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次に目が覚めたとき、あたりにはたくさんの人の気配があった。
まさか運よく助かったのだろうか、とゆっくり目を開ける。
体は雨に濡れたままで服が体に張り付いていて気持ち悪い。
雷に打たれてそのまま放置されていたのだろうかと体を起こすが、雷に打たれたわりに体が痛くない。
あれ? と顔を上げると遠巻きに雨璃のことを見ている人と目が合い、思わずビクリ、と体がふるえた。
雨璃を見ている人は一人ではなかったのだ。
十を軽く超える人たちが雨璃のことを見ていた。
しかも思わずひるんでしまったのはその人だけではない。
ここいにる全員が雨璃が見たこともない服を着て、その上そうそうお目にかかることはないだろうと思うほど、赤い髪をしていたのだ。
「な…?」
思わず体を後退りして気づく。
(何ここ!? 日本、じゃない……?)
あたりを見回してようやく気付く。
ここは雨璃が気を失った仕事場近くの道ではない。
白い色を基調としたドーム型の部屋はまるで神話にでも出てきそうなほど厳かな雰囲気が漂っていた。
やはり死んでしまったのだろうかと辺りを見回していると、遠くからさらに人の話す声が聞こえた。
雨璃のまわりを囲んでいた人たちが自然と道を開ける。
天使様でも現れるのだろうかと恐る恐るそちらに目を向けて思わず息をのむ。
そこに現れたのはここにいる人たちとは違うオーラを纏った青年だった。
何よりも違うのは瑠璃色に似た綺麗な青い蒼い髪色がその雰囲気自体をまた別の世界の人に感じさせた。
精悍な顔立ちは雨璃が今まで見た人たちの中で一番と言っていいほど顔が整っている。モデルですら及ばないほどの美くしさだ。
髪色には似合わない、薄い赤いマントをした男は雨璃をみて驚いたように目を見開く。
ビー玉のように綺麗な瞳が今にもこぼれ落ちそうだった。
雨璃と目が合うと驚いた顔をしたままの男が雨璃の前に跪く。
「XXXXXXX?」
「え? なに?」
英語ではない、そもそも聞いたことのない言葉が男の口から飛び出す。
聞き返した雨璃の言葉も男には通じていなさそうだ。
「……ここはどこ? ここは日本ではないの?」
通じていないとわかっているのに、ついそう言葉が溢れ出た。
何年かぶりに言葉を発したかのように喉がカサついていた。
(あ、睫毛も青い……。てことは染めてるわけじゃないんだ)
そんなどうでもいいことを考えながら、じっと男の顔を見つめていると、徐に肩にかけていたマントを外しそれをふわりと雨璃の体にかけてくれた。
「え!? こんな立派なマントが……、濡れてしまう……!」
雨璃が抗議の声をあげるが男は気にした様子もない。
むしろ安心させるかのように肩をさする大きな手に、ようやくそこで雨璃自身が体が震えていたことに気がついた。
寒さからももちろんある。
けれどもそれ以上にこのありえない光景に体が震えてしまっていたのだ。
かけてくれたマントの温かさよりもその手のぬくもりに安堵して体の震えが止まる。
「XXXXXXX!」
雨璃ではない、後ろにいる集団になにかを叫ぶ。
するとすぐに数人がバタバタと音を立てて走り出した。
何を話しているかはわからない。
けれど人に指示をすることに慣れているような声だった。
数人が走り去ったすぐあとに、またざわり、と空気が震えた。
入り口に顔を向ければ、そこにはここの誰よりも鮮烈な赤い髪をした男が怒ったような顔をしてこちらに向かってきていた。
隣にい彼のマントよりも鮮やかな赤色のマントを揺らす彼の隣には、雨璃よりも若そうな女の子が一緒にいた。
中世のヨーロッパを彷彿とさせるようなドレスを纏った少女は雨璃には馴染みのある茶色の髪にその神と同じ色の瞳をしていた。
ここにいる全員が今入ってきた男に跪き首を垂れる。
隣にいる青色の髪の彼も例外ではなかった。
雨璃には男たちが何を話しているかわからない。
けれどどこか怒気をはらんでいた。
ふと、茶色の髪の少女と目が合う。
隣に立つ赤い髪の男の腕を両の手で掴んで、頼りなさげにしていた少女は雨璃と目があうとまるで親の仇でも見るかのように強く雨璃のことを睨んできた。
思わずその視線の強さに体がすくむ。
体を支えてくれていた彼にも震えが伝わったのだろう。
すぐに顔を覗き込んできた。
言葉はわからないが、どうかしたか? と問いかけてくれているようだった。
彼越しに少女に目を向けるがもう彼女は先ほどの視線が嘘だったかのように、不安そうにそしてか細そうに、隣に立つ男に寄り添っていた。
どこか緊張していた空気にまた新たな人物が加わった。
ここにいる誰よりも年を召した男が、少年に手を引かれながら入ってきた。
年老いて元の髪の色はまったくわからないほど白く色褪せている。
この中で一番若いであろう少年はまたここの人たちとは違う、新たな色を纏っていた。
少年は老人に何かを言われ、緊張からか白い頬を真っ赤に染めながらも神妙にうなずくと雨璃の前にやってきた。
いまだに座り込んだままの雨璃の前に一度大きく頭を下げる。
まるで土下座のような仕草に雨璃は慌ててしまう。
「え…!?」
「XXXX」
言葉がわからなくても緊張しているのが伝わるほど彼の声が震えている。
圧倒的に赤い髪が多い子の中で緑の色の髪をした少年と隣に立つ青い髪をした彼の色は目立つ。
雨璃の前に跪いたまま少年が両の手を祈るように結ぶ。
次の瞬間パア、とそこから淡い光が放たれた。
『……クスクス』
どこか不思議な感覚だった。聴覚からではない。頭に響くように、どこからか誰かが笑う声が聞こえた。
少年の周りからキラキラと光が舞い散る。まるで何かが飛んでいるようだった。
『もし、私の言葉がわかりますか……?』
『え……!』
それまで何を喋っているかわからなかった目の前の少年の言葉が急にわかるようになった。
『わ、わかる……! わかります!』
雨璃のその言葉も通じたのか少年のこわばっていた肩の力がふっと抜けたのがわかった。
『お許しも得ず御前に出た無礼をお許しください』
そう言ってまた頭を下げる少年に雨璃は慌てる。
『そんなの全然! それよりもキミ、日本語がわかるの?』
『ニホン……? いえ。私はただ風の妖精に頼んで貴方様の話す言葉の振動を変えて頂いただけです』
『し、振動……? っていうか、妖精?」
何を言っているかさっぱりわからない。
妖精という日本では御伽話でくらいしか話を聞いたことのない言葉に目を瞬く。
聞き間違いだろうか? もう一度聞き直す前にまた、目の前をキラキラと光る何かが通り過ぎた。
『クスクス。ようやく来た。あなたのことを待ってたのよ』
「え……」
また響いた笑い声に光を見つめる。
よく見るとそれはただの光ではないことに気がついた。
「あ……」
人間の掌よりも小さなソレらは、人の形をしていた。しかし人と違うとすぐにわかる。
尖った耳と透明にキラキラと輝いた羽をつけたその形はまさしく妖精と呼ばれるモノたちだろう。
雨璃と目が合うとより一層光を撒き散らしてどこかに消えてしまった。
待っていたとは、どういうことなのだろうか。
『妖精はこの世界のあらゆるところにいて我々の手助けをしてくれます。こうしてお話しできるのも妖精たちのおかげです』
『あなたは魔法使いなの?』
妖精と話せるなんて雨璃がいた国では信じられない。
もしかしたら、目には見えないものを見える人もいたのかもしれないが、少なくとも雨璃のまわりには存在しなかった。
『魔法ではありません。ただ本当に妖精たちの力を借りただけです。力の強い方はもっと妖精たちの力を借りることができます。私はあまり力がないので他者の方と意思疎通を図ることぐらいしかできません』
(図ることぐらいしかって言ってもそれだけで十分すごいけどな……)
もっと力のある人は何ができるのか気になってしまう。
しかしそれよりももっと知りたいことはたくさんあった。
『ここはどこなの? 私はなんでここにいるの?』
『ここはミトロジーと呼ばれる大陸の中の一つ、火の国です。その名の通り火の精霊、妖精たちが多く存在する国です』
そんな大陸の名前聞いたこともない。そもそも妖精がいる時点でそもそも雨璃の知っている国ではない。
それなのに何故かどこか聞いたことのあるような言葉に心がざわつく。
『ここが火の国ということは他にも国が?』
『さようでございます。この国は五つの国に分かれており、他にも水の国、木の国、金の国、土の国と分かれいています。その中で一番領土を持っており栄えている国が、……この国です』
どこか言い淀んだ言葉の意味を、このときの雨璃は気づくことができなかった。
『五つ……』
『他の国とも交友がないというわけではありませんが、どこもかしこも友好というわけではありません』
それは元の国にいたからわかる。どこの国も自分の国を一番に考えるのは残念ながら当たり前のことだった。
「XXXXXXX!」
『あ、申し訳ありません。今この国の説明をしております」
赤い髪の男に怒鳴られ目の前の少年が頭を下げる。
どうやら言葉がわかるのはこの少年の言葉のだけのようだ。
少し不便だが、誰とも話が通じないよりマシだ。
『彼は?』
腕を組みこちらをイライラした様子で見る彼をちらり、と視線で見て問いかける。
『あのお方はこの国の第一後継者であるアシャルド・フー・トネルドバ殿下です』
『殿下……王子ってこと……?』
通りで態度が横柄なわけだ。えらそうな態度にも納得がいく。
そこではたと気づく。
『大事なことを忘れていたわ。私はみな……アメリ ミナツキ。あなたのお名前は?』
『アメリー様……』
目を潤ませどこか感動したように雨璃の名前を呼ぶ彼に内心首を傾げる。
しかもアメリーではなくアメリだ。
しかし訂正する前に彼が恭しく頭を下げる。
『私はシュベニア・アズヴァーン。どうぞシュベニアとお呼びください』
『シュベニア君ね』
雨璃が名前を繰り返すとシュベニアは首がのけぞるほど驚いた後、首が取れるのではないかというほど、左右に頭を振った。
『どうぞ私めのことは敬称をつけずにお呼びください』
『わ……わかりました』
『もちろん敬語も必要ありません』
『あ、ハイ。……じゃなかった、うん』
本来初対面の人にいきなりタメ口で話す性質もない雨璃だったが、シュベニアの気迫に負けて素直に頷く。
これは後から知ったことだが、本来目上の者に下の者が許可もなく話しかけるのは無礼な行為であり下手をしたら首が刎ねられるらしい。
そんなことで雨璃が首を刎ねるわけがない。
しかも雨璃から名前を問うてくれたことにひどく感動したとのちにシュベニアは語ってくれた。
『それで、あの……』
言いづらそうなシュベニアの様子に雨璃は首を傾げる。
『アメリー様はこの大陸のお方ではないのですか!?』
意を決して問いかけたシュベニアの様子に、雨璃は言葉に詰まる。
雨璃は火の国という言葉はもちろん、ミトロジーという言葉にも聞き覚えがない。
しかしなぜか頭に引っかかるものがある。
そこでふと窓ガラス越しに映る自分の姿を見つけて息を飲んだ。
着ている服も靴もここにくる前に雨璃が身に纏っていたものだ。
しかしそれを着ている少女は雨璃とは似ても似つかない。
ショートカットにしていた雨璃とは違って、腰まで真っ直ぐ伸びた美しい黒髪、そして雨に濡れた睫毛は長く、水を滴らせている。その奥に光る瞳は黒真珠のように大きく輝いてた。
平平凡々に生きてきた雨璃とは全く違う、誰もが息を呑むほど可愛らしい少女がそこには映っていた。
そしてこの顔には見覚えがある。
雨璃が高校生の頃、とてもハマっていた乙女ゲームに出てきた人物と瓜二つなのだ。
『……っ!』
雨璃は息を呑んで、アシャルドの腕を掴みこちらをじっと見つめていた少女に視線を向ける。
ふわふわの栗色の髪、小さくて守りたくなるようなか細い体。
思い出した。彼女はマルティーナ・アリスティア。
あのゲームのヒロイン、光の神子。
――そして私はその主人公をいじめる悪役令嬢、アメリーだ。
全てを思い出しだ瞬間、ズキン、と頭が痛んだ。
体を支えることができず床に腕をつく。
力の入らなくなった雨璃を青色の髪をした彼が支える。
雨璃を見つめ何かを必死に叫んでいるが、その彼に言葉をかける気力が雨璃にはなかった。
この彼はあのゲームに出てきていただろうか。
強く握りしめられた手を握り返すこともできず、雨璃はそのまま意識を手放した。