絶叫中年
耳触りの良い音が外から聴こえてくる。
樹木の匂いがする部屋、少しかび臭い気もするがそれ以上に落ち着く。
ラドクリフは寝ぼけまなこをこすり、顔面を手のひらで撫で付けながら実家の朝の心地好さを堪能した。
微かに聴こえてくるチチチ、と小気味良い小鳥のさえずり。素敵な声で鳴く黒髪の大きなビッグバードこと、ユイ・ファルシナとのデュエットを楽しみにしているのか、宮城家の周囲に常ならぬ数の野鳥達が集まって来ている。
この鳴き声はユイを誘っているのかも知れない。
「あれ? 朝か」
12月31日、大晦日の朝。
一応時間を確認。起床予定時刻を大幅に過ぎているがラドクリフの表情は弛んだままだ、実を言うとラドクリフは雄大の花嫁が誰になろうが割とどうでもいい──何でもいいから騒動が収まり平和な正月休暇を過ごしたい、ただその事だけを考えていた。
隣では幼年学校時代を共に過ごした友人の宮城雄大がヨダレを垂らして眠りこけている。
起こしてくれとは言われているがそっとしておく。
(守りたい、この寝顔)
自らも微睡みの中で平和を噛みしめた。
クーデターの折に亡くした部下の事を考える、最近ようやく吹っ切れてきた。
(平和が、いちばん)
ラドクリフはどちらかというと雄大が宇宙軍に戻って来て第一艦隊に配属、共に月で働いてくれたほうが嬉しいので麻里か芳佳が勝ったら面白いのに、とさえ思っている。
ただそうすると木星帝国次期皇帝の面子を潰した事になり、良好なはずだった宇宙軍と木星王家の関係に大きなヒビが入る事になる。
ユイが尽力している連邦市民と亡国木星の民達との和解をぶち壊すだけでなく、大きくは地球連邦政府と開拓惑星系移民との間の新たな火種になりかねない。
それはそれで困った事態になるが、一介の兵士である彼は、どうこう出来る立場にはなく、成り行きを見守るしかない。
女性の感情には疎いラドクリフだが、アスリート的な視点をもって彼なりに第一皇女ユイの心境を推し量っていた。
彼女は雄大を勝ち取るために全力を傾けている。
目に苦痛の涙を浮かべ疲労で思うように動かないはずの身体を気力で支えている。
木星王家の生き残りとしてのプライドなのか、純子の理不尽への対抗心なのか、それとも婚約者を奪われる事への憤りなのか──美麗な絵画の世界から飛び出してきたかのような美女ユイ・ファルシナには不釣り合いな、やや泥臭い『不屈の闘志』『勝負への執念』を感じていた。
(負けず嫌いなのか)
J.Bからは『並び立つふたつの太陽』と称されたユイと純子。
ラドクリフには巨大なふたつのハリケーンに見える。
由梨恵が「根っこの部分で似ているから気が合うはず」と分析していたが、確かに気性の激しい純子と一見大人しそうなユイ・ファルシナはベクトルは違えど似た部分を持っている。
そもそも軍艦でコンビニ事業を始めたり、自分から手錠で繋がれたり、二百兆ギルダをばら撒いたりする女である。やる事が突拍子もない上に、一旦こうと決めたらやり遂げる覚悟と周囲に有無を言わさぬ実行力。
理性を上回る激情──
(お姫様のほうはスケールがとんでもなくデカいから、おふくろと比べるのはおかしいかも知れないが──周囲を巻き込んで突拍子もない暴走を始めるってのは、まあ似てるのかもなぁ)
似ているからこそ相容れない事もあるだろうが、うまく利害が一致すれば最大の理解者になれる──かも知れない。
◆
純子からのお達しで本日は作業を伴うので滞在者全員、動きやすい服装で集合するようになっていた。
それまでのきっちりとした服装からジャージなどのスポーツウェア、トレーナーにジーパンやレギンスなどの運動着に近いラフな格好になっていた。
麻里は赤のジャージ上着に短パンで陸上競技の選手風、ユイは由梨恵から借りた女学校で採用されていたオレンジ色の少しお洒落室内着風のジャージ上下、芳佳は幼年学校の体育着、濃紺のブルマの上からコート。マーガレットはエグザス搭乗用のアンダースーツの上から小さめのジャケットを羽織り肩を隠すいつもの戦闘待機中のファッション。
雄大、ラドクリフ、ネイサンは「おお」と感嘆してあでやかな四輪の華を観賞する。男性陣の容赦無いギラギラした視線が美女たちの肢体を襲う。
胸のふくらみ、腰、太ももに遠慮なく邪な視線を送る若きオス達。
マーガレットがコーディネートしていい感じで袖を曲げるなど着崩してオシャレ感を演出したユイの姿が一番目立つのだが、審美眼より性欲が勝る青年達は麻里の短パンから伸びる太腿の健康的な色香や上着の端からちらちらのぞくマーガレットの形の良い臀部を見て喉を鳴らす。
由梨恵がカメラドローンを使って自分も含めた五人の女子で記念撮影をしている。マーガレットだけ若干不本意そうだったがユイに促されて渋々フレームに収まる。
(麻里って娘、売れ残ってるのが奇跡……ほんとに整形じゃないのかい雄大くん)ネイサン
(し、知りませんよ)
(美人だねえ──完璧そうだけど割と抜けてるとこもあって見てて面白い子だなあ)
(俺はその、性格がちょっとキツいかなあ)
(ああいう子、一度寝ちゃえばどんどん甘々になってくると思うよ、経験上)
(由梨恵に怒られますよ、ほんと。そういう発言自重してください)
(エッチしたい、とかめちゃくちゃ言ってた雄大くんには言われたくないなあ)
(サークルクラッシャーとかいうポンコツアイテムの設定がおかしいんですよ! あれは俺の本心じゃありません)
(ふうむ、雄大くんはなんだかんだで奥手なままかぁ──じゃ、あの娘たちっていまのところ手付かずなんだね)
ネイサンは爽やかな笑顔で麻里の身体を眺めている、腹の中では何を考えているかわかったものではない。
ラドクリフは先程からじろじろと少女伯爵を観察している。
(いやあ、改めて思うんだがあのマーガレットっておまえに惚れてるんだろ? よく我慢できるな……)
マーガレットは何気なく移動したり手でジャケットを伸ばしたり細かく動いている。そのたびにラドクリフも移動し、身を屈めたりと忙しい。
(ラド頼むからその欲望ダダ漏れの顔でマーガレットの下半身に視線集中させるのやめろ)
(いやだってあれパンツ……くっそエロい)
(パンツじゃない。そもそもおまえ仕事柄、装甲服の女性用アンダースーツ見慣れてるだろ──マーガレット絶対気付いてるぞ。あんまりアイツの印象悪くすると後悔することになる)
ローアングルから撮影しようとしたりしていた自分の事は棚上げの雄大──
(別におまえの彼女ってわけでもないんだろ、独占欲か? 皇女殿下に悪いとは思わないのか)
(後でシバかれても知らんぞ。だいたいおまえこそモニカって娘はどうなんだ?)
(あれは無いなぁ──だって由梨恵より色気ないんだぞ?)
(……ひどいなあ、まあ確かに色気は無いが)
(由梨ちゃんの良さがわからないとは雄大くんもラドクリフくんもまだまだだね)
フフッと笑うネイサン。
雄大とラドクリフは向かい合って頷きあう『イケメンの考えてる事は難解』で自分達には理解できない──と。
(由梨恵はさておき。ダチのおまえがこれだけ美女にモテモテなのにさあ、俺がモテるのはガサツなモニカだけっておかしいだろホント不公平だ)
(ラドおまえはガキの頃からモテてただろ嘘つくな)
(そ、そうだっけ?)
(ふたりともちょっといいかい──あれを見たまえ、この美形揃いの中では埋没しがちだが──)
ネイサンが小さく指を向けた先にいたのは大黒芳佳。ちょうど羽織っていたコートを脱ぎ、ハンガーにかけたところである。
やや地味で小柄な未亡人の若女将、に視線を這わせる。
三人の目線が一点に集中した。
それは芳佳、いや大黒芳雄の股間である。水着審査の時はパレオを付けていて良く確認出来なかった。
(女性だな)
(うむ──)
(あれが──)
(元、男性の──)
(元、人妻の──)
(妙な背徳感が──)
ゴクリ──生唾を飲む一同。
さすがの芳佳も視線に気付いたようで麻里の後ろに隠れてしまった。花嫁候補の中では一番の年長者だが外見は一番幼い。
性転換後の芳雄が他の男性と結婚せず、士官学校時代の雄大に想いを告げていたら、今頃どうなっていたのだろうか。
士官学校を中退した雄大が芳佳の実家の旅館を継いだかも知れないし、卒業と同時に芳佳が宮城家に嫁入りしていたかも知れない。
◆
一度集合してから簡単な朝食の準備。
出来合いの保存食が中心だ。
「あの……お母様? 次の勝負はなんでしょう?」
しびれを切らした麻里が、ややうつむき加減で人数分のおにぎりやサンドイッチを並べる純子に問う。
「え? あ、ああ──勝負? 少し待ってちょうだい。今日は予定が詰まっているから勝負はさておき取り敢えず朝食をとりましょう」
「はいお母様!」
歯切れの良い返事をした後でユイと芳佳に小さく謎のハンドサインを送る。
ハンドサインを受け取った芳佳が人差し指と親指の先端を合わせてOKサインを作る。おかずになる煮物椀や香の物、味噌汁などの準備を手際良く始めた。
純子は腰のポーチに仕舞った二組のサークルクラッシャーの存在を忘れていた。
ふとユイの様子を見ると大黒芳佳から包丁のワンランク上の使い方や見慣れぬ食材の特徴を教わっているようだった。熱心に聞き入るユイと、どこか楽しそうに教える芳佳──若干遅れがちなユイ担当の行程を由梨恵がフォローし、麻里が由梨恵の代わりに全体に指示を出してネイサン少将と裕太郎を顎で使っていた。
呼ばれたネイサンと裕太郎は首を傾げながら広間に座布団を敷いたりして朝食会場の準備をする──
ライバルのはずの芳佳から応援され、会って日の浅い由梨恵の信頼まで勝ち得ている。
あれが母親から最愛の息子を奪うおぞましい『木星亡霊』の姿なのか。
(──見苦しいぞ純子。おまえが本当に守りたいのは家か、息子か──それとも自分自身の面子なのか)
自問自答する。
と純子の固い決意は揺らぎ始めていた。
盗み聞きした昨晩のユイと雄大のやりとりを思い出す。
(雄大をスケールの小さな箱に押し込めようとしているのはわたし自身ではないか──)
自分の城の中、目の届く範囲で息子を管理し、その優秀さを誇り、他人に自慢する。
(女神などと煽てられても、所詮は──)
あまりに保守和的な月の旧家、そして宇宙軍という男性が多数派の前時代的な『男社会』への抵抗、そして挑戦。
異性のみならず誰もが見惚れる美しい造形の顔、官能的な首筋、豊かなバスト、引き締まった腰、性的なアピールが強過ぎる純子は存在自体が不安要素。
『本人の意志とは無関係に周囲の人々の冷静な判断を狂わせ組織内の風紀と調和を著しく乱す』
としてAIの適性検査で不可を出されている。
前例のない理由での不可──
理不尽な理由での組織からの拒絶。
(当時の適性検査──的確な分析だったのね)
この小さな宮城家という集団ですらまとめきれず、自身のわがままで機能不全が起きかけている。
「──!?」
来客を知らせる鳴子がカランコロンと鳴る。木片と木片がぶつかり合って軽やかな音を出した。
◆
迎えに出た純子はかつての同期の姿を見て目を見開いた。
「モエラくん?」
「純子さん! お久しぶりです!」
「モエラくん! まあ本当に──!」
「10年、いや20年ぶりですかねえ」
感極まった純子は青春時代を共に過ごした旧友モエラに駆け寄りハグをするとペタペタとモエラの身体を触り始める。
「イヤだわモエラくんあなた、本当に立派な──立派な中年男性になって! まさに閣下という感じよ!」
「ははは──恥ずかしながら──」
「ああ〜、懐かしいわね!」
ぎゅうぎゅうと手を握ってくる純子。
モエラは青春時代の憧れのマドンナの変わらぬ美しさに感激し、久々にその芳醇なフェロモンを嗅いでだらしなく口許を弛ませた。
(ま、まさか純子さんの方から抱きついてくるなんて!)
押し付けられた張りのある乳房、握ってくる手の感触、多少保湿が悪くなったような気もするが10〜20代の頃とほぼ変わらぬ印象。
(生きてて良かったああ!)
「ああ、嬉しいわ! わたしモエラくんから嫌われてたのかと──」
「そんなまさか! 純子さんを嫌いになるやつなんているものですか! 我が青春、士官学校伝説のマドンナ!」
「んもー、モエラくんって相変わらずお上手ね!」
再びハグしてくる純子、とろけそうな表情でなすがまのまモエラ。門の外での惨状についてあれこれ訊ねるつもりだったが『憧れの君』の登場でモエラの脳内は一度完全にリセットされ士官学校時代の頃の記憶をさかのぼって反芻し始めていた。
同窓会であった憧れの人、というのは人生華やかなりし頃の青年期と、生活感溢れ体型崩れ出す中年期との残酷なまでの差違に愕然とするものだが──
純子の妖怪めいた若作り術はモエラの妄想していた姿を遥かに上回り、かつての信奉者を益々虜にしてしまったようだ。
「こ、こらこらこら! そこ! オッサン!」
雄大が走り寄ってきてモエラと純子を引き剥がす。
「あら」
「母さんコイツ危険だから近付くなよ」
「なんだあ、妬いとるのか」
「まあ嬉しい! 嫉妬してるの? 大丈夫よ雄大、お母さんが一番愛しているのはあなたなんだから」
「そ、そういう意味じゃなくて──」
雄大はモエラの盗撮紛いの画像の事があって実際にやきもきとした気分になっている。
「雄大ごめんね、ほらあなたにもしてあげるから」
「うわっ?」
「ほらギュ〜っ」
逃げようと藻掻くもののがっちり極まって外せない。
「や、やめてくれ!」
「照れちゃってホントカワイイ子ね、お母さんがあなたの花嫁になりたいぐらいだわ」
「冗談でもやめて!」
物凄い形相で拒絶してくるので純子はつまらなそうに雄大から離れた。
「あらもうごめんなさいね、お客様を放っておいて──雄大、内門を閉めてきてちょうだいね?」
純子は雄大を解放するとモエラを伴って邸宅内へと戻る。
◆
モエラはユイの姿を見つけると恐ろしい速さで駆け寄る。
どんな美辞麗句、賛美の言葉が飛び出すかと思いきや、このよく口の回る中年男にしては割とまともな挨拶だった。雄大とマーガレットはモエラの様子が少しおかしい事に気が付いた。
(ねえ宮城、あの色ボケ少将、なんか今日は様子がおかしいわね?)
(おそらくなんだが──うちの母さんとユイさんを天秤にかけて困ってる、て感じ)
(は?)
純子の手前、どこまでユイを褒めるか思案をしているらしい。
(母さんの前で若い娘にデレデレしてるの見られたくないんだろうなぁ)
(なにそれつくづく俗物ね)
(でもまあ男として気持ちはわからんでもない)
(え? 宮城もそうなの?)
(は、はい。男ですみません……)
呆れたわねえ、とマーガレットは溜息をついた。
(それはそれとして勝負ってどうなってるの? アンタ例の道具まだ装着してないじゃないのよ)
マーガレットは雄大の耳と手首を確認する。
(今日はユイ様にポイント入れなさいよね。100ポイントぐらい)
(無茶言うなよ。俺だってそうしたいのはやまやまなんだから)
(はいはいそうですか皇配殿下)
(怒るなよ)
マーガレットはぷい、と身体ごと横を向くとジャケットから扇子を取り出して口元を隠し、つらつらと誰に聞かせるでもない怨み言を並べた。
(だいたい──なんでわたくしの加点があんな庶民で年増でポッと出のふたりよりも少ないのかしら……男って新しい女の方に興味が移る、ってユーリが言ってましたけど本当ね)
(おい何をぶつぶつ。言いたい事があるなら──)
(もう! なんでもないわよ、ほんと男って最低の生き物だわ)
(ええ……逆ギレ?)
裕太郎、純子はモエラを迎えて雄大や由梨恵が聞いたことも無いような溌剌とした声を出して再会を喜んでいた。
学生時代はこういう感じだったのか、と雄大は父親を見て驚いた。
◆
軽めの朝食を終え、餅つきの準備が始まる。
一同、庭に勢揃いして3つの木製の臼と10本の木製の杵が用意してある。何段も積み重なった大きな蒸籠の塔がふたつ。中ではもち米が蒸されてスタンバイしている。屋外用の簡易かまどが組まれて水の入った釜の下で安定火力を供給する。
ユイとマーガレットは物珍しそうにこの光景を眺める。
「──勝負ですね!?」
エプロンを付けた麻里が軽めの杵を持ち上げる。
「お母様、チーム分けはどうしましょう」
「ええと──」
このゲームの主催者でありながら消極的な雰囲気で言い淀む純子。今朝はどうもこの話題になると歯切れが悪い、麻里が首を傾げている。
(あ、そう言えば……)
既に上着を脱ぎ腕まくりをして餅つきの準備をしていたモエラも首を傾げる。
(そう言えば勝負が何とか、表の警備の連中が言っとったな──)
モエラは純子に声をかけようかどうか迷った。
(純子さんの機嫌を損ねるような事なら黙っておくべきだろうか。判断が難しい……ちょっと裕太郎に聞くか)
「なあおい裕太郎。勝負というのは一体なんなんだ?」
「──んー、いやまあ変なことになっていてなあ、あの男・雄大の花嫁の座をかけて勝負だのなんだの──騒々しくてかなわん。せっかく来てくれたのにがちゃがちゃとしてすまんな」
裕太郎がモエラに経緯を説明する──
「は? 嫁?」
純子の華道教室のお弟子さんか何かだろう、と思っていた麻里と芳佳、そして雄大を指差す裕太郎。
「本来はユイ皇女殿下とあの男が婚約していたのだが、うちのヤツが混ぜっ返して混乱している。モエラからも何か言ってくれ。純子のヤツ、リクセン先生が言っても聞く耳を持たなかったのだ、こうなればおまえが頼りだモエラ」
「ま、待て待て? 婚約ってのはなんだ。誰と誰の?」
「雄大だ。雄大と、ユイ皇女殿下──あ、そう言えばおまえには言って無かったな。一応、部外秘だ」
指差す先に、宮城雄大。
「すまん肝心な部分がよく聞こえなかった。おまえの息子と──誰の婚約?」
裕太郎は左手で雄大、そして右手でユイの方を指し示す。
「ユイ皇女殿下と、雄大だ」
「も、もう一度いいか?」ぷるぷると慄えるモエラ。
「いや、だからな、ユイ皇女殿下と、雄大」
五秒ほどの沈黙、そして──
「ゆ─ッ? ──は あ あ あ あ あ あ !??」
爆音、絶叫。
庭に集まっていた全員が、突然絶叫するモエラに注意を引かれた。
顎が外れそうなほど大きく口を開け、全身を震わせて恐ろしいほど通る声を出している。マーガレットがエウロパで披露した『響撃』──推定250デシベル以上(?)には及ばないもののおよそ120〜130デシベル、落雷でもあったかのような爆音である。
せっかく集まっていた愛らしい小鳥達も一斉に飛び去ってしまい、反応した防空ドローンと追いかけっこを始める。ここ数日、小鳥達も忙しい。
門の外もザワつき、裕太郎・ネイサンそして由梨恵のPPに待機中の3つの団体から連絡が入る。
「だ、大丈夫です、特に何も──」
同時に遠くで何かの駆動音が複数。臥せていた多脚象戦車が立ち上がったのだろうか。
その音に気を取られていた矢先。
餅つき用の臼が置かれた場所に、うっすらとだが二本の角が生えた巨大な影が射したのを雄大は見た。
振り返ると、突如として巨大な鋼の鬼──いや禁忌装備『栄光』を装着した巨大類人猿・修道騎士マースが音もなく、気配もなく、易々と宮城家の塀を乗り越えて、すぐそこ、雄大に手の届く位置にまで迫ってきていた。
(えっ──)
マーガレットは雄大の足を払い、尻餅をつかせると頭を押さえて地面に這いつくばらせた。
雄大は自分が狙われていたのかと思ったが違った。
『栄光』のパワーガントレットが彼の隣にいたマーガレットが最初に居た空間を薙ぐように振り下ろされ、その無骨な五指は宙空を掴むような動作をしていた。
──マーガレットを確保しようとしていたのだろうか──
完全に脱力していたラドクリフだが、友の窮地を救うために杵を手に取ってマルタ騎士団副団長に向かって駆け出した。マーガレットはその場から飛び退き、ユイのかを抱え上げ玄関方向に向かう。
マースはマーガレットを追うように歩き出そうとするが、何かに気付いて歩を止めた。
純子が餅につける打ち粉の入った袋を包丁で刺し、マースに向かって投擲していたのだ。
『栄光』の肩口から何かが射出され、薄いフィルムのような物がマースを護るように広がり、包丁の勢いを止める。するとフィルムによって遮られた打ち粉が散らばりマースとラドクリフ達の間にカーテンのように広がり目眩ましになった。
「───」
裕太郎と由梨恵が転んだ雄大を守るために杵を手に持ち恐る恐るマースに近付き、ラドクリフの加勢に入る。
木製の杵ごとき絶対に効果が無いのは誰の目にも明らかだが実戦は何が起こるかわからない。何かの拍子に装着者の生身の部分が露出すれば或いは……
打ち粉の煙幕(?)の効果もあって双方、何がなんだか状況がよくわからず、迂闊に動けない──ラドクリフ達と鋼の鬼は透明な防御フィルムの膜を挟んで数秒、睨み合う形になる。
緊張感だけが増していくヒリヒリとした状況。
お互い相手が先に動くのを待つ。
そうこうしているとすたすたとラドクリフの脇を抜けて幼女がマースに近付き、脚部を蹴った。
「馬鹿が──! 何にも起こってはおらぬ、さっさと帰れ狂信者」
リタはチッと舌打ちしながら犬でも追い払うように手を振り、マースを叱責した。
『栄光』のハッチが開くとばつの悪そうな表情の副団長が顔を出した。
「な、何事も無かった、ので?」
マースは細い目を見開いて肉眼でマーガレットの姿を探すが既に何処にも見当たらない。
腰をひねって周囲を確認する。一歩後退した時、左手の方から玉砂利の上で摺り足をしたような音が聴こえた。
「?」
装甲服の補助カメラの映像を確認したマースは驚いた。
いつの間にか純子が玄関先に飾ってあった大槍を持ち出しており、上段に構え死角から穂先をこちらの首に向けていたのである。
(な、なんと──)
ゾワリ、と肝が冷えるような感覚。
マーガレットだけでなく、純子の動きも見失っていた事に驚くマース、思わず小さく呟く。
(このわたしが不覚を取るとは──)
「この場の最大の脅威はおまえ自身だ──どうした、お得意の『浄化』でも始めるつもりなのかマルタ騎士団」
「ああ、いえ、その──て、てっきり宇宙軍幹部の方々に危険が及んだのかと」
マースは何度も何度も言い淀み、あからさまに動揺しているようだった。
「な、なんだって? おまえ達教会の連中ってのはユイさんがテロでも起こすとか思ってんのか? この野郎!」
尻餅をついたままの雄大が吠える。
「あ、いえ──決してそのような……」
「そのような格好で当家の敷地に入ってこられては困ります。当家も小さいとは言え武家の面子というものがありましてな──それに、そもそも貴方はユイ皇女殿下の護衛に来たのでは?」
裕太郎はずかずかと大股で闖入者に歩み寄り、リタの前に腕を広げて下がらせようとするが、リタは引き下がらず裕太郎を押し退けるように前に出て来る。
「こちらにはお前等の上司、教皇イノケンティウスの免状があるのだぞ。教皇の意志を無視するなど。管理委員のメンバー同士で戦争でも始めるつもりなのかエンディミオンのヤツは!?」
右側にリタと裕太郎、左側死角に純子。
無表情で槍を構えたままの純子、その目はマースの首元に集中している。隙を見せれば一息に突いてくるに違いない。
それほど純子の位置取りは完璧だった。
武装がまともな現用兵器ならば武闘派でならしたはずのマルタ騎士団の副団長が、月の主婦相手に不覚を取ったかも知れない。
「本当に──失礼しました宮城大将」
「当家への詫びはそれぐらいで良いが、木星王家の方々へはちゃんとした謝罪をお願いしたいですな」
「も、もちろんです、この失態のお詫びは後ほど……」
無音──巨体は跳躍し軽々と塀を飛び越えていく。
重量、そして巨躯のデメリットを感じさせない軽やかな動き、この『栄光』という禁忌装備は「単独行動による奇襲」を想定した兵器なのだろう。
今度は門の外でわあわあと騒ぎになっている。マルタ騎士団の暴挙に猛抗議がなされている様子。
麻里達の盾役になっていたネイサンは安全を確認すると宇宙軍本部ビルや月陸軍駐屯地、月行政府など関係各所に問題無し、のグリーンサインを数回発信する。そして槍を門の向こうに掲げたままになっている純子に駆け寄る。
「お義母さんもう大丈夫ですよ」
「雄大は? 大丈夫なの? 麻里さん達は?」
「みんな大丈夫です」
「そう──」
純子はふう〜、と大きく息を吐くと笑みを浮かべた。
「ご立派でしたよ」
「まさかエグゾスーツを持ち出されるなんて。あらあら、今頃になって身体が震えだしたわ、ふふふ」
槍を純子から受け取るネイサン、ついでに純子本人もネイサンに寄り掛かった。
「おっと──」
「ごめんなさい、駄目ねえ──今更怖くなってきちゃったのかしら。こんなんじゃ本物の戦場では役には立てないわね」
純子はそう言うが、ネイサンが思うにその震えは武者震いの類では無いだろうか──この集まりの中であの得体の知れない装甲重歩兵を『刺し違えてでも討ち取ろう』『命のやり取りをしよう』と本気で考えていたのは純子だけだった、という証。
星野家の血が純子を駆り立てたのか、それとも息子を守ろうとする母親の覚悟の現れなのか。
□□
「どれだけ神経質になっているのだマルタ騎士団は──副団長ともあろうものが、巨漢に似合わず肝の小さい……いや」
親指の爪を噛むリタ──見た目通りに演技の下手な──誠実な修道士よな、と言い直した。
どさくさ紛れにマーガレットに仕掛け、戦闘データを取るか、あわよくば採血をしようとしていたのだろう。
「ぜ……全然気付かなかった」
リタの近くまでやってきたラドクリフは『栄光』の足跡が残っていないかを確認しているようだった。顔を青くしてへたり込む若き隊長。現役の機動歩兵でありながら義母の純子よりも役に立てなかった事を恥じているようにも見える。
「恥じる事はないぞレンジャー。ああいう特殊な制圧兵器を奴らが独占している、というだけの事。力量の差などない」
リタ(=リオル)はラドクリフのことを一度刃を交わした相手として認めているらしい。
「し、しかしなぁ自信無くすぜ……」
ショックの大きさが、謎の博学多才・上から目線な幼女と会話している違和感を和らげているのか……
「僧侶面してああいうやり方で脅しをかけてくる狂信者共だ、よく覚えておいて次から気をつければよい──マルタ騎士団は誰の味方でもない──『禁忌』に取り憑かれた精神異常者の集団だ、とな」
リタの言葉にラドクリフは冷や汗を拭う。
「それにしてもあやつ、この世の終わりのような大声を出しおって。傍迷惑な──」
舌打ちしながらモエラを睨むリタ。
突然の強硬偵察のきっかけと口実を作ってしまった元凶のモエラは驚きのあまり固まっていてマースの事など気付いてすら居ないようだった。
装甲服『栄光』の脅威などユイの婚約という一大事に比べれば屁でもないらしい。
「なんたること──お、俺の、俺の女神と聖母さま……ふたりとも宮城家の男に奪われてしまうのか」
あああ、と小さく低い声を発しながら玉砂利に指を立てる。
比喩ではなく、まさに此の世の終わりのような顔をしているモエラ。天国から地獄、あまりに落差が激しい……




