ソーニャの憧れ
ぎゃらくしぃ号艦底部・店舗エリアにほど近いバックヤードの片隅。新年を迎えるにあたり店舗クルー達の気忙しい雰囲気に包まれている船内、伯爵家の家令職となったソーニャはかつての同僚達が働く姿を物陰から遠目に眺める。
「うふふ〜上手くいったようねぇ〜……!」
ニィ〜、と薄い唇を横に広げて少しだけ歯を見せて笑うソーニャ。神風号制御コンピュータからのメッセージを受け取った。船舶制御AIから個人のPPに直接メッセージが送られてくるとは、かなり異例なことだ。
『今回の件、ここまでスムーズに事が運んだのは宮城雄大排除同盟の心強き同志ソーニャよ! 君の働きによるところが大である……!』
署名は無いがガッサ将軍からのメッセージだと思われる。
記録に残さない単純なメッセージのやり取りならば多少の遅延でやりとりが出来る。
「ワイズ伯爵家の家令として全権を委ねられたこのわたし、ソーニャが協力するからには〜……成功間違い無しに決まってるじゃないの〜……!」
『当方は計画通りハイドラ級二番艦タイフォンを入手、三番艦ミドガルズオルム奪取計画も順調に推移中──当方はこれよりぎゃらくしぃ号の駐留する宙域へと駒を進める。同志陣馬と協力してぎゃらくしぃ号の無血開城を目指し、抵抗勢力の無力化を進めておいて欲しい。諸君の健闘に期待する……!』
「マーガレット様と六郎マネージャーの居ないぎゃらくしぃ号を無力化する程度、セクハラ宮城の対応するよりらっくちんち〜ん……!」
数分の遅延が発生するため会話になっているわけではないがソーニャはPPの音声入力でガッサ相手、というか神風号宛に返信メッセージを送る。
太刀風陣馬だけでなくガッサ達もPPを所持していない。連邦から隠れて生活してきたようなガッサ達は当然、連邦市民IDを持たない。
もはや生活基盤となっているPPだが本人ID登録必須のPPは、彼等にとっては馴染みの薄いアイテムなのかも知れない。
「木星王家を蝕む悪い虫、宮城雄大を駆除して純真なマーガレット様に正気に戻ってもらうのよ……! ついでにユイ殿下もね」
グフフフ……と半開きの眦を下げるソーニャ。トレーニングルームで雄々しくも華麗に技を振るマーガレットのホログラムを再生すると、じっとリとした視線を這わす。
「はあ〜ん! なんてお美しいのかしら……こんな素敵な御方の心を曇らせる宮城雄大、絶対に存在を許してはならない……害虫死すべし……! あ!? 宮城に『死ねメッセ』送ってなかった……! わたしとした事がとんだ失態を……まあ今からでも遅くはないか」
雄大への呪詛がたっぷりと詰まったメッセージが『偽装アカウント』から次々と送信される。少容量メッセージ弾の飽和攻撃が雄大のPPに濁流のように押し寄せるはず。事前に雄大の部屋に侵入してPPの設定を弄って迷惑メッセージのブロック機能を解除してある。
さて、とつぶやくとソーニャは着替え始める。制服を脱ぎ何やら紺色のツナギのような作業服に身を包み、分厚い特殊素材コートを羽織る。
腰のダイヤルとボタンを操作すると濃緑色のコートはじんわりと変色していき周囲の壁の色と同系統の色になる。
マルタ騎士団の隠密装甲服・ヴェルデアルマデュラのように完全に視界から消えたりはできないが、この布地は周囲の風景を撮りこみ映し出すので装着者と背景の肉眼識別を困難にする。長い髪の毛を束ね背中に押し込みすっぽりとフードを被ると、視覚的には人が居るようには感じられなくなる。
ソーニャが意図的に呼吸を抑え、生命活動から出る音を制限すると、気配すら消える……
ソーニャの出身はアラミス、物心ついた時には仲間の少年少女達と危険なが廃プラントで生活を営んでいた。親の顔など知らぬストリートチルドレン。
脇の甘い流れ者達からギルダや食料をかすめ取る事で生きてきた。
『土壌開発・環境整備』や『犯罪者狩り』などを目的として政府が意図的に放った害獣達の駆除が完全ではない危険地域にソーニャ達は隠れ棲み、市街地に出て銃器で武装した大人達から食料を盗む事で命をつないできた──過酷な環境で幼いソーニャが生き残ってこられたのは生来、他人の注意を逸らす術に長けていたからだ。
アラミスの環境は原初の地球を彷彿とさせるほどに過酷であり電子機器を故障させる磁気嵐が発生する。依って連邦政府の統治が及ばない危険地域が惑星各地に点在し、宇宙害獣同士が縄張り争いを繰り広げる魔境のような場所も観測されている。そこで暮らす人間のほうも自然と特殊な個体が産まれる。
アラミスで育ったからと言って全員がブリジットのように病原菌や害獣を物ともしないタフネスとパワーで環境適応するわけでもない。このソーニャのように外敵から身を隠したり気配を消す方向で環境適応をする場合もある。
地球の富裕層が所属する妙な篤志家の団体、開拓惑星アラミスのストリートチルドレンを保護して里親を探す、というおせっかいな団体に拾われた事でソーニャと仲間達は盗人同然の身分から脱してまともな連邦市民となった。
仲間達は衣食住を手に入れて喜んだが、リーダーのソーニャはどうにも納得が行かなかった。
『わたしは可哀想な子なのか? めぐんでもらう乞食なのか? わたしはこの人達の愛玩動物か何かに成り下がったのか?』
何度も自問自答した。
ソーニャは元々口数少ない内向的な子供だったが養女になってからは更にその傾向が強くなった。
高等教育及び職業訓練など要領よく何事もそつなくこなして里親を喜ばせたが、どこか他人行儀で最後まで里親に心を開くことはなかった。それもそのはず、ソーニャは里親に感謝などしていない、それどころか内心では自分より下等な精神を持つ愚鈍な存在だ、と見下し密かに嫌悪していたのである。
他人、特に大人にあまり興味を持てなかった彼女の性格は奇妙なねじ曲がり方をした。
自分もいずれ、里親達みたいなつまらない感性を持つ大人になるのか、と思うと絶望から何度も何度もため息を吐いた。しかし、一度どっぷり浸かってしまった快適な生活を捨てる勇気も無かった。
そんな風に誰か他人に執着する事がなかった彼女が、初めて激しく執着したのがマーガレット・ワイズ伯爵である。
きっかけは偶然。
リゾート客用のホバーカーゴに乗り込み里親達と旅行をしていたが、運悪く好んで人を捕食する宇宙害獣の群れに襲撃された。護衛についていたはずの用心棒達は真っ先に逃げ出してしまった。
ソーニャも愚鈍な里親達を見捨ててひとり逃げ出す算段をを思案していたところ、たまたま近くを通りがかったマーガレットと甲賀六郎によって害獣の群れは瞬く間に戦闘不能にされた。
その目にも止まらぬ回し蹴りが一閃するとしなやかなはずの害獣の首はへし折れあらぬ方向に曲がった。小さな少女から掌底を受けた黒い個体は口から胃液を撒き散らしながら地面を不様にのたうち回る。動きを止めた害獣に従者のような男が近付き至近距離からショックライフルを急所に数発撃ち込み止めを刺していく。人間を狩るために創造された害獣達が呆気なく処理されていく様子はまるでマジックショーでも見せられているようだった。
形容するなら美しい毛並みをした黄金色の若獅子──遠くに居てもその美しい金髪はまばゆく光り輝いていた。
少女は結果に満足しておらず『どれもこれもまだ動く……なかなかお祖父様のようにはいかないわね……』と一撃で害獣の息の根を止められなかったのを苛立っているようだった。
戦闘服の類を身に着けているとは言え、エグザスのような本格的な強化装甲服ではない。ただの人間が一撃で害獣の生命活動を断つなどと──常識では考えられない。
最後の一頭に止めを刺した後、少女は脚甲を脱ぐと従者に渡して害獣の返り血や胃液を拭わせ始めた。自身はその場で消臭スプレーを熱心に吹き掛け、手鏡でヘアーに乱れが無いかどうかなど身なりのチェックに熱中しだす。
襲われていたツアー客の事などまるで眼中に無いらしい。
運良く命拾いをした里親達は
「なんと勇敢で美しい娘さんなのでしょう。ぜひ命の恩人に御礼をさせてください──」
と無理矢理にでも宝飾品やギルダを手渡そうとするが、少女はその手を持っていた手鏡でしたたかに打ちすえ宝飾品を叩き落とす。
少女伯爵は呆気に取られている里親に侮蔑の言葉を吐いた──
『話し掛けないでちょうだい。地球の卑しき成金風情の分際で無礼が過ぎるのではなくて?──それになんなのその金品……? 由緒正しき木星貴族たるわたくし、ワイズ伯爵に施しをしようとでも? まったく……身の程を知りなさい、身の程を──庶民は庶民らしく、ただひたすら平伏していなさい』
痺れた、雷が落ちた──脳と背骨が灼けるような衝撃だった。お世辞にもその金髪の少女の衣服は清潔感はあるが華美ではなく、金銭的に余裕のある生活をしているようには見えなかった。それでも尚、自分や里親達よりも数段美しく見えた。
生き方に悩んでいた少女ソーニャは、自分とほぼ同年代の少女の高過ぎる自尊心と不遜な言動にすっかりと魅了された。
無償で与えられた安寧を黙って受け入れ、居心地の悪さを感じつつもぬるま湯に浸かっていたソーニャとこの少女伯爵はまさに対極に位置する存在だった。
協調性の欠片も感じない刺々しい口調と傲岸不遜な振舞いは美徳とは程遠いが、この少女伯爵は間違い無くその場の誰よりも『自分の心に真っ直ぐ正直』に生きていた──
(ああ! これだ! わたしがなりたい姿はこれだったのだ! 群れず、頼らず、隠れず、盗まず──自分の心のままに振舞う生き方! 生物とはすべからくこの御方のように自分の心を偽らず自由に生きるべきだ……!)
自分の理想、尊敬すべき対象というものを初めて見つけたソーニャ。彼女は恋愛感情よりも激しく強い執着をマーガレットに抱くようになった。
ぎゃらくしぃ号という船に乗り住み込みで働けば少女伯爵の傍に居られると知ったソーニャの行動は早かった。より近くで少女伯爵を眺め観察するために家出同然で里親の元を飛び出したのである……
◆
ショックライフルに特殊素材の布地を巻き付けたソーニャは息を潜め物陰に消える。
沈黙の潜伏者ソーニャ──甲賀六郎も、マーガレットも、ソーニャのこの能力を見抜けなかった。
英国諜報部MI‐6や陸軍の特殊戦部隊よりも危険な存在が、ぎゃらくしぃ号無力化へ向けて本格的に動き出した──




