因縁
10年の間逃げのびてきた菱川十鉄だったが、遂にここエウロパで金星マフィアの手におちた。
狙撃された十鉄が運び込まれたホテル『グラスゴ』は地理的にエアレースのスタート地点からほど近い場所にあった。グラスゴは金星資本がドラッグマネーで買収したホテルであり、登記簿上は土地、建物ともにエウロパ現地法人の管理する物件だが、その実質的なオーナーは金星マフィアだ。エウロパに限らず各惑星の都市部では目に見えない形でじわりじわりと金星資本が影響力を強めていた──これは地球閥相手に仕掛けられた静かな侵略戦争といっても過言ではない。もっとも仕掛けられた地球側はその気配にさえ気が付いてもいないのだが。
不意にノックの音がする、十鉄は扉の方へ顔を向けた。
入室してきたのは金星の若き実力者キングその人である。
「こんちまた、ご機嫌いかがお過ごしかな?」
軽やかに部屋に入ってくるスーツ姿の美男子。すらりと伸びた脚でステップを踏むように歩を進め仰々しく帽子を脱いだ。
「キングちゃん!」
やや退屈していた女剣豪ジンバ・タチカワは喜色満面でキングに飛びついた。
「これはこれはジンバさん」
「早速の振り込みありがとね!」
ジンバはキングの首に腕を絡ませると自らの熟れた唇をキングの薄い唇に押し当てて情熱的に吸った。
部屋の中の一同はジンバの行動に驚いて声にならない悲鳴をあげた。
「んー♪」
唇と唇が離れる際にちゅぽん、と勢い良く音がするほどの熱烈な接吻。キングの真後ろからついて来ていた女性社長、ファイネックス代表のランファは驚いて呆気にとられていた。
「な、なんなのこの女!?」
「キングちゃん。どうだった? 感じた?」
「たいへん甘露でしたよ」
突然の接吻にも男は特に動じた様子もない。普段通りの涼しげな笑みをたたえていた。代わりに狼狽しているのはランファ。
「な、な、な! キング! あなたも少しは拒んだらどうなの!」
「いえ、特に拒む理由も無いので……」
「やだ~、キングちゃんこの年増女、誰~?」
ジンバは素早くランファの容姿にチェックを入れる。
「それはこっちのセリフ! 貴女こそ誰!?」
「ええと、これは僕の友人のランファ・シン・タチバナ社長。ほら、民間軍事会社の結構有名でしょ……」
「そーよ! ファイネックスの名前ぐらい聞いた事あるんじゃなくて? 凄腕美人女社長のランファって名前もさ!」
ランファが仁王立ちするとチャイナドレスの際どいスリットから飛び出すように、白くて長い陶磁器のような滑らかな美脚が露わになった。男性諸氏の視線が一斉に自らの脚に集まるのを感じたランファは不敵に笑う。
しかしジンバのほうもその勢いに真っ向から張り合った。和装の裾を捲りあげると、むっちりとした肉感的な太腿がまろびでた。ランファのように洗練された上品さや妖艶さは無いがやや筋肉質で健康的な色香を感じる。
「ウッ? な、何よ張り合ってるつもり?」
「ふぅん、あんたがサタジットちゃんのボスなんだ。それにしてもおたくの社員のゴロツキどもさあ……まっ………たく! 使えなかったんだけど?」
「生意気な小娘ね!? いい加減に私のキングから離れなさいな」
「は? 『私のキング』ですって? 若作りのお色気過剰オバサンが何言ってんの? 欲求不満ババアの妄想も大概にしなさいよね」
「ちょっとキング! この下品な商売女はあなたの何なの!? 説明してちょうだい!」
「ええとランファ社長、こちら金星で大活躍中の賞金稼ぎジンバ・タチカワさん。剣豪で知られる太刀風流の九代目当主で──」
「そんな肩書きはどうでもいいのよ! あなたとこの女、どういう関係かと聞いてるの! あなたのパートナーは私でしょ?」
「え? いえ別にランファ社長とそういう仲になった憶えもありませんが?」
言いよどむキングに代わってジンバが答える。
「ええ~と──わたしとキングちゃんはぁ……愛人関係かな? ねっ?」
ランファの白い顔から血の気がひいて更に白くなる。
「う、ウソよおおおお!!?」ランファは大声で悲鳴を上げた。
「あ、えーと違います、ジンバさんとも特に何もありません」
「あぁん、キングちゃんひどぉい! 15億ギルダで愛人契約してくれたじゃなぁい」
キングにまとわりついたジンバは、ランファに見せつけるようにますます身体を密着させていく。
「は、離れなさいよ!」
「年増の癖にサカってんじゃないよ、見苦しい!」
美男子キングをだしにして派手目の美女同士、どちらが上かを競って激しくマウンティングしあっていた。
まあまあまあ、とキングがふたりの仲裁に入る。
ジンバを引き剥がすと落ち着いた調子で淡々と語り出した。
「大丈夫ですよランファさん。ジンバさんはガラも頭も悪そうで僕の好みとはだいぶかけ離れてますから──」
辛辣な言葉にジンバは、うっそおおおん!? と悶えるように唸った。
「まあまあジンバさんも安心して、このランファさん、見た目通り性格悪過ぎ化粧厚過ぎで──これまた僕の好みとはかなりかけ離れていますから」
今度はランファがギャアアと首を絞められた鶏のような悲鳴をあげる。
「おふたりとも恋愛関係、ましてや愛人関係に発展するようなことは万が一にもありえません。でもおふたりは大切な『ビジネスパートナー』これからも最高の『お友達』でいましょうね♪」
ジンバとランファは言葉の暴力という強烈な鈍器でしたたかに後頭部を殴られたような衝撃を受けたらしい。立ち眩みを起こして立て膝をついた。容姿に自信アリアリなふたりの女性にとってこうまでキッパリ拒絶されるのはほぼ初めての経験だろう。ましてや相手は実業家かつハンサムかつ危険な香りがする悪党、という三拍子揃った上玉である、ダメージは男性側が想像するより大きい。
「おや、おふたりとも大丈夫ですか?」
「さ、さすがキングちゃん……歯に衣着せぬサバサバした性格、最高にクールだわ」
「難攻不落ね……それでこそ落とし甲斐があるというものよ」
この寸劇を囚われの身である菱川十鉄は冷ややかな目で見ていた。
「うわぁヒステリック白蛇vs任侠パンクギャルってところか。マニアックなの見せんじゃねえよ」
ポツリと小さな呟きに、隣に腰掛けていたトウテツが小声で反応する。
「そうかね、俺はキングさん羨ましか~。どっち選ぶか悩むばい」
「ああいう連中を毒婦っていうんだ。どっちも分かり易い地雷だろ」
「カハハ、俺は悪食やけん、細かいことは気にせんよ」
「やめとけやめとけ、腹こわすぞ」
突如、ふたりの女性の目玉があわせて四つ、ギョロリと動いて失礼な評価をくだす中年男達を射るように見据えた、詳しく聞こえたわけではないらしいが──本能的に悪口に反応したのだろうか。女は怖い。
(やべっ)
十鉄とトウテツは顔を逸らした。
その様子を見たキングは、たった今初めて十鉄の存在に気がついたかのように「おやおやおや」と驚いてみせる。
「まさか、そこにいるのは──もしかして? かの高名な伝説の侠客・菱川十鉄殿かな?」
十鉄は椅子に縛り付けられたまま、チッ、と舌打ちをしながらキングと呼ばれる青年の酷薄そうな顔を見上げた。
視線が合う。軽薄な笑みの下に冷徹な支配者の表情が隠されているのを十鉄は感じ取った。背筋に悪寒が走る──かつての三弦洞の主、甲賀御前と同格、いやそれ以上の「鬼」だと一目で理解できた。
「──洞主級のヤツが来てるのかと思ったが、男とはな」
「美女でなくて残念でした、フフフ」
男性の実力者は生まれつきの性別を捨て、わざわざ女性へと性転換するほど、女系による支配が常識の金星界隈において──男性ながら『キング』と呼ばれているこの目前の色男──慣例を覆すほどのやり手と考えるべきだろう。
キングは沸き上がる感情を抑え込むようにわざとらしく微笑むと敢えて十鉄から視線を逸らした。
「ま、冗談はさておき。トウテツさんご苦労様。あなたの狩りのお手並みお見事でしたよ」
キングはトウテツと挨拶を交わす。
「大した事はしとらんよ。まあ正直言うと俺もようやくあんたに恩返しが出来て安堵しとるとこばい、キングさん」
「これでようやく私共と縁が切れる、と?」
キングは寂しそうに嘆息する。
「たはは……お見通しばいね」
「まあそう言わず……今後とも仲良くしましょうよ。金星との良好な関係は捕縛人稼業のあなたには都合が良いはずですよ、ねえジンバさん、あなたからも彼を引き止めていただけませんか?」
キングから話を振られたジンバはランファとの睨み合いを一時中断した。
「え? トウテツちゃん、抜けるの? 金星の仕事は即金振込明朗会計、地球連邦より好条件じゃないのさ」
「そらまあそやけどなぁ……じゃっどん俺はジンバさんみたいに稼がにゃならんほど贅沢な暮らしはしとらんけん。出来ればこれっきりにして欲しか」
帽子の奥から覗くやや垂れ気味の瞳は鈍い輝きを放ちながら目前の色男を貫く、普段はなかなか見せない捕縛人としてのトウテツの表情がそこにあった。
「捕縛人の本来の職務から言うたらな──キングさん、いやこの部屋の中におるもんはほぼ全員──俺に狩られてもおかしくない犯罪者や、っちゅうこと忘れとらんか? ジンバさんも例外やないで──」
トウテツは口角を上げて笑顔を作ってみせるが目だけは笑っていない。キングとジンバの顔も一瞬強張る。
数秒、キングとトウテツは睨み合うが──
「言いますねえ、ウチの系列のカジノで身ぐるみ剥がれ、食うや食わずで行き倒れていた御方の言葉とも思えません……」キングは緊張を解き、ニヤリと底意地の悪そうな笑みを浮かべた。
キングが自らのPPを弄ると、身包み剥がれて路地に放り出された惨めな中年男の姿が部屋のホロシステムを介して大々的に投影された。
「わっ!? み、見んといて! 見たらアカン!」
「ギャーッ!? だ、誰も見ないわよ汚い中年のストリップなんて! ちょっとキング? 消してちょうだいっ!」
ランファが大声で喚くのでキングは画像を小さくする。
「かーっ、そ、それは人前では出さんて約束やないか! しかもべっぴんさん達の前でなんて、ほんと勘弁してくれんね!? 俺恥ずかしくて死んでしまうばい!」
トウテツは心底恥ずかしそうに頭を掻く。
「まあ、味方ならずとも敵にはなりたくないものですね、お互いに」
キングは勝ち誇って余裕の笑みを浮かべていた。
「そういうこと。約束通りキングさん御所望の菱川十鉄ば捕まえたとやけん……貸し借り無しにしといてくれんね」
「良いでしょう。しかし高潔な……いや不器用な生き方をする人だこと。まあお金に困ったらまたおいでなさいな……トウテツさんに頼みたい仕事はいくらでもありますよ」
キングは目の前でホログラムのデータを消去してみせた。
「ふう──俺と話すのも良かけんど──十鉄さんが焦れったそうにキングさんば見とるよ」
「そうですね、今回の主賓を無視し続けるのもかわいそうです」
貴公子然とした長身の男はトウテツとの会話を終えると、一呼吸おいてから椅子に縛り付けられた菱川十鉄の傍らにやってきた。
「待ちわびましたよ」
キングは感慨深そうに眼下の男を眺めた。顔面は紅潮し、眼は虚ろ、心無しか指先も震えている、十鉄は怖気を感じて思わず身体をふるわせた。
「──随分と羽振りが良さそうだな、ええ? おまえさんどこの洞主の手先だ」
「おや、僕の素姓が気になるのかな?」
「女洞主クイーンの連合体である金星マフィアの中で『王様キング』なんてふざけた通り名だと思ってな──」
「フフフ、頼まれずとも聞いてもらうつもりでいましたよ。そのための生け捕りに15億──いや、この10年間はあったのですから」
ねえ、ちょっと──と、少し退屈して焦れたランファがキングの注意をひこうと彼に声を掛けたがまったく耳に入っていないようだった、悲願だった十鉄を目前にしたキングはトウテツやランファ達の存在を無視するかのように一際大きな声を出して誇らしく唄うように宣った。
「聞いて驚け! 僕こそは新しき三弦洞の主──おまえが殺した甲賀御前が一女、甲賀狭霧こうがさぎりその人だ」
「狭霧?」
十鉄は驚いて顔を上げ、目を見開いた。
その他一同も「女」という言葉に引っかかりを感じた。
「お、おいおい──冗談だろ。狭霧はカタギ衆に嫁いで確か子供も」
「──か弱い女に過ぎない狭霧は見る影もなく壊れてしまったよ。だがしかし。よく見ろそして耳を澄ませろ。この顔に見覚えは、この声に聞き覚えは無いか?」
元は女、という言葉にジンバは豆鉄砲を喰らった鳩のように呆けてしまいランファは小さな悲鳴をあげた。
享楽を追究する金星文化圏において、生まれついての性別のまま一生を終えるのは中産階級まで。富裕層の中には性転換を頻繁に行い男女の違いを楽しむ者もいるという──
「じょ、おい、冗談が過ぎるぜ……」
「我が母、甲賀御前共々、一族皆殺しにしたつもりだろうが──僕の存在を忘れていたようで。辛かったよ、この10年。おまえがやった事のしわ寄せがすべて、僕に覆い被さってきたのだから。か弱い女の身体では耐えられなかった……」
「金星マフィアとは縁を切ったはずだろうが。なんでわざわざ戻ってきた? よりによっておまえが甲賀御前の跡目を継ぐなんて」
「ハハ──無関心もそこまでくると天晴れだな」
狭霧は甲賀御前の次女である。
金星裏社会に似合わぬ穏やかな心根の持ち主で15歳の時分に一般男性と駆け落ち。半ば縁切り状態で金星裏社会および母・甲賀御前との関係を断ち切っている。十鉄は幼い頃の狭霧の面倒を良く見て可愛がり、駆け落ちの際は足抜けの手助けもしてやった。
「僕の存在をすっかり忘れてたということですか」
「忘れていたわけじゃない──ただ、おまえはもう金星マフィアとは別の世界の人間になったとばかり……」
「血縁の呪縛というのは恐ろしいものでね」
金星マフィアの面子に泥を塗った甲賀御前の親類縁者は末端にいたるまで追っ手として駆り出された──元の生活に戻れるのは大逆人・菱川十鉄への報復を果たした場合のみ──死か復讐か、ふたつしかない選択肢。
恐怖で他者を支配する金星マフィアは、体面を何より重んじる。悦楽女洞主は恐怖の象徴、残虐非道の権化であらねばならない。その洞主がたかだか一介の用心棒に配下諸共皆殺しにされたとあっては、悦楽女洞主という恐怖のブランドに疵がつく──
『甲賀の一族、宇宙の隅々まで仇敵追うべし。大逆人・菱川十鉄討ち果たすその日まで』
その理不尽な仕打ちは民間人として暮らしていた狭霧の家庭にまで及んだ。
「───僕の娘はね──くだらないメンツとやらのために殺されたんだよ、優しかったあの人も」
「むごいことを……」
「惨い? おまえが言うのか? 諸悪の根元のおまえがそれを? どうして逃げた、おまえが逃げたせいで──何の関係もない僕の家庭が壊された」
確かに狭霧の家族に直接手をかけたのは他の洞主連中かも知れない。しかし、そういう混乱状態を作り上げたのは間違いなく菱川十鉄だ。
「どうして先に僕を殺してくれなかった? 母と直接の血のつながりがある僕を殺しておいてくれれば──関係のない娘と夫に被害が及ぶことは無かった!」
甲賀狭霧のかつての面影もない変わり果てた姿──十鉄の表情は青ざめ、額に脂汗が滲んでいた。
「おまえを、殺す?」
「ああそうだ、おまえならこうなることは予想がついたはずだ! あの時、母御前を殺した犯人が捕まらなければどうなるか、わからぬほど愚かでもあるまいに!」
「とっくに縁切りしてる無関係のおまえに害が及ぶなんて──予見出来るわけがない! 洞主のババアども、気が狂ってるとは思ってたが──ここまでとは」
「狂っているのはおまえのほうだ! 洞主の非道は三弦洞大虐殺という狂気の反動に過ぎない」
「待ってくれ狭霧。わからなかったんだ──あの時の俺にはそこまで頭が回らなかった──許してくれ」
「無知を装って責任逃れか軟弱者。おまえには色々な選択肢があった、母御前を殺したあとおまえが後釜に座り三弦洞を乗っ取ってくれていたのであれば──あんな混乱は起きなかった──」
弱肉強食の金星界隈において支配者の首がすげ代わるのは珍しい事ではない。
「──どうして逃げた、十鉄──おまえは何がしたかったのだ?」
「俺が逃げたのが悪いと?」
「そうだ。鬱憤を晴らすためだけに殺すだけ殺して、その場を逃げ出すなど畜生以下の所業。母御前も……おまえの友、甲賀六郎も……私の娘も──みんなおまえのせいで死んだ。おまえの無責任な行動は関わるものみな不幸にする、この疫病神め。五歳の娘を奪われた悔しさ、無念が子を持たぬおまえに理解出来るのか。僕の味わった混沌と絶望、責任から逃げ回っていたおまえ如きに、到底理解出来るものではない!」
菱川十鉄は圧倒された。
理不尽な理由で可愛い盛りの娘を取り上げられた若い母親の怨念、それはキングの美しい顔を夜叉の鬼面に変貌させていた。
10年の重み、苦しみが凝縮して土砂崩れのように十鉄に降り注ぐ。
(あのおっとりとした狭霧が──)
狭霧は元々、甲賀御前の娘である、鬼女としての素養は十二分に備えていた──子を奪われ人を捨て、女を捨て──遂に悪鬼夜叉となり果てた。
狭霧はより強い力を得るために三弦洞の跡目を継いだ。菱川十鉄を確実に殺すためには、並みの努力では足りぬ。母御前の作った組織よりも強い力を備えねばならない。力とは恐怖、そしてなによりも金だ、金が要る。
崩壊した三弦洞を建て直すためには手広く、他の洞主連中があまり力を入れてない方面のシノギをこなして稼ぐ必要があった。
狭霧はドラッグ単体の売上よりも手間がかかるが、確実に浅く広く継続的に稼げる表社会へ、ショービジネスの世界へと進出したのだ。
ベースボール、アメフトなどの人気球技、レスリングなど格闘技の八百長を皮切りに資金を集め、映画興行、芸能事務所設立に飽きたらずモータースポーツ業界にも手を伸ばし始めた。
母・甲賀御前を遥かにしのぐ経営手腕があっての成功だが、地球閥企業経営陣の質的劣化という時代背景が狭霧に大きく味方した。地球閥の食い散らかした後に群がるのを止め、寄生先である地球閥の肉体を直接、侵蝕したと言える。
数年で実業家として成功し、力を付けた狭霧は資金力にものを言わせて組織を強化していった。そんな狭霧を他の悦楽女洞主達ドラッグクイーンは敬意を込めて金星マフィアの王キングと呼ぶようになった。それは狭霧を自分達の枠に収まらない別格な存在と認めた実質上の敗北宣言でもある。
十鉄が起こした混沌は、たったの10年で母親をバケモノに変貌させた。
「私を無理矢理に復讐者へと仕立て上げた洞主達の目論見は見事に的中、遂に菱川十鉄を捕らえるに至ったというわけです」
自嘲気味に笑うキング。
「狭霧、おまえは裏社会を、犯罪者を憎んでいたじゃないか。そんなおまえがどうして」
「かつての軟弱な思想は壊れやすい女の身体と一緒に捨てました──ようやく──これでようやく、洞主連中に取り上げられたあの人と娘の遺体を取り返し墓所に葬る事が出来る──」
ガッ、とキングは十鉄の喉を潰すように右手で首を掴む。
「簡単には死なせませんよ──頭の天辺から足の爪先にいたるまで、考え得る限り、ありとあらゆる苦痛を味あわせた上、洞主連中の前で犬に尻を犯させ、目をくり抜き豚に喰わせて──」
キングは十鉄の首を絞めながら叫ぶ。爪が食い込み耳の下から血が滴っている。
飄々とした美男子の面影はない、子を奪われた母親の夜叉の如き顔。俄かに信じがたい過去語りを聞かされたジンバとランファは圧倒され固まっていた。
トウテツは復讐鬼の腕を掴む。たかぶり過ぎて十鉄をそのまま殺しかねない勢いのキングを止めた。
「おい! そこまで!」
「邪魔をするなっ!」
その勢いは線の細いキングの腕からは想像も出来ないほどだった。トウテツは身体のバランスを崩してよろけるがなんとか倒れずに両腕でキングを抑えつける。
「気持ちはわからんでもなかばってん、その辺にしときんしゃい。ここで殺してしもうたらぜんぶ台無しやろうもん」
「──ム」
キングは血の滴る我が手を見て、我に帰ったように手を離して十鉄の傍から飛び退いた。
ぜえぜえ、と荒い呼吸を整える。
「す、すみません。僕とした事が、こ、こうも取り乱すとは──ありがとうございますトウテツさん、ありがとう、ございます」
ハンカチを取り出して指先の血そして額の汗を拭う、まだ呼吸は荒く胸が大きく上下している。
自信有り気で華やかなマフィアのボスの姿は消え失せ、どことなく幸薄そうな母親の面影がキングに重なって見えてくる。
「レディの皆様方にもお見苦しいところをお見せしまして──」
女性ふたりは引きつった愛想笑いを浮かべて「いえいえそんな!」とぶんぶんと大袈裟に首を横に振ったが、キングの過去と十鉄との因縁にどうコメントして良いかまったくわからず、元々白い顔を更に青白くして部屋から出ていった。
警護の黒服達も気まずそうな顔でコソコソと部屋を出ていく。残った部屋は静まり返り、十鉄が苦しそうに咳き込みながら呼吸をする音だけが耳に入ってくる。
「10年分のわだかまりば吐き出して、少しはスッキリしたんと違うかね? キングさん──いやサギリさん?」
「ええ、まあ……ようやく、ようやく──僕は、この時のために生き恥を晒してきたようなものです」
いつの間にかキングの瞳には大粒の涙が溜まっていた。怨めしそうに十鉄を見据える瞳、十鉄はキングを正視できないでいた。
「一人で抱えて大変やったね」
「トウテツさん、少し胸を貸してもらえますか」
「へ?」
キングはトウテツに身を預け、広く固い胸に顔を埋めると乙女のように小さくむせび泣いた。これが本来の狭霧という人物の本来の姿なのかも知れない。華奢で貧相な女の姿。
身動きのとれないトウテツは困ったように頭を掻いた。
「俺はその、いつまでこうしとりゃ良かかいな……」
「すいませんもう少し──」
トウテツは優しくキングの背中をさすり続けた。
トウテツも部屋を出た。
残ったのはキングと十鉄の二人だけ。
十鉄を左斜め後方から監視するような位置に椅子を移動させてそこにどっかりと座り込む。そうして蕩けた表情でウイスキーをストレートであおり続けた。
「──なあ狭霧、そういう飲み方は」
横目でちらちらとキングの様子をうかがう十鉄。
「キングと呼びなさい、おまえの知っている狭霧はもう死んでいるのです」
「しゃ、謝罪させてくれないか?」
「は? 不要ですよ、せいぜい僕を恨んで恨んで、悔やみながら死んでください。謝られるよりよほど気が晴れます」
「わかったよ畜生め! んで、これから俺をどうする気だ?」
「そうですね~、ここでレースが終わるのを見届けたら、あなたを金星まで運びます。木星の皇女もお可愛そうに、こんな凶悪犯を傍に置いていたせいでせっかく築き上げた信用が台無しになるとも知らずにねえ」
「──殿下は関係無い」
フフン、とキングはほくそ笑んだ。
「いえね、僕は乗り気では無いのですがランファ社長が色々と準備中でして──いいことを教えてあげますよ十鉄。実は僕が懇意にしているニュース屋や地球の大手のネットワークに根回し中でね、三弦洞大虐殺の菱川十鉄を配下に迎えた木星残党の悪行三昧──暴露する手筈になっているのですよ」
「はあ? どういうこった?」
「伝説の侠客菱川十鉄の自白という形でね。さぞやメディアは盛り上がることでしょう」
「あること無いことでっち上げるつもりか? ユイ殿下は俺の過去については何も知らねえし、この10年、俺はカタギとして生きてきた──金星の法律じゃあ時効だぜ! 何も世間様に恥じることは無い」
ほろ酔いで上機嫌のキングはくっくっと笑いをかみ殺す。
「善人面して良く言うこと! 血も涙もない殺人鬼の言葉とも思えませんね──まあそれぐらい厚かましくないとこの世知辛い銀河は渡っていけませんよね」
「だいたい裏付けの取れないそんな悪評に騙されるほど世間てのは愚かじゃねえぞ」
キングはハハハ、と手を叩き大きく笑い飛ばす。
「いえいえ十分愚かですよ! にわかに巻き起こったユイ皇女ブームが良い証拠! 庶民なんて面白ければなんでも良いんですからね! 金持ちや権力者、成功者が惨たらしい目に遭うのが何よりの好物っていう下劣な輩どもですよ」
現在のユイ皇女は、開拓惑星系移民達に与えられた「地球閥を扱き下ろすための殴り棒」だ。狙い通り地球閥に翳りが差せば、いずれ遠からずユイ皇女が妬みの対象になるだろう。
「藪をつつけば必ず蛇が出ますよ──毒蛇がね。かの偉大なる女王クレオパトラのように、ユイ皇女にもあなたという毒蛇で自害をしていただこうと思います」
十鉄は反論しなかった、そういう事態になることを恐れて十鉄は自ら船を降りると決めたのだから。
「伝説の侠客・菱川十鉄、あなたの反社会的なネームバリューは元々テロリスト扱いだった皇女殿下にまつわる黒い噂に信憑性を与えるのに最適ですよ」
先程から酒を何杯も飲やっているキングだが一向に酔う気配が無い。当然、隙も何も無い──十鉄は歯噛みした。トウテツから渡された脱出用の諸々の小道具だが、使う好機が一向に訪れない。
「そろそろですか」
キングはちらりとアンティークの柱時計を眺める、すると自動的に部屋の中央にホログラムが投影されエアレース・グレード1の中継が始まった。
「さあいよいよ始まりますよ、聖クレメンス・デーという休暇週間ホリデーウィークを締めくくる一大イベントがね」
「くそっ……」
スターティング・グリッド、先頭のポールポジションの機体の傍らには宮城雄大の姿があった。
「あらまあ、おかわいそうに──」
キングはホロに映し出された雄大を眺めつつ、人差し指で十鉄の顎を撫でた。
「──あなたみたいな疫病神と関わったばっかりに──彼の人生、台無しですねえ!」
キングの甲高い笑い声が部屋に響き渡った。




