第二部 第1章―4
マギアらしき敷地の塀に沿って、かなり歩いてきたはずなのに、いつになっても正門どころか入り口の類いも姿を表さない。宰相サイアスの屋敷にも劣らぬ広大な敷地をマギアが有していることは、ハルヒコの足にたまった疲労が否応なく実感させてくれる。
――入ろうと思えば、塀の崩れたところから簡単に入れるんだけどな……。
セキュリティはどうなっているんだろう――そう心配するのと同時に、魔法の学校ならではの侵入者を拒む仕組みがあるのかもしれないと、好奇心がむくむくと頭をもたげてくる。
――たとえば、結界とか……?
思わず興奮し、ハルヒコは崩れた塀の隙間に手を入れてみたい衝動にかられた。
いやいや、ダメだろう――。
身体的、精神的ダメージを被る仕組みがなかったとしても、どこでハルヒコの行動が監視されているとも限らない。常識知らずの人間かと、社会的なダメージを受けることだけは絶対に避けなければならないのだ。
そんな何ひとつ身にならないことを考えながら――それほど意義を見出せない時間だったということだ――ハルヒコは街路をまっすぐ進み続け、ようやく道の先に久方ぶりの十字路を目にとらえることができた。ただそれだけのことなのに、ほっとする。この無意味な状況に、何か進展の兆しが垣間見えたような気がしたのだった。
ハルヒコは期待を込めて、その四つ角に差し掛かる。確かに正門らしきものがある。飾り気のない黒い格子門は――黒錆加工されているのに赤錆が目立つ――無造作に開け放たれていた。
――いや、これは……。
閉められないんじゃないのか――。
格子門が塀に固定されているはずのヒンジ金具は素人目にも壊れているようで、傾いた門がそれを証明してくれていた。明らかに門を開閉することは不可能だ。
真正面に立ち、中をうかがう。雑草が生え荒れ放題の馬車回しの向こうに、ところどころ外壁の漆喰がはがれた建物が、まるで廃墟のように佇んでいる。それは歴史という言葉では説明のつかない――言い訳のできない――光景であった。
ここにいたって、ハルヒコは思いつく。
ああ、ここは以前マギアがあった場所なのだ――。
現在のマギアはどこか別の場所に移転し、この土地は次の所有者が決まるのを待っている。随分と長い期間、無雑作に放置されているのだろう。
ハルヒコは自身を無理やり納得させようとして、何度もそう言い聞かせた。
だが一方で、先ほどのサイアス邸で門衛が放った言葉が耳につきまとって離れない。
『マギアは隣の敷地だ』
彼はそう言ったのではなかったか。
いや、やはり聞き間違えたのだ――祈るようにそう思ったとき、建物脇の草が踏み分けられた小道から、灰色のローブを身にまとった青年がひょっこりと登場した。
ふとハルヒコの脳裏に、前途多難という言葉が浮かび上がる。意図して、その言葉を考えたわけではない。それはもう本当に、湖底に沈んだ汚泥が腐敗し、分解し、わき出た臭気の泡が水面に浮かんでくるような、とても自然なことだったのだ。
「すみません――」
そう声をかける前に、青年は門で途方にくれている様子の人物に気づき近づいてきてくれた。
「ザイン学長とお約束をしているハルヒコと申します」
「はい……」
柔和な顔立ちの青年は、微笑みを浮かべた表情の裏で、困惑しているとも疑ってるともとれる微かな緊張をにじませていた。どうやら、この青年にはハルヒコの来訪は知らされていないようだ。
「確認してまいります。あ、ここでは何ですので、どうぞ玄関の中に入ってお待ちください」
礼儀正しく聡明な青年だと思った。魔法の学校だというから、学生達は皆、内にこもって本を読みあさり、寝食も忘れ研究に没頭しているようなイメージを、ハルヒコは勝手につくり上げていたのだ。
青年に先導され、大仰な、しかし盛大に軋みながら開閉する扉を抜け、ハルヒコは吹き抜けのエントランスに入った。二階までぶち抜かれた空間の天井には、この場にそぐわない豪華なシャンデリアがぶら下がっている。だが、幾重にもはられた蜘蛛の巣が現在のマギアのありさまを物語ってくれているようで、皮肉にも調和はとれて見えたのだった。
「そちらに座って、お待ちください」
青年は吹き抜けのエントランスを取り囲むように設えられた階段を、不思議と音もなく上がっていった。ひとり取り残される形になったハルヒコは、玄関に置かれたスツールに腰かけ、心許ない視線をあちらこちらにただ投げかけることしかできなかった。
建物の中は外の見た目に比べれば幾分ましのように思われた。歴史ある、あるいはもっと盛って由緒あると言っても、素人なら黙って信じてくれただろう。だが、それも短時間なら、一瞥する程度なら、と条件はつく。じっくり観察してみれば、シャンデリアだけにとどまらず、テーブルやキャビネットが置かれたそこかしこの隅っこに、蜘蛛のはった白いベールがかけられ、クリスマスツリーの雪綿みたいに、ほこりや塵がその場を彩っているのだった。




