リンゴと歩道橋
メガフロートシティGPXスタート直前、セントクレメンス・デー当日という事もあり、ざわつく会場周辺で少し口を尖らせてホログラムを見上げる少女の姿があった。
ぎゃらくしぃ号に住み込みでコンビニ店員として働いている家出少女・鏑木林檎である。
一応、現在の連邦法で制定されているところの成人年齢には達しているものの、見た目も言動も子供っぽさが抜けてない。
ただ、雄大と出会った当初より随分と垢抜けてきていて日に日にその女性的魅力が増してきているように見受けられる──
林檎は金星アイドルの大手プロダクション、ヴィーナスプロジェクトが主催する金星年越しライブのロイヤルボックス席のプラチナチケットを抽選でゲットした。クレメンス翁から林檎へのプレゼントなのだろうか。
しかし、このチケットのせいで林檎は心を乱されているのである。
「よぐ考えたら……おら、あんがい友達すくないんだなぁ」
かなり多い方なのだが、ここで言う『友達』とは──
──なんでも打ち明けられてなんでも相談出来る人、たとえばこんな悩んでいる時に。そしていつも傍らに寄り添ってくれる人、たとえば宮城雄大みたいに──
雄大のことを雄大に相談するのは、ナンセンスだ。宮城雄大はふたりは居ない。
(──ふたりいたらいいのになー)
雄大のエアレース応援で、船医の小田島達と途中まで一緒に行動していたのだが、少し考え事をしたかった林檎はトイレに行くとウソをついて、ひとりの時間を作った。
「……Vプロ年越しライブ……」
雄大と一緒ならどれだけ楽しい事だろうか。
いつも笑顔の林檎だがここ数日、たまにこういう表情をする時がある。少しぼうっとしながらお祭り気分で浮かれる人々を眺める。故郷でやっていたエンニチ・フェスティバルを思い出した。父親と一緒にきな粉飴とわたあめとたこ焼きを食べた記憶。
(そういえば……おら、何でこんなとこさいるんだっけ……)
鏑木林檎はいつまでも地球周辺コロニーの自宅に帰って来ない父親を捜すために預けられていた親戚の家から家出同然な形で飛び出してきた。
親戚の家でも可愛がられ居心地は良かったが、父親に会いたい気持ちは抑えられなかった。
(とうちゃん、害獣駆除とか用心棒とかやっでっから、ぜったい太陽系外環のほうに居るはずなんさ……)
雄大や貨物船協会の大和田会長に言って情報を集めてもらってはいるが、今のところ有力な情報は得られていなかった。
(とうちゃんにも会いたいけど、とうちゃん見つかったら、おらどうするんだろ?)
モヤモヤと心に薄暗い霧がかかる。
(一緒に地球に帰るのかな──ぎゃらくしぃ号から降りて)
雄大を中心にブリジットや甲賀六郎、ぎゃらくしぃ号の人々の顔が浮かんでくる。ついでに太刀風陣馬も。
(なんか、わがんねくなってきちゃった──)
クレメンスデーのイメージ映像で、上半身を筋肉の鎧で覆った屈強な老人がにこやかにプレゼントを配って回っていた。なんとなく、というか割とモロにギリシャ神話のポセイドンのパクリに見えなくもない……
パッ、とホロ映像が切り替わりエアレースの公式放送が始まる。メインキャスターのメイナードが注目選手として指差す先に雄大の画像があった。
(やっぱ雄大さはすっげえだべな! エウロパでもヒーローだもんな!)
自分の事のように誇らしくなるが──
(そう言えばおら……おらって雄大さの、なんなんだろ?)
雄大は婚約者となったユイを紹介するために月の宮城家へ帰省するという。仲が良いというだけで、婚約者の邪魔をしてまで実家に付いていくなんてさすがに厚かましい。
(雄大さ、社長の皇女さぁとケッコンしたら──もうおらと遊んでくんないかも)
歩道橋の上に登ると前のめりに柵にもたれかかって遠くに見える海岸線を眺めた。海風は少ししょっぱい、と言うがエウロパの塩分濃度はそうでも無いらしい。
(おら、ちっこいし、皇女さぁやブリジットさみたいにおっぱいおおきくないし)
『いいか林檎、おっぱいはな、ただ大きければ良いというものじゃないんだ。みんな違って、それでいい──』
おっぱいマイスター・雄大のありがたいお言葉──
(でも、そうは言いつつマイスターはおっきな方が好きっぽい……)
『俺の母親の話なんだが、大き過ぎるおっぱいは時に不幸を呼ぶ──うちの親はアメフトの選手もしくは宇宙軍初の女性元帥を目指していたのに、育ち過ぎたチチが邪魔でそのふたつの夢を両方とも諦めざるを得なかったのだ──信じられるか? おっぱいが大きい事が人生設計においてマイナスに作用するなんて──こんな悲劇、二度と繰り返してはいけないんだ』
(……人を不幸にするデカおっぱい、見たい……おらも雄大さの実家、行ってみたいかも。でも……)
ヴィーナス・プロジェクトのカウントダウンライブ。
雄大の端末でアーカイブを何度も見せてもらった。パルフェの振り付けを完全に覚えるほどに。
文字通り光り輝く銀河のステージで、パルフェのリーダー、あるるが活力の塊のようにステージを縦横無尽に跳ね回る。
(パルフェを、あるるさぁを、近くで──見たい、感じたい──でも、ひとりじゃなくて──雄大さと一緒に行けたら。なして一緒に行けないんだか、なして、どして──)
急に目頭が熱くなってくる。
「あれ、おらどうしたんだ?」
いつの間にか目が潤んで景色が滲んで見える。
「なして泣いてんだ? 楽しいお祭りなのに」
(こんなもんがあるから──)
林檎はVプロ年越しライブのロイヤルボックスのペア招待券をプリントアウトしていた。
(雄大さと一緒じゃないなら──行かなくても、いいや……)
ぱっ、と手を放してみる。
チケットはひらり、ひらりと右へ左へ大きく揺れながら下にいる群衆の方へ向かってゆっくりと落ちていく。
(誰か拾って、行くといいだよ──おらからのクレメンスデーなプレゼントだあよ)
目に涙をためたまま、寂しげに笑いながら落ちていくチケットを眺める。
(あとは、PPで当選者の権利を放棄して、ペーパーチケットの所有者に譲渡して──)
腰のホルダーからPPを取り出して操作を開始した、ちょうどその瞬間に歩道橋の下から、何かゴウ、と地鳴りのような音が響いてくる。
グワン!
と爆音と共に歩道橋の上に水蒸気が溢れ出し林檎を吹き飛ばす。
「わ、わわっ!? なんだっぺ!?」
ゴゴゴゴ!!
シュゴー!と脚に履いた巨大なブーツからもうもうと水蒸気のような煙を大量に吐き出して宙に浮かぶやや小さな人影。銀色の髪をした線の細い人物が歩道橋の上、林檎の目前で宙に浮いていた。
煙は火から起きた二酸化炭素やガスなどではなく、どこか爽やかな感じのする心地良い霧だった。
「……」
やや気怠げな目で林檎を見下ろす人物。
髪の長い少女、いや少年だった。
太刀風陣馬や林檎の輪郭は、どちらかというと丸顔に属するが、目前の少年はそういう括りで言うなら面長顔であった。
「あー、僕はこの歩道橋の精霊でーす。えーと。そなたがいま落としたVプロライブチケットは、この2階B席のビミョーなチケットですか? それともこちらのステージ最前列だけど右端すみっこ席のチケットですか?」
少年はフザけているのか真剣なのか判別しにくい淡々とした調子でたずねてくる。
「えっ、おらに聞いてるの?」
「そうそう、オラオラだよ〜そなた」
何を言ってるかはよくわからないが目の前の人物が善良で自分を気遣ってくれていることだけは林檎にも理解できた。
「ええっと、おらが落としたのはどっちでもなくて」
「ふむふむ?」
「おらが落としたのはこれ、ロイヤルボックス席の、プリントアウトしたやつで──」
「ファイナルアンサー?」
「ふぁ、ファイナルアンサー──!」
少年は肩から提げていた鞄から玩具のラッパを取り出してぷっぷくぷ〜♪と楽しげな音を出す。
「おめでとう、正直者のそなたには、ぜんぶのチケットを進呈しよう」
少年は、歩道橋の上に着地するとガシャコンガシャコンと軍用ロボットが歩行する時特有の音を鳴らしつつ林檎に近寄ってくる。
無理矢理に林檎の手を開いて全部のチケットを握らせた。
「はーい、そなた。もう落としちゃ駄目だよ。コネ入場じゃないロイヤルボックス招待券とか、一生に一度あるかないかなんだからね〜、U・RA・YA・MA!」
「──えと、ありがと。でもおら、これ──」
「どしたのそなた?」
「おら、誰かに譲るつもりで、わざと落としたんで──」
少年はオーノー、とわざとらしく頭を抱えた。
「信じられナーイ、そなた、ライブ行きたくて抽選に応募したんでしょ、わけわかめーん」
「おら、一緒に行きたい人がいたけど、その人──別な用事で行けなくて。でも、おらひとりで行くの、なんか寂しぐて苦しくなってきちゃったんだ……Vプロ好きなともだちとか、他にいないし……」
林檎の目に涙が貯まる。
感情が表に出ないひょうひょうとした雰囲気の歩道橋の精霊。落ち着いた声色に優しげな瞳、言ってることはトンチキだが、初対面なのに妙に話しやすい雰囲気をまとっている。
「そっかぁ……じゃ〜、せっかくだから歩道橋の精霊が、ロイヤルボックスもらって良い?」
「うん、元々そのつもりだったし」
「ファイナルアンサー?」
「ファイナルアンサー、ふふ」
「成立〜、起立、礼、着席じゃなくてスタンダップ」
少年は尻もちをついたままの林檎の手を引いて立ち上がらせた。
「ちなみに、どこオシ? 歩道橋の精霊はパルキー・パルフェ一択。シナモンキッスも好きだけど、やっぱりパルフェがサイキョー」
ぱあッ、と林檎は目の前の霧が晴れていくのを感じた。曇天が晴天に変わったような、そんな感覚。
ぎゃらくしぃ号の中にはほとんどいなかったパルフェのファン。雄大以外の同好の士。
ひとりじゃない、と感じただけで、こんなに心強い気持ちになるのか、と林檎は驚いていた。
「わあ、おらもおらも! おらもパルフェだ〜い好きなんだ!」
思わず鼻唄交じりに、あるるのソロパートの振り付けの腕振りをやってしまう林檎。
少年の目がキラリと鋭く光る。
「ズバリ当てよう、そなたは、あるるファン、てかわかりやすっ……! イージーオペレーション」
「うん! あるるがいちばんハジケててキラキラしてかっけえんだもん!」
「たは〜、そなたミーハーじゃん、ニワカじゃん? その点、歩道橋は玄人のパルフェファンだから。ミステリアスクールなシャロンがイチオシ」
「あー、歩道橋のひと、確かにシャロンちゃんみたいな美人さん系好きそう〜、ふふふ! ハスキーボイス? シャロンちゃんのソロパートかっけえよね!」
「歩道橋は違いのわかる男、ニヤリ。そしてそなたもなかなか違いのわかるオンナ、ニヤリ」
ふたりしてにぱっ、と朗らかに笑い合う。
「パルフェのファンの人にチケットあげられてホント嬉しいだよ! いっっっぱい、楽しんできてねっ!」
「いえーい、ロイヤルぅ〜、って……ねえそなた……これ、ペアペアじゃん」
「そうだよ?」
んー、と自称、歩道橋の精霊は低く唸る。
「困ったー、なー、んー、んー……」
「どうしただか?」
「歩道橋の精霊はさ、玄人のロンリー・ウルフだから。リアルガチで友達とかおらんのよ……ゲームのフレンドならたくさんおるけど」
「そ、そうなんだ……」
「だから、そなた。ロイヤルボックス一緒に行って! 助けると思って!」
林檎に向かって神仏に祈るように手を合わせて頭を下げる少年。
林檎は、思わず吹き出して笑ってしまう。
「そなたなぜ笑う〜、リアルガチでフレンドおらんだけやんか〜、歩道橋にゃダチなぞ不要なんだからしかたないんや〜」
「違う違う、だってこれ、元々おらのチケットなのに、なんかヘンだな〜って、ふふふ」
不意に少年の指先が林檎の顔に伸びた。
「そなた泣き止んだらやっぱかわええ〜、歩道橋は違いのわかる男、パートツー」
少年はごく自然にハンカチで林檎の涙を拭っていた。
ドック、と林檎の胸の奥が激しく揺れ動く。
(あれ?)
何故だか急に目前の少年が輝いて見える。水蒸気のせいで歩道橋の上に虹が架かったせいだろうか。
「おっ、歩道橋の上に虹の橋、橋オン橋──で、そなた、返事待ちですが如何かな? 無理なら無理でロイヤルロンリー楽しんでくるから心配御無用」
「う、うん……いいよ! 行こう、一緒に行こう歩道橋くん! いざ年越しライブへ!」
「ヤー交渉成立〜。パルフェファン同士でロイヤルライブ、空前絶後に楽しみンゴ!」
ラッパを吹きまくる少年。
「じゃ、じゃあさ、待ち合わせとかどうすっぺかなあ、ふふふ!」
「そだね〜、そなた。まあ取り敢えずは連絡先交換からかな〜。歩道橋のアドレスはこちらこちらドットコム」
PPを取り出す少年、サッサッと何かを振りかけるように林檎のPPの上で動かすとアドレスが追加された。
「じゃあついでにPPの方からお名前入力して、ロイヤルボックスの権利者を確定させちゃうね?」
ついでに名前を入力しようとした林檎の手が止まる。
「えー、と……ねえ、こっちも歩道橋くん、でいいのかな。リアルガチに歩道橋?」
あっ、そうか〜本人登録か〜、と頭をポリポリとかく少年。
「じゃあ、正直者のそなたにだけ、特別に歩道橋の現世での仮の名前をレクチャーしてしんぜよう。僕は『アキレス』だよん。ねえそなた、この名前、他の人には内緒で。極秘でよろしく」
傭兵王は優しげに笑いながらウインクしてみせた。




