蜻蛉人形
黒光りするコンテナのような立方体が貨物船の甲板の上でもぞもぞと動き出す。
十字架の形に展開する。
腕、羽根──なんとも言い難いが横棒に当たる部分を細かく震わせる。顔の部分に中華鍋を載せた鉄パイプと鉄板で作られたノッポのカカシ人形──
飛ぶ姿がなんとなく地球に生息する昆虫の『蜻蛉』にシルエットが似ているので甲賀狭霧はそう名付けたようだ。
ブーン、という振動音が辺りにこだまする。
岸壁で釣り糸を垂れていた男性を目掛けて群れの中から一体がやってくる。
「なんだこれ」
近付くにつれて不安感が増してくる。速度は速過ぎず遅過ぎず。
二足歩行のカカシは約2.5m、ピンと身体を伸ばして直立しているため上背があり思っていたより圧迫感を感じる。
釣り竿を見てから、横なぎに腕を振るう。
想像を超える衝撃で釣り人は軽く吹き飛んだ。トンボ人形はそちらに向けて数発、脇部分にある固定機関砲を発射する。
中華鍋が縦に横にぐるぐる回り周囲を確認する、再び手を伸ばし十字架形になると、それはふわりと浮かび上がり群れの後を追う、市街地へ向けて──
安倍晴明などの陰陽師が用いた紙の式神に見えなくも無い。
トンボ人形の群れは──大きく四つに分かれて破壊活動を行うように指定されていた。
第一集団:エアレース会場
第二集団:市警察本部ビル
第三集団:中心市街地
第四集団:宇宙港
空が黒く見えるほどの大群、運搬の利便性、実用性、生産性に優れた対人制圧用兵器。甲賀狭霧が新たな『紛争ビジネス』用の目玉商品として考案したものだ。
もちろん、自分達の戦力増強も兼ねているが、現在のドラッグカルテルはローカルな犯罪者組織から脱却して、より大きな存在になる事を目指しており、トンボ人形はその多角経営の一角を成す主力商品として期待されていた。
◆
ここで金星の内部事情や歴史について少し言及する──
迷路のような内部構造を持つ中小コロニーである『洞』を本拠地とする悦楽女洞主達。
彼女達の前身である大富豪や無政府主義者や肉体改造愛好家達が金星周辺コロニーに陣取って、地球政府及びカトリック教会の支配から逃れ、気ままで自由な生活を始めてから長い年月が経った。
楽園が産まれると期待した社会学者もいたが、ドラッグ、セックス、バイオレンスを突き詰めると最終的にマフィア・ギャング団的な色合いが強くなる。
警察機構には脅威だが、禁忌技術管理委員会の戦闘部隊や、月の連邦宇宙軍が保有する強力無比な軍艦の数々、正規軍である陸軍から見れば所詮は賊、テロリストの域をでない。
連邦政府の機嫌を損ねれば『テロリスト』として排除するべく月から艦隊が派遣され、ほぼ一日で金星周辺コロニーの全てが宇宙の塵となるような、とてもか弱い立場である。
さて現在の悦楽女洞主の支配体制になり、有力な洞の連合体・ドラッグカルテルが出来て組織が大きくなった。その時から金星勢力が影響力を増して連邦政府に侵食してくると思われた──が、実際は、甲賀狭霧が俄に台頭してキングと呼ばれるようになる八〜九年ほど前まで、カルテルの莫大な利権を巡り主導権争い・洞内抗争と言った内輪もめに明け暮れていた。
これでは連邦議会への参加やロンドン社交界への参加など夢のまた夢である。
こういう現状を憂いた甲賀狭霧は、金星を単なる『日陰の犯罪者集団』から火星に負けない経済力を持つ『火星に次ぐ文化経済圏の一角』にするべく奔走する。
Vプロ、格闘技、レース興行などエンタメや芸術を中心に表社会ビジネスへの進出構想を立ち上げた。
これを聞いた他の洞主達は、AIが試算した『純利益』の金額に目が眩み、狭霧を『我等の王』として満場一致でカルテルの代表にしたのである。
ドラッグより楽して儲かる、とわかれば反対する理由もない。地獄の沙汰も洞内政治も、最後は金が物を言う。
◆
禁忌に触れない範囲での新型機械兵士。正規軍を持たない弱小勢力のための安価な兵士として売り出す準備段階にあった。
警官のほとんどが出払ってる市警察本部ビル。トンボ人形の群れが先ず到着したのはここ。本部を襲撃する事で指示系統を混乱させようという狙いがある。
初めて見るタイプのロボットの襲撃。ドローンと戦闘ロボットの中間のような、待機組の警察官の第一印象は、厄介だが何とかなりそう、というものだった。
市警察の動きは迅速だった。市民に避難警報を発令するとショックライフルを手に手に、警察官が迎撃体制に入る。エウロパ陸軍に連絡して挟撃、排除のシミュレーションを立てた。ディッシュ警部の先輩格、老練なコジン警部がリーダーとなって先制攻撃を仕掛ける。
対ドローン用のロングボウミサイルシステムで群れを攻撃するも、一発で一体効率良く落とせる訳ではない。思ったような効果が出ないことにコジンは焦る。
およそ20体のトンボ人形が屋上ヘリポート目掛けて殺到してくる。
「一体ずつ確実に仕留める!」
警官隊の放つ射撃の光条がトンボ人形を射抜くが、どうにもショックライフルの効果が薄い、
車輌搭載型のショックキャノンならさすがに衝撃でバラバラに粉砕出来るが、歩兵が携行しているショックライフル程度のエナジーガンでは軽く上体を揺らす程度のダメージしか与えられない。中華鍋の下、胴体部分から、なんらかの力場を発生させているようだ。
「……陸軍のヒートガンや大型火器が要る! 撤収だ──ビル内にたてこもる」
コジン警部は陸軍へ向けて連絡を入れた。
「こちら市警察本部、このロボットにはエナジーガンが効きにくい。実弾兵器が不足してまともに戦えない──」
あっという間に本部ビルはトンボ人形に囲まれてしまう。しかしトンボ人形の方も対人機関砲だけしか射撃武器をもっていないらしい。腕を振るって壁を叩き壊そうとしている姿にコジンはひとまず胸を撫でおろした。
無敵という訳では無いらしい、コジンは次に後輩のディッシュへ、AIが分析・推測するトンボ人形のスペックを送信した。
「とにかく建物の中に避難するよう、市民に再度通達──」
クレメンスデーな祝祭で賑わう市街地やエアレース会場にこのロボットが殺到しては──コジンはディッシュ達の身を案じた。
◆
雄大がボッテガと並んで先頭でフィニッシュする──大型ホロに拳を突き上げる雄大の姿が映し出されるのを見た林檎は飛び跳ねて身体全体で歓びを表現した。
「すっっっげえ〜! さすが雄大さ! かっけえええ〜!」
「ほえ〜ハッキネン氏、駄目だったのねん。色々荒れそ〜」
雄大のアドレスにお祝いメッセージを送ったあと、鏑木林檎は突然できた友達、歩道橋の精霊と一緒にクレメンスデーの屋台を見て回った。ひょうひょうとした雰囲気の少年は、どこか大人びた包容力を感じさせる。そしてさり気なく林檎や周囲の人々のことを気遣っていた。
たこ焼きを皿ごと落としそうな人の手助けをしたり、走り回って正面から露天販売ロボットにぶつかりそうになる子供を自然な形で誘導したり──歩道橋の精霊の周囲では彼のさり気ない行動で細かいトラブルが未然に防がれていく。
林檎は目を輝かせて歩道橋の所作を眺めた。
(なしてかわがんねけど、歩道橋くんの歩いた後って、少しハッピーになってるような気が)
どこか浮き世離れした喋り方もあいまって、もしかしたら天使か、福の神か、と林檎には思えてきた。
「──?」
視線に気付いた歩道橋は林檎に顔を向けて微笑んだ。
「ぬきうちファッションチェックか〜!」
少年は長い髪をかきあげてみたり、身体をくねらせてファッションモデルが取るようなポージングをする。
「ごめん、なんかもしかして──天使様とか、かな〜って。えへへ」
「ホワッツ、ワツワツ? 歩道橋はノット天使、バット悪魔。むしろそなたがアフロディテ。フロムキプロスアイランド♪ 鏑木林檎に黄金の林檎をブレゼント♪ バーイ、パリスの審判イン神話」
即興のラップ(?)を披露しながら手品のように後ろ手から取り出したリンゴ飴を手渡してくる。
「おらに? ありがと〜!」
「殿、御禁制の品でござる。八州廻りや水戸の御老公に見つからぬよう食してくだされ」
トンチキな会話で本当に意味がわからないが、林檎を退屈させないような心遣いを感じる。
きゅっ、と胸の奥がくすぐられるような心地好い感覚があった。
(なんだべこれ、雄大さと一緒に遊んでる時みたくなってきちゃった。雄大さと歩道橋クン、ぜんぜん似てないのに)
PPが鳴る、小田島先生からのコール。林檎の戻りが遅いので心配しているようだ。
「そ、そろそろみんなのとこに戻らなくちゃ、かも」
「じゃ〜アディオスセニョリータだね、そなた」
「うん」
寂しそうな表情の林檎の前でおどけたポーズを取る少年。
「だいじょぶ、だいじょぶ、カウントダウンライブまで待たれよ、それまで寝て待てカミングスーン」
「ねえ、良かったら一緒に雄大さのとこに御祝いに行かない?」
「そなたの知り合いなの?」
「うん、すっごい仲良し! よく一緒に遊んでもらってるだよ、えへへ。雄大さ、ほんと何でも知ってるし、すげえしかっけえんだ!」
ピク、と少年の肩が細く動く。
「えと、もしかして──そなたって木星の船に乗ってたりするの?」
「そうだよ〜! 今はおら、ぎゃらくしぃ号で働かせてもらってるんだ〜」
「アレキサンダー翁の孫のマーガレット・ワイズ伯爵と、弟子のブリジット・ヴォン・パルルーザ──そなたと仲良し?」
林檎はこくこくと頷いた。
「伯爵さぁとはあんまり話せてないんだけども、ブリジットさとはすっごい仲良しだぁよ! でっけえんだから! あっそうだ、実はおら皇女さぁの親衛隊の副隊長なんだ〜! えへへ」
誇らしそうにバッジを見せ腰のヒートガンを抜くと勇ましいポーズを取る。
ふうむ、と歩道橋の精霊は腕組みした後、うつむき加減に目を瞑る。
「そっか~……二者択一、どっちの味方でショー……」
「? あれ、どうしてブリジットさの事知ってるの?」
「界隈では有名人だからね、彼女」
少年の表情と口調が少し変化している。
ホログラムの影像にユイが映り、観客の歓声が悲鳴に代わる。驚いた林檎は少年との会話を中断してホログラムを注視した。
「あーっ! 六郎さぁだ! なぁんだ、お芝居か〜、ふふふ」
林檎は、ホロ越しに見た凶悪な形相の菱川十鉄とマネージャーの甲賀六郎の姿を何の疑いもなく結びつけた。
「あ、ゴメンゴメン──歩道橋クン……」
林檎が再び少年の方を見ると、彼の傍らにいつの間にか腕型のドローンが浮遊していた。
「お呼びで?」
「ねえ左腕、どうしよ?」
「傭兵王、どういう意味でしょうか」
「右腕の意見も聞かなきゃだけど──ちょっと状況が複雑になっちったのよ──」
少年のPPにメッセージが数件入ってくる。
「どういう?」
「ともだちのともだちは、フレンドであるべき……しかし、なんというか。ぐぬぬ」
黒い雲のように見えていた何かが独特の振動音と共に近付いてくる。
降り立ったトンボ人形の一体がショックガンを構えた警備員を振り回して地面に叩き付けるのが遠くに見えた。小さな悲鳴がそこらかしこで起こるも、逃げる見物客は少数、大多数が騒ぎに気付かずに未だにお祭り気分を楽しんでいる。
「そなた! 今すぐ木星の皆のとこに戻って。急いで逃げて!」
──トンボ人形ですが。しばらく好きに暴れさせておいてください。陸軍が到着したら排除をお願いします──
少年がキングからのメッセージを反芻していると、突如として林檎が駆け出していく。歩道橋が指示した方向とは真逆。思わず盛大にズッ転ける少年、ブーツから推進剤を出してクルリと一回転して事無きを得た。
「ふええ! そなた!? ウェアユーゴーイン? そっちじゃない、逆逆、回れ右して!?」
「歩道橋クンの方こそ逃げて! おらは行かなきゃ!」
ヒートガンを構えた林檎は一直線に殺戮機械を目指して走り出す。
曇り無き眼──
決意の固まった少女の凛々しい眼差しが少年の心臓のど真ん中を射抜く。
「オーマイアフロディーテ! キュン死!」
派手に心臓を押さえてよろめく少年。
「傭兵王?」
林檎は家族連れに腕を振りおろそうとするトンボ人形の胴体部を狙って引鉄を引いた。続けてもう二発、後方に降り立ったばかりの新手にヒートガンの一撃を御見舞した。
一瞬で三体のトンボ人形が無力化される。
「みんな逃げて〜!」
林檎の叫びに促されるように周囲の見物客がトンボ人形の来た海側を背にして走り出した。
ヒートガンに反応したのか、わらわら、と集まってくるトンボ人形達。一斉に優先的な排除対象である林檎へ向けて機関砲を発射した。
「危ない!」
咄嗟に林檎に覆い被さる影。
「無事でござるか林檎どの!」
「あっ、陣馬くん!」
小柄な剣士、太刀風陣馬が林檎を守るべく防弾マントを拡げていた。
「ん?」
陣馬は防弾マントに何も衝撃が無いのを訝しむ。見るとそこにはふたつの大きな腕が浮遊していて銃弾を弾き返していた。
「これはなんと?」
「そなた〜っ!」
歩道橋の精霊がブーツからミストを噴射しながら飛んでくる。
「歩道橋クンが助けてくれたの?」
「危ないじゃないかマイスイート!? あ、そっちの眼帯の人もグッジョブ!」
陣馬を差し置いて倒れた林檎の腰に手を回し、抱き抱えるように起こす少年。それを見ながら陣馬はトンボ人形の一体を逆袈裟に斬りあげる。両断されたトンボ人形は呆気なく崩れ落ちた。
「ちょ、ちょっと待つでござる! ど、どさくさ紛れに、な何を、やっとるかおぬし!?」
「眼帯の人、かなりのTA−TSU−JI−N! やるゥ、このこの〜」
腕型ドローンの極太の指で脇腹をゴスゴス突かれる陣馬。
「ぐはっ?」
「んだば、ここは任せたでござるよ眼帯の人! 歩道橋はそなたを安全な場所に運ぶ!」
「陣馬くーん! 気を付けて!」
「なぬーっ!?」
特に嫌がる様子もなく少年の腕に抱かれて密着状態の林檎。
「歩道橋クン、向こう側に行こう! 沢山降りてきた!」
「駄目だよそなた! キミは逃げなきゃ。そなたに何かあったら僕はロイヤルロンリーで寂しい年越し」
陣馬は「むきゃあああ!」と奇声を上げると荒れ狂いつつ刀を振るう。
「ちょっと目を離した隙に林檎どのに悪い虫があああ!?」
そんな陣馬に後方から速射タイプのショックキャノンによる掩護射撃、ホバータンクの銃座には水着にパーカーを羽織っただけのユーリの姿があった。
「こちとらナンパ失敗で苛々してんだ! カカシは農地で大人しくしてろ!」
中和力場で効果が薄いとは言え、衝撃を殺しきれていないため物理的に頭の中華鍋が弾け飛ぶ。
「ストレス解消相手、キターッ!」
アラミス凶賊、ブリジットがクレメンス翁の銛を大量に抱えてホバータンクから飛び出し猛烈な勢いでトンボ人形の群れに接近していく。
浴びせられる機関砲の銃弾に怯むことなく次々と投擲していく。エンニチフェスティバルの射的でもやるかのような気楽さで複数の相手にダメージを与えていく。
二本、三本と銛が脚部に突き刺さって止まった人形に飛び蹴りを食らわせる野生児。
動力部が潰れたのか胴体部から煙を吹いて倒れ込む。強化服を着ていない生身の蹴りでこの威力である。
「──弱ッ」
決してトンボ人形が弱いわけでは無い、相手が悪い。
中華鍋をもぎ取ると円盤投げのようにサイドスローで投擲する。逃げ遅れた老人の頭の上を通過してもう一体をよろめかせた。すかさず突進してショルダーチャージ。トンボ人形はバラバラになりながら吹き飛んでいった。
「おじいちゃん、あたしが来たからにはもう安心だかんね!」
老人はどちらかと言うとブリジットの方に恐怖を感じて腰を抜かした。
「あれがブリジット──」
「そうブリジットさ! すげえつええでしょ?」
右腕と左腕でトンボ人形を挟み込むと、傭兵王はそのまま圧縮して薄い合板に変えてしまった。
「ブリジットさ〜! こっちにもたくさん来てっから! 手伝って!」
少年にしがみついた林檎が手を振った。
「お? 林檎の横の子、誰? えええ?」
「ブリジットどの! 林檎どのがリゾート惑星で変なのにナンパされてしまってるでござる!? 救い出さねば!」
ブリジットは急に乙女の顔になって「ひゃ〜」とつぶやく。
「なになに〜? イケメンGET? 林檎〜あたしにも紹介して〜?」
ブリジットは這いながら逃げるトンボ人形を蹴飛ばしながら林檎達を追い掛けた。
スカウティングアーマーを着たエルロイと一緒に、六郎が育ててきた皇女親衛隊の若者たちがテキパキと避難誘導する。
一部始終を眺めていたのはエアカーの助手席で真顔になっている市警察のディッシュ警部。
応援に来てもらったはずのぎゃらくしぃ号の面々に活躍の場を奪われて手持ち無沙汰にハンドガンをイジる。
何もやることが無くなってしまったのでコジン警部から送られてきた機械人形のデータに一文付け加える事にした。
──接近戦による打撃や刀剣による斬撃が最も有効──




