第二部 第5章―3
――この水はどこから来ているんだろうか……。
「あれ? もしかして、水が少し流れてるのかな……足に水が当たってくる感覚があるような……」
マルロが気づいたことを共有しようと言葉にする。ハルヒコは立ち止まって、水の中に突っ込んだ足先に神経を集中させた。
「ああ、確かに……」
ハルヒコはいったん地上に戻り笹の葉を数枚取ってきた。
「それで何をするんですか?」
「小さい頃、こうやって遊ばなかったかい」
マルロの前で、ハルヒコは笹の葉に切れ目を入れて、くるくると折り曲げ、一目でそれと分かる形を作りあげていった。
「舟ですか?」
「そう、笹舟だよ。これをこう水に浮かべてやれば……」
ハルヒコは水の上に笹舟をそっとのせる。二人の姿を写していた鏡のような水面に小さな波紋が広がっていった。静まり返った均衡に微かなざわつきが起こったみたいに。
「あっ、流れていく――」
「これをいろんな場所でやってみれば、水がどこから入ってきてるのか分かるはずだ」
ハルヒコ達は手分けして水の流れを確かめていった。ただ、まず最初にしなければならなかったのは、マルロに笹舟の作り方を手解きすることではあったが……。
「ここか……」
「そうですね。間違いないでしょう」
そこは方角で言えば北になる。地下書庫のもっとも奥まったところにある石壁。濡れた女性の肌のように艶かしく光を反射していた。
「地下水がしみ出しているのか……」
バラディンの町は巨大な丘陵地の上に築かれている。町のいたる所に井戸があるように、その丘陵の地下には斜面に沿って帯水層が広がっていた。
――そうと知ってて、最初からこの場所に書庫を作ろうとは思わなかっただろう……。
どこかのタイミングで地震などが起きたのかもしれない。その影響で地層が動いて、地下水の流れが変化してしまったのだろうか。
――まあ、専門家じゃないから、はっきりとした理由は分からないけど……。
だが、これから何をすべきかは明らかだった。
「この壁のすき間を埋めていってやろう」
「はあ……でも、どこにすき間があいてるのかなんて、見た感じ分からないですけどね」
「だから、壁一面をくっつけてやるんだ」
――考えるよりも、まずはやってみることだ。
ハルヒコは目線の先にある石壁にすっと手をのばした。詠唱を始める。そして、最後に沈黙が支配する地下書庫に土魔法の名を高らかに響かせた。
「テロン!」
ハルヒコのイメージの中で、積み上げられた石達の表面が融けあい互いにくっついていく。つまり、ばらばらだった――大きさも形もまちまちな――石塊を一つの巨大な一枚岩に仕立てあげていったということだ。
「あっ、水が……」
ハルヒコが手をそえた場所を中心に、明らかに石壁の表面の様相が変化していった。見開いた魔導書一冊分ほどの面積であったが、光の反射が目に見えて変わっていっている。長年、確認できぬほど小さな隙間からしみ出ていた水がついにその歩みを止めた瞬間であった。
「よし、この調子で全部の隙間を埋めていってやれば……」
笑みを浮かべ、ハルヒコがこれからの展望をマルロに語ろうとした、そのとき――
プシャッ!
マルロの顔面を壁からふき出したシャワーが襲う。
「うわっ……とっと……」
突然のことに驚き体勢を崩したマルロは、盛大に水しぶきをあげ足元の溜まり水に尻もちをついた。
「ああ……」
ハルヒコは理解した。水の出口をふさいでやれば、その水は新たな出口を求めて移動する。今回はたまたま不運な青年の目の前に、その新しい出口を見つけてしまったということなのだろう。
――これは、いたちごっこになるかもしれないな……。
ハルヒコはマルロに手を貸して引き起こした。普段あまり感情を表に出さない青年は、濡れた衣服を見回して、いったいどうしたものかとほとほと困り果てた表情を浮かべていた。その様子がおもしろくて、ハルヒコは思わずふき出してしまう。
「理事長、ひどいです……」
「ごめん、ごめん。なんだかコントみたいだなって思って。でも、思ったより大変な作業になるかもしれないな――」
「水の通り道が変わるってことですよね」
――さすがマルロ、話が早い。
この聡明な青年が驚いて尻もちをつき、今はびしょびしょの濡れネズミになっている。ハルヒコはふたたび込み上げてくるものをぐっと我慢した。
「とりあえず、この壁の隙間をすべて埋めていってやろう。それで水が引いていくかどうか。しばらくは様子見だな」
「それでも変わらないときはどうしますか」
ハルヒコはもう覚悟を決めていた。
「そのときは――」
――この地下書庫、すべての隙間を埋めていってやるさ……。
壁も床も、必要なら天井までも――。




