銀河パトロールSOS 迷い猫
銀河パトロールSOS~迷い猫~
「大山鳴動してケダモノ一匹ねえ……この動物にそんな価値があるようには見えませんけど?」
爪の手入れをしながらマーガレットは保育器の中で寝息を立てる猫を見て笑う。
社長室にはユイ、マーガレット、女医、雄大、そして猫。
「猫ちゃん、お兄さんに助けてもらって良かったわねぇ」
ユイ皇女の体調管理をしているからには御典医というべきなのか、医療スタッフの太めの中年女性、小田島さんは猫をスキャンした。
「わたしも猫の回復治療をするのは初めてでなかなか良い経験が出来ましたよ。この猫ちゃん、特に変な病気も持ってないようです、じきに回復するでしょう」
「小田島さんありがとうございました」
「いえいえ、それではわたしはこれで。あ、万が一この子の何か容態が急変したら遠慮なく呼んでください」
小田島は最後に「人間の回復治療より手こずりましたよ」と雄大に笑いかけながら社長室を退出した。
皇女の機嫌は上々だったが、雄大の方はこの迷い猫のせいで散々な目にあっている。死の恐怖を味わっただけでなく給料天引きで貨物ボート一艘を弁償する事になってしまった。良かった事と言えばマーガレットの機嫌がなおっている事ぐらいだろうか。
(コイツ……俺がひどい目にあって嬉しいとか……鬼だろ)
「宮城さんもご無事で何よりでした。すっごく心配したんですよ?」
ユイ皇女は檻の向こう側で雄大にニッコリと微笑んだ。
「メグちゃん、今はすましてますけどあの時は六郎に怒鳴り散らしてなだめるのが大変でした……うふふ」
「うわっ」
マーガレットが耳まで赤くして素っ頓狂な声を上げて椅子から飛び上がる
「逆、逆ですよ! 六郎だけじゃなくてわたくしにもめちゃくちゃ怒鳴りつけてたのユイ様じゃないですか!」
マーガレットは半透明の檻に掴みかかってユイに抗議する。
「えっ、えっ? でも、でも……確か最初に怒ったのは私で途中からメグちゃんが取り乱して奇声を上げて……」
「最初に怒ったのがわたくしで、渦が発光して通信途絶したあたりで悲鳴を上げて取り乱したのがユイ様です!」
「あ、はい」ユイは、叱られた学生のようにうなだれる。
「まったくユイ様は……天然ボケも大概にお願いしますよ?」
最初、皇女はマーガレットをからかうつもりでわざととぼけているのかと思っていたが、どうやら本気で記憶が混濁しているらしい。
「だいたいわたくし、こんなヤツのために悲鳴を上げたりしませんわ」
「そ、そうだったかしら。まあでもこのネコさんのおかげでおふたりの間の重い空気が少し軽くなったように思います」
ユイは菩薩のような笑顔をして檻の外に手を伸ばす。左手で雄大、右手でマーガレットの手を取った。
「ゆっくりとで構いません、無理しない程度にお互いを尊重して仲良く、お願いしますね?」
「は、はい。かしこまりました」
「ユイ様のお頼みとあらば……」
さて、とユイ皇女は話題を切り替えた。
「それでこのネコさん、なんで脱出ポッドに乗ってたんでしょうね?」
だいたいからして。
猫を脱出ポッドに乗せる意味がよくわからない、飼い主と一緒に乗るのが普通なのではないか、雄大は余暇時間を使って猫と脱出ポッドの関係について推論を立ててみる事にした。
この猫、小田島先生に三回ほど精密検査をしてもらっているが遺伝子改造や生体部品、特殊なナノマシンの類はまったく検出されない。何らかのワクチンや未知の病原体を運んでいる可能性も考慮して検査を続けているが単なる人間の医者の小田島先生に獣医学や細菌学の専門分野の教授並みの成果を期待する方がおかしい。
(ユイ皇女は猫本体より猫がどこからやってきたかが気になるようだったが、確かにこの一件、猫が重要なわけでは無いのかも)
雄大の部屋には検査疲れから緩慢な動きを見せる迷い猫がいた、未だ保育器の中からは出してもらえていない。心無しか元気がないようにも見える。その猫の気を引くために玩具のラジコンネズミや猫じゃらしを使ってコミュニケーションを取るのに夢中な人達がいた。
「わぁ、今こっち見てた!」「おら、犬の方が好きだったども……猫派になりそうだべ」
リンゴは猫のしぐさを真似して床を転げ回っている。
(猫への興味でここが俺の部屋だという事を完全に忘れているな……)
「ブリジットさん、良かったら今夜は貴方の部屋に連れていって一緒に寝てみます?」
「ふぇぇ……マジか、それマジで言ってるのか?」
やったー!と両手を上げて全身で喜びを表現する。
「あぁん、ブリジットさずるいだ、おらも、おらもにゃんこと一緒に寝るだよ!」
「よし、じゃあリンゴ、今夜は猫と一緒にお泊まり会だな!」
きゃいきゃい、と2人して夜、何をして遊ぶか相談しあっている。ブリジットの精神年齢はリンゴとほぼ同じかそれ以下のような気がしてくる。
ふぅ、と雄大は安堵の溜め息をもらした。自室でこんなに騒がれては考えもロクにまとまらない、猫の管理は女性陣2人に任せて問題ないだろう。
「あ、雄大さも来たいだか? お泊まり会」
「なんだ雄大も混ざりたいのか?」
「結構です」
冷たく突き放すとブリジットは少し寂しそうに「そうかぁ、じゃまた次の機会にな」と真顔で返してきた。前から変な人だとは思っていたがここまで世間一般とズレていると心配になってくる。
大きな猫2匹を部屋から追い出す事に成功した。
(そうか脱出ポッドの形状や製造ロットナンバーから射出した船の事がわかるんじゃないか)
船内のデータベースを当たると、あの形状のポッドは一般に広く使用される物で、ロットナンバーから三年前に銀河公社系列の伊勢谷重工から土星衛星軌道上に展開する軍事基地群サターンベースの一角、巨大造船プラントであるプロモ42に納入されている。軍が機密扱いにしても民間企業のイセタニが情報を公開している以上、素人にもこれぐらいは調べがつく。
オーバーホールで古くなった装備を交換する事もあるがプロモ42では新造艦の建造予定が10年先まで詰まっている。この状態で旧型艦の整備にこの脱出ポッドを使った可能性は薄い……そしてあの猫の体調からしてせいぜい一週間か二週間、一カ月は超えてないだろう。
「ここ最近で軍艦の事故……?」
公式発表は無い。
「極秘作戦、新造艦」
そして、あの成長した渦の主がその新造艦のなれの果てなのではないか。新しいワープドライブ・コア。意味のわからない暗号混じりの光短信も軍の極秘作戦なら説明がつく。
「存在が極秘にされている軍艦の不名誉かつ不幸な事故?」
そうでなければ何者かとの激しい戦闘が、あの暗礁宙域で行われ軍艦が大破炎上したという事になるがこの場合はその相手が問題になる。このハイドラ級かそれ以上の性能を持つ連邦宇宙軍の新鋭艦が、ワープドライブ・コアすら持たないローテク中古艦の海賊や何らかの反政府組織の船に敗れるというのは考えにくい。
一般的にも軍関係者の認識的にも、反政府勢力は木星帝国の反乱を最後に急速に力を失っており、強力な軍艦を有し維持出来るほどの経済基盤を持つグループは現在のところ聞いた事がない。
「普通に考えれば連邦政府に多大な恨みを抱いているはずの旧木星帝国残党が真っ先に疑われるんだろうけど」
正規軍の新鋭艦と戦闘して勝てるのは雄大がいま乗り込んでいるこの武装商船、ぎゃらくしぃ号ぐらいのものだが、木星帝国の生き残りの軟禁場所としても機能しているぎゃらくしぃ号は普段から「客」からの厳しい監視に晒されている。
(考えてみればアラミス星系近辺のパトロール艦ってウチのお得意様じゃないか。変な動きをしたらすぐバレるよな)
ド派手に宣伝用の光短信を飛ばしつつ航行し、宇宙軍相手に商売をしているぎゃらくしぃ号なればこそ、政府のお目こぼしを受けているのだろう。
「特務作戦行動中の事故、という線が濃厚かもな」雄大の父親は連邦宇宙軍・月軍事基地幕僚本部の宮城大将である。どんな作戦行動だったのかは把握しているだろうが──今や軍属でもなく、実家とほぼ縁切り状態の雄大に取ってみればあまり関わり合いになりたくない方向の話になってきた。
軍のお偉方の事を考えていると、胸糞悪い父親の顔やカペタのモエラ少将の顔が浮かんできて憂鬱になる──急激にやる気が失せてきた雄大は「軍事行動中の軍艦の事故」という事でユイ皇女に提出する資料をまとめると、久々に趣味の一つである自作のホロデータ弄りを始めた。
「リンゴもいないし、ようやくプライベートでまとまった時間が取れるよ……そういう意味ではあの猫を助けてやった事も無駄ではない、のかな?」
独りごとを呟き、苦笑いをする。
PPから木星宇宙港の受付嬢、都ノ城麻里のデータを再生する。
「雄大さん、また会えて嬉しい」
ホログラムとは言え、良い物は良いのだ。雄大の顔がだらしなく弛む。
「あなたのお仕事、隣で見てても良い?」
「どうぞどうぞ」とプログラムされた人工知能と会話する雄大、本物の麻里より心持ち清楚で整形美人臭を抜いてある。
清楚だが、真っ赤でド派手な水着。恥ずかしいけど、彼氏のために我慢して露出度の高い水着を部屋の中で着用しているかのような仕草。ここは雄大的には外せないポイントだった。
彼女のデータを複製し、ユイ皇女の頭部と声のデータを被せるというすげ替えコラージュ作業。これが今の雄大にとって何にも優先する余暇の過ごし方だった。
「あー、落ち着くわぁ……」