終章―2
数日後、歩けるまでにハルヒコは回復していた。リハビリもかね、ハルヒコは城の中をくまなく歩いて回った。城に仕える兵士や使用人達とはすでに顔見知りになっていた。
ここはアクラ国首都バラディン。その王バナムの居城であった。
アルベルト達が旅立つことを耳にしたハルヒコは、別れの挨拶とあらためて感謝の意を伝えるべく、彼らが出立の準備をしている中庭へと赴いた。
アルベルト達はクイール王子の危機を救ったことにより、満足のいく報奨金を手にしていた。ハルヒコが火をつけ馬屋を焼失させたロランの町の宿にも、また多くの馬車を損壊させられたキャラバンにも、アクラ国が手厚い補償を行ってくれていた。
ハルヒコが昏睡している間に、それら諸々の後始末は、事務的手続きにのっとって淡々と滞りなく実行されていったのだ。
「もう行かれるのですか?」
馬車に荷物を積み込んでいたアルベルトに、ハルヒコは声をかけた。
「いつまでも、ここにいるわけにはいかないからね。それにあまりにも退屈でかなわない」
アルベルトは白い歯を見せた。
「助けていただいて本当にありがとうございました。あなた方がいなければ、私の家族は無事ではいられなかったでしょう。それなのに私は……。あなた方のことを疑ってしまった」
車上のチロムが、居心地が悪そうに小さく舌を出した。
「いや、そんなことないさ。それぐらい慎重にならないと、この世界ではいくつ命があったって足りやしない」
慰めたつもりはなかったのだろうが、アルベルトの言葉は小さなトゲのようにハルヒコの胸をちくちく突き刺した。自戒を込めるように、ハルヒコはつぶやいた。
「私の選択は間違っていたんでしょうか?」
アルベルトは作業の手を止め、ハルヒコを真正面に見すえた。
「何が正しいか、間違っているか、そんなことは後になってみないと分からないものさ。いや、後になってみても、結局わからないことの方が多いかもしれない。まずい結果に終わってみても、満足なときもあれば、その反対のこともよくある。それでも自分で考えて、納得して選んだ道なら、後悔することはそうないんじゃないかな」
うつむくハルヒコに向かって、アルベルトは続けた。
「あんたの判断は間違ってなかったと思うぜ。俺だって、あの状況ならそうしてたかもしれない。それに、あんたは結果的に家族を守ったんだ。王子様も守った。それ以上、何を望むことがあるっていうんだ。みんな生きてる。それでいいじゃないか」
そして、アルベルトは笑いながら、こう言った。
「生きてるだけで丸儲けさ」
チロムもサムザイも、そして感情をあまり表に出さないガブナでさえ、自然と笑みをこぼしていた。みな何気なく浮かべた表情であったのだろう。だが、その奥には複雑に絡みあい、もつれた感情が静かに揺れていた。彼らの経験のどこかに――心の琴線に――ふれるものがあったのかもしれない。
「これから何処に?」
「西に向かおうと思っている」
戦乱渦巻く彼の地で一旗上げるんだと、アルベルトは言った。そして声をひそめて、
「ここだけの話、俺は自分の国を手に入れたいと思ってるんだ」
冗談っぽく、そう付け足した。
「国じゃなくて村の間違いだろ」
チロムが茶々を入れた。サムザイとバナムも笑う。
だが、ハルヒコにはわかった。彼らは決してふざけてなどいないことを。アルベルト達の瞳の奥に宿る鋭い光――固い意志、決意の表れを。
触れるべきではないと、ハルヒコは判断した。
「お気をつけて」
「あんたもな。炎の大魔導師さま!」
冗談とも本気ともつかない口上。それがアルベルトとの別れの挨拶となった。
昼を待たずして、彼らはバラディンを出立していった。
ずいぶんと後に、ハルヒコは彼らと再会することになる。
黒の魔導師とハルヒコが呼ばれるようになって久しく、アルベルトが西方の国で王になった頃の話である――。
ハルヒコ達家族は、それから一月ほどバラディンの城内で過ごした。
国王バナムとも謁見した。ルアンのクロム王の実兄である。
容姿だけでなく、国の民のことを思う気高い志もよく似ていた。知らず、ハルヒコはバナム王にクロムの面影を重ねていた。
バナムは、甥にあたるクイールを助けてくれたことに、これ以上ない謝意を示した。玉座から降りてきて、ハルヒコの手を握りしめたくらいだ。その異例の事態は、謁見の間に決して小さくはない、どよめきを引き起こした。
一方で、クイールとの面会はかなわなかった。クイール本人が拒んでいるとのことであった。
「ここに来てから、僕も一度も会ってないんだ……」
心配そうにつぶやくシュウもまた、元気がないように見えた。
――あれは王子じゃなかったのだろうか……。
ハルヒコが昏睡状態から覚めた直後、真夜中に何者かが部屋を訪れてきたことがあった。起きているのか眠っているのか、自分でもよく分からない夢うつつの最中のことだ。そして、その誰かは物言わず、ただ静かにハルヒコの手をしばらく握っていた。
ハルヒコはその誰かをずっとクイールだと思っていた。そう感じたのだ。
クイールが今、何を思い、何を考えているのか、それはハルヒコにも分からない。分かるはずがない。それでも、
――さみしいな……。
そう思った。偽りない、今のハルヒコの本当の気持ちであった。
時は人の思いなど解さない。素知らぬ顔で一月が過ぎていった。
ハルヒコ達は城を出て、バラディンの町で暮らすことになった。




