新生する世界③
マグバレッジJr.の邸宅は高級住宅街の一角にある。一般的な住宅の三つ分の区画を有しているだけでなく、周囲の区画も買い占めていて、角を曲がると片側全てマグバレッジ家の敷地であり、隣の家、という物が存在しない。道路を挟まないと敷地に入れず、道路から直接邸宅に危害を加えることは不可能となっている。
初期に執事役としてもマグバレッジ家を支えていたリオルが手配して設計したもので、色々無駄のように見えて防諜など情報セキュリティ面において大変優れている。
まあ、連邦政府議長を代々務めてきた最高権力者にして、地球閥のトップにしては慎ましやか、と言えなくもない。
メガフロートシティでのマーガレットの動画は地球閥議員の間でも話題になっていた、もちろん悪い意味で──
「あの腹黒タヌキのユイ・ファルシナだけでも目障りなのに、また強烈なのが出て来たな」
Jr.はバスローブのまま、会議とも雑談ともつかない通話を行っていた。
「本当に人間か疑うレベルですからね。禁忌の優性遺伝子的怪物なのでは? さすがに管理委員会の『封印』対象かと」
相手は議長の取り巻き、地球は英国ロンドン出身、バリバリの地球閥、若手のサビオ議員である。
「それがな──『管理』『封印』『浄化』のどれにも当たらないんだと。ニ時間前に返事が来た」
「ええ? どう違うんですか。戦闘サイボーグを真っぷたつにするんですよ? 適切な管理が必要でしょう」
「基準はよくわからんが、お咎めなしだ」
教皇庁宛てに委員会メンバーとして連絡するには「紙の便箋と封筒」を使わなければならない。
当然、返事も赤い封蝋付きの便箋で返ってくる。
ちなみに重要な発令、布告、免状などとなると羊皮紙の巻物を結び紐で丸めた上に封蝋がなされており、木材で加工された円筒形の書簡に納められて修道士が直接運んで来る。東洋のように横に開いて読むのではなく、上下の違いがあり上から垂らして使用する。下側に付ける錘まで付属することもある。
壁に掛けたり、旗に括り付けたりするためだ。
もちろんほとんど手書き。
羽根ペンを使い、インクにはご丁寧に没食子の実とアラビアゴムを使ったインクを使用することもある。
Jr.のところに届いた物は便箋で、枢機卿の誰かの手書きではあるものの、おそらくインクは画材屋で販売されているものと同質だろう。
ペーパーナイフで既に開封してある封書から便箋を取り出した。
マーガレットについての解答は──
『異能は正しく運用され、秩序維持に貢献している』
『治安・道徳観念の維持に好ましい存在』
ということらしい。
「むしろ好ましいと? うちの家族はあのマーガレットってのを見て震え上がって怯えてるんですよ? 木星戦争の時みたいに開拓移民と戦争になったら、あんなのが攻めてくるんですよ?」
三弦洞大虐殺を引き起こした菱川十鉄と木星王家との黒い繋がり──ランファ達が流したこういった噂話は、このマーガレットの超人めいた格闘術と菱川十鉄に対する過剰なまでの処断によるインパクトの前では何の効果も出なかった──
「いやまあ、あんなのは早々居らんだろ。落ち着きたまえ」
「顔を青くした妻から『連邦政府は勝てるのか』って聞かれたんで『封印』されるって説明しておいたんですが、お咎め無しってのは流石に──」
「あ〜、サビオ君。あんまり禁忌や管理委員会の話を一般人にしないように。奥方も一般人だからね」
「もちろんボカしてますよ」
「何度も言うがね──大多数の市民にとって禁忌技術管理委員会てのは、工業製品の安全基準を検査する公的機関ぐらいにしか思われていない──R指定みたいな娯楽の年齢指定やってる部署と同レベルの存在なんだよ。『封印』とかそういう言葉も避けてくれ。キミの奥方から拡散したとしても、情報元のわたしが委員会から外されかねない──禁忌技術管理委員会メンバーから外されたら連邦政府による文民統制が足元から揺らぐぞ」
「えっ──そこまで厳しく? わ、わかりました」
十分に説明したつもりだったが、若いサビオ議員は、事の重要度がよくわかっていないらしい。秘書役としての人選を謝ったか、とJr.は少し後悔する。
「まあ、定例会議の時に意見は出してみるがね。パワーバランス的に、ろくな領土すら持たない木星王家に禁忌技術を与え過ぎている──例のぎゃらくしぃ号だけならまだしも、先新鋭の次期主力巡洋艦三隻の貸与も正直やり過ぎだ。艦載機が無いだけで旧型戦艦とほぼ変わらん戦力だ」
粒子砲の撃ち合いだけなら、ハイドラ級は戦艦レベルの砲撃戦を展開する事が可能だ。
宙空に投影されたサビオが腕組みをして考え込む。
「あの議長──禁忌技術管理委員会というのは、基本的には、現在太陽系を統治している我々、連邦政府の味方なんですよね?」
「いままでは、な。枢機卿のひとりひとりが今、どういう考えでいるのか──そういう細かいところは秘書のひとりにやらせていたが、先日のクーデター騒ぎで行方不明になってしまった。そういうわけでサビオ君、キミに彼の後任を頼む可能性もあるわけだ──」
(──リオルめ、おまえの失態のおかげで我々地球閥のメンツは丸潰れだ──まあ人間、老いには勝てぬもの。老人に頼り過ぎたわたしにも非はあろう)
「そ、そうなんですか。責任重大ですね……」
「期待しているよ」
サビオは恐縮した後で、姿勢をただすと訊ねて来た。
「議長──委員会は、開拓移民に味方してにわかに湧き上がった木星王家ブームに乗る気なんでしょうか?」
「カトリック教会は人類社会の適切な進歩や秩序維持を最優先する組織だからな。元々敵味方という考え方は当てはまらないのかも知れない」
「それはまあ、崇高な『おこころざし』なことで──何様なんですかね、坊主って言っても同じ人間でしょうに」
「神の使徒だからな──我々よりは上等だろうよ」
「神の使徒ですが神そのものではないでしょう、なんか腹が立ってきました」
若いサビオは禁忌技術管理委員会の恐ろしさをよくわかっていないらしい。所詮は僧侶、と侮っているようだ。近い内に修道騎士団のことを教えておくべきだな、とJr.は感じた。
「サビオ君、キミ少しお酒入ってないか?」
「実は失礼してウイスキーを一杯やっております」
「まあ飲まずにいられん気分はわかる──しかし、あのヒーローコミックから抜け出てきたようなワンダーウーマンもユイ・ファルシナの家臣だ。ボスである腹黒タヌキをどうにかすればなんとかなる」
「議長──やはり、ユイ・ファルシナを手っ取り早くこちらの味方につけるには……例の熱愛報道」
「うむ……情けない話だが、勘当同然の我が家のドラ息子に頭を下げねばならんようだ──なんとかこのまま本当の交際に発展させてもらわねばな」
「……ご子息の口説き文句やベッドテクニックが太陽系の命運を左右するんですか? なんだかちょっと……」
「キミ、いまのはちょっと下品だぞ。政治家たるもの酔いを言い訳にしても失言は消えないぞ。普段から気をつけるようにな。ご婦人方の嫌いそうな言い回しは厳禁だ」
「あ、ごもっともです。すみません──しかし苦労して政治家になったのに、こんな三流メディアのゴシップ記事みたいな話になるなんて、少し情けなくなってしまいまして」
「サビオ君。元来、政治・外交・戦争なんてのはね。別に高尚なものでは無いんだよ。自分の女を寝取られただの、他人の女目当てに進軍するだの──個人の性欲やスケベ根性が発端で起きた戦争のなんと多いことか」
「やや下品ですかね、議長」
「すまない。でもまあ、下品だが、真理だ──」
なんとなくJr.も一杯飲みたい気分になってきた、ハウスキーパーをやっているAIにスコッチを持ってくるよう言いつける。
どことなく、バーカウンターで飲みながら愚痴を言い合うような雰囲気になる。
「その後の交際の進展はどうなんです? ご子息から報告とかあるんですか?」
「連絡は全くないな……あやつはこちらの思惑関係なく腹黒タヌキの尻を追い掛けているようだ。たまたま目についたイイ女が政治的影響力が強い人物だった──そんな感じだ」
「議長〜、女の尻ってのはかなり下品ですよ? 1ペナです」
サビオはグラスを傾けながら笑う。いよいよ飲み会めいてきた。
「ついついな、いや申し訳ないサビオ君」
「我々で何かご子息に支援出来ませんかね?」
「逆効果だろうな──つい先日の式典でやらかして、わたしはあの腹黒タヌキの怒りを買ってしまった。わたしに出来ることは少しでもタヌキの怒りを鎮めて機嫌を直してもらうこと、ぐらいか」
「議長、まずはその腹黒タヌキ、ってのをやめるべきでは? 公共の場でうっかり出ると相当な批判を食らうと思います」
「いかんいかん、失言のオンパレードだ。そろそろお開きにしようか」
「ではまた後日──」
マグバレッジJr.は返答の書かれた便箋を灰皿に置くと、マッチで火を灯した。
燃える火を見つめながら今後の事を考えるが、良い考えは浮かばない──議長はリオルが残した地球閥関係者の『人物査定評』を開いた。
(ロンドンにはもう、ろくな人材がおらんな──ここは地球の外に人材を求めるか──)
ひとつの時代が終わった。
人類社会に新しい秩序が構築されていく──
◆
同じ頃、繁華街の外れ。
時代に取り残されたような雑居ビルの地下。場末のパブでエールをあおる男がいた。
よれよれの上着、垢で襟が黒ずんだワイシャツ。生地が薄くなったネクタイ。
なんの仕事をしているかわからないが、金が出来たらこうやって酒場に入り浸るのだろう。
ホログラムに映るマーガレットを何度も何度も眺める。
なけなしの金をただただ酒に変え、酔って時間を浪費する。死ぬまでの暇潰し──
「そろそろ閉めるからね、最後の一杯だよ」
ウエイターからエールのおかわりを受け取ると一気に半分飲んでしまう。
「わかってるよ、ちゃんと時間通りに出て行くさ」
「昨日も見てたけど、あんたも飽きないね──しかし木星王家は美女揃いだ、目が眩んで騙されないようにしないとね、ハハハ」
ウエイターは苦笑いしてテーブルに椅子を上げて清掃を始める。
再生を続ける男の頬に一筋の涙が伝う──
「──」
ウエイターは直感的に男の素性を察した、思わず男にしゃべりかけようとするが、ぐっ、とその言葉を呑み込んだ。
古い伝説が終わり、新たな伝説が生まれる。
世界が、生まれ変わっていく
──『新生する世界』編・了──




