第二部 第5章―6
後にその本は黒の魔導書と呼ばれるようになる。もちろん革表紙が、揺らぐことのない漆黒に染め上げられていたことも関係あるだろう。そこには白い文字で「闇に星、そして魂」とだけ題名が刻まれていた。着飾ることを忘れたように、まったくの装飾を施されていない素朴で無垢な魔導書は、その純粋さゆえに、これまで――そして、これからも――何千万という命を躊躇いなく踏み潰していくのだ。
いつの時代も、その力を行使してきたのは黒の魔導士であった。常にその手に魔導書を携え、命果てるそのときまで二つの魂は片時も離れることはない。そう、魔導書は魔導士の魂と繋がっていたのだ。それがいつしか黒の魔導書と呼ばれるようになった由縁である。
――古いものではなさそうだが……。
ハルヒコは手にとった冊子をぱらぱらとめくってみる。裏表紙もざっと確認してみたが、虫食いや焼けなど目立ったダメージは見当たらない。いや、むしろ違和感を覚えるほど、いびつなまでにその本は新しかった。
――本屋に置かれている本でも、ここまできれいなものはないんじゃないか……。
それは完璧であり不変であった。ふと、芸術作品のようだとまでハルヒコは思ったくらいだ。
違和感を感じたのはそれだけではない。はじめて手にしたはずなのに、あまりにしっくりと手に馴染む。本というよりはむしろメモ帳だなとの感想も相まって、まさしく自分がかつて使っていた手帳だったのではと見当違いの懐かしさまでわき起こってくる。
――間違いなく、自分はこの本をはじめて手にとる……。
そんなふうに感じさせる魔法でも施されているのだろうか?
――たとえば、魅了の魔法とか……。
それに、この表紙に書かれているタイトル……。
――闇に星に魂……。
もちろん、中身を吟味していないこの段階で、これが魔導書である保証はどこにもない。だが、もしそうであるならば、どれほど知識欲を駆り立てる魅惑的なキーワードの並んでいることか。
――いや、待て待て……。焦るな……。
こんなに期待して、もし中身をあらためてみたら、実は大昔の魔導士のポエムだったっていうオチもないわけではない。古い時代の大魔導師が無駄に大掛かりな仕掛けを作り、自分の黒歴史をここに葬った……。
――魔法使いって変な人も多いからなあ……。
もちろん、ハルヒコ自身は自分のことを棚に置いてそう思っている。
――まあ、それはないか……。
この書かれている文字がそれを物語っている。
――古代文字に似ているが……。
古代文字は魔法を記述するためにだけ使われる。おかしな話だが、通常の文字で魔法が記述できないように、古代文字では詩歌や日記など普通の文章を表現することは不可能なのだ。
――それでも、はじめて見る文字だ……。
古代文字と似ているようで、全体も細部も形は大きく異なっている。
――こんな文字、今までどこにも書かれてはいなかった……。
そこまで考えて、突如ハルヒコの全身に悪寒が走る。あることに気づいたからだ。
――じゃあ……なんで……。
その魔導書だけでなく自身のことも、そら恐ろしくなる。つまりはこういうことだ――。
どうして自分はこの文字を読めるのか……。
――いったい、これは何なのだ……。




