トウテツの罠②
エアレース・グレードワン、メガフロートシティグランプリは本戦開始を待つばかりになった。
中心市街地から程良く離れた沿岸部。スタート地点に設けられた特設会場はG1ファンの熱気でむせかえるほどに盛り上がっていた。
このエアレースを皮切りに建国の祖クレメンス翁を讃える年末の大祭が本格化するとあって、エウロパ宇宙港には入港待ちの旅客船が数珠繋ぎになっていた。
一躍、時の人となったユイ・ファルシナ皇女殿下が滞在中というサプライズもあり、ここエウロパは大気圏の内も外もごった返すほどの大賑わいとなっていた。
◇◇◇◇
普段は貨物ドローン発着の滑走路として利用されている広大な敷地にエアレース用のスターティンググリッドが設けられていた。
各ワークスチームに割り振られたガレージ(セッティングブース)の前、居並ぶ27台のG1マシンがスターティンググリッドに着くその瞬間を今か今かと待っているようだ。
自然とドライバー達もその場に集まっていた。
人工的に制御されているとはいえ、天候を読むのはドライバー達にとって必要なレース前の儀式のようなものだ。空を見上げ風速や雲の流れを確認し、チェックポイントとなる洋上や山脈、タワーなどのランドマーク建造物を確認する──普段ならば。
今年のメガフロートシティグランプリは例年と違ってドライバー達の視線はコースではなくひとりの男に注がれていた。
そう、いきなり現れてポールポジションをとった宮城雄大という謎のルーキーである。
ボッテガとマーフィー、ふたりを中心にベテランレーサー達が敵意剥き出しで雄大を睨み付けている。ボッテガがマーフィーに何事か耳打ちを始める。密談まで始めるあたり雄大は相当警戒されているらしい。
集団からの異様なプレッシャーに少し気圧されそうになる雄大だったが咳払いをして気持ちを切り換えると気持ちの悪い作り笑いを浮かべた。どうやら士官学校時代、物凄く嫌いだった同期の喋り方を真似て腹の立つ人格キャラを演じようとしているようだ。
「──あ、もしかして皆さんでボクのウワサしてた? ハッハハハ!」
ヘラヘラっと笑みを浮かべつつぐいぐい距離を詰めていく雄大。
ベテラン達の周囲の空気はピリピリと張り詰めていて部外者には寄り付き難い見えない壁を感じる。普段はインタビューに熱心なニュース屋までもが遠慮して遠巻きにするほどの威圧感だ。
しかしこの謎のルーキーは易々と突破してきた、空気が読めないのか、それともどこか壊れていて恐怖心が麻痺しているのか。
「なんだこいつは……」
「こんなのが木星皇女殿下の運転手なのか、なんとも軽薄そうな奴だ」
「技量はあるかも知れないが人間的にはどうかな──」
自分達の戦場に突如として現れた異物を迷惑そうに睨み付けるベテランレーサー達。
「アウェイ感強いな~、皆さん、リラックス、リラックスですよ? こっちはルーキーなんだからお手柔らかにね」
雄大はもみあげのあたりを軽く掻いて馴れ馴れしく笑いかける。
しばらくの間、二十人対一人の睨み合いのようになっていたが中からボッテガが一歩前に出て雄大と胸を突き合わせる。
「まぐれでとったポールポジションの重圧、逃げ出さずにここにやってきたことだけは褒めてやる。さて──そのふざけたツラが恥辱の涙でグシャグシャになるにはどうしたら良いか、教えてくれよ月市民ルナリアン」
「やだなぁ、ベテラン勢が俺、いやボクを抜くために総出で作戦とか考えてたんですか? いや~参っちゃうなあ! でもどんなに打ち合わせしても無駄なんじゃないかな?」
「調子に乗るなよ。予選と本選は違うぜ」
「ボッテガさんは調子に乗らなきゃ駄目ですよ~、クラッシュが怖いのならボクの後ろについて来ませんか? 臆病チキンが治るかも知れませんよ」
「あ? チキンだって?」
クワッと目を見開くボッテガ、拳が上がりかけるが後ろに控えていたマーフィーが慌ててボッテガの腕を押さえた。
「まあまあまあボッテガ殿! この無礼漢は偶然に良いタイムが出ただけの尻の青い小僧。我々の連携でこの世界の厳しさを叩き込んで二度と人前に顔を出せないほど辱めてやりましょう」
「そ、そうだな──よし」
「え? ボクのタイムが偶然の産物? 揃いも揃ってまだ分析出来てないんですか? あったまわる!」
雄大はこめかみの横で自分の人差し指をくるくると回した。
「……!?」
雄大の挑発にその場にいた大多数の顔から血の気が引いた。
「だいたいマーフィーさんもそろそろ引退なんだから年間チャンプ取ったらどうなんです? ファンから『無冠の老害』『永遠の三番手』とかってバカにされてるの知ってますよね?」
「───なにいいいっ?」
マーフィーはワナワナと手を震わせて前に出ようとするが今度はボッテガがマーフィーの肩を掴んで引き留めた。
「ふふふ、怒ってる、怒ってる! 作戦通り──」
雄大はニヤニヤと笑いながら今にも血液沸騰寸前のボッテガとマーフィーの前を意味もなく数回横切る。
既に歩くだけで腹立たしい。若いドライバーの中には古株のマーフィーを尊敬している者も多く、雄大は完全にレーサー達を敵に回してしまった。
この場で平静さを保っているのは金星のチーム・レッドドラゴンとチーム・ワイヴァーンの四人だけだ。ただ、ひたすらジイッと雄大の一挙手一投足を観察している。
雄大とレッドドラゴンのハッキネン、そしてセカンドのターレ、このふたりと視線が合う。彼等の無機質な瞳からは何も感情が読み取れない。
(──こいつがウィリアムとポイント争いをしてる、ハッキネンか)
何か冷血動物の瞳のような得も言われぬ不気味さ。雄大は思わず目を逸らした。
(こいつら挑発に乗って来ない……)
チラッと雄大は遠く離れた味方チームのセッティングブースに視線を送りアイコンタクトを取る。するとリタが小さく手を動かしてブロックサインを送ってきた。
(はいはい、あくまでターゲットはボッテガね)
「さて、念には念を押して………もう少しボッテガさんを弄っておきますか」と雄大は呟くと少し離れた場所にマシンの前でポーズを取っているレースクイーンを見つけるとそちらに近寄る。
「うわ! なになに? 君、超可愛くな~い? お名前はなんていうの?」
レースクイーンは肩をビクッと震わせて驚くと雄大と少し距離をとる。
「み、ミサキです……」
雄大の遠慮ない視線に晒され、もじもじとハイレグ水着の食い込みを気にしながら少し自信無さげに背を丸めている小顔のスレンダー美少女、ボッテガ所属のチームライトニングのレースクイーンだ。
「初々しい反応! ミサキちゃん可愛い~! こんなシーズン優勝が絶望的なチームで働いてないで日の出の勢いのウチのチーム・ペンドラゴンに移籍して来ない? イケメンレーサーのウィリアムとコースレコードホルダーの天才、月一等市民のボク、宮城雄大とお近づきになれるチャンスだよ?」
雄大は逃げ腰のミサキに遠慮なく近づいて彼女の肩に手をのばす。
「さ、触らないで!」
ミサキは肩に回された雄大の手を乱暴に払うと顔を背けた。眉間に軽くシワが寄っていてやや怯え気味だ。
「うっ……なんでそんな痴漢を見るような目で……」
実際問題、客観的にみると痴漢に見えなくもない、なんといっても手つきがいやらしい。
雄大としてはライトニングのレースクイーンを誘惑してボッテガをコケにしてやろうという腹積もりだったが完全に拒絶されてしまった。
エキサイトしていた場の熱量が減り急激に冷えていくのを感じる。雄大はミサキから拒絶されて目を泳がせて立ち尽くしていた。
雄大なりに勝算があったらしいのだが、結果は完全拒絶──想定外過ぎて次にどうすればいいかまったくわからなくなっていた。
「なんだあれ」
「ハハハ! ボーイなんだいそれは。ナンパのつもりか?」
「女の扱いは初心者マークだな」
「あの間抜け顔、なんだよ、チェリーか?」
「おいおいポールポジション君!? シミュレーターがお得意らしいが、女の扱いもホログラム相手にソロプレイで練習してこいよ」
ボッテガの煽りが雄大の心の急所にクリティカルヒット。図星を突かれて固まる雄大を一同は指差して笑う。
「ククク、そういやホログラムに愛を語ってそうな顔してるよな」
「そうかわかったぞ速さの秘密は童貞力だ。それでは我々妻帯者には分が悪い」
婚約者のユイからも色々と理由を付けて婚前交渉を拒否されまくっている雄大、童貞扱いはひときわ大きなダメージがはいる。
「ど、ど、どどど童貞なわけないだろ! か、彼女居るし! 超美人の婚約者とラブラブだし!? お前たち驚くなよ──俺の彼女は何を隠そう──」
あっ、と雄大は口をつぐむ。ユイとの婚約の事を軽々に口にするのは魚住はもちろんユイ本人からも口止めされている。そもそも本当の事を口にしたところで誰が信じるだろうか、それこそ妄想彼女の疑いが強まるだけだ。ウィリアムぐらいの知名度と見栄えの良さがあれば信憑性もあるだろうが一般的には雄大の知名度など無いに等しい。
人柄云々を抜きに外見で判断する場合、顔面偏差値的にみて雄大とユイは微妙に釣り合っていない。
「くそぉ顔ではウィリアムにもそんなに負けてないと思うんだけどなぁ」
本人はそう思ってないらしい──雄大はPPのカメラ機能で自分の顔を映し出して確認していた。
「ヘイヘイヘ~イ、ボ~イ? 何をブツブツ言ってるんだい? 早く俺達を驚かせてくれよ?」
攻守一転、今度は雄大が羞恥に塗れた。十数人から童貞疑惑を掛けられて嘲笑され、何も言い返せなくなってしまっている。
「ふぐぬぬ……」
歯噛みする雄大、ふとレースクイーンの様子をうかがうと何やら顎をあげて熱心に空を見上げていた。エアレース会場の上空では立体ホログラムが投影されニュース映像が流れている。ユイとウィリアムの熱愛報道絡みの映像だ。
(あれ? この娘、妙にユイさんのこと見てるな?)
雄大はミサキの横顔と映像のユイを交互に観察した。少女の視線の中に憧れの感情を見いだした雄大はしつこく追いすがる。
「ね、ねえミサキちゃん! ペンドラゴンのスポンサーにあのユイ・ファルシナ皇女殿下が加わったの知ってる? つまり俺と仲良くなるとユイ殿下とも仲良くなれちゃうよ?」
ミサキの耳がピクピクと痙攣している。
「おっ、脈あり!」
雄大は勝利を確信して口角を上げた。PPを見せつけるようにミサキの前に出す。
「これ、ユイ殿下個人のPPアドレスなんだけど~」
「!?」
ちらちらと雄大のほうを横目で盗み見る少女。
「連絡とっちゃおうかな──あ、ユイさん? 今だいじょうぶ?」
PPの向こう側から小さくユイ・ファルシナの声がきこえてくる。ニュースを流している上空のドローンからではなく、まさしく雄大のPPからそれっぽい肉声が漏れ聞こえてくる。
「え? ほ、ホントにあなたユイ殿下と親しいの!?」
雄大と目を合わせないようにしていたレースクイーンが目を輝かせて急に話に食いついてくる。
「もちろんホントだよ~、その証拠にちょっとだけ会わせてあげよっか? じゃ~ユイさん、今からそっちにミサキちゃんって娘を連れてくから。うん、彼女ね、ユイさんの大ファンみたいだよ?」
「キャアアア! ウソみたい!? ユイ殿下に会えるの!?」
ミサキは軽く飛び跳ねるように全身で喜びを表現する。
「コラコラコラコラ? ミサーキ! コイツは敵のチームのドライバーだぞ!」
ボッテガがドレッドヘアを振り乱しながら駆け寄ってきて雄大とレースクイーンの間に割って入る。ボッテガは副業で芸能事務所も経営していて新人をレース場で御披露目することも多い。雄大は当然それも知った上でレースクイーンにちょっかいを出してボッテガの怒りを誘っている。
「あ、落ち目のボッテガさん。いい作戦思いつきましたぁ~?」
黙れ、とボッテガは雄大を突き飛ばす。
「ちょ! 痛いじゃないですか!」
「うるさい黙れ! ミサーキ! こんな怪しい引き抜き工作に引っかかっては行けまセーン! いったら最期、夜の店に沈められまマスよ!?」
「そんなむちゃくちゃな! ミサキちゃん、こんな乱暴で落ち目の雇用主なんて見限ってぎゃらくしぃグループにおいでよ~! そうしたらユイ殿下のお側近くで働けるよ!」
「え……」
ミサキは満更でも無さそうに雄大の話を聞いている。ゴクリと生唾を呑み込むような仕草。
「ミサキは火星の親御さんからお預かりした大切なお嬢さん、悪の道に誘い込むのはやめろ!」
「こんなチームのレースクイーンなんてやっててもニュース屋は撮ってくれないよ。分からず屋の『老害』がボスだなんてミサキちゃんも可哀想だなぁ」
怒髪天を衝く勢い、ボッテガの身体が再び怒りに震える。今にも雄大の口の中に拳を突っ込みそうな雰囲気。
「ボッテガ殿、堪えて! ぼ、暴力はいかんですぞ! 出場停止処分にでもなったら相手の思うつぼでござる!」
「ええい、もう構わん!」
ドレッドヘアの黒人を小太りの白人マーフィーがどうにか抑えつけている、数分前にも似たような状況があったが今回はボッテガの瞳に殺気が宿っていて抑えつけている巨漢のマーフィーにも余裕が無い。
「ひえっ!?」
雄大も背は高い方であり士官学校で格闘技の基礎訓練は受けてきたのだが、プロアスリートのボッテガと本気の殴り合いになったら痣あざが残る程度では済まない。
流血沙汰になりかねないと感じた数人のレーサー達がマーフィーに加勢して暴れ牛のようになったボッテガに組み付いて雄大への突進をくい留めた。
「こ、こわっ………じゃボッテガ社長~、ちょっとミサキちゃん借りていきますからっ!」
「社長すいません、すぐ戻ります、すぐ戻りますから……! ユイ殿下にお会い出来るチャンスなんてもう二度と無いかも知れないし!」
無情にもミサキはボッテガに背を向けた。
「ノオオオオ!? 裏切者(ビ~ッチ)! 解雇、解雇だあああ!」
ミサキはたびたび立ち止まると振り返って怒り狂うボッテガにペコペコと頭を下げるが、結局小走りで雄大の後についていってしまった。
レース外でのバトルは完全に雄大達チーム・ペンドラゴンが圧倒しているようだった。
大騒ぎの中、金星のチームレッドドラゴンのハッキネンがPPで何者かと打ち合わせを始めたがその様子に気付く者は誰も居なかった。
◇◇◇◇
スターティンググリッドから程近い場所に参加各チームのセッティングブースがある。レース中はここがチームの司令室および整備場となる。
「──雄大、口喧嘩やらせたら強いよね……」
遠巻きにドライバー達のやりとりを眺めていたのはメカニックのラフタと臨時の監督代行をやっているリタ。
「むう、ボッテガを挑発してこい、とは言ったが。下衆な真似をしおって──我々(チーム)の品位まで問われるではないか」
「でも憎たらしい演技巧い、相手のドライバーめちゃくちゃ怒ってた」
「果たしてあれは演技なのか……わしはあの小僧の仲間と思われたくはないぞ」
雄大とは──特に最近の宮城雄大という男はどこまでも調子に乗る嫌なヤツなのではないのか? 一同の中にそういう疑念が首をもたげてくる。
「いや~雄大さんのあのイラつくドヤ顔、ボッテガさんじゃなくても殴りたくなりますね! 士官学校中退した時もあんな感じだったんじゃないですかね!」
ロボットの牛島調理長が無責任に笑い飛ばす。
「こらお前ら! 笑い事じゃない。ちゃんと謝罪しておかないと殺人事件が起きるぞ。レース前のトラブルは御免だぜ」
ペンドラゴンのファーストドライバー、ウィリアム・マグバレッジは表情を曇らせている。
「刺されるのは小僧だ、ワシには関係無い──それよりもウィル、レース中はこちらの指示通りにな。言うとおりにしていればわしとあの小僧が──いや、わしが必ずおまえを勝たせてやる。わかったか?」
リタの表情はやけに大人びていて底知れぬ邪悪さを感じる。
「おまえワルそうな顔してんな……寒気するぜ」
「わかったか、と聞いている」
「オーケー、オーケー……現在のチーム・ペンドラゴンの監督ボスはあんただチビちゃん。言うことは聞く。だがこれだけは言っておくぜ? 俺はあんた達に勝たせてもらおう、だなんて思っちゃいねえ。金星の糞野郎どもの妨害さえなんとかしてくれりゃ後は自分でやる」
ウィリアムは気合い十分、その瞳の奥は静かに燃えていた。
「それでいい、露払いはしてやるから存分に闘ってこい」
「言われるまでもない」
「おお! ウィリアムさんいい顔してますね! 既にチャンピオンの風格十分ですよ!」牛島がヒューッと口笛を吹いてウィリアムを茶化すと若武者は自嘲気味に笑った。
「この偉そうな外面そとづらだけは親父譲りだが──相応しい称号ぐらいは自力で掴みとるつもりだ──余計なおせっかいは無用だぜ?」
ウィリアムは急造のチームメイトひとりひとりとアイコンタクトをする。
「うん。ウィリアムが気持ち良く飛べるようにサポートする、任せて」
「若い、って良いですね。きっと勝てますよ」
ラフタと牛島は穏やかな笑みを浮かべて頷いた。そしてリタは生意気な若者の強がりをカッカッと笑い飛ばすとウィリアムの背中を叩いた。
「うむ、その意気だ、他人に頼ってばかりでは道は拓けない──おまえのその反骨精神、これからの時代には必要だろう。ハロルドJr.の代でマグバレッジ家も終わりかと思っていたが──これは鳶が鷹を産んだというところかな」
顎に手をやり「上から目線な態度で」下からウィリアムを見上げてくる幼女。
「え──親父が何だって?」
「いや何でもない、こちらの話だ」
肩をすくめた後、リタは何かを誤魔化すように端末を弄り出した。
つくづく得体の知れない子供だ、とウィリアムはリタを眺めた。
(──こいつ見た目の成長が止まってるだけで中身はそうとうなババアなのか? まあこいつら木星連中の素性や魂胆なんて関係ない、俺はただ速く飛ぶだけだ──)
ウィリアムは晴れ渡る空を見上げる。
「まぶしいな……」
宙空にはドローンが映し出したユイ皇女の姿があった。
(──年間王者になれば───俺も少しは釣り合うか)
ウィリアムは邪念を払うように首を大きく振り、拳を握り締め気合いを入れ直した。
本選はもう間近、レース以外の事は頭から外すべきなのだ。集中しろ、集中しろとウィリアムは自らに言い聞かせる──
◇◇◇◇◇◇
VIPルームで大会関係者やエウロパの名士達と談笑していたユイに、レースクイーンのミサキを引き合わせた後、雄大はリタ達の待つ発着場に向かって人気のない通路をゆっくり進んでいた。
途中、数人とすれ違いざま軽く会釈をしたが挨拶を返してくる相手は居なかった。
「宮城さん、宮城雄大さーん──」
ふと、後ろから雄大を呼ばわる声がする。振り返るとエアレースの運営スタッフが小走りに近付いてくる。男は胸のIDを掲げてから一礼する。
「どうも宮城さんちょっと──実はメディカルチェックで異常が出ましてね。もう一度簡単な検査をお願いしたいのですが」
「はあ? もしかしてドーピングとか疑ってるの? 何か嫌がらせ?」
「正直申しますと、あなたの予選会でのコース記録について不正があったのではないかという抗議が出されています。それもほぼすべてのチームオーナー、加えて多数のスポンサーから。こうなると我々運営としても何かアクションを起こさないと収まりがつかないのです」
レース直前のタイミングで抜き打ち検査、少し驚いたが納得のいく対応だと雄大は感じた。
「ちぇっ──嫌われてるなぁ。ちょっと狡っ辛いテクニックは使ったけど、ドーピングなんてしてないよ。仮に何らかのクスリやってたとしてもタイムにそこまで影響するもんかねぇ」
「とにかく検査には協力していただきます、お手間はとらせませんから……此方へどうぞ」
「はいはい、っと」
雄大は運営スタッフに連れられてトイレが横にある控え室に連れて来られた。PPなどの荷物をテーブルの上に置いて上着を脱ぐ雄大。
「じゃあ、隣でお願いします。尿検査です」
「え? スキャンとかじゃなくて尿検査? おしっこなんて出ないよ」
「大丈夫、排尿促進のスタンプを押しますから」
スタンプとは判子型の注射器である。
「ん?」
雄大は首を捻る。
「何か?」
「ちょっと待って、なんかそのスタンプ──医療用として流通してる奴と何か違うような──?」
「そうですか? エウロパではこれが普通ですよ」
スタッフはクスクスと笑いながら近付いてくる。なんとなくその様子に底知れぬ不安を感じた雄大は彼から距離をとる。
「あ、やっぱり出そう。尿は頑張って出すから、それしまっちゃってください」
雄大は手を前に出してスタンプを拒否するが、運営スタッフはその突き出された腕をつかむと素早い手捌きで腕を後ろにひねりあげて自由を奪う。
「あれっ」
そのまま壁際に押し込まれて雄大は側頭部をしたたかに壁で打った。
(えっ? これもしかしてヤバい?)
あっと言う間に制圧されてしまう、相当な手練れと見るか、それとも雄大の間が抜けていただけなのかあまりにも呆気ない。
エアレース運営のスタッフジャンパーを羽織ってはいるがこの男は襲撃者──おそらく金星マフィアの殺し屋──
部屋の鏡を通して真後ろにいる襲撃者の行動が見える。
雄大の額から血の気が一気に引いた。
「えええ? ちょ、マジで?」
口紅かリップクリーム大の小さな円筒形の容器の蓋を外すと、襟元を引き下げて雄大の首筋を露出させる。
「それ、排尿促進剤、ですよね?」
「──体中の体液が出るだろうな」
襲撃者は抑揚のない事務的な調子で答えた。
「ゲッ!? か、金なら少し持ってるから! 口座教えてくれたら振り込むからさ!?」
「ありがとう、お前を殺したあとありがたくいただくよ」
襲撃者の目がスーッと細くなる、ひっ、と悲鳴を上げる雄大。
雄大が覚悟した瞬間、何者か、もう一人の人物が部屋に侵入してきた。その人物の指先が金星の襲撃者の背後から伸びその首をつかんで素早く引きずり倒す。
グエッと汚い悲鳴が洩れる。襲撃者は反抗する暇もなく、自らのスタンプが自らの首筋に捺されるのを確認した。内容物が投与、体内に成分が浸透していく。手足をばたつかせて抵抗するがそれはむしろ逆効果、暴れることで急速に内容物が全身に行き渡ってしまった。
雄大はこれ幸いに、と壁から離れて部屋の中央に戻った。
「ろ、六郎さん!!」
雄大は金星の襲撃者から自らをすくったのが見知った人物であることを確認するとホッと胸を撫で下ろした。
「危なかったな。見てるこっちが冷や汗かいたぜ」
「あ、ありがとうございます──あああ、もうびっくりした」
「びっくりしたのはこっちだぜ。おまえらがレッドドラゴンをあんまり刺激するから。ヤツらは何でもありの金星の賭けレースで慣らした筋金入りの悪党だ」
「やっぱり、金星の」
「十中八九間違いない。ここは奴らに勝たせてやれ。連中は勝つためには何でもやる──月や木星の常識はヤツらには通用しないぞ」
菱川十鉄は立ち上がると呆れ顔で雄大を見た。
「六郎さん、あんまり俺を見くびらないでくださいよ? これぐらいの危険は承知でやってるんですよ。これで金星マフィアのヤツらの尻尾を掴めました、コイツの目が醒めたら色々自白させて徹底的に追求してやります」
ハアーっと溜め息を吐く十鉄。
「コイツはもう死んでるよ」
「え?」
十鉄は倒れている襲撃者を指差して転がっている麻薬中毒者が好んで使うタイプの注射器スタンプを蹴飛ばす。
「ほれ、動かないだろ?」
男の心肺は停止している。
呼吸をしている気配がなく、短時間の内に生気が失せ顔は土気色に変わりつつある。
「神経毒だ。身体の自由を奪う──あっと言う間に窒息死さ」
この襲撃者、外傷を残さず自然死に見せかけて雄大を殺害するつもりだったのでは無いだろうか。いまさらながらに雄大の顔から血の気が引く、控え室の端に転がった小さなリップクリーム大の無針注射器具。あの容器の中に入っていた毒物の即効性は襲撃者みずからが体現している。
雄大は「ひええ」と軽くおののきながら襲撃者の首筋に手を当てて脈をはかる。その様子を見ながら十鉄は頭を掻いた。
「ああもう、俺は何やってんだ──」
十鉄は自分の行動の支離滅裂さに軽い目眩をおぼえた──つい少し前まではぎゃらくしぃ号から降りて雄大達の前から消えようとしていたはず、それがお節介にも自分から姿を現してしまっている。
幸運に幸運が重なってバイケンから逃げおおせることが出来たのだから、菱川十鉄はこのまま完全に雄大達の前から消え失せるべきなのだ。
「なぁ、教えてくれ宮城。おまえら揃いも揃ってなんでこんな馬鹿な真似レースやってるんだ?」
「いや、そのえーと……地球閥のチームが八百長やってる金星マフィアの連中に脅されていてですね、メカニックの人なんか命までねらわれてて。ドライバーのウィリアムを護衛がてら金星マフィアを懲らしめてやろうと……」
雄大は事の経緯を大まかに説明した、十鉄はそのお人好し加減に呆れて更に大きな溜め息を吐いた。
「おい、おい! また他人のために世直しごっこしてるのか! それで自分が命狙われてりゃ世話ないぜ」
「すみません、その、少し油断してたかも──助けてくれてありがとうございます」
「……ったくよ、むちゃくちゃなヤツだとは思ってたが裏社会の連中が相手だとわかった上で喧嘩売るなんて正気か?」
「レースを中止せずにウィリアムを守るのならこうやってすぐそばで見張ってるのが一番手っ取り早いでしょうし、木星帝国が後ろ盾になってるとわかれば少しは大人しくなるかな、と──市警察にも協力してもらってますし十分な勝算あってのことです」
十鉄は雄大のこの根拠のない自信がどこからわいてくるのかを考えずにはいられなかった。
(ま、まあ仮にもコイツは従軍経験がある上に何度か海賊を撃退してるし──加えてマーガレット様やブリジットみたいな規格外のバケモノが身内に控えてるわけで──そりゃあマフィア如き敵じゃねえ、ぐらいに感覚が麻痺しちまってもおかしくはない──おかしくはないが、用心深さが足りてねえ。金星なら三日と生き残れないタイプだなこりゃ)
十鉄はハァと力無く溜め息を吐いた、先ほどから溜め息ばかりついている──雄大に呆れているというより、こうやって雄大と会話をしている自分自身に呆れているのだ。
「あのなぁ……他人のことより自分の身を大事にしろよ。軍艦に乗ってないおまえさんは自分が思うより無力だぞ」
「いいえ俺のことより六郎さんの方こそ、自分の身を大事にしてくださいよ──マーガレットがすごく心配してます……六郎さんがどっかに行っちゃうんじゃないか、って」
「怒ってたか」
「いいえ、顔が強張ってて不安そうな……ねえ、とりあえずあいつに会ってやってくださいよ」
六郎は少し意外そうに口を曲げる。
「駄目だ。俺がおまえらに関わるのはこれで終わりだ」
「ろ、六郎さん……今更急に、そんな勝手を言われても」
勝手もクソもない、と六郎は雄大を突き飛ばして声を荒げた。
「気安く呼ぶな──ぎゃらくしぃ号の六郎なんてヤツぁ最初から居なかったんだ。俺は菱川十鉄、金星マフィアとやりあってアラミスに身を隠してたロートルの殺し屋だ」
強く胸を押された雄大は後方に倒れ込んでドンと派手に尻餅をつく。痛みに顔をしかめながら雄大は十鉄に食ってかかるように反論した。
「何ですかそれ。十鉄? 殺し屋? そんなの俺の知ったこっちゃ無いんですよ」
「知らなくていいことだ」
「はは~ん、さてはまだぎゃらくしぃ号に未練があって──俺に引き留めて欲しくてここに来たんでしょ?」
「な、何だと?」
痛いところを突かれて十鉄の顔色が変わる。
「図星ですか?」
「こ、このクソガキ、せっかく助けてやったのにその舐めた言い草はなんだ? あぁ、おまえは何もわかってねえ! いい機会だから言うけどな……」
そこに菱川十鉄の姿は無く、面倒見の良いぎゃらくしぃ号のマネージャーがいた。
「いいか宮城、おまえは皇配殿下だ。ユイ殿下の配偶者になるんだぞ、その重みをもっと考えるんだ。軽々しく危険に近付くんじゃねえ、おまえさんに何かあったらどうする? 殿下だけじゃねえ──皆、迷惑するんだ。誰がぎゃらくしぃ号飛ばすんだ、誰がレジのヘルプに入るんだ? 誰があの頑固な鏑木やマーガレット様を説得する? 大事なお役目背負っちまってるんだ。責任重大だぞ」
危険なレースに出て命を張って金星マフィアと張り合うなんて。婚約して結婚を控えた男とも思えぬ破滅的な思考回路。
十鉄は倒れ込んだ雄大の襟首を掴んで乱暴に引き起こした。
「六郎さんこそ無責任ですよ……黙って居なくなるなんて。六郎さん急にいなくなったら、みんなどうしていいかわかりません」
所々息苦しさにむせかえりながら反論してくる雄大。十鉄は言葉に詰まった。
ギリギリと歯軋りをして雄大と睨み合う。
「いつまでも頼ってんなよ、自立しな」
「──ならせめてお別れぐらいはしてくださいよ! マーガレットとだけでも」
「駄目だ、許してくれるわけがない──」
マーガレットが自分から六郎を手放すことはない──六郎は少女が敬愛してやまない祖父から与えられた家来という名の『形見の品』だ。こうやって家来の方から逃げ出さない限り、死ぬまで解放してくれないだろう。
アレキサンダーと孫のマーガレット、そしてアレキサンダーに一命を救われた菱川十鉄、この三者の関係は不可思議で、部外者には理解し難い強い絆で結ばれていた。
その呪いにも似た強固な絆は自分の説得程度で到底断ち切れるようなものではないだろう、雄大はそう感じていた。
六郎は首を締め上げていた手をゆるめ雄大を放すとくるりと踵を返す。彼は控え室から去ろうとしていた。
「六郎さん!? 待ってくださいよ」
「いいか、忠告するぞ。レースは棄権しろ。そして俺のことはとっとと忘れちまえ──それがおまえのため、ひいては木星帝国のためだ」
ドアの手前で振り返った六郎の手には銃が握られていた。
ショックガンの銃口が光り、駆け寄ろうとする雄大の足元で火花が散る。どう見ても麻痺レベルの威力ではない。
「うわ?」
「追い掛けてきたら撃つからな──」
「くう──」
雄大はさり気なく移動して机の上に置かれた自分のPPの傍に近寄ろうとした──次の瞬間、ショックガンの光弾が雄大のPPを襲う。
「ギャアア!?」
バチバチバチッ、と激しい音を立てたPPは黒く焦げ付き、見るも無惨な色に変色していた。
「あれ? おい……それPPか?」
「そうですよ!」
「あ、わりぃな。紛らわしい動きするから……銃かと」
十鉄は頭を掻いた、机の上に置かれた物体を銃だと勘違いしたのだ。
「何故罪もないPPがこんなひどい目に? さっき撮影させてもらった新人レースクイーン・ミサキちゃん16歳のセクシーショットがぁ!!」
「ミサキ?」
涙目になってお亡くなりになったPPに駆け寄る雄大。
「すごく良い写真が撮れたのに!? あんまりだ!」
「……おまえほんと水着とかアイドルのローアングル写真とか、そういうの好きな……」
「わかってるならこんなひどいことしないでくださいよォ!?」
雄大は口早にまくし立てる。
「おまえ……ユイ殿下とかマーガレット様にあれだけ慕われておきながら……何か現状に不満でもあるのか」
理解し難い生物を見るような訝しげな視線が雄大に注がれる。
「それはそれ、これはこれ! これはね、純粋な芸術的探求心の発露なんですよ!」
今まで以上に猛烈な剣幕で抗議してくる雄大、泣く子も黙る菱川十鉄がたじろいで一歩後退するほどだ。
「お、おい……なんか俺を引き留める時よりそのエロ画像消された憤りのほうがやたら情念こもってないか?」
ピタリ、と雄大の抗議が止み、我に返ったように大人しくなった。実際、正気をとり戻したっぽい。
羞恥で顔面が紅潮する雄大。
「俺はエロ水着以下か──?」
「ま、まさか。六郎さんのほうが大切です。俺、六郎さんのことめちゃくちゃ尊敬してますから!」
「う、嘘くせえ……!」
そこはかとなく白々しさが漂う回答、呆れ顔の十鉄を前に気まずい空気が流れる。
「ま、まあ少しショックだが逆に踏ん切りがついて良かった──これで後ろめたい気持ちになることもなく、おまえを撃てるってもんだ」
六郎はショックガンの威力を調整して麻痺にセットすると雄大の脚を撃った。
「──いっ!?」
向こうずねに電流が走り、ピリピリとした痺れが全身に広がる。声にならない苦悶の吐息を洩らしながら雄大は地面に転がった。
「!?」
「すまんな宮城──おまえに何かあったらマーガレット様が悲しむ。逃げ出す俺が言えた義理でも無いんだがよ、俺の代わりにあの人のこと、くれぐれもよろしく頼むわ」
「ろ、ろく、ろく……」
軽い麻痺状態の雄大はろれつが回らなくなっている。
「あの人が男に惚れるなんて珍事、後にも先にもたぶんこれっきり──野暮な月市民ルナリアンのおまえには二股なんて器用な真似難しいだろうが──なんとかマーガレット様の気持ちを受け止めてやってくれ」
身体の動きが鈍い。這うのがやっとの雄大は控え室から立ち去る六郎を見守ることしか出来なかった。
「い、いえ……さ、さすがにそんなことは」




