演習大好き第三艦隊
タイダルウェイブ級戦艦ニ番艦メイルシュトロム──月宇宙軍第三艦隊の旗艦である。
頻繁に演習を行うためミリタリー系配信者の被写体と言えばこのメイルシュトロム。
一般人がイメージする「戦艦」はだいたいこの船と僚艦のギデオンであった(ギデオンはキングアーサーの攻撃で大破、後に破砕処分……)
航路内を砲塔剥き出しの戦艦がうろうろしている姿は物騒この上ないが、ここ数年は演習大好きヒル提督のせいで、物騒どころか毎度お馴染みの光景となっている。
裕太郎やネイサンからは経費の無駄として馬鹿にされているが反政府勢力に圧力をかける、という意味ではヒルが行う演習は一定の効果があった。
「うーむ。やはりわたしには実戦で汚名返上する機会が、必要だ」
メイルシュトロムの艦長席で頬杖をつきワイングラスを軽く傾ける。
リオル大将率いる秘密結社キャメロットの改装特務艦隊との戦闘で何もさせてもらえず敗走した。
激しく勇猛に戦って大損害を受けた裕太郎の第一艦隊と違い第三艦隊はヒルの判断でさっさと戦場から離脱した。
まったくもって正しい判断ではあるが、木星戦争時の激闘や逸話などに憧れて軍人になったヒルとしては正直歯痒い思いをしている。
(活躍し損ねてしまった……)
何か事件が起こる事を期待しているのだが、口が裂けても言えない本音だ。
(宮城大将、あなたが羨ましいですぞ──)
赤ワインを舐めつつ口を尖らせるヒル。
反乱の首謀者と疑われ、旗艦を失うほどの激戦の果て名誉の負傷をした。間違い無く人類史に残る激戦の主役なのだ。
「ぐぬぬぬ……」
グラスをサイドテーブルに置くとまるで不貞寝する学生のようにコンパネに突っ伏すヒル。
「なあ艦長。来年はどんな年になると思うかね?」
顔だけ上げて前方の席に座る艦長の後頭部に語りかける。
「そりゃあもう、何事もない平穏無事な年にしたいですね」
「平和。うむ、それはそう。その通り──平和、大事」
上体を起こしつつ、つまらなそうな表情で平和、と口にするヒル。
「──だがしかし。平和を願う我々とは異なる考えの輩が未だにこの宇宙にはくすぶっている……エウロパでもテロがあったばかりなのだ、決して油断してはならない」
ヒルはゆったりとした居心地の良いシートから立ち上がると拳を振り上げてブリッジクルー全員に語り掛けるように大きな声を出した。
「月市街地における年末年始の弛緩した空気に流されず、人知れず練度を高める諸君こそが明日の英雄、真の武人たる資格を得られるのである!」
いつの間にか艦隊全体にも流され始めたこのプチ演説──クルー達からやんややんやの拍手が送られる。
「流石は我等の御大将!」
「次期元帥閣下!」
「どこまでもついていきます!」
熱血馬鹿のヒルの下に集う士官のノリはだいたいこんな感じでやや血の気が多くて、この指揮官とノリが合うのだが、三割程度はウンザリしている。軍属の医師、調理士、整備技士からは迷惑がられている。
逆に言うと第三艦隊内の七割の士官、特に若手からは熱烈に信奉されているのだから、なかなかのカリスマ性を持つと言っても過言ではない──歳上からは馬鹿扱いされるが歳下からは人気のある将校だ。
「まーた始まった、だる……」
「まじダルい、無いわー」
「第一艦隊に転属願い出すかなー」
「でも第三艦隊は軍事演習用の特別手当が厚いから」
「そうよねー、ぶっちゃけ稼げるのよね〜……」
女性士官達が溜息をつく。
「──あれ、なんだろ……見た事ない艦識別コード──タイフォン?」
「提督、通信が──木星王家へ貸与予定のハイドラ級からです」
「む? ハイドラ級高速巡洋艦二番艦タイフォンだと? 識別コードEDSF-HCU-802eのタイフォンか?」
「あ、はい。そうです。802e」
新造艦の識別コードを何も見ずに精確に言い当てる。ミリオタ、ちょっと気持ち悪い。
ヒルはメッセージを開く。暗号文字列だけの速度重視メッセージ。
緊急時に使われる伝達手段、ピリッと空気が張り詰める。
「…………ふ、む」
「ハイドラ級の二番艦、タイフォンの木星帝国への引き渡しが早まったらしい。ポスロムさんから緊急だ。君の名前が書いてある。身内なのか」
艦長に相談するヒル。
「──え? ポスロム中尉、ですか? ええ、ポスロムはわたしの叔父ですが」
「どういう人物だ?」
「身内の贔屓目で恐縮ですが──誠実で堅実で信頼に足る好人物です。もちろん軍人としても優秀ですよ」
「そうか」
ヒルは巡洋艦アマノハシダテを呼び出した。ビューワーに艦長が姿を現す。
「提督、ご命令ですか?」
「いやその──新造艦タイフォンの艦長代理、ポスロム中尉からの報告で、これこれこういう話があるらしくてな──君はユイ皇女殿下からそういう話を聞いたりはしなかったかね?」
「いえ……」
「その場には木星帝国の例の伯爵も居たんだよな? では皇女不在のぎゃらくしぃ号の責任者は誰が務めているか聞いてるか?」
「そうですね──確か宰相代理の魚住氏が留守を預かっているそうですが」
「ふうん……」
ヒルは右手にワイングラスを持ち、左手でアゴをさすった。
(帝国海軍ガッサ将軍だと〜? 何者だ?)
木星帝国残党なんてのは基本的に反政府勢力と考えるべきだ。ユイ皇女が地球連邦を恨んでいなかったとしても全員が同じ気持ちでいるとは限らない。
ヒルはしばらく黙り込んだ。
なぜメイルシュトロムにこのメッセージが届いたのだろうか。
(ううむ。幕僚会議経由で本件の真偽を確認するとなると──何かあった時に間に合わんな、正月で気が緩んでる奴等が多い事だし──対応に困ったポスロム中尉が考えに考えて出したSOSと見た……なるほど! ポスロム有能……! わたしに助けを求める辺りが特に……!)
「うむ……早速の汚名返上の機会、来たかも知れんなあ!」
ヒルは急いで赤ワインを飲み干して景気付けをするとポンと柏手を打った。アマノハシダテの艦長に指示を出す。
「アマノハシダテは今から別行動、月基地に戻り待機任務だ」
「待機任務でありますか?」
「悪いがまた、木星王家のタクシードライバーを務めてもらう事になりそうだ」
「え?」
「よお〜し、我が第三艦隊はこれよりハイドラ級二番艦タイフォンの引き渡しに立ち会うべく、ポスロム中尉から送られてきた座標に向けて進路を取るぞ!」
メインビューワーに海図を映し出すとランデブーポイントを指差して艦長に転進を促した。
「しかし提督、宇宙港と幕僚会議に提出した航行スケジュールを変更するには──」
操舵を躊躇するメイルシュトロム艦長。
「緊急時だ、許可を申請する時間すら惜しい。事後報告になるのは仕方が無い──それにな、君の叔父さんのピンチかも知れんのだぞ?」
「えっ、そうなんですか?」
艦長は少し顔を青くした。艦首を返して転進すべく舵を切る。
きな臭い匂いを敏感に察知したヒル、この即断即決、吉か凶か──




