チェンジオブペース
ハッキネンとターレの周回タイムが急激に落ちる、ウィリアムの順位が伸び悩んでいる状況から判断して、金星チーム・レッドドラゴンが表彰台狙いから入賞狙いに切り替えるのは意外でも何でもなく手堅い一手だ。
この上位陣の動きをレースに参加するほぼ全てのチームが確認、全体的な流れを形作る。
先頭の雄大とボッテガの超ハイペース組
単独三位のマーフィー
そこから随分と離れて四位から十位までの入賞狙い組、そしてまばらに残った完走狙いの低予算弱小組という配分。
「流し」飛行に入ったハッキネンとターレはチーム・ワイヴァーンとの合流を画策し始める。四位から七位までを金星チームで独占しようという事だ。
意図的なスローペースを作り始めるハッキネン達を抜き去る事が出来ず、入賞狙い組と下位グループとの差はどんどん詰まっていく。
ハッキネンの動きを注視していたリタは大きく、よし、とコンパネを勢いよく叩く。それなりに興奮しているらしく手のひらの汗をスタッフジャンパーで拭う。
「ウィリアム、待たせたな。もういいぞ、ペース変更だ」
『オーケー、監督! 待ちくたびれたぜ!』
やれやれ、とリタは全身の汗をハンカチで拭い始め、冷水の入ったカップから水分補給をした。
「残り七周か──冷や汗をかいたぞ、まったく。間に合わなくなるところだった」
リタは水では足りぬ、とミルクスタンド・ロボットを呼びつけアイスミルクティーとソフトクリームを注文した。会場内を動き回っている中で一番近い位置に居る大型の給仕ロボットがスイスイと移動し始めた。
「もうリングの操作も終わりだ、ご苦労だったな、こぞ……いや、ええと──おまえ」
「──ラフタだよ……」
「そうだラフタ。ご苦労だったな」
「良かったね監督……作戦通りだ」
ラフタは親指上げするとか細い声で呟いた。チェックポイント・リングの操作は下手をするとドライバーよりも集中力を維持し続けなければならない。ヘトヘトになりながら遠くからやってくるロボットを見つめる。
「こんなに疲れるならやっぱりぎゃらくしぃ号で留守番してれば良かった……終わったのなら僕も何か飲みたいな……」
「よし小僧、ご苦労だったな。ハッキネンが順位固めに入ったぞ」
通信機から雄大の威勢の良い声が響いてくる。
『そうか! 随分と遅かったけどギリ予定通りだ! こっちのブースト燃料もギリギリだ。だいたい四分三十秒でピットイン予定だから、ラフタ、牛島さん! 給油準備よろしく! ピット作業5秒台厳守! チーム・ライトニングのピット作業平均は5秒、ここが勝負どころだ、絶対にボッテガに勝つぞ!』
え……? とラフタは一声発すると膝から崩れ落ちた。
リタは慌ててロボットに栄養ドリンクの追加注文を入れた。
ハッキネン達の方も急制動用の燃料が心許無くなってくる。これは金星チームに限らずだいたいどのチームも同じ状況である。給油するか、タイムロスを嫌うか、の選択だがスローペースが維持されている現状ではタイムよりもポジションを維持する方が大事なのは素人でもわかる。
「どうだターレ行けそうか?」
『このまま無理な加速減速をしないなら余裕で給油不要でフィニッシュ出来そうです。ハッキネン、あなたのマシンの方が心配ですが』
確かに、とつぶやくとチームスタッフに言ってAIに残り燃料で完走が可能かどうかを計算させた。
「少し不安はありますが、このペースを維持するなら十分、給油不要で行けます」
「よし、ノンストップで四位、いやマーフィーが燃料のやりくりに失敗していてくれればピットインの間にひとつ順位が上がるな」
『そろそろ残り五周になりますが』
チーム・ワイヴァーンの2ndドライバーであるカーバーから連絡が入る。
「自然なタイミングだ。もうピットインして構わん。給油トラブルを装って待機、周回遅れになって宮城の頭を何としてでも押さえろ」
『了解』
「順調だな」
ヘルメットの下でほくそ笑むハッキネン。彼の頭の中はレースよりも直後に起きる予定のテロリズム・ショーの方でいっぱいになっていた。
この油断がとんでもない事態を招く事になるとはこの時点では知る由も無かった。
◆
前半の超ハイペースにも惑わされず、後半の超スローペースの中、ひたすら燃料を温存し続けたウィリアムのG1マシンが眠りから醒めた肉食獣のようにその鋭い牙を剥き出しにして目前のマシンに襲いかかる。
無理な急制動と加速をして、大きな旋回が必要なチェックポイントで強引に割り込みをかけていく。
この唐突なウィリアムの速度変調に周回遅れ寸前の下位グループは驚いた。
スローペースで順位固めに入った上位を抜けるわけも無く、完走すれば完走ポイントの一点獲得が見えているドライバー達に今更危険を冒して無意味な順位を争う気力など残ってはいない。
妨害するどころか積極的に減速、意図的にリングを通過せず一秒のペナルティーを受けてでもウィリアムのためにコースを開けてやることを優先した。
おかげでウィリアムは理想的なライン取りでリングを通過していき、ぐんぐんとその順位を上げていく。
(こいつは最高だ! 予選のタイムアタックみたいだぜ!)
爆音を上げて加速するウィリアムのG1マシン。陽光煌めくエウロパの青空を烈風が切り裂いていく。トップ争いをしているチームライトニングとチームペンドラゴンが給油によるピットインを選択する事がわかると実況のみならず観客全体の関心がそちらに集中。ウィリアムの怒涛の快進撃はカモフラージュされたかのように静かに、着実に進んでいた。
異変に最初に気付いたのはモート・ペンドラゴン卿だった。
「来たあああ! 遂に、遂に来た! ウィリアム、ウィリアムだああ! 敵は油断してるぞ! 年間王者目指して、爆進しろおお! 行けええええ!」
旗を振り回し、髪を振り乱して大騒ぎするおもしろ酔っ払いおじさんをAIのカメラが捉える。
『あはは、チーム・ペンドラゴンのオーナー、モート卿ですね。相当エキサイトされていらっしゃいます。まさかまさかの宮城雄大の大活躍、結果がどうなったとしてもモート卿にとっては最高の年越しになりそうですね!』
『ウィリアムは残念ですけど次の最終戦の再逆転に期待!』
『今回ノーポイントでも十分可能性はありますからね。ハッキネンはマーフィーを抜きたいですけどね、無理はしないようです』
『あれ? モート卿、さっきからウィリアムって叫んでません?』
『宮城ではなく? ああほんと、そうですね?』
しばしの沈黙のあと、最速周回記録のデータをAIが表示する。
ファステストラップ
1st:ユウダイ・ミヤギ
2nd:ボッテガ・レドリー
3rd:ウィリアム・マグバレッジ NEW
『ん?』
『ちょちょ、ちょっと待ってください?』
『ファッ、ステ? ファステスト!?』
素頓狂な声を上げる実況。
『御曹司、遂に始動〜! 眠れる獅子が遂に覚醒〜!!』
『ウィリアム・マグバレッジ、まさかの死んだフリ〜!?』
ワイヴァーンのカーバーがピットインしようかと減速し出すとウィリアムのマシンが突如として現れ、爆速でそれを追い立てる。
カーバーの仕事は入賞する事ではない、ペンドラゴンのマシンをブロックするためにエウロパにやってきたはず。
しかしながらウィリアムの突撃してくるかのような勢いに気圧されたカーバーは、ブロックするどころかピットインのライン取りを無視して大きく外に振れると、ウィリアムを最高速で通過させた。
何事か、とチーム・レッドドラゴンのクルーが呆気にとられて飛び去るカーバーのマシンを見送った。
通信機からハッキネンの怒号が鳴り響く、レッドドラゴンのピットクルーは恐れのあまり固まり、返答が出来ないでいた。
パッ、とユイの姿がホロに映し出される。ユイはペンドラゴンの家紋が入った小さな旗を親指ではさみ持ちつつ、ぱちぱちぱちと小さく拍手をしていた。
『ユイ殿下が見守っています! 決めるかウィリアム! 猛追どこまで迫れるか、待ってろハッキネン! 1stドライバーは俺だぞ! 激しい闘志が伝わる爆速飛行です!』
『これは最早、迎撃ミサイルだ! 目標を捉えるまで止まらない!』
◆
(──ブースト燃料の、温存──だと)
ハッキネンの目は怒りのあまり充血し、顔面は過度に紅潮して正しく赤鬼のようになっていた。
残り四周、燃料を補充するためのピットインをやっている余裕は無い。
『は、ハッキネン──』弱々しいターレの声。
既に負けを認めた敗者の口調。
「集中しろターレ! ぶつけてでもウィリアムを止めろ!」
『しかし!?』
「何のための緊急脱出レバーだ、ここは宇宙空間ではない、簡単には死なん!」
『わ、わかりました……』
「サンデル! お前も周回遅れになってウィリアムを潰せ!」
死んででも止めろよ雑魚が、とハッキネンは吐き捨てる。そんな折に運営からの重要な伝達事項として緊急メッセージが各チーム、そして各マシンに送られてくる。
『こ、ここで重大なレギュレーション違反が発覚か〜!? 匿名の人物からの通報で密かに審議が行われていたようですが! なな、なんと前半、先頭集団で飛行していた3台のマシンに対して、チェックポイント通過システムが正常に作動していなかったようです! これらの3台にはゴール後にリング未通過の一秒ペナルティーが課せられます! ざっと三十秒以上のペナルティー! これは順位が大変動! 完全にわからなくなってきたあああ!!! ここエウロパの荒れ狂う海に翻弄される上位陣! 生き残るのは誰なのかあ!?』
絶叫し過ぎで声が枯れはじめている実況者。
うっ、とハッキネンは小さく絶望の吐息を洩らす。
(──ハメられた)
【チェックポイント未通過ペナルティー、マイナス31秒】
ハッキネンはコクピット内のインフォメーションボードに、ちかちかと赤文字が点滅するのを見て絶望した。
入賞狙い組のマシンが残り少ないブースト燃料を使って3台、4台と大挙して押し寄せてくる。多少のリング未通過を物ともせず多重ペナルティーのハッキネンを入賞ラインから蹴落としにやってきたのである。
身動きが取れなくなった失意のハッキネンのマシンを、ウィリアムのマシンが爆速でコースの端から強引に追い抜いていく、潤沢なブースト燃料があるからこそ出来る力技だ。
どうやらターレはウィリアムをブロックする前に別のマシンと接触、大きくコースから外れてしまったらしく、コース外を逆走してチェックポイントを通過し直すという無様な姿を晒していた。
◆
「俺がいて良かったな」
牛島に指示を出しながら慣れた手付きで給油の準備をするタチェ。
雄大のマシンがピットインエリアに乱暴に着陸する、安全な作業エリアではなくチームスタッフ待機場所にやたら近い場所へ着陸する。火花が飛び散って甚だ危険だ。消火冷却剤を撒き散らして発火事故を防ぐと燃料を注入し始める。まあ、ブースト燃料と言ってもほぼ真水に近い物なので引火しても大した事故になどなりはしないのだが。
雄大は2秒、3秒、と祈るように口でのカウントを続けソワソワしながら隣のチーム・ライトニングの様子をうかがっている。予選順位でピットエリアの場所も割り当てが決まるため、雄大とボッテガは着陸位置まで隣り合わせだった。
「よしきた、ゴー! スッカラカンにして来い!」
ジャスト5秒、何気にペンドラゴン史上で最速のピットワークだ。タチェは、大きくよおおし、と吠え、牛島のマニュピレーターとハイタッチした。
ライトニングはなんと4.6秒、チームワークで上回ったライトニングが追い掛けるボッテガと雄大の差をほぼゼロにした。同時にコースに向かって全速力で離陸する両雄。爆風でリタの帽子が吹き飛びリタ本人も椅子から転がり落ちて尻をしたたかに地面に打ち付けた。
「小僧〜! 覚えておれよ!」
清々しい顔でタチェはリタを抱き起こして椅子に戻してやる。
「宮城雄大とボッテガの未通過ペナルティー42秒ってなんなんだよ、笑っちまうな。多いドライバーで6秒、平均3秒の世界なんだぞ?」
「想定より少ない。本来は60ほどを想定していたのだ」
「酷い話だ、ぶっちぎりのワースト記録、歴史に残るな」
ペンドラゴンロゴ入りの帽子の土埃をはらって目深に被り直すリタ。
「ボッテガとやらも相当、酔狂なヤツだな。早い段階で不正に気付いていながら小僧と真剣勝負を続けるとは。こうなるのはわかっていたのでは……もしかしてバカなのか?」
仕事を終えたリタはやれやれ、と2個目のソフトクリームを購入して早速舐め始める。後方ではぐったりとしたラフタが何かスパゲティーのような物をすすっていた。
「それがG1ドライバーの悲しい性ってヤツさ。まだお嬢ちゃんには難しいかな?」
「そういうものか。やれやれ、こういう論理的思考の外にある感情の価値はなかなか理解できんな。わしもまだ修行が足りぬ、と謙虚に受け止めておこう」
うーむ、とあごをさする幼女を苦笑いして眺めるタチェ。
「キミほんと何なの?」
「通りすがりの名監督だ」
リタは澄まし顔でソフトクリームにかぶりついた。
波乱続きのメガフロートシティGPXが決着の時を迎えようとしていた──




