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『では手をつないでください』
『え⁉︎ 手⁉︎』
つい過剰に反応してしまい、まだ雨璃の言葉がわからないレインハルトが首を傾げている。
(自慢じゃないけど……生まれてこのかた男の子と手を繋いだことなんてないのよー!)
最後に繋いだのは学生の頃、文化祭で踊ったフォークダンスのときだ。
男の人と付き合った経験もない。もちろん女の子も然り。
なのでいきなり知らない人と手を繋ぐなんてハードルが高すぎる。
しかしそんな雨璃の葛藤にも気づかずレインハルトが雨璃の手を取る。
まるで壊れ物でも扱うかのような手つきに、ぞわぞわとむず痒い感情が沸き起きた。
けれど不快感はまったくない。
(ひいいいい! しかも恋人繋ぎ!)
指を絡め取られ羞恥で燃えてしまいそうだった。
しかしそんな雨璃の様子にも二人は気づかない。
シュベニアがこの間と同じように祈るように手を合わせる。
あのときと同じように光がパアと放たれた。
初めて見た時はわからなかったが妖精がシュベニアの回りを踊るように飛んでいた。
『クスクス。この人を選んだのね』
『お目が高いわね』
また脳内に響くように声が聞こえる。
(お目が高いって面食いってことかしら。しかも選んだってういうかまだそんなんじゃないっていうか!)
誰に言い訳するでもなく心の中で叫んでいるとまた脳内に妖精の声が響いた。
『違うわよ』
『この人はこの国の真の王子。あなた、いいルートを選択したわ』
『この国を正しいルートに導いてね』
そう言って光を散らして妖精たちが消えた。
妖精たちの言葉が理解できない。
(え? 今、なんて言った? この人が……)
「……王子⁉︎」
思わず叫んだ雨璃に目の前の二人がびくり、と肩を揺らす。
『アシャルド殿下がどうかされましたか?』
『あ、いえ……。ではなくて』
妖精たちがいま、と言おうとしてやめた。
雨璃の脳内には妖精たちの声が響いていたが、こんなに近くにいた二人には聞こえていないのだ。
しかもシュベニアはレインハルトのことを公爵だと紹介した。
ということは何か事情があるのだろう。
なんとなく二人に説明させるまでこのことは黙っていた方がいいのかもしれないと思った。
『俺の言葉がわかりますか?』
『あ……』
シュベニアの声変わりをまだしていない幼い声とは違う、深い、それでいてどこか甘い声が響く。
レインハルトが雨璃を見つめて微笑んでいた。
『わ、わかります』
『ようやく直接話すことができた。私はレインハルト・クラシャン。レインとお呼びください』
『レイン様……』
『どうぞ敬称は付けず、そのままレインとお呼びください』
雨璃がどの立場になるのかわからなかったが、公爵様を呼び捨てなんかで呼んでいいのかと悩んだが、昨日も感じた、人に命令することの慣れているレインの言葉にはなんとなく逆らえることができない。
『レイン……?』
雨璃がそう呼ぶとレインハルトは目を細めて微笑む。
(そんな愛しそうなものを見るような目で見るのはやめて〜!)
思わず目を逸らして心の中だけで悶える。
今はアメリーの可愛らしい見た目をしているから、レインハルトもこんなに優しい態度をとってくれるのだろう。
これが雨璃の見た目のままだったらきっと粗雑な扱いをされていたはずだ。
(ありがとう悪役令嬢!)
何故転生先が悪役令嬢であるアメリーだったのだと嘆いていたのに、今はアメリーに転生してよかったと思っている。なんて現金なんだ。
(あ……)
そこでずっと訂正したかっとことを思い出す。
『私の名前はアメリーではなくて、アメリです』
『え! ……も、申し訳ありません!』
『ううん。私もすぐに訂正しなくてごめんなさい』
土下座する勢いで謝るシュベニアに申し訳ない気持ちになりながらも、少しでも悪役令嬢コースを回避したくて安易に名前から変えようと思ったのだ。
それにやはり馴染んだ名前のほうで呼ばれたほうがしっくりくる。
『では、気お取り直して、アメリ様。この国に降臨してくださりありがとうございます』
膝を折り頭を下げるレインハルトの横でシュベニアも同じように頭を下げる。
まるでアシャルドが現れたときのようだった。
『え……⁉︎ ちょ、顔を上げてください!』
アメリーは悪役令嬢のはずだ。こんな頭を下げられるような人物ではない。
なぜこんな礼を尽くすのか雨璃にはわからなかった。
『様付けも……その、畏まった態度も私には必要ありません』
『しかし……』
シュベニアの言葉を制するようにレインハルトが手を上げる。
『アメリ様がそう仰るのであれば、そのように致しましょう。……改めまして、よろしく。アメリ』
おちゃらけてウィンクをするレインハルトにほっと息を吐く。
堅苦しい態度は慣れなかった。
しかもレインハルトのようにどこか威厳のある人にその対応をされるのはさらに緊張が増す。
『シュベニアは俺の従者なんだ。従者にフランクな対応は難しいから俺だけで許してくれるか?』
少し泣きそうな顔でオロオロしていたシュベニアはレインハルトの言葉に首が取れそうなほど頷いている。
ここで意地になるほど雨璃も子供ではない。
そういうことなら、と素直に了承する。
心底ほっとしたような顔をするシュベニアに何故そこまで雨璃を丁重に扱いたがるのかわからなかった。
それを問えば二人は顔を見合わせた後、シュベニアが『私が説明させていただきます』と前に出る。
『この国には伝説があります』
『……伝説?』
『遠い昔この大陸には光の国という国が存在していました』
シュベニアから語られる話はフェアラブの設定そのものだ。
それは雨璃も覚えていた。
フェアラブの主人公であるマルティーナがその国の末裔の生まれ代わりなのだ。
だがその国がなんなのか雨璃はまったく覚えていなかった。
『その国には神に愛された子、神子が住んでいました』
『神子……』
そういえばそんな設定だったかもしれない。
精霊や妖精と一緒に共存し天候をも操る子たちが住んでいた、という説明に頭に引っかかるものがあったがそのまま話を聞く。
『しかしその平和な国に目をつけた他国の王達はその土地を欲しがるようになり、戦争が始まりました』
戦争という言葉にぶるり、と体が震える。
雨璃は戦争を体験したことはない。
けれど突然平和な世界が音を立てて崩れ落ちたら、と考えるだけで怖い。
『人々の強欲さ、その土地に執着する姿に神は怒り悲しみ、神子を連れて神はこの地を去りました。そしてこの世界は混沌と化しました』
『混沌って……?』
『力を持つものは生まれなくなり、雨は降らなくなり次第に世界は枯れていきました』
『え……』
その言葉に目を見開く。
だって、窓の外を見ると雨がザアザアと音を奏でてている。
次に口を開いたのはレインハルトだった。
『伝説にはまだ続きがあるんだ』
『続き……』
『人々が償うことができるとき、光とともに愛しい我が子あらわれん』
雨の音が先ほどよりも大きくなった気がした。
『一ヶ月前、神官が一人の少女を連れてきた。光の中から少女が現れた。この子がきっと神子に違いないと』
神官は先日はいなかったな、とレインハルトがシュベニアに問いかける。
『ハイ。しかし神官の言葉に大神官様は何も言いませんでした』
『大神官様?』
『先日私と一緒に雨璃様の元へ参った者です』
確かにシュベニアと一緒に来た人がいた。
髭も髪も真っ白で大神官と言われれば納得する風貌だった。
『その少女が来た日、確かに雨が降った』
『一時間ほどで止んでしまいましたが、雨は確かに降りました』
『正確には44分だったな』
細かい数字にシュベニアが苦笑いして頷く。
よく覚えていると感心しているのか、それとも細かいことにこだわることに飽きれているのか、答えを出すのはシュベニアのために辞めておくことにする。
『その後はいくらその少女が祈っても雨が降ることはなかった。神官はまだ償うときではないのだろうと言っていた』
その伝説がどのくらい前の話なのか、果たして本当の話なのかもわからない。
けれど償いとはどのようなものなのだろうか。
『しかし、先日アメリ様が現れたとき、空は晴れているのに急に雨が降り出した。空には七色に輝く虹がかかり幻想的な光景だった』
お天気雨と呼ばれるものだろう。
日本でも時折起きる現象だ。
しかし、レインハルトもシュベニアも見たこともない光景だったのかもしれない。
『そして、俺の元に興奮した様子で報告が相次いだ。神殿に急に人が舞い降りた。光と共に、とね』
『まさか……』
『そう。その中心にアメリがいた』
そこで急にフェアラブの設定を思い出した。
(そうだ……! アメリーは自分こそがこの世界の神子だと言い張って断罪されたんだ!)
しかしその主張は聞き入れられず、マルティーナが神子だと証明された。
どうやって証明されたかは思い出せない。
けれどアメリーは神子ではないのだ。
『わ、わたし神子ではありません……!』
『アメリ様』
『そんなたいそれた者でもないし、天候を操ることもできません!』
前世では雨女と言われていたが、それは置いておこう。
ただ雨が降るだけだ。
そんな天候を操ったり神に愛される光の子が雨璃なはずがなかった。
『……アシャルド様もマルティーナ様が神子だと、それは間違いないと主張していた』
『そうです! そのマルティーナ様という方がこの世界を救う神子に違いないです!』
『では……、光と共に人が現れたのを見た複数の者たちが集団で幻覚を見たと?』
『そ……そうです。集団幻覚なんて怖いですね……』
あはは。と乾いた笑みを浮かべる雨璃に、レインハルトの声がどんどん低くなっていく。
まるで尋問されているような、そんな感覚に陥る。
『では……、この大陸の言葉もわからないアメリはどこから来たんだ?』
『そ……、それは……』
それこそ神子でもないのに、ここの世界ではない別の世界から雷に打たれて死んでやってきました。なんて言ったらどう見ても頭のおかしい子にみられるに決まっている。
『……わ、わかりません』
『わからない?』
『は、はい。……自分の名前は覚えてます。ですが、これまでどこで生きてきたのか、わからないのです』
この国のことも大陸のことも何も知らないのだ。
記憶喪失と言っても満更嘘ではない。
『レインハルト様、アメリ様はこの世界のことも妖精のことも知りませんでした。記憶がないのは本当なのかもしれません』
『……妖精の存在を知らないのはありえない、か』
どうやらこの世界で妖精のことは常識らしい。
『神官が連れてきた神子のマルティーナ様もこの世界の記憶がないとおっしゃていた』
『え……』
(フェアラブの設定もそうだったっけ!? 最初なんてルート攻略のために何度もやってるのになんで思い出せないの!)
『一応、アメリの名前と風貌から該当者がいないか探してみてくれ』
『かしこまりました』
『……まあ、いないと思うが』
どこかすべてをわかっているかのような言葉に返す言葉もない。
けれどここで神子と扱われるのは今後のために避けたい。
けれどなぜそこまでレインハルトが断言するのかわからなかった。
『アメリ様の風貌は、この国では目立ちます』
『風貌……?』
不思議そうな顔をしているのがわかったのかシュベニアが説明する。
『ここは火の国だ。火の妖精や精霊を操る者が多いんだ』
『まさか……』
レインハルトとシュベニアの髪を見てハッと気づく。
『その通り。属性を見るならその髪を見ればいい』
『火の者は赤、水の者は青色、木の者は緑、土の者は茶色、金の者は黄色。そのように判断がつきます』
『じゃあ二人は火の国の方ではないの?』
雨璃の質問に少し空気がピリついたような気がした。
(え、何か聞いちゃいけないことだったのかしら)
しかしその空気はすぐに霧散した。
『いいや。俺もシュベニアも火の国の出身だ。たまに天変地異の前触れのように他の国の属性の者が生まれたりもする』
『先祖に他の国のものと交わったものがいるのではないかという話もありますが、残念ながら立証はできていません』
『ここ数百年、他国との友好は良好とは言えない。他国同士が交遊することも国と国を行き来することもほぼないからな』
『そうなのね……』
(え、てことはもしかしてレインは水の国の王とか? けどあの妖精たちもこの国のって言ってたし、本人もこの国の出身って言ってるもんね)
他国の王子がこっそり侵入しているとか、とも思ったが、こっそり侵入しているのであれば髪をそのままにしてくるバカはいないだろう。
『今五つの国の特徴を言いましたが、この世界に黒の色を持つ国はいません』
『え……』
『この世界で黒は貴き色とされている。王族しかその色を纏うことは許されていない』
『え……!』
確かにシュベニアもレインハルトも白を基調とした服を着ている。大神官と言われていた人物も白い服を着ていた。
確かフェアラブでもアメリー黒い髪に黒い瞳だった。
赤髪赤目が多い中でマルティーナとアメリーは目立っているなと思ったのだ。
『ちょっと、今から髪を染められる道具ない⁉︎ けど先にブリーチかしら⁉︎』
『お、落ち着いてください!』
このサラサラの髪を傷めるのは気がひけるが、こんな重大な意味があるのであれば話は別だ。
アメリーは神子ではない。それはフェアラブの結末が物語っている。
これ以上勘違いさせる要素を増やしたくなかった。
『この国で髪を染めることは禁忌にあたる』
『どうして……!』
『自分の力を隠すことになるからな。属性は生まれた瞬間国に登録される。それはどこの国も一緒だ』
『そんな……!』
けど言われてみれば確かにそうだ。
髪の毛でわかるなら弱点を隠すために偽装することもできてしまう。
『神官が連れてきたマルティーナ様も登録はなかった』
『土の国でも確認できなかったとのことです』
アメリーが登録されている可能性は低い。
雨璃が死んだ瞬間、この世界に生まれ落ちた可能性のが高い。
『どちらが本当の神子なのか、楽しみだな』
そう言って歯を見せて笑ったレインハルトは本当にどこか楽しそうだった。
雨璃のことを神子だと信じているのが丸見えだ。
『だから、私は神子じゃありません!』
思い切り叫んだ雨璃の言葉はザアザアと激しさを増して降り出した雨の音によってかき消された。
次から妖精たちの言葉を『』
火の国の言葉を「」で表します。