第8章―3
何が起こっている……?
ハルヒコはシュウに問いかけるような目線を向けた。
――僕じゃない……。
そう言いたげな表情で、シュウは首を横に振った。
「ハルヒコ殿。まさか、こんな力をお持ちだったとは……」
ウタルはただやみくもに攻めてきていたわけではない。相手の力量を事前に把握し、最も効果的な戦略を練る。ウタルと関わった月日は、そのままハルヒコ自身の情報をさらけ出す機会でもあったわけだ。
だが、その情報の中に、このような風の力はなかったはずだった。
――してやられたのか……。
だが、ウタルの知るハルヒコは、そんな打算的なことができる人間ではない。心から信用のできる――誰よりも信頼できる――人物であったはずだ。
――皮肉なものだ……。
トロール戦では命を救われた恩人。はっきり言ってしまえば、好意を抱いている。友人のように感じている。共にルアンを背負っていく未来を思い描いてもいた。
――その命を、オレは奪おうとしているのだ……。
彼の家族と共に――。
ハルヒコはウタルの問いかけには答えなかった。答えようがなかった。ハルヒコ自身も混乱していたのだ。
――この風の力はいったい……。
何者かが助けてくれていると考えていいのだろうか。だとしたら、それはいったい誰なのか?
――それに……。
この力は本当に魔法なのだろうか?
そんな疑問を覚える。
魔法を行使するのはイメージの力だ。そして、その想像力と共に不可欠なのが、理の力の源――フォント――であった。フォントはこの世界のいたる所に満ちている。世界の表側ではなく、目に見える表層世界の裏側で、莫大な魔法の源泉が奔流となってうねり続けているのだ。
魔法を発動するたびに、ハルヒコはそのフォントの残滓のようなものを感じていた。言葉で表現するのは難しい。ただ感じるとしか説明のしようがない。
だが、この風の力にはフォントの介在を明確には感じられなかったのだ。正確に言えば、確かに何かしらの理の力がはたらいているのは間違いない。だが、それはフォントとは異なる種類のもののように思われた。
こんなときにもかかわらず、ハルヒコの探究心は大きく刺激されていた。しかし、さすがに今はそんなことを考える余裕があるはずもない。
それでも、この風がハルヒコの力だとウタルが勝手に思ってくれているとしたら――。
――誤解してもらったままで結構……。
こちらの力を過大に見積もり、攻めあぐねてくれればいい。それで、いつまでも攻撃の手をゆるめるウタルではないだろうが、今は少しでも時間が欲しかった。
――この場をどう切り抜ける……?
奇跡を呼びおこす策が、はたしてあるのか……。
しかし、ウタルの行動は素早かった。腰に帯びた大剣を抜刀したのだ。それに呼応するかのように兵士達もまた剣を引き抜く。
ウタルが敵に時間を与えるわけがない。相手が体勢を立て直す前に、混乱した状態から抜け出す前に、一気に畳みかける。
それはつまり、ウタルが味方の犠牲を許容した瞬間でもあったということだ。ボウガンで遠方から攻撃を続ければ、兵達に被害は及ばない。ハルヒコ達はいつかは倒れるだろう。だが、近接戦に及べば数名の犠牲者が出ることは避けられない。それほどまでにハルヒコの魔法は脅威なのだ。侮ってはいけない。
ウタルが剣を前に差し出した。畑に潜んでいた兵士達は剣を構えたまま、じりじりと前進し始めた。
――くそっ!
やはり時間を与えてはくれないか……。
何も考えられないうちに相手は仕掛けてきた。
――どうする……?
向かってくる兵士達にフラーモを放つか?
だが、それでは間に合わない。一人二人は倒せたとしても、次の魔法の詠唱中に、いつかは切り伏せられてしまうだろう。たとえシュウに手伝ってもらったとしても結果は変わらない。
――それに……。
そんなことをすれば、シュウはハルヒコと並ぶ第一の標的にされてしまうのだ。そして、この期に及んでもなお、ハルヒコはこう思っていた。
――シュウに人を傷つけてほしくない……。
自分達の命がかかっている局面だ。それでも、子どもには罪を背負ってほしくはなかった。汚れてほしくなかった。
――何が汚れるというのだろうか……。
魂が穢れるのだ――。
命が奪われようが、魂は清らかなままでいてほしい。そんな思いがどこかにあった。だが――。
――生きねばならない。
どんなに地面を這いつくばろうとも、不格好だと罵られようとも、生きて、生きて、生き抜くのだ。自分の中にも、子ども達の中にも、生への執着は常にくすぶり続けているのだから。それは誰にも否定することを許されない――生者だけの持って生まれた権利なのだから。
兵士達は刻一刻と距離をつめてくる。この距離なら確実に数名の兵士を仕留めることは可能なはずだ。だが、そこですべては終わってしまう。その先の展開を見出すことができない。
――何かないのか……。
ハルヒコは今一度、辺りを見渡した。
麦畑に兵士達は均等に散らばって近づいてきている。麦穂を踏み潰しながら――。
頭を垂れた麦穂が激しく揺れている。
――揺れている?
どうして、麦穂は揺れているのだ……。
――風に吹かれて揺れている……。
――その風はどこから来ている?
馬車を護る、この風の防壁から吹き出しているのだ。外に向かって、強く、激しく――!
次の瞬間、ハルヒコはフラーモを唱えていた。そこに迷いはなかった。
魔法はイメージの力によって行使する。同じ魔法でも、それを扱う者が違えば姿形も変化する。そして、同じ術者であっても――訓練さえすれば――魔法の効果に強弱をつけることも、その形態を変えることもできた。
ハルヒコは火球をイメージしてフラーモを唱えたのではない。今まで放ったことのない炎の形をイメージしたのだ。上手くいく保証なんてどこにもない。そのときはそのときだ。思い通りにいかなければ、小さな火球を何発も打てばいい。
はたして、どんな姿の炎がハルヒコの手から噴き出したのか――。
――いける!
ハルヒコの手先から筋状の炎が伸びた。あたかも火炎放射器のように――。
だが、ハルヒコは筋状のフラーモを兵士達に向かって放ったのではなかった。自分達を取り巻く風の防壁に向かって放出したのだ!
炎は渦巻く風に飲み込まれていった。風に取り込まれた炎は勢いを増し、熱量は増幅され――風の防壁は、紅蓮の業火が渦巻く巨大な火柱へとその姿を変えていった。
――これで終わりじゃない!
膨大な熱量が風に舞い、踊っていた。炎はやがて外へと向かう空気の流れに合流し――一斉に吹き出した!
揺れる麦穂を巻き込み、焦がし、火勢はさらに増していく。灼熱の炎は一瞬で兵士達を飲み込んでいった。
いたる所で、この世のものとは思えぬ叫声がわき起こる。炎に包まれ、一瞬で絶命できた者は幸せだったかもしれない。中には全身を火にあぶられ、地面をのたうち、長い時間もがき苦しんだすえに死ぬことを許された兵も少なくなかった。
業火の地獄絵図が、ハルヒコ達の目の前で繰り広げられていった。
――自分はとんでもないことをしてしまったんじゃないのか……。
狙い通りにはなった。しかし、この事態を引き起こした当の本人は、自分のしでかした行為に怯え、震えていた。胸がしめつけられ、息ができなかった。
相手は自分達の命を容赦なく奪おうとする敵だ。それでも、彼らにも家族がいて、それぞれに人生があっただろう。だが、その最後は一瞬にして炎にのまれ、あっさりと幕は閉じられてしまった。尊厳もへったくれもなく……。
――誰も人の命を奪う権利などあるはずがない……。
――俺はただ、みんなを守っただけだ……。
――だからといって、こんなことが許されるというのか……?
ハルヒコは混乱していた。頭の中をとりとめのない思考がぐるぐる回り、それらは幾度となくせめぎ合っていた。納得したかったのだ、自分の正当性を――。
だが、最後にハルヒコの中に取り残された感情はただ一つ――罪の意識だけであった。つぐなう術を知らぬ、取り返しのつかない罪を背負ったのだと、ハルヒコはこれより永劫に苛まれることになる。
それほど自分の罪深さを知りながら、次にハルヒコがとった行動は、はたして何であったか――。
――ためらっている場合じゃない……。
ハルヒコは続けざまにフラーモを詠唱し始めた!
狙いは、ウタル――。
――最大の脅威を取りのぞく!
兵士達のトップ――指揮官を排除するのだ。
ウタルは気づいていた。ハルヒコが自分に向かって手をかざし、唇の動きから何かをつぶやいていることを――自分を狙っていることを。
だが、ウタルは動かない。いや、むしろ足を大きく開き、さらにどっしりと構えたように見えた。
――ウタル隊長……。
あなたは逃げないつもりなのか――。
ハルヒコの手の先に巨大な火球が錬成されていく。まるで凶悪な意思を持っているかのごとき炎が、火球の表面で渦を巻き暴れ狂っている。
その炎の意思を止めることはかなわない。止めるつもりもなかった――。
ハルヒコの手からフラーモが放たれる。
バスケットボールほどの火球が、ウタルに向けて一直線に飛翔する。
ウタルは盾を構えた。だが、その小振りな盾で全身を守ることはできないだろう。いや、盾でかばった部分でさえも、ただ事ではすむまい。鍛錬を重ねた今のハルヒコの火球は、岩をも砕くのだ――。
ハルヒコは自分の魔法の威力のことなど考えもしなかった。ウタルの身がどうなってしまうのかということも――。
とにかく指揮官を行動不能にする――ただそれだけを考え、ハルヒコはフラーモを放った。ウタルが指揮を取れなくなれば、皆で逃げる糸口を見いだせるかもしれない。そんな淡い期待を抱いていた。
ハルヒコはフラーモの行方を見守った。
火球はウタルの真正面に直撃した――!
凄まじい爆音と煙が巻き起こる。
はたして、人がこの火球を受けたら、どうなってしまうのだろうか。
火球がウタルにぶつかる光景を目の当たりにして、ハルヒコは自らの力の恐ろしさに震えた。だが――。
そんな思いは早計であった。杞憂であった。自惚れもはなはだしかった。
煙が晴れ上がっていく――。
はたして、ウタルはそこに立っていた。
微動だにせず、盾を構えた元の姿のままで――。




