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終章―3

 バラディンの町は、丘陵の上に築かれた城を要に、丘を下りながら扇状に広がっていた。

 城に近い高台には豪邸が建ち並び、丘を下っていくにつれ建物は小さくみすぼらしくなっていった。

 ――わかりやすい町だな……。

 ハルヒコ達にあてがわれた家は丘の中腹、町の中流家庭が住まう地域にあった。レンガ造りの半地下のある二階建て。屋根の上には小さな屋上があり、そこから町が一望できた。

「パパ、抱っこして。もっと高いところから見たい」

 ハルヒコは肩の傷がまだ少し痛んだが、カナの意をくみ、抱っこではなく、ぐっとその体を肩まで持ち上げた。肩車の高さも相まって、思いもよらない高所にさらされたカナは、一瞬ビックリしたようであったが、すぐに目の前に広がる光景に目を見開いた。

「すごい。きれい」

 カナの言うとおり、屋上からの見晴らしは誰もが息をのまずにはいられない素晴らしいものであった。

 南の方に目をやると、黄金色の大海原が陽光を反射させ、きらきらと波打っている。麦穂が揺れているのだ。視界のはるか先、世界がかすんで見えなくなる空と大地の境界線まで、その金色に輝く麦畑は続いていた。

「ねえ、パパさん。あの畑を見にいってみない?」

 シュウの提案に誘われ、ハルヒコ達は町を下っていった。

 バラディンの道はどこも石畳で舗装されていた。歴史を感じさせる建物もそこかしこに散見され、ふと街角の一角に目をとめると、そこには必ずと言っていいほど複雑な意匠が施されていた。

 シュウとカナはかけっこをするみたいに我先にと走っていき、角に差しかかるたびに、はやくはやくとハルヒコとトウコを急きたてた。

 町を下るにつれ、家屋は目に見えて貧しくなっていった。細い路地にはゴミがあふれかえり、先は暗く見通せない。そこに住む人々の目もどこか鋭く、冷たいものを感じさせた。ハルヒコは自然を装いながらも、極力目を合わせないように努めた。

 馬車と人が行き交う大通りを下りきった所に城門があった。そこから四階建ての建物に相当する高さの城壁が左右に延々とまっすぐに伸びていた。城壁は一直線に建造されていたにもかかわらず、その端は彼方にかすんで確認することさえできなかった。

 あの日、バラディンに逃げ込む際、シュウ達はこの町の長大な城壁を目の当たりにしていた。しかし、ハルヒコは今初めてその威容を間近で見ることになったのだ。堅固に造られたこの直線部分だけで三キロメートル。町を取り囲む、丘陵にさしかかった比較的低い部分も含めると、城壁の全長は十キロメートルにも及ぶ。

 ルアンの首都リュッセルを守護する北の大防壁も難工事であったろうが、ここバラディンの城壁の建設も、それに負けず劣らず、いやもしかするとそれ以上の労力と資金がつぎ込まれているのではないかと推察できた。

 城門の前には半円形の広場があり、十数台の馬車が雑然と停車していた。その間をぬうように人々が忙しそうに動き回っている。どうやら、つい先程まで市がたっていたらしい。日は傾きつつある。皆、せかせかと露店をたたみ、荷物を馬車に移しかえているところであった。

「あの門から普通に出ていっていいのかな?」

 ちょっと聞いてみようと、ハルヒコは町を出る馬車の車列の横を通り抜け、門を護る衛兵に近づいていった。

「すみません。この町に引っ越してきたばかりでよく分からないのですが、この門は自由に出入りしてかまわないのでしょうか?」

 衛兵はあからさまに訝しんだ表情を浮かべ、ハルヒコをにらんできた。

 ――またこれか……。

 初めてリュッセルの城に行ったときも同じようなことがあったなと、ハルヒコは思い出していた。

 ――あのときは大人気なく突っかかっていってしまったけど……。

 同じ過ちはすまい――ハルヒコがにこやかに事情を説明しようとした、そのときであった。衛兵の駐屯所から一人の人物が飛び出してきた。

「その方達に無礼をはたらいてはいけない!」

 ――デジャブか……。

 装飾を施された鎧を身にまとっていることから、おそらくこの城門を警護する衛兵の長であろう。

 その衛兵長はハルヒコの元に駆けつけ、丁寧に用件を聞いてくれた。そして、振り返ると一人の兵士を呼びつけた。

「カイン!」

 城門から若い兵士が走り出てきた。自分が呼び出された理由もわからず、ただ言われるがままに、その兵士は全力でハルヒコ達の元へと駆けつけてきた。だが、衛兵長の尋常ならざる様子が目に入ってくるにしたがい、彼自身も緊張を深めていかざるをえなかった。衛兵長の顔には玉のような汗がいくつも浮かんでいたのだ。

 衛兵長が小声でカインに事情を説明する。最初は緊張の面持ちを浮かべていたカインだったが、話を聞くにつれ、その表情はやわらいでいった。そして、ハルヒコ達に向き直り、さわやかな笑顔で敬礼した。

「皆様方にお会いできて光栄です。私はカインと申します。何なりとお申しつけください」

 突如、自分達への待遇が変化したことに、ハルヒコは戸惑わずにはいられなかった。

「いえ、ただ町の外へ自由に出ることができるのかなと……。それをお聞きしたかっただけなんです」

 すると、頼まれてもいないのに、カインはこう言った。

「英雄の皆様方だけで行かせるわけにはまいりません。どうか、私もご同行させてください」

 ――英雄だって!

 思いもかけない言葉が飛び出してきた。ハルヒコは面食らった。

「パパ、英雄だって」

 シュウとカナが、にやにやと笑っている。

 おそらく王子を助けたことに対しての評価であることは容易に察しがつく。だが、英雄などとは……。

「ルアンの間者が潜んでいるともかぎりません」

 カインはそう付け加えた。

 ――そうだ……。

 ルアンにとって、そしてアイスにとって、今の自分は多大な不利益をもたらした敵なのだ。

 恨みもかっているだろう。ルアンの兵士の誰からも尊敬の念を集めていたウタル、その彼を殺したのは他でもない、ハルヒコ自身なのだから。

 ハルヒコは遠慮がちに言った。

「それでは、お言葉に甘えて、お願いしてもよろしいですか」

 カインの顔がぱっと明るくなった。

「英雄の皆様方とご一緒できるなんて、本当に光栄です」

「その英雄と呼ばれるのは、ちょっと……。何だか、むずがゆいいんですが……」

「いいえ、王族の命をお助けになったのです。英雄と呼ばれても何もおかしくはありません。騎士を目指している私には、もう本当に憧れずにはいられません」

 そんな高尚な思いではなかったのだがなと、ハルヒコはあらためて自分のなした行為を振り返った。

 そもそもはマグダルに頼まれたことがきっかけであった。だが、実際には重責に押しつぶされそうになっている少年に同情し、自分達の身の安全のため、ただひたすらに逃げまわってきただけなのだ。

 そんなことをこの若い兵士に言ったところで、すでにフィルターのかかった熱い眼差しで見つめる彼には伝わらないだろう。ハルヒコは説明することをあきらめた。

「町の外を見られたいということでしたね。参りましょう」

 ハルヒコ達はカインに続いて城門をくぐっていった。

 門を抜けると、五十メートルは幅があろうかという川が城壁に沿って流れていた。天然の河川ではない。あきらかに城壁と共に整備された規格外の水堀であろう。バラディンの町はこの水堀と長大な城壁によって鉄壁の守備を手に入れていた。

 その川の上に、いくつもの橋脚によって支えられた橋が対岸まで伸びていた。橋は二台の馬車が何とかぎりぎりにすれ違える車道と、段差のつけられた歩道から成っていた。また城門にもっとも近い部分は跳ね上げ式の可動橋になっていた。

「基本的に、町から出ていくときは衛兵が視認する程度で済みます。ですが、逆に町に入るときには厳重にチェックされます」

 特に今は念入りにねと、カインは付け加えた。

 確かに町に入ろうとする側の車道には、馬車が対岸の街道まで渋滞を引き起こしている。

「町に住んでいる人達も毎回チェックされるんですか?」

「そうですね……。毎日、農作業で出たり入ったりしている者は――もう顔見知りになった者なんかは、そのまま通過させますかね。変な挙動さえしていなければね――」

 カインはにこっと、シュウとカナに向かって頬をゆるませた。

 ハルヒコ達は橋を渡っていった。空の色から、陽が沈むまでそう間もないだろう。この時間帯では、町から外に出ていく者もまばらであった。それゆえ、兵士に付き添われたハルヒコ達は、町に入ろうと並ぶ者達から恰好のさらし者として注目を集めざるをえなかった。ハルヒコ達は恥ずかしそうにうつむき、カインはどこまでも誇らしそうに歩いていった。

 橋を渡り切ると、対岸には馬車が同時に三台は行き交える街道が、やはり城壁と川に沿ってまっすぐに伸びていた。そして、その街道の南側に、ハルヒコの家の屋上から見えた黄金の大海原が一面に、視界いっぱいに広がっていた。

「ねえ、畑の中に入ってもかまわない?」

 シュウとカナが聞いてきた。

 ハルヒコはカインの顔をうかがった。

「いいよ。こけないように気をつけてね」

 二人はトウコの手を引いて麦穂の揺れる畑へと下りていった。

 ルアンのハルヒコ達の村でも、もうすぐ麦が収穫されるはずだった。シュウ達も楽しみにしていたのだ。

 ――村のみんなはどうしているだろうか……。

 バルトにシド、ヤンガス――。みんなは無事だろうか。ひどいことをされてはいないだろうか。

 ――いや、アイス団長にかぎって、そんなことをするはずはないだろう……。

 敵となった今でも、彼という人物を信用している自分がいた。

 畑に目をやると、シュウとカナが麦穂の陰に隠れたりしながら遊んでいた。

「ねえ、これだけあったら、たくさんパンが食べれるかな?」

 不意に、シュウがそう問いかけてきた。

「ああ、たっぷり食べれるよ」

「わたしはラーメンが食べたい」

 カナが追いかけるように言った。

「ラーメンか……」

 ハルヒコは少し考えた。

 ――確か、かん水とかいうものを使うんだったかな……?

 海水から食塩を除いたもの――いや、それはにがりか……。

 かん水って何だ――?

 もう少し、そこらへんの知識を勉強しておけばよかったなと、ハルヒコは悔やんだ。

 ――小麦粉をねったものを、もっと柔らかく、もっとしっかりとくっつけてやればいいんだよな……。

 きっと何とかなるさ――。

 次の瞬間にはもう、ハルヒコはそんなふうに考えていた。

 ――いろいろ試してみるさ。

「ラーメンは、パパさん、もう少し研究するよ。パスタとかうどんとかだったら、すぐにできるかもしれないよ」

 その言葉を聞くや、カナは大はしゃぎで何度もジャンプした。

「カナ、おうどん食べたい!」

「僕はスパゲッティが食べたい。ピザも食べたい」

「ピザ、いい! わたしも食べたい!」

 太陽を背に、麦穂が揺れる畑でシュウとカナがはしゃいでいる。そのなぜか心揺さぶられる情景を眺めながら、ぽつりハルヒコはつぶやいた。

「やっぱり、私は英雄なんかじゃない……」

 カインは、子ども達の姿を見守るハルヒコの横顔をのぞき見た。

「あの子達を、ただ守りたかっただけなんだ……」

 ハルヒコの脳裏には、クイールの姿も思い浮かんでいた。

 その言葉を受けて、カインは静かに口を開いた。

「それでもやはり、あなたは英雄だと思います。少なくとも、あの子達にとっては――」

 あなたは、かけがえのないヒーローです――。

 ハルヒコは、そうなのかなと思った。そして、そうであったら、嬉しいなと思った。

 夕陽が麦穂の大海原をより鮮明に黄金色に染め上げていく。そのあまりにも心に迫る情景の中、シュウが、カナが、そしてトウコが笑っていた。

 この世界に来て、どれほどの時間が過ぎただろう。どれほどの人達と交わってきただろう。そのどれもが濃密で、今もハルヒコ達の心にはりつき離れない。

 自分達がこの世界に落とされた、はじまりの場所からもずいぶんと離れてしまった。いまだ、元の世界へ戻る手立ては闇の中だ。

 ――それでも……。

 と、ハルヒコは思う。

 ――自分のそばには家族がいる……。

 それだけが確かで唯一の、ゆずれない大切なことのように感じるのだった。


第一部 完


「異世界家族 パパと僕、ときどき、ママ、わたし」推敲版を、ここまで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。

読者がいるということだけで、どれだけモチベーションが維持できることか……。

本当に感謝です。

第二部「魔法使い、ガイコツと踊る」は、新年より連載を再開する予定です。

今、書いている別の作品が思いのほか長くなってしまっているので、はたして予定通りにいくのか心配なところではありますが、精一杯、頑張りたいと思います。

引き続き、ご愛顧のほどよろしくお願いいたします。

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