キングと呼ばれる理由①
ホテルアンヌン、最高級スイートの一室。
ドラッグカルテルの代表として金星悦楽女洞主達の頂点に立つ男『キング』はしきりに首元を触っていた。
目と耳はエアレースの中継に向けているが頭の中では何か別のことを思案しているようだ。無表情。右手の二本の指で白い首から肩にかけての曲線をゆっくりと撫でる様は性別を超えた艶めかしさがある。
十鉄は脱出のプランを立てるべくキングの行動をじっくりと観察する。
「肩凝りか? 金星アイドルの元締めやらエアレースの八百長やら、働き過ぎなんじゃないのか社長さん」
拘束された状態の男から世間話を振られたキングは軽く微笑む。
「ふふ、自分の命よりぼくの心配ですか? 身体の事なら心配無用、この身体は疲れ知らずです。まあ商売柄、頭痛の種は尽きませんがね」
「しかしまあ、三弦洞の主が、こんな陽の当たる場所に出てくるようになるとはな。暗闇しか飛べないコウモリが無理をするとしっぺ返しを食うんだぜ」
「自虐的ですね、十鉄。あなたの方こそ十年と言わず一生、宇宙船の中に隠れていれば良かったものを」
金星の法律では十年経てば時効だがそもそも金星政府が張子の虎で有名無実。悦楽女洞主達が仕切っているのは子供でも知っている事実だ。
「──ぎゃらくしぃグループはまだ小さいくせに知名度だけは太陽系全域規模になっちまったからなぁ。カタギの商売は成功すると身を晒さなきゃならねえ。手下が増えてボスが奥に潜っていくマフィアのシノギとは真逆だ」
「ぎゃらくしぃ号に潜伏していたあなたの判断は正しい。僕たちは今の今まで貴方を見つけられなかったのだから──ただ、少しばかり光が強過ぎただけ」
「こうまでスケールのデカい事をやっちまうとは想像できなかった。コウモリには眩し過ぎる」
「貴方と商売の話をするのは変な感じですが──真っ当な表の商売はね、僕たちがやっていた麻薬や殺しみたいな隙間産業の何十倍も、いや百倍以上儲かる。マーケットの大きさが文字通り二桁は違う。こんな当たり前の事が理解できない無能だから、僕たち金星文化圏の人間は二流のビジネスしか出来なかった。陽のあたる場所に出てこそ圧倒的な財を成せるのにね」
キングは今までの金星文化圏の経済活動を批判した。キングは断言する、金星は所詮、自己満足の自慰集団に過ぎない、と──
微笑みが消え、切れ長の細目が更に細く、糸のようになる。キングは三弦洞を統べる主に相応しい酷薄な顔になる。
「母御前も貴方も──甲賀六郎なんてちっぽけな個人を切り捨てる事が出来なかった。損切りの出来ない愚か者。だから失敗する。ビジネスに不向きな類いの人間です」
そうだな、と同意する他はない。十鉄はユイが小売事業に参入した真意に思いが至る。
「なあ敏腕経営者さん。俺ァ思うんだがな。地球閥の航路整備事業団、銀河公社は自分では何も産み出さない寄生虫みたいな存在だったのに『星と星をつなげる』事で太陽系を統一しちまった。殿下のぎゃらくしぃグループはその公社の固めたレールの上で日用品捌いて、一見するとチンケな商売やってるが──」
「ストップ、貴方の次のセリフ、当ててみましょうか──『人と人をつなげたファルシナが次の時代をつくる』──」
「ご名答、狭霧はさすが賢いな」
「菱川十鉄は案外ロマンチスト。映画のようなくさい言い回しが好きでしたからね」
十鉄はクックッと笑う。喋りながら苦しくない肺の使い方、呼吸方法を模索していく──目の前の人物はそれに気付いた様子はない。
ここで狭霧──キングは首を触るのをやめてシャツの襟を直し露出させていた艷やかな肌を隠す。そして少し身を乗り出して十鉄との会話に集中し始めた。
相当にアルコールを摂取しているはずなのだが、この青年は酔った素振りが無い。
「あの皇女、ユイ・ファルシナは僕より賢い──無自覚の人たらしにして最高のビジネスマンですよ。女の身でありながら復讐という強い感情より、和して得られる利益を優先出来るとは。人の感情を操りつつ自分は感情に流されない。あれこそ稀代の大商人。統治者としての評価は僕には出来ませんが、ビジネスマンとしての彼女は唯一無比、過去にも未来にも並ぶ者はいませんね」
「あの人はすげえな、確かに」
ユイの存在は、公社の先導で安定期に入ったはずの太陽系の経済活動を引っ掻き回しかねない大きなうねりとなっている。ユイの動きが、開拓惑星系移民達を動かし、地球政府が死蔵していた富を太陽系全体に再分配する。
そんな胸踊る夢物語を見せてくれる女、ユイファルシナ。
「友人をひとり殺されたぐらいで三弦洞を壊滅寸前にまで追い込んでみたり、夫と娘のふたりを殺されたぐらいで人間をやめてみたり。復讐という強い感情はこんなにも簡単に人を鬼に変えるというのにね」
「でもおまえはその復讐を原動力に女だてらに大成功してるじゃねえか。大したもんだよ、ま、裏社会ではあるがな」
キングは年代物のウイスキーをグラスに注ぐと、舌を回すための潤滑油代わりにグイとあおる。
「これはまあ、自慢話ですが聞いてくれます? 貴方や洞主達への憎しみとは関係ない部分で僕には金を稼ぐ才能があったようで。特にVプロに関しては綺麗なものですよ」
「へえ、一番ドロドロしてそうに見える業界だがな」
「実はプロスポーツや芸術関連辺りのほうが黒くてね。安易な手段で頂点を維持できるほど芸能界は甘くはありませんでした。有象無象につけいる隙を与えたが最後、スキャンダル一発で奈落の底です。これに早い段階で気付けたから僕は芸能界を生き残れた。素材選びから育成、私生活の管理──こつこつ地道にやるしかない」
アングラのマイナービジネスだった金星アイドルを短期間でここまでメジャーにしたのはこの甲賀狭霧がプロデュースしたヴィーナスプロジェクト。パルフェを筆頭に現在の芸能界を席巻する老若男女問わず人気の団体である。
「女の身体はよくない。感情が優先され理性が負けてしまう。僕はこの身体になって、女を捨てて良かったと思っています。視界が、思考がクリアーになった。他の洞主達のように欲や憎しみに塗れた鬼女の瞳では、この視座には立てなかったでしょうね」
感情のおもむくまま自由に、奔放に。
より高等生物らしい欲望、倒錯した快楽に忠実な生き方をするための『楽園』として誕生したアナーキーな金星文化圏。その悦楽女洞主達を束ねる人物の言葉とは思えない。
「一度全てを失ってからでないと本当に必要だったものはわからないし、遠回りした方が早く手に入る時もある。ふふ、そういう意味では僕とユイ・ファルシナは似ているのかも知れませんね、少しだけ」
そう言って笑うキングの顔は柔和で女性的だった。
先刻トウテツの胸を借りて咽び泣いていた弱々しい甲賀狭霧本来の姿。
「なあ狭霧。俺への復讐が終わって、旦那と子供の供養が済んだら……おまえカタギに戻れよ」
「は?」
「おまえはやっぱ、真っ当な神経の持ち主だよ、裏社会には似合わねえ。そして──女だ。悪いことは言わねえ、足を洗って女に戻れ。再婚して幸せになれよ」
キングはその細い目を開いて、かなり驚いていた。
そして顔を歪めつつ笑いを堪えるように小刻みに震えていたが、遂に声を出して笑った。
「アハハハ! ご冗談を! 面白い事を言う人ですね!」
「俺ァ真剣に言ってるんだぜ」
「それは失礼……真っ当なシノギで成功してる事業はさきほど話した芸能プロダクション含めて半分程度です、一般人に戻るには少々、殺し過ぎました。それに、他の洞主達が僕の足抜けを容認してくれるはずもない。再婚などしてもまた、執拗に追い回されるだけ。安息の日など訪れはしない。逃げ回っていたあなたが一番わかってる話でしょ。甲賀六郎も狭霧も菱川十鉄も。結局、誰も足抜け出来なかった」
「俺が手助け──いや俺の主君に頼んでやる」
「十鉄あなた……そもそも木星帝国を巻き込まないように、ひとり逃げていたのではないですか? やっている事が支離滅裂ですよ?」
十鉄は返答に詰まり、黙り込んでしまう。
「考えなしに助ける助ける、と言われてもね。あなたのその年長者面したおせっかいが大きな不幸を招いているの、まだわかりませんか?」
「すまねえ、忘れてくれ」
少し退屈そうにため息をつくキング。呆れた男──と小さくつぶやくと立ち上がり、十鉄の前に来ると屈みこんで顔を付き合わせた。
「……参考までにお聞きしますが……どうやって僕を手助けするつもりだったんです?」
金星の悦楽女洞主達が重要視するのは、連邦警察機構やアウトロー達を震え上がらせるほどの純粋な暴力性と残虐性である。他の洞主を従えるほどのカリスマとはすなわち圧倒的な暴力だ。
「──洞主レベルはともかく、その他の手下共に理屈や説得は通用しねえ。本能に強く訴えかける強い恐怖と暴力、報復をすると酷い目にあうとわからせる。これしかねえよ」
「ふうん、あなたの主君ユイファルシナでは少々、迫力に欠けますが」
咄嗟に出た足抜けの誘いだったが、キングはそれなりに興味をひかれているらしい。
「違う、俺の主君ってえのはマーガレット・ワイズ伯爵だ。純粋な暴力と威圧感において、並び立つヤツは居ねえよ」
「マーガレット。メカニックの始末を妨害した件で報告にあったアレクサンダー翁の後継者ですね、なるほど?」
「俺ともうひとり、アラミス凶賊のフェンリル狼を顎で使ってるほどの御方だぜ。おまえが罪を償い更生し、木星帝国の──マーガレット閣下の庇護に入れば、連中は手出し出来ねえよ」
「なるほどなるほど? アキレスさんが興味を持ち、両面宿儺と呼ばれたあなたが信頼を寄せるほどの人物ですか。まあそれなりではありますが、ただ──」
キングはフフン、と鼻で笑う。
「──人を捨て、鬼となった今の僕より強い女などと……」
十鉄は目前の貴公子然とした細身の美青年が何を言っているのか理解できなかった。銀河最強と謳われたアレキサンダー翁の後継者と自分自身とを比べ始めるキング。
「おい?」
「僕も暴力と快楽を司る悦楽洞主のはしくれです。そういう個人的な強さは間に合ってます。丁重にお断りしますね?」
「ちょっと待て狭霧、結論を急ぐな、考えろ。おまえの心は完全には壊れてねえ。まだ間に合う、罪を償え、陽のあたる場所に戻ってこい」
キングは「いまさら何を──世迷言」と苦笑いしながら首を横に振る。
「まさかね、伝説の侠客から『罪を償え』なんて化石みたいなセリフが聞けるとは思いませんでした、ふふふ。あなたと話をしていると時を忘れます。殺すのが少々惜しくなりましたよ」
キングの楽しげな声で、室内に充満していた張り詰めた空気が和らいだ。部屋に充満していた息苦しさが解消された、キング自身の警戒心が薄くなったもの、と十鉄は認識した。
キングは椅子に深く座り直し、瞑想するように目を瞑る。左手でPPを操作しながら、再び首筋を露出させて右手の指を当て始めた。
(今しかねえ──)
十鉄は意を決した──




