デメリット
あんぐり、という表現がぴったりなほど、大きく口を開けて呆然とエアレース公式のメインホロ映像を見つめる長身の美青年。
三弦洞の主、金星ドラッグカルテルの代表、甲賀狭霧は目前でウィリアムのマシンが2位でチェッカーを受けるのを見せつけられた。
「なにが、起こって、いるんですか──え?」
サイバネティクス手術を受け戦闘サイボーグとして生まれ変わった狭霧の身体は簡単な物理衝撃程度では揺るがないが、精神的な衝撃には無力──ぐわん、ぐわんと目がまわる、立ちくらみ──がする。
(まさか貧血──この身体で?)
狭霧は「あり得ない」と漏らすが、むしろ戦闘サイボーグだからこそ心因ストレスで貧血などの状態異常が起き易くなってしまう。機械部分を増やす、ということは人間の生体部分が減っている、体液が常人より少なくちょっとした増減が主要臓器に影響しやすい、という事である。
生体部分の異常を小脳に付随したコントロールシステムが検知する。すぐに擬似体液を供給し貧血状態は解消された。
(そ、そう言えば──あの医者からサイバネティクスボディーのデメリットについて、そんなような事を説明、されていた、ような?)
『サイバネティクスボディーは、想像以上に、心因性ストレスに弱い──あまりストレスを溜め込まず、大人しく慎ましく過ごす事です。貴方が思うより、機械の身体ってヤツはポンコツですよ──無敵の鋼鉄ボディーを操るには常人の何倍も強いメンタルが必要なんです。そんな完璧超人、存在しません。まあ例の木星の人外魔境アレキサンダー・ワイズ伯爵ぐらいなんじゃないですかね? そもそも、あのレベルの人にはサイバネティクス手術は不要ですからねえ。機械の身体のスペックが見劣りしちゃう。多少頑丈になる程度ですから』
(う、ぐ、ぐ──)
初めて味わうデメリットの苦しみ。貧血状態は解消されているはずだが今度は心臓部分に鋭い痛みを感じた。セルフメディカルチェックでは異常が出て無いのに、機械化して最早存在しないはずの生体部分が、何故か激しく痛む。
キングは荒い息遣いを押さえながら、今回の損害額を暗算し始めた。
物凄い勢いで利益が目減りしていく、短期的な利益だけでなく、得意先の旦那衆に「年間王者はハッキネンで決まり」と裏賭博で高額を賭けさせているのも痛い。
勝ち続け積み上げてきた威信の崩壊。
自分の言葉、キングの名前から『畏怖』と『信用』が失われる。
目に見えないスリップダメージがこれからキングを襲い続けることだろう。失った信用を取り戻すのにかかる時間とその間に目減りしていく目に見えない損失は想像もつかない。
(色々と準備していた計画がズタボロじゃないですか! 先ずはランファさんに連絡を──十鉄絡みだけでも予定通りに遂行しないと)
「ランファ社長、僕です。お願いしていた十鉄の件ですが」
『キング──あなたどうかしちゃったの?! この騒ぎなのに!』
「はい?」
『いいからVIPルームを見て!』
キングは改めてエアレース会場の歓声が悲鳴に変わっている事に気が付いた。
(あれ? まだ『銀翼水龍』も『トンボ人形』も呼んでないんだけど?)
金星マフィアは様々な惑星に核となる幹部候補を送り込んで、現地で戦闘部隊を組織育成させる事がある。ここメガフロートシティに居るのは『銀翼水龍』という部隊。そしてもう一つが万が一に備えてキングが密かにエウロパに持ち込んだとっておきの対人制圧兵器『トンボ人形』
キングの命令でシティを襲撃する手はずになっている。
キョロキョロと辺りを見回すがそれらしい破壊活動は始まっていない──
何やらVIP席が騒がしいが──事態が飲み込めていないボスを心配した部下の黒服がホログラム映像をキングの目前に投影してみせた。
「キング様、こちらを、こちらをご覧ください!」
菱川十鉄がそこにいた。
あろうことかユイ・ファルシナに銃を突き付けて──
あっ──とキングは叫んだ。
「な、何を何を? 何をやってるんですか十鉄さん〜!?」
十鉄の人工肺に取り付けた発信器がVIP席にいる伝説の俠客がホログラムではない本物であることを示していた。
「けっ、計画の、順序がっ、うっ、狂うじゃ、ないですかああああっ? あなたは、ユイ皇女と、ズブズブで、汚れ仕事や、暗殺を、担っていた事に、なってるんですよおお!?」
掘削機で心臓を直にゴリゴリ削られるような、想像を絶する痛み、いや脳が錯覚している『想像上の痛み』に晒された。
邪悪な笑みを浮かべた酷薄な痩せぎすの男、菱川十鉄が何事か要求を述べている。誰かをVIP席まで連れてこいとしきりに叫んでいるようだ。
「わかりやすく敵対しちゃだめでしょ!?」
プツッ──
糸が切れたあやつり人形のように頭から倒れ込むキング。
しかし、サイバネティクスボディーが失神を許さない。意識が遠退いて白目を剥いたが数秒後に復旧──まさに新手の拷問である。
キングはもうひとりの自分に『何してるの? 痛く無いよ? 起きて起きて!』と急かされている気分になった。
『キング、大丈夫?! ニュース屋への根回しはとっくに済んでて、十鉄と皇女の黒い関係をガンガン流してもらってるんだけど──この緊急生放送のせいで効果が、注目度が全然伸びてないのよ! どうしましょう?』
PPの投影するホロ映像のランファも、顔面が真っ青になっていた。
◆
大盛り上がりで同時接続数ぶっちぎり一位のエアレース公式生中継チャンネルが、表彰台のシャンパンファイトを待たずしてシームレスにユイ・ファルシナ人質事件の生中継に切り替わった。
総合司会のメイナードは元々、報道部を志望していたため、よだれを垂らしてこのハプニングに食い付いた。不謹慎極まりないがニュース屋にとってこれ以上の題材は無い。銀河を揺るがす一大事件が目の前で起こっている──彼は、リオル大将のクーデターの時にミルドナットとかいう弱小企業に放送を独占されたストレスで卒倒し緊急入院するほど悔しがっていた男だ──報道部にマイクを明け渡す気は一切無い。
『どうした事でしょう!? 我らのユイ皇女殿下が暴漢によって拉致された模様です! 現在、皇女殿下の御身に差し迫った危険は無いようですが、銃器を所有した犯人から行動を制限されているようです! 歓喜の瞬間から一転、今年最大の悪夢! 夢なら早く醒めて欲しい! 表彰台では恋人のウィリアム選手が何事か叫んでいます、悲痛な叫びに我々の胸もかき乱されています』
『どうも助けに行こうと駆け出したのを市警察に静止されているみたいですね』
『えっ市警察、対応早いですね! めちゃめちゃ頼もしい〜!』
エアレース特番のノリが延長され、報道というより格闘技の実況中継が始まったかのような、そんな、どこか浮ついた雰囲気がある。
実際、視聴者の大半が半信半疑で『クレメンスデーの余興』なのではないか、となかばエンタメ気分で中継を眺めていた。
◆
「あの──モグリの──ヤブ医者、があ!」
ドラッグを使用せず、精神的衝撃から何とか自力で立ち直るとキングは胸を張り以前の余裕を取り戻しつつあった。ふーっ、ふーっ、と荒い息を吐きつつなんとか呼吸を整える
『甲賀狭霧サン、まああなたみたいな職業の人に言うのは釈迦に説法、てな気分になりますがねえ……痛みが止まらない時はそれ、プシューッとやっちゃってください、アッパー系のドラッグ。あれ、ダウナーだったっけ? まあ、なんかドラッグ、あなた達のほうが専門でしょ? ただ用量は生身の人間の半分で。そこ間違えちゃ駄目ですよ。生体部分が少ないから効き過ぎちゃう。過剰摂取で脳がやられたらもう、それこそあれ、禁忌の陽電子人工頭脳と差し替えなきゃならなくなる。なんだっけあのメアリー・ジーンちゃんでしたっけ? 手術の成功例はあるんですけどね。倫理の審査が通らないから、これまた非合法ルートで入手しないと』
その時は大したデメリットとは思っていなかったが、こうなるとリスクの大きさを実感せざるを得ない。
(逆境の時に──一番踏ん張らなければならない時に身体の自由が効かなくなる上に、この──想像を絶する苦痛! なんて──なんて、不便な……もっとこのリスクの事を顧客に忠告しておくべきでしょうがっ!?)
これでは誰も好んで戦闘サイボーグになどなりたがらない。狭霧がすんなりと強靭な肉体を入手出来た理由が今になって理解できた。
こんなものは使い捨ての鉄砲玉や自ら明日を捨てた復讐鬼など、死を覚悟した者達に死出の手向けに施す強化。
まあ復讐の鬼という点では甲賀狭霧には適切な施術だったのかも知れないが。
(まんまと在庫処分のハズレくじを掴まされた、って事ですか──さすがは金星裏社会、一筋縄では行きませんね。間抜けなヤツから脱落する)
「レース興行は大誤算でしたが、十鉄関係は多少の狂いが生じただけ、この程度なら訂正可能!」
メンタルを回復させたキングは放送そのものを妨害しようと考える。
「あなた達のシナリオ通りにはさせませんよ木星の女狐。その三文芝居、こちらの用意した本来の筋書きに訂正させてもらいますからね──トンボ人形を出します。起動させちゃって」
キングは今回の切り札とも言うべき戦力を開放した。




