと思いまして──」
「は?」
ガックリと肩を落とす裕太郎。
「大物ですねぇ少佐は」とネイサンが横から口を挟む。
「はあ、恐縮です」とムナカタ。
「頭痛がしてきたぞ」と裕太郎。
「そうだ、ボイスメモを残しても良いでしょうか? 冷ソバと温ソバ用のツユも準備してまして、あと茹で時間を──」
「わ、わかった、わかったから用事を済ませたら大至急で戻ってきてくれ」と裕太郎
「ありがとうございます! それでは」
ニッコリと笑って事務方が待機していそうなオフィスに下駄をカランコロン鳴らして駆けていく紳士。
「月市民の正月休みで弛緩した空気はあのムナカタ少佐ですら呑気にさせるんですねえハハ」
ネイサンがしみじみとつぶやく。
「まあムナカタ君は多少天然なところもあるが──笑い事ではない。こんな浮ついた状態ではまともなパフォーマンスが出せん。反体制の輩に一斉蜂起されたら──想像していたより深刻な事態になるかも知れん」
裕太郎の背筋に寒気が走る。
「大丈夫ですよ提督。雄大君もいます」
「あんな半端者がなんの役に立つ? 変に期待をすると裏切られるぞ」
「いい加減、認めてあげても良い頃かと……」
ネイサンを無視して裕太郎は準備を進める。
いつもならばレイジングブルの格納庫に直行するところだが、そこはぽっかりとした空きスペースが広がるばかり。
クーデターで損耗した第一艦隊の戦力はいまだ復活しておらず特に戦艦レイジング・ブルを失ってしまった穴はそう簡単に埋められそうもない。元来、唯一無二の超級戦艦を効果的に運用するためのサポート艦に過ぎないので艦隊自体のドクトリンは大幅に変更される事になる。
加えてタイダルウェーブとイザヨイツキヨは未だに修理中で転属で補充された艦を加えても総勢九隻──うち二隻は辺境のアラミス宙域で試験運用艦としてハイドラ級設計のためのデータ収集が主な任務で、クルーの半数が軍属の学者・設計技師で正規の軍人ではなかった──というやや痛々しい編成となっている。
残存戦力
戦艦タイダルウェーブ(修理改装中)
重巡洋艦ミノタウロス級ゴルゴン
高速巡洋艦ペガサス級ヨイマチサクラ
同ペガサス級イザヨイツキヨ(修理改装中)
特殊工作艦ビッグ・マッキントッシュ
駆逐艦メトロポリス級サンパウロ
空母ホエール級ガラパゴス
同ホエール級ヒンデンブルク
月駐留軍第二艦隊より転属一隻
駆逐艦メトロポリス級マンハッタン
アラミス総督府直轄・軌道上附設型宇宙港所属アラミス駐留艦隊より転属二隻
重巡洋艦 改ミノタウロス級試験運用四番艦パアン
航空巡洋艦 イカロス級試験運用一番艦イカロス
クーデターを契機に人生を見つめ直し、家族のために除隊した熟練の乗組員も多い。単純な戦闘艦の数だけでなく人員の練度も加味すれば第一艦隊の戦力は間違いなく「半減」していた。
加えて改フェニックス級ロボット艦十ニ隻と、無敵のエクスカリバーを振るう超級航空戦艦キングアーサーからなる改装特務艦隊までも失っている。
弱体化著しい月宇宙軍が体制を建て直すにはもう少し時間が必要である。
「取り敢えず予定通り旗艦はゴルゴン──臨時の艦隊司令部機能を持たせる。ムナカタ少佐はわたしの副官として司令部付きに──ネイサン君はパアンで指揮を執れ。キミの裁量で臨機応変に──」
「いやあ年末にやったばかりのミーティングが役に立ちましたね──えっと提督、出来れば雄大君は僕と一緒にパアンに乗ってもらってよろしいでしょうか。是非とも彼には操舵に専念してもらって活躍を──」
「イカロスの艦長は実戦経験に乏しい上に地球閥寄りだ。第一艦隊司令官の名をもって『軍事演習』の期間に限り、宮城雄大をイカロスの責任者に任命する──自由にやらせろ」
「えっ? あ、はい」
「なんだ不服か」
「いえ〜、期待するなという割にはきっちり頭数に入れてらっしゃるな、と──内心一緒に出撃できて嬉しいのでは?」
「わたしはそういう冗談が一番嫌いだ」
裕太郎の顔が歪んでいつになく厳しい顔つきになったのでネイサンはからかうのをやめた。
◆
ぎゃらくしぃ号はユイ不在の間、通天閣グループとコラボレーションする形で営業を行っていて火星の衛星フォボスに程近い宙域に錨を下ろしていた。
火星の衛星フォボス。
居住可能なほどの大きさは無いが、その近辺には小型の宇宙ステーションが連結して出来上がったコロニーが群れを成している。コロニーには開拓惑星本土に居を構えられない低所得者層やビジネスチャンスを求めて敢えてそこに住むコロニーカウボーイのような者達が明るく逞しく生活している。
やや享楽的かつ反政府的な思想を与太話代わりに公言する者もいるが、金星人のように実行に移さないあたり、最低限のマナーがある。彼等は火星文化圏の中でも火星西部寄りである。
もう一つの衛星ダイモスに程近いコロニー群にはいわゆる世捨て人系やミニマリストの方々がひっそりと禁欲的に、寡黙に、心穏やかに彼等なりに充実した日々を送っている。こちらの方々の思想はどちらかと言うと火星東部寄りだ。
火星は月に続く開拓惑星だったが、当時の未熟なテラフォーミング技術のもたらしたトラブルにより苛酷な環境下での開拓生活を余儀なくされた。
今でこそ通天閣沙織のように明るく図々しくどこかいい加減な性格の人々で溢れているがそれは苦しい開拓時代の反動から来たものだ。
火星は太陽系全体の生産工場として機能するほど発展したにも関わらず地球に追従する道を選んだ。
地球政府への追従を選択した火星と、抵抗を選んだ木星とでは大きく運命が変わってしまったが火星の民の間で少しづつ何かが変わりつつあった。
『ちょっと地球政府は調子に乗り過ぎなのでは?』
銀河公社による短期間での航路整備の偉業は人類の生活をより豊かにしたが、それは木星帝国の犠牲の上に築かれた豊かさである。
『苦労した開拓惑星移民こそがより多くの報酬を得るべきなのでは?』
そのように考える若い層が増えてきた。
地球政府を軽んじ、カトリック教会を敬遠していた若い世代は『連邦政府に追従するより木星帝国のように独立すべきでは?』という論調が強くなってきていた。
そこに来て火星西部の人気者(?)である通天閣沙織とユイ・ファルシナ皇女がプライベートでお茶を楽しむ事もある友人関係にある事がこのコラボレーションによって広まりつつあった。
特に、ユイが沙織の事を「師匠(小売業の)」と呼んでいることが知れると火星市民は大きな衝撃を受けた。
火星西部市民が真っ先に想起する「師匠」とは「お笑い芸人」の師弟関係である。
些細な事のようだが、期せずして火星西部市民の心をガッチリ掴んでしまったらしい。
『ユイはんはコッチ側』
『さおりんの弟子なら芸人枠』
『怖い人では無さそう』
『高級品ばかりだから店には行かないけど皇女本人は好き』
『美人なのに親しみやすくて好き。帝国再興応援する』
『支配されてもいい』
ユイの声はカトリック教会の教えよりも深く火星の人々の心に浸透してしまったようだ。
◆
フォボス周囲に点在する宇宙ステーションの中でも一際目立つ派手な外装の施設。通天閣グループが所有する貨物倉庫である。
「なんや留守かいな。それとも誰も通話に出られんほど盛況でいそがしなってんの? 傍目にはそう見えんけど……」
通天閣沙織はぎゃらくしぃ号の魚住京香にセール品の在庫補充数を確認しようと何度もコールするが反応が無い。
「ふーん、まあなんかテキトーに。売上予想とおなじだけ運んどくか〜」
「おいお嬢。なんやぎゃらくしぃ号の客入り止まってないか?」叔父の雅春がビューワーでぎゃらくしぃ号周りの宇宙船やシャトルの動きを注視する。
「ホンマや──なんかあったんかなあ? 一応ユイにメッセ送っとこ」
年末年始の浮ついた空気の裏で事態は静かに進行していた。




