消えた六郎③
飛騨山中に恐ろしき一匹の鬼、これあり。
名を宿儺すくなという。
一身多面、一つの心にふたつの顔を持つ珍しき鬼なり。
四本の脚で馬より速く駆け、鹿の如く崖から崖を跳び渡りて神出鬼没。四本の腕で牛馬を引き裂く怪力を持ち、およそ人との戦いくさにて負けるを知らず。
また、四本の腕にて二張ふたはりの弓を引き、空を飛ぶつがいの水鳥みずどりの目を同時に射抜くほどの弓矢の名手なり。
武を誇るあまり、帝に従うをよしとせず。
朝廷の使者をば斬り殺すなど、世を乱す恐れこれあり。
朝廷の武者達、列をなして討伐におもむくも、宿儺の面はふたつにて死角無し、多勢の有利これなく、武者の悉くは蜘蛛の子のように散り散りに都へ逃げ帰る。
宿儺、ますます武を誇り世を侮り、里人さとびとに自らを崇めさせる。
乱行、遂に神仏の怒りに触れ、たちまち天より稲妻落ちて鬼人その身を焼かるる。
これ『鬼人宿儺すくななるおにびと』の最期なり。
これより数百年の後──
飛騨の隣国、美濃の山奥に恐ろしき一匹の水竜これあり。
里人の作った堰せきのために住処を奪われし竜、大いに荒ぶりて里に下り立つ。毒の息を吐き、鳥獣を殺し草木を枯らして里人を悩ます。
僧侶、天に祈ると、救世観音ぐぜくゎんのんの化身たる両面四臂りょうめんよんぴの鬼神、稲妻と共に天より降り立ち、竜の両目を矢で射抜く。
たちまち水竜の怒り鎮まりて、矢に貫かれ抜け落ちた竜の目玉より溶け出した滋養にて美濃の国、大いに栄える。民、この鬼神をば神仏に帰依した飛騨の鬼人として尊たっとび『鬼神両面宿儺きじんりょうめんすくな』と名付け、木像を観音堂に祀まつり依代よりしろとする。
竜ふたたび荒ぶる時、依代に宿儺やどりてこれを鎮めたもう──
◇◇◇◇◇
「おい」雄大が正面に座るウィリアムに声を掛ける。
「なんだ」ウィリアムが答える。
ホテルアンヌン、ロイヤルスイート801号室。
ユイ皇女と養女扱いのリタ・ファルシナに用意された部屋である。会食用に大きなテーブルが用意され、贅を凝らした海の幸料理がテーブル狭しと並んでいた。高級食材をふんだんに使った料理ばかりではなく、ユイが雄大によく振る舞ってくれるような素朴な木星の家庭料理も三皿ほど用意されていた。
ユイを喜ばせよう、という気遣いで溢れているテーブルだ。
「レースに手は貸すけどさ~、晩飯までたかろうってのは感心しないぞファーストドライバー。図々しくないか?」
少しばかりとげとげしい口調。熱愛疑惑の記事のせいで雄大の心中は穏やかではなくウィリアムに攻撃的な視線を送っている。
何せウィリアムは役者顔、似合う、似合わないで言えば雄大なんぞよりよほどユイの恋人に相応しい。
円卓の席順は上座にユイを据えて、時計回りにマーガレット、雄大、ウィリアム、リタと列んでいる。ウィリアムは本来魚住の座るはずだった席、雄大の対面におさまっていた。
「ウィルはわしが呼んだ。ドライバーの安全を確保し、食事の管理をするのも監督の責務だ」
「何もここに呼ばなくてもいいのに」
「チームペンドラゴンは急造なのだ、意思疎通のため共有時間は多ければ多いほど良いと思う。それにあのミーハーそうな従業員どもの前にウィルを放り出すのはどうかな──レース前に騒がれては疲れも取れんし集中力も乱れる」
リタの言う事に科学的根拠は無いが雄大を黙らせるには十分だった。
「そういうことだ、セカンドドライバー」
澄まし顔で大きな蕪鯛の身にナイフを入れるウィリアム。雄大はチェッ、と舌打ちして引き下がった。リタは『蕪鯛と海老のワイン蒸し』を咀嚼しながら鼻から抜けるかぐわしい香りを楽しんでいる、一端いっぱしの食通気取りだ。
「ふむ、ワインは地の産、若い物を使っている。各々の素材選びはなかなか。ソースに使っている海老の殻の炒り具合も十分。しかしその香ばしさでも消せないワインの渋味がどうしても舌に残る。海街の料理人は素材の良さにかまけて組み合わせの相乗効果にこだわらず思考停止しがちだが──これはその典型例だな。ワインのせいなのか調理法のせいなのか判断がつかぬ」
正装した給仕が目を丸くしてリタの辛口批評をインカムで厨房に伝えていた。
「大変失礼いたしましたレディ、作り直しをさせていただきます」
皿を下げようとする。
「いや、良い良い。この皿はこれで完成しておる。弄るとかえって良くない」
椅子にお子様用の上げ底アタッチメントをつけなければろくに食事も出来ないほどのお子様体型なのだが、テーブルマナーはまさしく貴人のそれ、味覚の鋭敏さと知識量は料理人顔負けだ。
突如として部屋の照明が落ちて雄大にスポットライトが当たる。
「なんだっ?」
ジャジャジャ………ダダンダダンとドラムが響く。
スピーカーから何やら格闘技の実況のような名調子、いや迷調子が聞こえてくる。
『さあ、遂に実現した夢のオールスターによるテーブルマナー・バトルロイヤル! 先ずは出場選手の紹介だ!』
いったい何の余興なのか、と驚く雄大とマーガレット。
マーガレットは瞬時に戦闘態勢に入り、ユイの方へ駆け寄ろうと腰を浮かすが──当のユイが落ち着いている。給仕達もまったく微動だにしない──これはどうも予定された演出らしい──
「ふふふ」
慌てふためく雄大の顔を盗み見てくすくすといたずらっ子のように笑うユイ。
『さあエントリーNo.1、エアレース初参戦でコースレコードの快挙、GPX予選会の衝撃も記憶に新しい噂の男が登場だ! 格式高い月の名家・星野家出身の母親が呼んだ家庭教師から小笠原流と英国王室流、両方の礼儀作法を仕込まれた──マナーの優等生・宮城雄大が月一等市街地を代表してここエウロパに来てくれたぞ! おおーっとここで緊急入電、もしかしたら家庭教師の先生が初恋で先生が結婚すると聞いて泣いちゃったかも知れないという情報を極秘裏に入手!』
「な、な、な、何でそういう細かいとこまで知ってんだよ!?」
雄大は顔を真っ赤にして立ち上がると声の主を捜すが見当たらない。ホテルの給仕達を睨むと、給仕は顔を引きつらせながら首を横に振って自分ではない、とアピールした。
『さあ、みなさんお待ちかね! 幼い時分より木星帝国第一皇女として恥ずかしくないレベルの礼儀作法を皇后御自ら叩き込まれ、その教えを忠実に再現する礼儀作法界のサラブレット──マナーの皇帝ユイ・ファルシナ! どんな妙技を見せてくれるのか! 当然優勝候補筆頭だ!』
ユイはニッコリと笑って天井の照明に向かって小さく手を振った。
実況風の悪ふざけはまだまだ続く。
『怒った顔もまた麗しい! 祖父の教えを胸に秘め、礼儀作法においても銀河最強を目指す、たゆまぬ努力に裏打ちされた実力派──マナー界の新人マーガレット・ワイズ、本日デビュー戦! その驚異の学習能力で経験値不足をいかにカバーするのか楽しみだ!』
「ちょっ──この声、あのポンコツロボットなんじゃないの?」眉根を寄せ、険しい顔で立ち上がるマーガレット。
『女性ファンお待ちかねエアレース界屈指の美男子、マナーバトルにおいても王者を狙う! 顔だけじゃないぜ、舌も四代、マナーも四代、究極のブルジョワジー曾祖父ケイス・マグバレッジから受け継がれし本場英国王室流マナーを存分に我々の前に披露してくれ──対抗馬はもちろんこの人、ウィリアム・マグバレッジ! 地球閥代表として緊急参戦!』
特に慌てることなく呆れ顔のまま食事を進めるウィリアム。こういう騒がれ方には慣れているのだろうか。あまり動じた様子はない。
バン──!
何者かの気配を感じ取ったのか、マーガレットはクローゼットを乱暴に開けた。そして潜んでいた牛島実篤調理長を発見する。
「げっ、牛島さん──」雄大は身体を折り畳み、変形させてクローゼットにすっぽり納まったロボットの姿を見てやや食欲をなくした。蟹か伊勢海老か、甲殻類の類に似たシルエットをした牛島だが味方によっては昆虫っぽく見える事もある。
(箱の中に詰め込まれた巨大な虫みたい……)
「やっぱり。こんなふざけたことを考えるのはあんたぐらいだと思っていたわ」
顔筋が怒りで痙攣するマーガレットを前にしても牛島はふざけた実況をやめない。
「あっ、実況席にマーガレット選手が乱入──食事中に席を離れるのは大きなペナルティーですが──危険です、危険です!」
「何がペナルティーか、食事の雰囲気を台無しにして! その鬱陶しい喋り方を止めなさい!」
マーガレットは器用に牛島の脚部をまとめて抱え込むとクローゼットから引きずり出した。脚を絞り上げるように捻ると牛島の関節がミシミシ、と音を立てて軋み始めた。
「か、カメラカメラ、回ってます──暴力ダメ、スプラッターはNG! 放送倫理規定に引っかかりますよ~!」
「えっ、カメラ?」
「おい金髪、そこの壁の照明とか天井とか見てみろ……」
ウィリアムが部屋の照明に擬態した昆虫型スパイ・ドローンを発見する。
「あ、あら、イヤですわ!?」
マーガレットはパッと手を放し、牛島を踏みつけていた脚をどけてドレスの裾を直すとぎこちない足取りでテーブルに戻った。慌てて澄まし顔をして取り繕うがどうにもバツが悪い、カメラで撮影されていると思うと緊張するのか、マーガレットの顔面が異常なほど紅潮し始めた。
「牛島さ~ん──隠し撮りはやり過ぎですよこれ……何がマナー王者決定戦ですか」
雄大が苦々しく非難する。
「ゆ、有料配信用の撮影してるんですよこれ。ぜんぶユイ皇女殿下のご発案──私達は盛り上げるために実況的な煽りを頼まれただけですよぉ──」
ホテルの給仕達はコクコクと力強くうなずく。
「ユイさんの?」
「ゆ、ユイさまが──!?」
「そ、そういうことなら、まあいいけど──ちょっと焦ったよ」
マーガレットと雄大はようやく落ち着きを取り戻した。金星マフィアの暗躍について市警察のディッシュ警部から話を聞いていたふたりは少し警戒心が強くなり過ぎているのかも知れない。
「黙っててごめんなさいね、でも面白い映像が撮影できましたよ──じゃあ牛島さん、現在までの得点をお願いします。中間発表です」
牛島により、礼儀作法の採点表が公開、ホログラムで宙空に投影された。
「皆さんのテーブルマナー、着席するところからしっかり採点しています」
「げ、リタがダントツでトップだ──おいおい、普段手掴みでアップルパイにかじりつくようないやしい奴だぞ?」
「わ、わたくしが最下位──!? あ、有り得ない……」
先程からギャーギャーと喚いているふたりと対照的に、何事も無かったかのように悠々と食事を進めているのはリタとウィリアムだ。
「ふっ、この程度の事で慌てふためき、会食の場でウロウロと席を立つマナー違反をするようではな──何が伯爵だ、育ちが知れるわ──ウィルとワシをみてみろ泰然自若、立派なものだ」
命を懸ける覚悟ができたのだろうか、ウィリアムはまったく慌てていない──リタは不敵な笑みを浮かべ、マーガレットの無作法を笑った。
ワイングラスを手のひらの上で回しながらその薫りを楽しんでいた、何とも憎らしい仕草、まるで映画フィクションに出てくる事件の黒幕のようだ。
マーガレットは歯噛みしながらリタを睨む。確かにアラミス産まれで宇宙船暮らしの彼女には、伯爵を名乗りながらもフォーマルな場での会食の経験が無い。牛島の実況は当たっているだけに恥ずかしい。
免許だけ持っているペーパードライバーのような心境だ。
「ふふ、愉快愉快──」
「ゥ、う~、地球閥や、こんな小さな子より、わたくしが、無作法──? お、お祖父様になんと御報告すれば──」
マーガレットは最下位の評価に打ちのめされていた。
「そんなことより見ろ、これを」
リタは嬉々としてワインボトルを掲げてラベルを一同に披露する。
「なんだ? なんか見たことのない銘柄だな」
「ふふふ、こんなところでこんな希少なワインと巡り会えるとは、私にもまだまだツキがある──これは木星帝国の支配が終了すると同時にワイナリーが閉鎖されたカシローシャというメーカーだ。失われて久しく愛好家も多いのだ──どれ、その幻の味を確かめようか」
目を細め恍惚とした表情でグラスを傾け、ワインで唇を濡らすリタ。
「ま、待った!?」
雄大はいよいよワインを本格的に飲み進めようとする幼女の手からグラスを取り上げるべく手を伸ばす。リタのほうも理屈ではなく反射的に手が動き、サッと腕ごとグラスを頭の上に上げて雄大の手からワインを守った。
「なんなのだいきなり。食卓の上に身を乗り出すなど赦されざる蛮行──月のご母堂が泣くぞ小僧」
「あ、あのなぁ」
雄大は席を離れてリタの真横に来ると耳打ちをする。
(おまえ、自分の身体が小さな女の子だ、って完全に忘れてるだろ?)
(ふん、なんだそんな事か。大丈夫だ、何の問題もない。以前試したがグラス一杯程度ならこの身体でも酩酊状態にはならぬ──この少女の健康状態についてはワシが一番心得ておる。余計な口出しはやめてもらおう──)
ごちん、と雄大の拳骨がリタの頭頂部に落ちる。
「おぐっ!?」
(その娘の身体はおまえの物じゃないんだぞ、借り物だ。自重しろ、自重!)
「小僧~、ワシはこの恥辱絶対忘れぬぞ」
ワイングラスを奪われたリタは喉を鳴らしながら名残惜しそうにその芳醇な薫りを放つ朱色の液体を見つめた。自制が効かず親指の爪をかじり始める。
「赦されざる蛮行やってんのはどっちだ。まったく油断も隙も無い」
「リタ、残念でしたね~、ふふふ」
ユイは脳天気にリタに笑いかけると雄大からワイングラスを受け取った。
薫りを楽しむのもそこそこに、スッと大胆にグラスを傾けると結構な量を喉の奥に流し込んだ。あっ、勿体ないとつぶやくリタ。
「ん──」
コクン、とユイの喉が鳴る。
「あっ、ど、どうだ? 聞かせてくれ、どのような出来具合なのだ? 今は無きおまえの祖国のワイナリーで作られた大変貴重なワインなのだぞ」
しかもこのワインはユイ皇女の産まれた年に作られた記念のワインであるらしい、ユイ皇女のためにホテルの支配人がわざわざ取り寄せた年代物だ。
「お酒の味がします」
しばらく考えた挙げ句、大した感想が出なかったユイ。リタと給仕達はガックリと肩を落とす。
「さ、最低のテイスティングだ──次期皇帝がそんな貧相な舌でいいのか? 残念過ぎるぞ」
「さあ、お酒の魅力についてはよくわかりません。ごく最近までお菓子やお料理に使うぐらいしか縁が無かったもので」
ユイは割と酒に強いらしくケロッとしている。
「でも、何十年も変わらぬまま時を刻んで来たというのは驚きです
ね──お酒というのは不思議なものです。私も眠ることでこのワインのように熟成出来ていれば良いのですが」
ユイは笑顔を絶やさぬまま、唇をキュッと力強く結んだ。
「──そうですね、この味を憶えて、木星帝国再興のあかつきにはカシローシャ・ワイン造りを再開しましょう──ホテルの皆さん、貴重な祖国の味をありがとう、感謝します」
ユイがワインボトルを掲げるとホテルの給仕達は誰からともなく拍手をした。支配人も喜んでることだろう。
「出来るといいね、ワイン造り」
「ええ。雄大さんも手伝ってくださいね」
雄大とユイは笑いあう。
「そうそう同じ味のワインが出来てたまるか」
ふてくされたリタが悪態をついた。
「じゃあもっと飲んで頑張って憶えます──」
ユイはひとりで全部飲む勢いでグラスにワインを注ぎ始める。
「あああああ!! カシローシャはな、こんな味のわからぬ小娘に飲ませて良いワインでは無い! 暴挙、冒涜だ」
「これは私のためにホテルの皆さんが用意してくれたものです、私が──あっ」
リタはユイからワインボトルをひったくる。
「頼む! 小僧、ウィル、お前達で飲んでくれ。あの小娘に飲まれるよりマシだ、ワイン自身のためにも──!」
「もう、リタ! 返しなさい!」
「これ、配信出来そう?」雄大は牛島に尋ねる。
「そ、そーですねえ……少し倫理的に問題が」ユイと酒瓶をとりあう幼女──ちょっと問題がありそうな絵面に牛島も判断に困っている。
収拾がつかなくなってきたのでマーガレットが腕尽くでワインボトルを奪い取った。
「あっ!」
「チビっ子、その年齢でアルコール中毒だなんて、どういう生活してたらそうなるのよ」
「やりました! メグちゃんパス、パスしてください」
「パスしませんっ! ユイ様もお戯れが過ぎますよ──厨房はお食事が先に進まなくてお困りです。まったく、何がマナー王者決定戦ですか──喜劇にもなりませんわ、こんなもの」
リタとユイはマーガレットにたしなめられて大人しく席に戻った。
「──そもそも色々な意味で配信なんて無理でしょこんなの。お蔵入りで良いですよね、ユイさん?」
雄大は呆れて大きな溜め息を吐いた。
「太陽系マナー王者決定戦……かなり面白い企画だと思ったんですけど──ちょっとやり過ぎでしたか?」とユイ、残念そうだ。
ユイの考える楽しいエンターテインメントとは一体──よくわからなくなる一同。雄大はリタに耳打ちする。
(おいリタ、50年ぐらい前の娯楽番組ってこんな感じだったのか? おまえリアルタイムで経験してるだろ)
(そういう下世話なものとは縁がない生活を送っていたのでな)
ライブ配信でない事を知り、胸を撫で下ろすマーガレット。
「伯爵家当主が最下位になり、地球閥の後塵を拝する不名誉──拡散されなくて本当に良かった……」
「ではこれは初の慰安旅行の記念としてファルシナ家のギャラリーに加えましょう」
「消してください、ていうか消します」
「え~!?」
ただひとり、席に座ったままなのはウィリアムだけである。
「なあ雄大──おまえら、いっつもこんなくだらないドタバタやってんのか? ぎゃらくしぃ号ってのは賑やかでいいな。これなら狭苦しい船暮らしでも退屈しなさそうだぜ」
ウィリアムは皮肉っぽく笑う。
「確かに退屈はしてないな、忙しくて退屈する暇がない……」
(こういうわさわさした感じ、悪くないな)
ウィリアムは騒々しい会食を楽しんでいた。
(しかし、変なお姫様だよな、つくづく)
ユイはせっかくの会食なので、ただ食事をするだけでなく何か余興をやりたかったらしい。
(こんな女の子と、一緒なら──退屈しないよな)
ウィリアムはユイの笑顔をボーッと眺めていた。そしてぽつり、と呟く。
「嘘から出た真実か……狙って、みるかな」
「ウィル? どうかしたのか。疲れが溜まっているんじゃないだろうな?」
「なんでもないさ」
ウィリアムは目を伏せて、ようやく運ばれてきたデザートを食べ始めた。
駄目で元々だ、とウィリアムは拳を握り締めた。
◇◇◇◇◇◇
ドタバタと慌ただしいディナーが終了した。
相当なご馳走ではあったが正直なところマーガレットと雄大にとっては、味は二の次の忙しい会食となってしまっていた。
ユイ本人が楽しんでいたのが唯一の救いだ、マーガレットと雄大にとってはユイの笑顔が最高のご褒美なのだから──
「ユイさんの悪ふざけにも困ったもんだ」
「ほんとね」
マーガレットは雄大を誘ってベランダにやってきた。トロピカルジュースを手に外を眺めるとプライベートビーチの上に淡い光を放つ天体、木星が見えた。
「なあマーガレット、なんか話があるのか?」
「──六郎が消えた」
唐突にマーガレットが切り出す。
「え?」
「連絡が無いの……こんな事は初めて」
「──消えた、って? ああ、六郎さん──なんか恋人がいるらしいじゃないか──ゆっくりさせてやればいいじゃないか」
「わたくしの知る限り、あの男に限って何かに強く執着する事は無いわ……愛憎や執着とは無縁の酷薄な奴──およそ自分の欲、ってものが存在しない、他人の価値観に寄生して生きている男」
「どういう──」
マーガレットの甲賀六郎に対する評価はすさまじいものだった。
「わたくしの初めての家臣、甲賀六郎について──少し教えてあげる」
マーガレットは語り出す。
「──アラミスの観光エリアの外、半死半生の流れ者が転がり込んできた、それが『あの男』だったわ。身元のよくわからない流れ者や政治犯はアラミスでは特段、めずらしくも無かった。悪党や敗残者が最期に流れ着くのがアラミスなの───だけど先代伯爵、お祖父様は六郎を見て特別な何かを感じたんでしょうね。結構な金を積んで医者を呼び治療したのよ」
それでも蘇生するかどうかは怪しかったらしい──医者が手術の成功報酬を受け取らなかったぐらいの状態。
「お祖父様は申されたわ『仮に、ユイ皇女殿下および私の周りに死神の影が見え隠れする時、一番動揺してはならぬのが次期伯爵家当主のおまえだ、マーガレット。おまえがなんとかせねばならん。よって、これより死の恐怖に打ち勝つための訓練をする』と」
アレキサンダー伯爵は、この死に瀕した男を自分自身に見立てて誠心誠意世話をするようマーガレットに命じた。四六時中張り付いて世話をすればもしかしたら助かるかも知れない。分の悪い賭けだった。
「『私の留守中はお前が責任を持ってこの男の魂を狙う死神を追い払え』とおっしゃったわ。『死んだらおまえの責任だ』とも言われた」
雄大はマーガレットの祖父、ワイズ伯爵の話を聞くたびに、一般人の思考と大きくかけ離れたその異常な思考回路、常軌を逸した言動に驚かされる。
死にかけたならず者の命運を背負わせる。
およそ幼い孫娘に課す試練ではない。
もしも運悪くマーガレットの看病虚しく六郎が死んでしまったら……相当なトラウマとなって幼い少女を苦しめたことだろう。
(俺がマンガ読んだりゲームやってる時にそういう事やってたのか──)
一種、狂人めいたところが無ければ、到達できぬ境地、最果てがある。マーガレットもそういう特殊の環境で過ごしてきた。
「六郎は助かった──でも六郎は意識が戻ってもなかなか素性を語らなかった──語れるほど自分自身を持っていない寂しい男、そんな印象を受けたわ。あの男はまだ傷が癒えていない状態でちょくちょく家を空けるようになってね、どこからお金を調達してきてお祖父様のところに持ってくるようになった──一千万とか二千万とか、まとまった額よ」
「そ、それはまた、すごいな」
「お祖父様は受け取らなかったけどね。その後、何ヶ月か帰って来なくなって──ひょっこり帰ってきたかと思うと顔付きがまるで別人になっていたの。名前は甲賀六郎、その時が初めてね、あの男が名乗ったのは」
おそらく整形手術をしたのだろう、顔付きや声は変わっていたがマーガレットやアレキサンダーにはすぐに同じ男だとわかった。
「この年、お祖父様はわたくしの誕生日のプレゼントに特別なおまけをつけてくださったわ。初めての家臣『甲賀六郎』よ──六郎はよく働いてくれたわ──とにかく欲のない男でね、滅多なことでは怒らないし執着もしない。自分自身の意見も特にない。全部、わたくしやユイ様のために動いてくれた」
それからというもの、六郎は甲斐甲斐しくマーガレットの世話を焼いてきた。マーガレットが気紛れのように申し渡す無理難題も六郎は完遂してきた。
六郎はマーガレットの妥協を許さない姿勢と有言実行の潔さに心酔し、マーガレットは六郎の忠節に絶対の信頼を置いた。
この主従関係の絆はユイとマーガレットのそれよりも強固なもののはずだ。
「ぎゃらくしぃ号──今は魚住が管理してる支店のほうね? あれに乗り込む時にID登録したのたけど──小田島先生が医療端末のIDを見てうっかり漏らしたのよ『甲賀六郎っていう人間はもう死んでる』って。わたくしそれで少し六郎の過去に興味がわいて、尋ねた事があるの。おまえは本当は何者で、どこから来たのか、ってね」
「……それで?」
「『閣下にそれを知られてしまったら最後──俺はもうおそばにはいられません。だからどうか勘弁してください』って。流石のわたくしもそれ以上問い質す気にはなれなかった」
マーガレットは笑った。
「六郎がアラミスにやってきた年の出来事をデータベースで調べてなんとなく理解したわ──三弦洞大虐殺事件の犯人──もしかするとこの男は金星のドラッグカルテルをたったひとりで潰滅させた『菱川十鉄』という侠客かも知れないってね。たぶんお祖父様はすぐに気付いたんだと思う」
菱川十鉄──雄大の頭の片隅に残っていた記憶が呼び起こされた──金星の犯罪組織構成員を数百人単位で虐殺した危険人物、金星からの依頼で連邦警察と宇宙軍にも捜査協力が出された『菱川十鉄』──金星の法律では確か時効が成立したはずだが──
(──六郎さん──嘘だろ、そんな凶暴な人とは思えないし。確かにちょっとアウトローっぽいとこもあったけど──)
雄大はゴクリと生唾を呑み込んだ。
助言をくれる親戚の叔父さんのような、話しやすい真面目な大人の男性──そんな親しみを感じていたのだが、急に遠い存在に思えてきた。
海賊ヴァムダガンのようなアウトローに近い方の人間──
「六郎はたぶん、ぎゃらくしぃ号から降りるつもりなのよ──ユイ様の軟禁がとけて、表舞台に出られるようになったけど、そうなると六郎──いえ『菱川十鉄』にはもう居場所が無くなってしまう」
「でも、それはもう時効じゃないか」
「いいえ、法律の上では時効でも──世間はどう見るかしら。ユイ様を快く思っていない連中に付け入る隙を与えるわ、凶悪犯を匿ってきたユイ様を同類扱いされたら──現在のぎゃらくしぃ号の明るくてファミリー層にも入りやすい高級志向のイメージを著しく損なうことになる」
「凶悪犯を改心させた美談として、うまく転用出来ないかな……実際、六郎さんは甲賀六郎チーフマネージャーとしてまっとうな仕事をやってるじゃないか」
「──いい考えだとは思うけど、今、そういう話をするのはリスクが大き過ぎる」
マーガレットは私情を挟まず冷徹な判断を下そうと努めている。
「それに『菱川十鉄』は未だに金星マフィアから命を狙われているそうよ──六郎を狙ってやってきた賞金稼ぎが、ぎゃらくしぃ号の店内で破壊活動を行ったらどうなる?」
「──それは」
雄大は反論できなかった。
万が一、巻き添えの死傷者が出た時のダメージは計り知れない、犯罪者の身内を庇ったせいで犠牲者が出るなど、あってはならない。
「ユイ様や魚住が必死で積み上げてきたコンビニエンスストアとしての信用が一気に崩れてしまうのよ、それを一番理解しているのが六郎本人だと思う」
「だから、姿を消そうとしている?」
「エアレースの金星チームがここメガフロートシティで色々暗躍しているのと少し関連があるのかも知れないわ。別件でエウロパに来ていた金星マフィアが偶然、菱川十鉄を見つけてしまった、とかね」
「もう逃げ切れないと悟って、俺達に迷惑をかけないようにしてくれているのか」
それでも、とマーガレットははっきりと言い放った。
「それでも甲賀六郎はわたくしの、伯爵家の家臣。君臣の契約は未だに切れていない──六郎がわたくしに直接、暇いとまを申し出るまでは」
マーガレットは六郎と会ってしっかりけじめを付ける気なのだろう。
「宮城、わたくし──今から六郎直属の部下たちを連れて街へ捜索に出るわ、たぶん一日では終わらない。その、そういうことだから明後日のレース本選は応援に行けない。ごめんね?」
「え? 俺こそこんな大事な時に──本来ならレースなんてやってる場合じゃないのに」
「いいえ、ユイ様や他の家臣に迷惑は掛けられないし。あんたはあの地球閥のドラ息子を助けてやって──こっちはわたくしと六郎の個人的な問題だからわたくしが解決します、木星帝国やぎゃらくしぃグループを巻き込まない、私的な闘争として」
「マーガレット──その、最終的に、どうしてもおまえだけでは六郎さんを助けられそうになかったら──頼ってくれ、皆を。俺達を頼って欲しい」
「宮城……」
「菱川十鉄ってヤツが過去に何をしたか。そんなことは俺達には関係無い。俺達は俺達の知ってる六郎さんを助けたい、ただそれだけだ。ユイさんだって絶対にそう言ってくれる」
雄大の力強い言葉、マーガレットは100万の味方を得た気分だった。
「ありがとう、わたくしの家臣のためにそこまで言ってくれて。六郎にも是非、今のセリフを聞かせてやらなきゃね」
行くわ、と言うとマーガレットはドレスの裾を翻した。
「きっと、六郎を連れ帰ってくる──」




